─第2章─9話「それぞれのスペシャルメニュー」
【由比ヶ浜ケイの受難】
「………ストップ………今の腕の動きはもっと、しなやかに………重力を、消して………」
「……はい!」
放課後。ケイ達とは別のレッスン室。
城ヶ崎莉杏と御空ユミもまた、来たる『朝陽ノツインスターカップ』に向けて、苛烈なレッスンを続けていた。
(……城ヶ崎先輩。相変わらず変な人だけど……その天性の『感覚』から繰り出される的確な指導は……やっぱり流石だね)
御空は荒い呼吸を整えながら、鏡の中のパートナーを見つめる。
城ヶ崎莉杏は以前まで、校内きっての『サボり魔』として有名だった。
練習嫌い。努力嫌い。
感覚ですべてを解決してしまう天才ゆえに、結果に執着することもなかった。
『好きな動きができるから』。
それが彼女がアイドルを始めた唯一の理由。
彼女は彼女なりに、ただ揺蕩うようにアイドルを楽しんでいたのだ。
だが。
由比ヶ浜ケイという「石ころ」に敗北して以来、『天才』は初めて『努力』する事を知った。
今の莉杏に、かつての怠惰な影はない。
貪欲に動きを追求し、汗を流し、泥臭く勝利へのピースをかき集めている。
(……あたしもかなり成長した。……そして城ヶ崎先輩も……)
御空ユミと城ヶ崎莉杏。
互いに高め合う二人が見据えるのは、頂点のみ。
『神野愛理』……そして、『由比ヶ浜ケイ』の領域だった。
「………休憩………はい………」
莉杏はタオルで汗を拭うと、スポーツバッグからボトルを取り出し、ユミに手渡した。
中には、なにやらドス黒く濁った粘度の高い液体が入っている。
「……なんですか、これ?」
「………特製プロテイン………あらゆる食材の組み合わせで、最も筋肉に効くベストな55種類を調合………」
「ご、55種類……?」
御空は顔をしかめた。
どう見ても食品の色ではない。沼の底の泥か、魔女の秘薬だ。
「……これを、飲めと……?」
「……早く…………」
莉杏の瞳に拒否権はない。
御空は「これも勝利のため」と意を決し、一気に煽った。
ゴキュッ………
「──ッ!!??」
瞬間。
舌を焼くような苦味、鼻を抜ける生臭さ、そして脳髄を揺らす未知の衝撃。
それは魔界のような味。人間が飲んでいいものではなかった。
「──あ…………」
御空は白目を剥いて膝から崩れ落ち、そのまま床に突っ伏して失神してしまった。
「………味は、要改善………」
動かなくなったパートナーを見下ろし、莉杏は淡々と呟いた。
そして、自分用のボトルを取り出すと──中身は全く同じドス黒い液体──涼しい顔で、グイッと一気に飲み干した。
──一方、別のレッスン室では
「なにこれ……」
由比ヶ浜ケイの眼前に差し出されたのは、ドス黒く濁り、どろりとした粘性を持つ液体が入ったボトルだった。
「41種類の食材を調合して作った、特製プロテインです! ケイさんもどうぞ!」
城ヶ崎杏樹はニコニコと天使のような笑顔を浮かべながら、ボトルの蓋を開けた。
プシュッ……
その瞬間。
中からは、腐った沼と焦げた化学薬品を混ぜ合わせたような、この世の物とは思えない激臭が立ち昇った。
「うっ……!」
ケイは反射的に顔をしかめ、鼻をつまんだ。
これは食品ではない。兵器だ。
「……いらない。絶対にいらない」
「えぇ~…? 栄養満点なのに……じゃあ、わたしだけ頂きますね…」
杏樹は残念そうな顔をした後、その特製プロテインを口元に運んだ。
そして、躊躇うことなく──
ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ……
喉を鳴らしながら、一気に飲み干していく。
(うわぁ……)
ケイは思わずドン引きして後ずさった。
あんなものを涼しい顔で飲める神経が信じられない。
初めて会った時の『儚げで、普通の、可愛らしい少女』はどこへ行ってしまったのだろうか。
ケイは遠い目をして、あの日の杏樹に思いを馳せる。
だが、飲み干した直後。
杏樹の様子がおかしい。
ピクリとも動かない。
「……杏樹?」
「───あぅ…………」
杏樹は白目を剥いてふらっとよろけると、
バタンッ!!!!
受け身も取らず、そのまま床に倒れ伏してしまった。
「杏樹ーーーーー!!!!!!」
レッスン棟に、由比ヶ浜ケイの悲鳴が響き渡る。
大会まで、残り1ヶ月。
それぞれの陣営は、常軌を逸した手段でパワーアップを図っていた。




