─第2章─4話「初ライブ」
【由比ヶ浜ケイの受難】
「……ダンスは、様になってきたわね」
スタジオの隅で、ケイは汗だくの杏樹を見て頷いた。
やはりこの子は、不器用だが「反復練習の鬼」だ。教えたことを何千回と繰り返し、無理やり身体に叩き込んでいる。
そして、傍らで教えていた歌だが――思わぬ収穫があった。
「(姉譲りね……)」
ケイは耳を澄ませる。
透き通るような高音。それでいて、腹の底から響くような重厚感。
姉・城ヶ崎莉杏ほどの完成度はない。しかし、その声には聴く者を強制的に振り向かせる「引力」があった。
まるで神話の怪物、セイレーンの如き美声の片鱗。
磨けば、間違いなく強力な武器になる。
「よし、じゃあ早速今週ライブに出るわ」
「えっ!? ラ、ライブですか……!?」
杏樹がタオルを落としそうになるほど驚く。
「本番に慣れる。これが一番の練習よ。トーナメントまで残り約1ヶ月半、ユニットでライブをこなして、実戦形式で仕上げていくわ」
ケイは事務的に、しかし力強く告げた。
練習室の鏡の前だけで上手くなっても意味がない。客の視線、照明、緊張感。それらを味方につけてこそアイドルだ。
杏樹はゴクリと喉を鳴らし、覚悟を決めた表情で拳を握った。
「わ、わかりました……! やります!」
そして迎えた、初ライブ当日。
小さなライブハウス。観客はまばらだが、熱気はある。
「行くわよ、杏樹ちゃん!」
「はいっ!」
曲が始まる。
順調な滑り出し……に見えたその時。
クロスして位置を入れ替わる振り付けで、事件は起きた。
「あッ」
杏樹の足が、ケイの足に盛大に引っかかった。
「ぎゃっ!!」
ズザーーーッ!!
杏樹は派手に転倒し、マイクがゴイン!と音を立てて転がった。
会場が騒然とする。
「え、大丈夫?」「めっちゃ転んだぞあの子」
ライブ終了後、楽屋にて。
杏樹は世界の終わりのような顔で縮こまっていた。
「うぅ……すみません……ケイさんの足を……ライブを台無しに……」
ズーンと沈み込む弟子。
しかし、ケイはスポーツドリンクを飲みながら、平然と言った。
「大丈夫よ。誰でも最初はそんなもんだから」
「えっ、ケイさんもですか!?」
杏樹が驚いて顔を上げる。
「何でも完璧にこなす師匠」というイメージを持っていたようだ。
「……まぁ、色々とね」
ケイはふと、遠い目をした。
脳裏に蘇る、あの文化祭の悪夢。
怪我をした神野愛理の代わりとして、ステージへ引きずり上げられた日。
フリフリのピンク衣装。パニックの頭。引きつった笑顔。
それに比べれば、足がもつれたくらい何だと言うのだ。
「私なんて、準備運動なしでリングに放り込まれたようなもんだったわ……。それに比べれば、杏樹ちゃんは立派よ」
「ケイさん……」
「それに」
ケイは杏樹に向き直った。
「今日の杏樹ちゃんの歌唱パート。……転んだ後だったのに、観客の食いつきが凄かったわよ」
「え?」
「あなたがサビを歌った瞬間、ザワついてた会場が静まり返った。……やっぱり、杏樹ちゃんの声には力がある」
ドジを踏んでも、その後の歌声一発で空気を変えた。
それは技術ではなく、天性の才能。
ケイは確信した。この「セイレーン」を育て上げれば、間違いなく姉・莉杏や愛理にも届く武器になると。
「次は転ばないように、下半身をもっと鍛えるわよ」
「はいっ!!」
こうして、城ヶ崎杏樹の第一歩は、盛大な転倒と、確かな歌声の萌芽と共に記されたのだった。




