由比ヶ浜ケイの受難─第1章─3話「地獄への片道切符」
【由比ヶ浜ケイの受難】
【9月中旬・午前11時 撮影スタジオ】
「よ、よろしくお願いします……」
由比ヶ浜ケイは、消え入りそうな声で挨拶をした。
場所は地元の商店街PRモデルの撮影スタジオ。
華やかな照明と、大人たちの視線。
日陰を愛する少女にとって、そこは処刑台にも等しい空間だった。
【遡ること昨日・教室にて】
「……だから、私はアイドルはやらないって……」
ケイは必死に弁明しようとした。
しかし、目の前の小柄なメガネ女子――瓦幸慈は止まらない。
「大丈夫です! 私が由比ヶ浜さんを全力でサポートしますから!!」
幸慈の瞳は、狂気的なまでの使命感に燃えていた。
(由比ヶ浜さんが遠くに行ってしまうくらいなら、私が血反吐を吐いて、泥に這いつくばってでも支えてみせる……!)
彼女はすでに、勝手にそう誓っていたのだ。
「それに、今さらキャンセルなんて出来ませんよ。先方にもスケジュールがありますから! 大人の事情です!」
「……私のスケジュールは無視なの?」
明日は平日だ。当然、ケイにも幸慈にも学校がある。
しかし、「大人の事情」「相手に迷惑がかかる」と言われてしまえば、責任感の強いケイは弱かった。
「……はぁ」
由比ヶ浜ケイは、致命的なまでに「お人好し」だった。
一度引き受けた(ことにされた)仕事に穴を開けるなど、彼女の美学に反する。
「分かった……でも、これっきりだからね」
「!!」
幸慈は目をキラキラさせ、頬を林檎のように真っ赤に染めてケイを見つめた。
役に立てた。あこがれのケイちゃんの役に。
それは天にも昇るような嬉しさだった。
すると、会話を聞きつけたクラスメイトたちが続々と集まってくる。
「由比ヶ浜さんモデルやるの!?」「すげー!」
質問攻めに遭いながら、ケイは本日二度目の、深く重いため息をついた。
【同日・午後6時 撮影終了】
「ありがとうございました…………」
魂の抜けた声がスタジオに響く。
未経験のモデル撮影。
「もっと笑って!」「硬いよ!」「視線こっち!」
怒涛の指示と、ものすごい量のNG。
撮影は実に7時間にも及び、ケイのHPはゼロになっていた。
「由比ヶ浜さん、お疲れ様です!」
「……お疲れ様、瓦さん」
疲労困憊で返事をするケイに、幸慈がもじもじと提案をしてきた。
「あの……一応同級生だし、タメ口使ってもいい……ですか? あと……ケイちゃんって呼んでも……♡」
顔を赤くし、恥ずかしそうに目を逸らす幸慈。
その態度に若干の疑問(なぜ赤くなる?)を持ちながらも、ケイは力なく頷いた。
「……えぇ、いいわよ。好きにして」
「!!」
幸慈の顔がパァァと明るくなる。
「ありがとうケイちゃん! それでね、次の仕事のことなんだけど……」
「(……切り替えが早いわね。……ん? 次の仕事?)」
ケイが聞き返すよりも早く、幸慈は爆弾を投下した。
「次は土曜にまたモデル撮影があって、それから日曜はライブステージだよ!」
「またモデル撮影に……ライブステージ!?」
ケイの素っ頓狂な声が裏返る。
「これっきり」という約束はどうなった。
「うん! 土下座して特別にねじ込んでもらいました!」
ニッと笑ってVサインを作る自称マネージャー。
その笑顔は、「断らせない」という鋼の意志でコーティングされていた。
由比ヶ浜ケイはまだ知らない。
自分が足を踏み入れた「アイドル道」は、一度乗ったら二度と降りられない、地獄への片道切符であることを。




