─第3章─7話「黒い破壊者」
【由比ヶ浜ケイの受難】
【後攻・城ヶ崎杏樹】
張り詰めた空気の中、城ヶ崎杏樹が舞台裏からゆっくりと姿を現した。
「…………っ」
その姿を見た瞬間、審査席の空気が一変した。
先ほどのミリアが『白鳥』のようなフワフワとした純白のドレスであったのに対し、杏樹が身を包んでいたのは、あまりにも対照的な黒を基調とした攻撃的な衣装だった。
首元にはチョーカー、脚には網タイツ。そして、惜しげもなく晒された引き締まった肩と、鍛え抜かれた美しく割れた腹筋。
およそ新人アイドルらしからぬ出で立ちの彼女は、ステージ中央に進み出ると、足を大きく開いて仁王立ちする。
そして、マイクを真横に突き出してピタリと構えた。
ドゥン……ドゥン……ドゥン……ドゥン……!
腹の底、いや、胸の奥底に直接響くような重低音が体育館を震わせる。
ジャンルは『ディスコ・ファンク』。
アイドルらしいキラキラしたポップスでも、優雅なバラードでもない、アンダーグラウンドの熱気を帯びた戦闘曲。
重低音が鳴り響くと同時に、伏せられていた杏樹の目が開かれ、その口元に不敵な笑みが浮かんだ。
ダンッ! ダンッ!
体育館中に響き渡る、ステージの床板を貫かんばかりの力強いステップ。
杏樹のダンスは、姉である城ヶ崎莉杏の『軟体動物のような滑らかな動き(幽玄)』をベースにしながらも、そこに圧倒的な筋力と爆発力を上乗せしたものだった。
腕や身体をぐわんぐわんと大きく揺らし、重いファンクのリズムに完璧に乗る。
彼女が一歩踏み込むたびに空間が歪み、地面が揺れるような錯覚さえ覚える。
『────♪』
そして、歌声。
激しい動きの中で放たれたとは思えないほど、力強く、それでいて遠くまで響き渡る聴き心地のよい『セイレーンの歌声』。
激しくも甘い言の葉が、耳の奥が痺れるような気持ちの良いリズムとともに、聴く者の全身の血管を駆け巡っていく。
ミリアが展開した『領地』を破壊的なメロディで容赦なく踏み潰していく。
そして曲は、ラストのダンスパートへ突入する。
激しいステップを踏みながら、杏樹はふと首を傾げ、先ほどまでの不敵な笑みを崩した。
審査員席に向かって、キュートで、それでいて最高にクールなウィンクを投げ飛ばす。
そこから、彼女はリズムを取って助走をつけた。
ただのダンスではない。
ダァンッ!
勢いをつけて、鋭いローキックを空中に放つ。
そのままの勢いで床を転がるように一回転して立ち上がり、今度は空を切り裂くような高い軌道のハイキック。
さらにコマのように一回転したかと思えば、恐ろしいほどの加速をつけ──バク宙。
宙を舞う銀色の髪。
驚くべきは、これらの格闘技やアクロバットのような神業が、すべて『ディスコ・ファンクのビートに完全にシンクロして処理されている』という事実だった。
ドゥーン……
重低音が、長い余韻を残しながら鳴り止む。
華麗に着地を決めた杏樹は、最初の『マイクを真横に突き出した構え』でピタッと静止した。
呼吸一つ乱れていない。驚異の体幹と無尽蔵のスタミナが、彼女の身体を微動だにさせない。
不敵な笑みを浮かべたまま目を開けると、彼女はゆっくりと突き出していたマイクを下ろした。
「……ありがとうございました!」
今度は、先ほどまでのドスの効いたファンクのノリが嘘のように、可愛らしく透き通るような声で一礼し、トテトテと小走りで舞台裏へと戻っていった。
「…………」
「…………」
杏樹が姿を消した後も、体育館には異様な静寂が落ちていた。
「……愛理。これは……」
普段は底抜けに明るい川那部ナツメが、珍しく真剣な、底冷えするような表情で口を開いた。
神野愛理、そして御空ユミも、先ほどのミリアの時以上に真剣な表情で黙り込んでいる。
(……西園寺さんの完成度も凄かった。でも、今の杏樹は……)
ケイもまた、胃を痛めながら悟っていた。
圧倒的な完成度を誇る「白鳥」と、規格外の物理法則で空間を支配した「黒い破壊者」。
だが、トップランカーたちが感じ取った脅威の質は、後者の方が上だった。
もはや、遠征へ連れて行くための『育成枠』の選考などではない。
自分たちを脅かしかねない、若き『ライバル』の出現。
怪物たちは今、同じ次元に足を踏み入れてきた新たな怪物の誕生を、肌で感じ取っていた。




