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─第2章─1話「幽霊の妹」

挿絵(By みてみん)

【由比ヶ浜ケイの受難】


控室

歓喜に沸く会場の熱狂とは裏腹に、薄暗い控室には異様な音が響いていた。


ガリッ、ガリッ、ガリッ……。


『美霊』こと城ヶ崎莉杏は、パイプ椅子に体育座りをしながら、モニターを凝視していた。

そこには、新たな王者となり、神野愛理と抱き合って笑う由比ヶ浜ケイの姿が映し出されている。

彼女は、自分の爪を噛んでいた。

甘皮を剥ぎ、爪を削り、深爪になった指先から赤い血が滲んでも、その自傷行為は止まらない。


(……ありえない)


神野愛理と戦うための、単なる通過点。

踏み潰す石ころ同然だと思っていた相手に、完敗した。


それだけではない。その石ころは、あろうことか「神野愛理」という絶対的な太陽さえも破壊してしまった。

自分のプライド。

「神の領域」と呼ばれた才能。

それらが全て、あの日陰者の笑顔一つに否定された。

「………悔しい………」

ガリッ。

「………悔しい………悔しい………」

血の味が口の中に広がる。

だが、その鉄の味こそが、城ヶ崎莉杏の中に眠っていた「本物の怪物」を呼び覚ます呼び水となった。


「………由比ヶ浜………ケイ…………」

莉杏は、画面の中の黒髪の少女を、親の仇を見るような瞳で睨みつける。

そこにもう、眠たげな幽霊はいなかった。


「…………次は…………喰う…………」

倒すのではない。勝つのでもない。

捕食する。

莉杏はゆらりと立ち上がった。

ポケットに入っていたチョコレートやキャンディを、ゴミ箱へと無造作に放り込む。

「……そのためには……お菓子は、不要………」

惰弱な自分への決別。

「………甘えも、不要………」

そして、彼女はスマホを取り出し、ある連絡先を表示させると――迷わず「消去」ボタンを押した。


「……妹も、不要…………」


プツン。

暗い部屋で、何かが決定的に断ち切られた音がした。

敗北を知った怪物は、全ての「愛」と「依存」を捨て去り、復讐鬼へと変貌を遂げようとしていた。




4月中旬・2年A組教室

桜の季節が過ぎ、若葉が萌え出る4月中旬。

由比ヶ浜ケイたちは無事に進級し、2年生になっていた。

「朝陽ノアイドルチャンピオンシップ」での優勝という激動の3月を乗り越え、ようやく平穏な日々が戻ってくる――はずだった。


「ケイちゃんケイちゃん!」

いつものように、平和の破壊者であるマネージャー・瓦幸慈がケイの机に企画書をバンッ!と置く。


「……また? 今度は何なのよ」

「朝陽ノツインスターカップ!前と同じ形式のトーナメントだよ! ただし、今度は二人組でユニットを作って参加するんだ!」

「は?」


瓦は黒板の前に立ち、チョークで図を描きながら説明する。


「今回の参加条件は、ユニット2人の年間の総合成績が高いこと。でもケイちゃんはほら、前回の『チャンピオン』だから! 無条件で出場確定だよ! おめでとう!」

「……めでたくないわよ」


どうせ、断っても外堀を埋められるのは目に見えている。

ケイは早々に諦め、思考を「誰と組むか」に切り替えた。

(……ユニット戦か。なら、勝手知ったる愛理さんと組むのが一番安全ね。あの人ならきっと私の欠点もカバーしてくれるし)


昼休み、ケイはアイドル科を訪ねた。

「ねぇ愛理さん。ユニットの大会、私と組まない?」

「あ、ごめーん! あたし、もう別の人と出る約束しちゃった!」

「……え?」

愛理は「へへっ」と悪戯っぽく笑い、サンドイッチを頬張る。

まさかの拒否。

(……あの愛理さんが私以外と? 一体誰と……?)


「……なら、仕方ないわね」

教室に戻り、気を取り直すケイ。

(愛理さんがダメなら、ユミと……)

ケイがスマホを取り出し、御空に連絡を取ろうとした、その時だった。


「あ、あの! ……由比ヶ浜ケイさんは、いますか……?」

教室の入り口から、鈴を転がすような怯えた声がした。

クラスメイトたちの視線が一斉に入り口へ向く。


そこに立っていたのは、透き通るような色白の肌に、ショートヘアの美しい銀髪を持つ小柄な少女だった。

その儚げな容姿は、まるで硝子細工のようだ。


「……私だけど。何か用?」

ケイが近づくと、少女はおろおろと視線を泳がせながらも、意を決したようにケイを見据えて言った。

「あの! わたし、1年生の杏樹あんじゅって言います……」

そして、深々と頭を下げる。

「……わたしと、ユニットを組んでくれませんか……!」

「……へ?」


教室がざわつく。

チャンピオンへの逆指名。しかも1年生から。

「えっと……あなた、アイドル科の子かな?」

目鼻立ちも整っており、纏っている雰囲気は完全にアイドルのそれだ。

しかし、杏樹は首を横に振った。

「いえ……! 普通科なんですけど……」

「……嘘でしょ?」

ケイは眉をひそめた。

「悪いけど、普通科の子がいきなりトーナメントなんて無理よ。どうして私と?」

杏樹はスカートの裾をギュッと握りしめ、悲痛な面持ちで事情を話し始めた。


「お姉ちゃんが……アイドル科のお姉ちゃんが、3月のアイドルの大会以来、おかしくなっちゃって……」

「おかしくなった?」

「はい。元々変な人なんですけど、なんていうか……おかしさに磨きがかかったっていうか……」


杏樹の瞳に涙が滲む。

「話しかけても……冷たい目で『眼中にない』って言われて……。部屋にも入れてくれなくて……」

「……」

「でも! 次のユニットの大会に出て結果を出せば……お姉ちゃんの眼中に入れば、また話せるかなって……!」


健気な理由だった。

姉に認められたい一心で、無謀な戦いに挑もうとしている妹。

ケイはその「お姉ちゃん」という単語に、嫌な予感を覚えた。

この特徴的な銀髪。

「トーナメント以来おかしくなった」という証言。

「……ちなみに、お姉ちゃんの名前は?」

ケイは恐る恐る、薄々察しが付いていた質問を投げかけた。

杏樹は小さな声で、しかしはっきりと答えた。

「……城ヶ崎、莉杏です………」

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