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─第2章─3話「共と個」

【由比ヶ浜ケイの受難】


「朝陽ノツインスターカップは7月…それまでに杏樹ちゃんを育て上げないと……」


由比ヶ浜ケイは、貴重な放課後の全てを献上して、城ヶ崎杏樹のトレーニングに付き合い続けていた。


「はひゅ………ヒュ…………」

グラウンドの隅。ランニングを始めて数分で、杏樹の口から危ない呼吸音が漏れ出した。

顔色は真っ青、足は生まれたての小鹿のように震えている。

「……これは、予想以上に遠い道のりになりそうね」

ケイは腕を組み、頭を抱えた。

運動神経ゼロ。体力も皆無。

アイドルのキラキラした世界とは無縁の、ただの「か弱い女子高生」。

それが城ヶ崎杏樹という素材の現実だった。


だが。

そんなケイの悲観的な予想は、良い意味で裏切られることになった。

2週間、3週間……。

杏樹は、倒れるたびに泥だらけになって立ち上がり、徐々に走る距離を伸ばしていった。

聞けば、彼女はケイとの練習以外にも、朝と夜に自主的にランニングをしているらしい。

はじめは1回もできなかった腹筋、背筋、スクワットも、プルプルと震えながら1回、また1回と着実に回数を増やしている。


さらに、昼休み。

杏樹の弁当箱から、彩りが消えていた。

「……お菓子や、脂っこいものは食べないようにしています」

姉・莉杏が「甘え」としてお菓子を捨てたように、妹もまた、自らを律するために好物を絶っていたのだ。


(……想像以上の根性と適応力ね)

ケイは感動すら覚えていた。

才能はない。不器用だ。

けれど、そこまで姉を想い、追いかけようとする執念は、あるいは才能以上の武器になるかもしれない。


休憩中、杏樹がキラキラした目で話しかけてくる。

「ケイさん! こないだの『週刊・初恋サタデー』の水着グラビア見ました!」

「……っ!?」

「ケイさん、とってもセクシーで感動です! 大人っぽくて、すごく綺麗で……わたし、保存用と観賞用で2冊買っちゃいました!」

「……やめて。忘れて。燃やして」


無垢な瞳で黒歴史グラビアを絶賛される拷問に、ケイは顔を覆って呻いた。

城ヶ崎杏樹のピュアは時としてケイの心を貫いた。


同時に、ダンスのステップ練習も並行して行われた。

「ワン、ツー、スリー……あ痛っ!」

やはり不器用だ。

才能センスのある姉とは違う。杏樹は同じステップで何度もつまづく。物覚えも悪い。


だが、これも「鬼の反復練習」でカバーした。

10回でダメなら100回。100回でダメなら1000回。

泥臭く、地味で、見ていられないほど非効率な努力。

しかし、その身体はスポンジのように、着実に基礎を吸収し始めていた。


(……悪くないペースよ)

希望が見えかけた。

だが、ケイの胸の奥には、拭いきれない一抹の不安が残っていた。

(……相手は、あの『城ヶ崎莉杏』)

前回戦った時でさえ「神の領域」だった怪物は、敗北を経て、さらにパワーアップしている可能性が高い。

そうでなくとも、今回の相手はアイドル科の精鋭たちだ。

いくら基礎体力がついたとはいえ、素人一人を抱えて、技術と経験で武装したエリートたちに勝てるのか?



そしてもう一つ、根本的かつ大きな問題があった。

「ねぇ瓦さん。そもそも……『ユニット』って具体的に何をするの?」

由比ヶ浜ケイは、ユニット未経験だった。

ソロでの戦い方は身体に叩き込んだが、二人一組でどう魅せるのか、そのセオリーを知らない。

瓦がホワイトボードに図を描きながら説明する。


「ユニットには主に2種類。

一つは、片方が引き立てサポーターに徹して、もう片方のカリスマ性を極限まで輝かせる『個のユニット』。

もう一つは、二人の息を合わせてコンビネーションで魅せる『共のユニット』だね」

「ふむふむ」

「前者は、引き立て役の負担が大きい上に、引き立てられる方に『圧倒的なマンパワー(個の力)』が必要だから、基本的には後者の『共』を選ぶのがセオリーかな」

(……なるほどね)


ケイは脳内でシミュレーションする。

『個のユニット』。それは、神野愛理や城ヶ崎莉杏、あるいは御空ユミのような「怪物」が、パートナーを従えてセンターで輝くスタイルだ。

彼女たちなら、パートナーをただの「背景」にしても成立するだろう。


「じゃあ! わたし達はチャンピオンのケイさんを引き立てる『個のユニット』で行くべきですね!」


杏樹が食い気味に手を挙げた。

彼女にとってケイは雲の上の存在。自分が輝こうなどとおこがましい。自分が泥にまみれて、ケイという太陽を輝かせる踏み台になれれば本望だ、という健気な自己犠牲の精神だった。


しかし、ケイは首を横に振った。

「いや。無難に『共のユニット』で行くわ」

「えっ? でも、わたしの実力じゃ足手まといに……」

「理由は二つ。一つは、私がユニット未経験だから、一人で場を制圧できる自信がないこと。

……そして何より、こっちのほうが杏樹ちゃんを魅せやすいからよ」

「……え?」

きょとんとする杏樹に、ケイは諭すように続ける。

「杏樹ちゃんの目的は、お姉さんの眼中に入ることでしょ?

私の引き立て役になってどうするの。あなたがステージで輝いて、お姉さんに『おっ』と思わせなきゃ意味がないじゃない」

「あっ……!」


杏樹がハッと口元を押さえる。

(……かといって、実力不足の杏樹ちゃんをメインにして私が引き立てるわけにもいかない)

私が目立ちすぎれば杏樹が霞む。

杏樹を目立たせようとすればボロが出る。

二人が対等に見えるように、私が杏樹のレベルに合わせて調整しつつ、全体のクオリティを底上げする。

……口で言うのは簡単だが、それは針の穴を通すような繊細なコントロールが必要な作業だ。


「とにかく、方針は決まったわ。私たちは『共』に輝く」

ケイは杏樹に向き直った。

今はまだ、杏樹を一人前のアイドルとして「育てる」段階だ。

基礎体力はついてきた。根性もある。

次は、彼女にダンスを仕込むステップだ。

「杏樹ちゃん。ここからはもっと厳しくなるわよ」

「はいっ! お願いします!」

元気な返事が返ってくる。

しかし、トーナメントまで残り約3カ月。

素人とチャンピオンの急造ユニットが、怪物たちに挑むための猶予は、あまりにも短かった。




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