─第2章─13話「焦燥」
【由比ヶ浜ケイの受難】
7月。
真夏の太陽がジリジリとアスファルトを焼く、『朝陽ノツインスターカップ』当日。
会場となる巨大ホールには、生徒や外部からの観客、約5000人が詰めかけていた。
控え室。
冷房が効いた部屋に、緊張感が漂う。
今回の形式は16組によるトーナメント戦。
だが、前回とは決定的に違う点が一つあった。
マネージャーの瓦幸慈が、タブレット端末を見ながら最終確認を行う。
「今大会の特徴は『成果の可視化』を目的とした、『ユニット各1人に投票するシステム』。」
観客は専用アプリを使い、ユニット単位ではなく、ステージ上の「個人」に対して「票」を送る。
つまり、2人とも素晴らしければ2人に票がつく、片方だけが目立てば片方に票が集中する。
「『個(メイン&サポート)』の構成で行く場合は、引き立て役がいかに『主役』に票を集めるかが重要になるね。リスク分散ができない代わりに、ハマれば爆発的な票を得られる!」
今回のケイたちの作戦は、杏樹を『主役』に据えること。
つまり、ケイへの票を捨ててでも、杏樹に全ての注目を集めさせ、その合計得点で相手ユニットを上回らなければならない。
そして、瓦はモニターに表示されたトーナメント表を指差した。
「対戦相手の確認だよ。『神野愛理&川那部ナツメ』は反対側の山……決勝までは当たらない」
「ふぅ……」
そこまでは良かった。
だが、次の言葉に室内の温度が氷点下まで下がった。
「そして……『城ヶ崎莉杏&御空ユミ』は、同じ山のすぐ隣」
「……っ!」
ケイと杏樹は息を呑んだ。
自分たちの山と、莉杏たちの山。
それが意味することは一つ。
「初戦を勝てば……2回戦で当たる……」
杏樹とケイは険しい顔になる。
勝負をかけるのは、思いの外早くなりそうだ。
「……まずは目の前の相手に集中しましょう」
ケイが空気を変えるように声を出すと、瓦が頷いて説明を続けた。
「……そうだね。1回戦の相手は『南美香&佐竹幸子』。……手堅い南先輩とユニットでのパフォーマンスに特化した佐竹先輩のコンビは手強いよ」
モニターに映し出されたのは、派手さはないが、一糸乱れぬ動きを見せる二人組の映像。
「……なるほど。南美香先輩……真っ向勝負しかなさそうね」
奇策は通用しない。
基礎力の高さと、今の杏樹の爆発力でねじ伏せるしかない。
ケイは杏樹を見据え、その両肩をガシッと掴んだ。
「杏樹。後ろは任せて、思いっきり輝きなさい!」
「はい!」
杏樹の力強い返事が、控え室に響いた。
その瞳に迷いはない。
まずは初戦。城ヶ崎莉杏への挑戦権を懸けた、負けられない戦いが幕を開ける。
【先攻・南美香&佐竹幸子】
「行くよ、幸子!」
「ええ、美香!」
ステージが明転すると同時に、弾けるようなブラスバンドの音色が会場を満たした。
曲は王道中の王道、アップテンポでキュートなアイドルソング。
二人は左右に分かれ、まるで鏡に映したかのような完璧なシンクロ率でステップを踏む。
指先の角度、笑顔の輝き、視線の配り方。
そこには一切の隙がない。
長年のペア結成で培われた「阿吽の呼吸」は、観客に安心感と多幸感を与える。
ハモリも完璧。高音と低音が甘く溶け合い、会場の空気をパステルカラーに染め上げていく。
ジャジャンッ!!
最後は二人でハートマークを作り、キュートにフィニッシュ。
会場からは「可愛いー!」「さすが!」という歓声が飛んだ。
「杏樹、大丈夫…?」
舞台袖。
杏樹は、目の当たりにした完璧な連携を前に、唇を引き結んでいた。緊張しているのは明らかだった。
技術だけなら、今の杏樹は彼女たちに追いついているかもしれない。だが、「舞台慣れ」という経験値の差は歴然だ。
「……大丈夫。私が完璧に引き立てて見せる」
ケイは杏樹の冷たくなった手を握りしめた。
「私の動きに合わせてくれればいい。……あなたは、ただ前だけを見て」
「……はい!」
「後攻、由比ヶ浜ケイ&城ヶ崎杏樹ッ!!」
MCの声が舞台袖まで響き渡る。
二人は覚悟を決め、光の中へと歩みを進めた。
【後攻・由比ヶ浜ケイ&城ヶ崎杏樹】
二人の登場と共に、割れんばかりの拍手と歓声が巻き起こる。
観客の視線は、自然と青いドレスの少女──神野愛理を下したチャンピオン・由比ヶ浜ケイへと集まっていた。
「ケイちゃーん!」「見せてくれー!」
(……悪いけど、今回の主役は私じゃない)
ケイは静かに目を伏せる。
そして、ピアノの美しくも冷徹な旋律が流れると同時に、ケイは杏樹の後ろに回り、背中合わせのポジションを取った。
ドッドッドッドッ……!!
激しいドラムンベースが疾走を開始する。
杏樹が、その腕を大きく振りかざした。
(0.5秒……)
杏樹の動きに対し、コンマ数秒の遅れ(ディレイ)で、ケイが全く同じ軌道で腕を振る。
杏樹がターンをすれば、ケイもまた、影のように遅れてターンする。
それはミスではない。計算され尽くした演出。
この背中合わせの『わずかな遅れ』が、残像効果のように作用し、先行する杏樹の動きの「キレ」と「スピード感」を極限まで際立たせる。
『────ッ!』
そして、杏樹の歌声が炸裂する。
力強く、儚く、そして聴く者の魂を震わせるセイレーンのような天性の響き。
ケイは決して声を張り上げない。あくまで下支えする、精密機械のような繊細な副旋律を響かせる。
(……回る!)
サビのクライマックス。
ケイはターンであえて一瞬だけ杏樹の前に躍り出るが、すぐに流れるようなステップで背後へと回り込む。
その動きは、まるで恒星の周りを公転する衛星。
主役を隠さず、むしろその重力を証明するかのような錯覚を生み出す。
ジャンッ……!
最後は前を向いた杏樹と、背中合わせで俯くケイのポーズでフィニッシュ。
静寂。
そして──。
ワアアアアアアアアアアッッッ!!!!
会場は、先ほどまでとは質の違う、どよめきにも似た大歓声と拍手に包まれた。
そして、結果が巨大モニターに表示される。
南 美香:25%
佐竹幸子:21%
【合計 46%】
由比ヶ浜ケイ:17%
城ヶ崎杏樹:37%
【合計 54%】
「やったーーーーーー!!」
数字を見た瞬間、杏樹が思わずガッツポーズを決めて飛び跳ねた。
そんな杏樹の無邪気な様子に、ケイはふっと微笑む。
作戦通りだ。自分の票を削り、杏樹に流し込むことに成功した。
「また負けたわね、由比ヶ浜さん。……それと、杏樹さん。ナイスパフォーマンスだったわ」
舞台袖に戻ると、南美香が悔しそうに、しかし清々しい顔で声をかけてきた。
「ありがとうございます! 先輩達も凄く良いステージでした!」
「次は負けないからね」
二組は固い握手を交わす。
杏樹のひたむきな努力と、ケイの献身的な戦略が、ベテランの牙城を崩した瞬間だった。
初戦を勝利で終え、控え室に戻った杏樹はソファに沈み込み、安堵の深い溜め息をついた。
「はぁ〜……よかったぁ……心臓飛び出るかと思いました……」
しかし。
その横で、由比ヶ浜ケイの顔は険しかった。
勝利の余韻など微塵もない。
(……今のパフォーマンスじゃ、足りない)
ケイの額に、冷や汗が伝う。
相手は怪物ユニット。
美霊・城ヶ崎莉杏と、絶対零度・御空ユミ。
(……あの二人の足元にも及ばない。もっと……もっと完璧以上に、『影』を徹底しなければ……)
由比ヶ浜ケイは逼迫していた。
それは城ヶ崎杏樹を輝かせたい、『お人好し』の大きな焦燥だった。




