─第2章─10話「あなたが主役」
【由比ヶ浜ケイの受難】
放課後のレッスン室。
鏡の前で躍動する城ヶ崎杏樹の動きを見て、由比ヶ浜ケイは確信した。
(……様になってきた……!)
城ヶ崎杏樹は、2カ月ぶっ続けで鬼の努力を重ねた結果、驚異的な成長を遂げていた。
かつてのドタバタした動きは消え失せ、力強さとスピードを兼ね備えたキレのあるダンスへと昇華されている。
体幹トレーニングと走り込みによって作られた芯が一切ブレない強靭な肉体。
そして、聴いた者を魅了するような力強さと儚さが同居する歌声。
ケイも驚くほどの成長速度だった。
(……でも、逆にこれぐらいはしてもらわないと、あの『幽玄』の眼中は夢のまた夢)
相手は怪物同士の融合ユニットだ。生半可な実力では、視界に入ることすら叶わない。
「よし! 残り1ヶ月ラストスパート、実践を重ねてユニットとしての練度を上げていくわよ」
「はいっ!」
杏樹が汗を拭いながら元気よく返事をする。
そんなやり取りをしていた矢先、扉がゆっくりと開く音が聞こえた。
ギィィ………
「………由比ヶ浜、ケイ……」
「お姉ちゃん……!」
レッスン室の入り口に立っていたのは、城ヶ崎莉杏だった。
彼女は、駆け寄ろうとした妹には目もくれず、真っ直ぐにケイの方へ歩みを進める。
「………久しぶり……」
「……何か用ですか?」
ケイの問いに、莉杏はニタニタと不気味に笑う。
「……敵情視察………楽しみで……つい、来ちゃった………」
──その瞳には、由比ヶ浜ケイしか映っていない。
すぐ横にいる杏樹の存在が、完全に透明人間として扱われている。
ケイは悲しげに俯く杏樹に目をやり、次に莉杏を鋭く見据えた。
「……2人で話しましょう。レッスン棟の裏へ」
「………」
ケイと莉杏はレッスン室を出て、夕暮れの暗い影が落ちるレッスン棟の裏手へ移動した。
人気のない場所で、ケイは振り返る。
「単刀直入に言います」
ケイは莉杏を真っ直ぐ見据え、問うた。
「妹の事は……杏樹の事は、どうでもいいんですか?」
「……どうでもいい………」
即答だった。
迷いのない、機械的な拒絶。
ケイはギリッと拳を握りしめる。
……杏樹は、姉に振り向いてもらうために、お菓子を絶ち、血反吐を吐く思いで努力をしている。
そんなあの子を無碍に扱う、目の前の『姉』に強い怒りを覚えた。
しかし。
ケイの冷静な洞察眼は、ほんの一瞬の『迷い』を見逃さなかった。
(……今、この人……一瞬だけ視線が泳いだ……)
莉杏は、自分に言い聞かせるように続ける。
「……お菓子も…妹も……アイドルには不必要………」
「それが、あなたの1番のファンでも?」
「………不必要………」
城ヶ崎莉杏は目を逸らした。
ケイは確信した。
それは本心ではない。強がりだ。
『「好きなもの」「大切なもの」を犠牲にしないと、強くなれない』。
敗北のトラウマが生んだその強迫観念こそが、今、目の前の幽霊を縛り付けている呪いの正体だと。
(……バカな人)
そして、由比ヶ浜ケイは決意した。
必ず城ヶ崎莉杏の目に、『姉のために強くなった妹』を焼き付けてやる、と。
これは強がって、カッコつけて、妹を悲しませている姉を目覚めさせるための『戦い』だ。
「……分かりました」
ケイは一言だけ言い残し、その場を立ち去る。
一方の莉杏は、しばらくその場から動けなかった。
レッスン室に戻ると、杏樹が不安そうな顔で待っていた。
「あの……お姉ちゃんは……」
「帰ったわ」
ケイは努めて明るく振る舞い、「ねぇ」と微笑んだ。
「杏樹。今さらだけど、ユニットの形態を変えるわ」
「え?」
「大丈夫、あと1ヶ月で叩き込むから」
杏樹はきょとんとする。
「え? もしかして『個』に変えるんですか? でもそれだと、わたしが目立たなくてお姉ちゃんの眼中に……」
「違うわ」
ケイは首を横に振った。
そして、杏樹の肩を掴み、真っ直ぐに宣言した。
「私じゃない」
「え……?」
「杏樹、あなたが『主役』をやるの」
「私が……主役……!?」
「そう。私が全力で『影』に回って、あなたを輝かせる。……あなたの輝きで、お姉さんの目をこじ開けるのよ」
由比ヶ浜ケイは、『主役』のプライドなど微塵も持っていない。
勝つためなら、そして誰かを救うためなら、喜んで脇役にもなる。
最強の引き立て役を得た『努力の妹』が、『天才の姉』に挑む準備は整った。




