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─第1章─26話「フィールド」

【由比ヶ浜ケイの受難】


由比ヶ浜ケイが勝利の余韻に浸る間もなく、モニターには他の有力候補たちの1回戦の結果が次々と表示されていった。


城ヶ崎莉杏:59%

佐藤夏美:41%

「確かに凄い、けど……」

城ヶ崎莉杏は明らかに本気を出していなかった。省エネモード全開。それでも、そのダウナーな魅力と、重力を無視したような滑らかで美しいダンスは、観客を確実に魅了し、過半数をさらっていった。


御空ユミ:89%

松本峰子:11%

画面越しからも伝わる殺気のような迫力。

圧倒的。全力で相手をねじ伏せ、塵一つ残さないような徹底的な破壊。

あの冬季ライブでの敗北を経て、御空ユミは一回りも二回りも進化していた。そのパフォーマンスの鋭利さは、見る者の心を切り刻む凶器そのものだった。


神野愛理:97%

斎藤良子:3%

愛理のパフォーマンスは、ケイがかつてコンサートで見た「ビッグバン」には遠く及ばない、「省エネモード」だった。

それでも、アイドルとして全てのパラメータがカンストしているかのような完璧な可愛さ、計算され尽くした仕草、そして万人の心を掌握するカリスマ性は圧巻の一言だった。



控え室。

1回戦を突破したケイに、瓦幸慈が次の対戦相手のデータを提示した。

「2回戦の相手は蜜花みつか 杏実あんず。ローテンポで和やかなタイプのアイドルだね」

画面には、ふわふわとした綿菓子のような少女が映っている。

「彼女は『雰囲気』で自分の『フィールド』を広めるタイプ。だから、後攻を引ければいいんだけど……」

「フィールド?」

ケイが首をかしげる。

「そう。会場の空気を自分の色に染め上げて、観客を骨抜きにするって感じかな。もし彼女が後攻だと、先攻がどれだけ熱いライブをして会場を温めても、その熱ごと溶かされちゃうんだよ」

「……なるほど」

そんな話をしていると、ガチャリ……と控え室の扉が開いた。

「あのぅ……次の対戦相手の、蜜花ですぅ……」

「あ、どうも……(……か、可愛い)」

とろんとした瞳、少し舌足らずな甘い声。

ケイは直感した。これが「フィールド」だ。

彼女から放たれる甘い雰囲気に、対戦相手である自分ですら警戒心を解きそうになる。



そして、先攻後攻を決める運命のコイントス。

「表」

ケイは祈りながら宣言する。

…審判の手の甲に乗ったコインは――裏。

「あぅ……じゃあ、後攻でお願いしますぅ……」

蜜花は迷わず後攻を選択した。

あざとい。可愛い顔をして、自分の強みを完全に理解している。


(……まずい)

ケイの背筋に冷たいものが走る。

今の会場は、前の試合の熱気が残っている。

ここで私が中途半端なパフォーマンスをすれば、その後の蜜花杏実が全てを「癒やし」に変換して持っていくだろう。

1回戦と同じレベルでは、確実に飲まれる。

(……どうせ次で終わりなら、出し惜しみはなしだわ)

ケイは腹を括った。

温存していた体力も、精神力も、ここで全て使い果たすつもりで挑むしかない。

「出し惜しみはしない、フルスロットル全開で行く!」

由比ヶ浜ケイは、静かなる闘志を燃やしてステージへと向かった。

2回戦の幕が開く。



【先攻:由比ヶ浜ケイ】

ギャイイイイイイーン!!!!

会場の空気を切り裂くような、ディストーションのかかったエレキギターの咆哮。

2回戦、由比ヶ浜ケイが選んだ楽曲は、重厚なギターリフと高速ビートが絡み合う、攻撃的な「ハードスタイルEDM」だった。

「――ッ!!」

ケイがステージを蹴る。

これまでの「静寂」や「柔」といったイメージをかなぐり捨て、御空ユミとの特訓で培った「剛」を前面に押し出す。

計算し尽くされた角度で、手足を大きく投げ出すようなダイナミックなダンス。

一見すると大味で荒々しい。だが、その指先には坂本雅直伝の繊細なコントロールが宿っており、暴力的なまでの美しさを放っていた。

そして、歌声。

理詰めによって音程を突き詰めたケイのボーカルは、疾走するメロディに決して埋もれない。

鋭く、それでいて力強く、5000人の観客の胸を貫くように響き渡った。

「ハァ……ッ!」

フィニッシュ。

汗が飛び散るほどの熱量。会場は完全に「由比ヶ浜ケイ」のクールで熱い空気に支配されていた。



【後攻:蜜花杏実】

「蜜花杏実ですぅ、よろしくねぇ〜」

熱狂冷めやらぬステージに、とろんとした声が落ちた。

彼女はマイクの音量を絶妙にコントロールしていた。さきほどまでの爆音で麻痺した耳に優しく染み入る、「会場にほどよい音量」。

そのプロフェッショナルな調整に、ケイは背筋が寒くなるのを感じた。

流れたのは、ローテンポで和やかな、しかしどこか懐かしく切ないメロディ。

夕暮れの帰り道を思わせるような、心休まる音色。

「♪〜〜〜」

それに合わせて、彼女の甘ったるく、とろけるような歌声が響く。

激しいダンスはない。ただ、ゆらゆらと揺れるだけ。

だが、それだけで十分だった。

(……空気が、変わる)

舞台袖のケイは愕然とした。

自分が必死に作り上げた「熱狂」という名の焚き火が、蜜花杏実という「ぬるま湯」によって、ジュワジュワと音を立てて消されていく。

興奮が、安らぎへ。

叫びが、ため息へ。

会場全体が、彼女の作り出す甘い『フィールド』に沈んでいく。

「ありがと〜……」

最後は、守ってあげたくなるような可愛らしい声で締めくくられた。

会場は、まるで温泉に入った後のような、ふにゃふにゃとした空気に包まれていた。



勝負の行方は、分からなくなった。

ケイの鋭利な破壊力か、蜜花の絶対的な癒しか。

固唾を呑んで見守る中、スクリーンに結果が表示される。

■投票結果

* 由比ヶ浜ケイ:52%

* 蜜花杏実:48%

「……っ」

ほぼ互角。

わずかな差。ケイが先に作ったインパクトが、ギリギリで蜜花の「癒やし」を上回ったのだ。

ほっと肩をなで下ろすケイ。全身の力が抜けるようだった。

「……良いステージだったよぉ。押し切られちゃったねぇ」

「そちらこそ、とても素敵でした。危なかったです……」

舞台裏ですれ違いざま、二人は健闘を称え合った。

蜜花は負けてもなお、「ま、いっか〜」とふわふわした笑みを浮かべて去っていった。強敵だった。



「はぁ……勝っちゃった……」

楽屋に戻り、パイプ椅子に崩れ落ちるケイ。

本来なら1回戦で負ける予定が、なぜか準決勝まで進んでしまった。

ベスト4。普通科の生徒としては快挙どころか異常事態だ。

しかし、ケイの顔に喜びの色はない。

冷たい汗が頬を伝う。

(……次は準決勝…対戦相手は…)

トーナメント表を確認する。

準決勝の対戦相手。

そこには、あの名前があった。

『城ヶ崎 莉杏』

「…………」

冬季ライブで『神の領域』を魅せた美霊。

由比ヶ浜ケイは悟った。

「城ヶ崎莉杏が本気を出せば勝機はない」…と。


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