─第2章─16話「勝利」
【由比ヶ浜ケイの受難】
「杏樹……ありがとう」
興奮冷めやらぬ舞台袖で、由比ヶ浜ケイは荒い息を吐きながらパートナーに礼を言った。
あの絶体絶命の落下から救い上げてくれたのは、間違いなく杏樹の力だ。
「わたしはケイさんに育てられましたから! これぐらい当然です!」
満面の笑顔を見せる杏樹の顔は、汗で光り輝いていた。
「それに、ケイさんの影無しじゃ、わたしはあんなに輝けてません。……お互い様です!」
そう言って、杏樹は小さな拳をスッと差し出す。
ケイは、かつてのひ弱だった少女が、自分を引っ張り上げるほど頼もしくなったことに微笑みを向け、その拳に自分の拳をコツンと合わせた。
「……あとは、ユミと…城ヶ崎先輩のステージ次第……」
二人は固唾を飲んで、ステージを見据えた。
【後攻・城ヶ崎莉杏&御空ユミ】
ステージが暗転し、スポットライトが二人の姿を浮き上がらせる。
身に纏っているのは、舞った時にシルエットが大きく見える、和洋折衷のダボッとした衣装。莉杏は漆黒、御空ユミは深い青。
ギュイィィィンッ……!!
不協和音ギリギリのギターが鳴り響く。
『サイケデリック・ロック』。
重力を無視するかのような、軟体動物かのような『幽玄の舞』を披露する莉杏。
瞬間、だぼついた黒い袖が翻り、鋭く腕を振るって力強いステップを決める。
御空ユミもその変則的なリズムに合わせ、青い袖を揺らして完璧にシンクロする。
複雑怪奇なメロディを、二人は主旋律と副旋律で狂いなく歌い上げていく。
そしてラスト。莉杏がターンを決めて、前へと躍り出る最大の魅せ場……。
「──ッ!」
それは突然の出来事だった。
──わずかな狂い。
先ほど目の当たりにした、妹の圧倒的な輝き。脳裏に焼き付いたその光に照らされ、狂わされたわずかなリズム。
完璧なはずの城ヶ崎莉杏の足がもつれ、無様に転倒した。
主旋律が止まる。
時が止まる。
会場は一瞬、息を呑むような嫌な静寂に包まれた。
──だが、次の瞬間。
「───ッ!!」
倒れた莉杏を追い越すように、御空ユミが前へと躍り出た。
そして、複雑怪奇なメロディを、力強く、完璧なピッチで歌い上げる。
一瞬のアドリブ。影が主役を庇い、自ら光を放つ。
その観客を突き放さんばかりの迫力ある歌声は、莉杏のミスによって生じた嫌な静寂を完全に吹き飛ばし、観るものを魅了する『絶対零度』のステージへと変えたのだ。
「──ぐッ!」
ハッとした莉杏が即座に立ち上がり、再びパフォーマンスに戻る。
崩れかけた曲をユミが支え、莉杏が戻ることで再び『二人で』主旋律を歌い上げる。
──フィニッシュ。
二人はポーズを決めるが、その顔にいつもの余裕はなかった。
しかし、ミスをリカバリーした圧倒的なリカバリー力に、会場からは大きな歓声と拍手が送られた。
ほどなくして二組がステージへと上がり、巨大モニターに結果が表示される。
由比ヶ浜ケイ:9%
城ヶ崎杏樹:39%
【合計 48%】
城ヶ崎莉杏:28%
御空ユミ:24%
【合計 52%】
「……負けた」
ケイが小さく呟く。
ギリギリの勝負、合計票数での結果は敗北だった。
だが、その内訳は異様な事実を突きつけていた。
杏樹が、莉杏に個人票で勝っている。
「………………」
莉杏は、しばらくモニターの前で動けずにいた。
『眼中にない』『不必要』。
そう言い放ち、見下していたはずの相手(妹)。それが自分を追って喰らいつき、見事に自分の喉を噛みちぎったのだ。
自分のミスと、妹の輝き。城ヶ崎莉杏は、圧倒的な実力主義の果てに、得も言われぬ虚しさを覚えていた。
舞台袖へと下がり、杏樹の方へ歩み寄った莉杏が、ポツリと口を開く。
「……杏樹、ごめん………」
目を合わせず、そう一言だけ呟き、立ち去ろうとする。
「……それだけですか!? 杏樹があなたのためにどれだけ……!」
ケイは怒りのままに莉杏に詰め寄ろうとした。
しかし、その袖を杏樹がギュッと引っ張り、制止する。
「お姉ちゃん!」
杏樹は、背を向けた姉に向かって、いつものような明るい声で叫んだ。
「明日、新発売のお菓子あるから、一緒に食べよう!」
「…………」
その言葉を聞いた莉杏は、振り返ることはなかった。
だが、背を向けたまま、ゆらゆらと小さく手を振って、そのまま廊下の奥へと姿を消していった。
それは、彼女なりの不器用な「了解」のサインだった。
「……ふふっ…」
杏樹は、ポロポロと涙ぐみながら笑っていた。
それを見たケイは、振り上げた拳を下ろし、ふぅっと安堵の溜め息をつく。
(……まぁ、当の二人が良いなら、いっか……)
やれやれと控え室に戻ろうとしたケイの前に、今度は不敵な笑みを浮かべた御空ユミが立ちはだかった。
「今回の勝負は『あたし』の勝ち、だね」
莉杏が崩れたあの瞬間、完璧に場を支配したユミの機転と実力がなければ、勝負はわからなかった。
ケイは、素直に敗北を認める。
「……そうね、『ユミの勝ち』」
あしらうように、しかし確かな敬意を込めて言うと、御空ユミは「フンッ!」と満足そうに鼻を鳴らし、控え室へ戻っていった。
勝負には敗北した。
だが、一番の目的であった「姉の目を覚まさせる」という目標は、これ以上ない形で果たしたのだ。
激動の3ヶ月。由比ヶ浜ケイの『朝陽ノツインスターカップ』は、こうして静かに幕を閉じたのであった。




