由比ヶ浜ケイの受難─第1章─6話「静寂の星空」
【由比ヶ浜ケイの受難】
9月下旬・日曜日 野外ライブステージ舞台袖…
秋の気配が漂い始めた9月下旬の日曜日。
都内の公園に設営された小さな野外ステージの舞台袖は、本番を待つアイドルたちの熱気と香水の匂いで充満していた。
スタッフに愛想よく挨拶をする者、知り合い同士で談笑し、お互いの衣装を褒め合う者。
そこには「キラキラした世界」の住人たちが形成する、華やかなコミュニティが出来上がっていた。
そんな中、ただ一人。
世界の終わりのような顔で俯き、暗いオーラを放っている少女がいた。
「……やっぱり、場違いすぎるわ」
「大丈夫だよケイちゃん! あんなに練習したじゃん!」
ドスッ! と背中を叩く鈍い音が響く。
犯人はもちろん、この状況を作り出した元凶・瓦幸慈だ。
「愛理さんのスパルタレッスンも放課後返上でこなしたし、あのNG連発の地獄のモデル撮影も乗り越えたんだから! 自信持って!」
「自信なんて、粉微塵もないわよ……」
ケイは周囲のきらびやかなアイドルたちを見回し、さらに身を縮こまらせた。
彼女たちは「見られること」を愛している。対して自分は「隠れること」を愛している。生物としての種族が違うのだ。
「……ねぇ、今からでもキャンセル……」
「できるわけないよ! もう出番すぐだから!」
即答で退路を断たれる。
そんな押し問答をしていると、一人の少女が近づいてきた。
「あの、あなた、由比ヶ浜ケイさんよね?」
ケイが恐る恐る顔を上げる。
そこに立っていたのは、肩まで伸びた茶髪のカールが揺れる、華やかな美少女だった。
少しタレ気味の優しげな瞳、その下にある泣きぼくろがチャーミングで、大人びた色気すら感じさせる。
「うち、古賀 美柑っていいます。よろしくねっ」
「あ……どうも……」
人懐っこい笑顔と、独特のイントネーション。
ケイが戸惑いながら会釈をすると、美柑はさらに距離を詰めてきた。
「由比ヶ浜さんが文化祭で踊ってる動画見て、めっちゃ可愛いって気になっとったんよ〜!」
「……ッ」
一番触れられたくない「黒歴史」を笑顔で掘り返され、ケイは思わず視線を逸らした。
「今日はあのお客さんたちも、『朝陽ノ高校の伝説の恥じらいガールが登場する』ってみんな楽しみにしとるけんね。頑張って!」
「恥じらい……ガール……?」
聞き捨てならない二つ名が聞こえた気がしたが、美柑は「じゃあ、お先に!」と手を振って自分の出番へと向かっていった。
「はぁ……」
嵐のように去っていった美少女の背中を見送り、ケイは深く、重く呟いた。
「……帰りたい」
期待という名の重圧と、勝手につけられた不名誉な称号。
由比ヶ浜ケイの初ライブは、始まる前から既に「受難」の様相を呈していた。
「続いては朝陽ノの恥じらいガール! 由比ヶ浜ケイの登場です!」
MCのハイテンションな声が、残酷なほど会場に響き渡る。
『恥じらいガール』。
その不名誉な二つ名に、観客席や舞台袖のアイドルたちから「クスクス」と失笑が漏れるのが聞こえた。黒歴史をえぐられるような感覚。
「……はぁ」
ケイは深く、静かに息を吐いた。
仕方ない。やるしかない。逃げ道は全て塞がれている。
ケイは静かに目を閉じ、精神を統一する。
脳内で「恥ずかしい」「帰りたい」というノイズを、持ち前の理詰めで強制シャットダウンしていく。残すのは、愛理から叩き込まれた技術と、曲の世界観のみ。
ケイが目を見開いた。その瞳から、怯えの色は消えていた。
「(……恥じらいガールなんてふざけた蔑称、今この場で訂正させてやる)」
由比ヶ浜ケイはマイクを片手に、無表情のまま真っ直ぐステージの中央へと歩みを進めた。
青を基調として、星空のように銀のラメが散りばめられたスタイリッシュな衣装を身に纏いステージの中央に立つ。歓声はない。値踏みするような視線だけがある。
「……よろしくお願いします」
一言だけ。愛想など、欠片も振りまかない。
その冷徹な態度に会場がざわめく間もなく、イントロが流れ出した。
優雅で、どこか悲しげなピアノの旋律。
ケイは手をスーー……と、空を撫でるように動かし、虚空に円を描いた。その軌道はコンパスで引いたように正確で、かつ滑らかだった。
直後。
ダダダダダッ!!
激しいドラムンベースのリズムと共に、高速のシンセサイザーが疾走するアートコアへと変貌する。
その瞬間、ケイの動きが弾けた。
大きく腕を振るい、空気を切り裂く。
そのままの勢いで、軸のブレないしなやかなターンを決める。
神野愛理のスパルタレッスンを、ケイ自身の「理詰め」で解析し、角度、速度、タイミングを極限まで突き詰めたダンス。
それは熱気ではなく、会場の空気を一瞬で凍らせるような、ひりつく緊張感を生んだ。
歌声が響く。
喉の開き方、共鳴の位置。短期間で徹底的に体に叩き込んだ発声法。
透き通るように響き渡るその繊細な歌声は、激しいビートの中でも埋もれることなく、聴く者の耳に冷たく、心地よく刺さった。
何より、由比ヶ浜ケイには笑みはなかった。
媚びない。笑わない。
その徹底した無表情が、疾走感のある曲調と化学反応を起こし、彼女を「不器用な素人」から「孤高のクールビューティー」へと昇華させていた。
そこにはもう、噂の「恥じらいガール」などいない。
あるのは、観客を熱狂させるのではなく、息を呑んで魅入らせる「静寂」の支配者。
まるで厚い雲が割れ、満天の星空が広がったかのような、美しくも冷たいパフォーマンス。
ジャン……。
曲が終わる。
ケイは最後のポーズを決めたまま、微動だにしない。乱れた呼吸すら、計算された演出のように見えた。
「……ありがとうございました」
ケイは最後までクールを崩さず、短く礼をした。
一瞬の静寂。
誰もが声を上げるのを忘れていた。
そして――。
パチ、パチパチパチ……ワアアアアァァッ!!
爆発的な歓声ではなく、感嘆のため息混じりの、割れんばかりの拍手が響き渡った。
由比ヶ浜ケイが、その「冷たい熱」で会場を制圧した瞬間だった。




