─第1章─23話「神野愛理の受難」
【由比ヶ浜ケイの受難】
「愛理さん! 動いちゃダメ!」
「離して……! 行かなきゃ……みんなが待ってるの……!」
右脚に走る激痛に顔を歪めながら、あたしはスタッフの生徒の手を振りほどこうともがいていた。
そう、みんなが待っている。
あたしを見に来てくれた人たち、あたしを応援してくれるファン。
そして何より――『あたしを引きずり下ろそうとする連中』が。
もしここで穴を開ければ、奴らは鬼の首を取ったように騒ぎ立てるだろう。「神野愛理はプロ失格だ」「無様に怪我をして逃げた」と。
もう嫌だ。これ以上、傷つきたくない。
脂汗を流すあたしに、クラスメイトの一人が悲痛な顔で告げた。
「その怪我じゃ無理よ、愛理さん。……ステージは中止にするしかないわ」
嫌だ。ステージに立てなければ、あたしはまた…。
「ダメ……それだけは……絶対に、イヤ……」
「愛理さん、気持ちは分かるけどリスクが大きすぎる。残念だけど……」
正論だった。残酷で、動かしようのない事実。
でも認めたくない。認められない。
極限状態の心は、怒りと虚しさが入り混じったドス黒い感情に塗りつぶされていく。
「あはは……だよね。私が踊るのは無理だよね……」
乾いた笑いが漏れる。
そして、視線の先にいた「幼馴染」――由比ヶ浜ケイと目が合った瞬間、口から衝動的な言葉が滑り落ちた。
「じゃあ、ケイちゃんが出てよ。ダンスは覚えてるって言ってたし」
もちろん、ただの冗談だった。皮肉だ。
素人がステージに出たところでどうにもならない。代役なんて務まるわけがない。
神野愛理のライブは中止、ステージは大失敗。それが既定路線。
世界なんて滅茶苦茶になればいい。そんな投げやりな気持ちだった。
だが。
あたしのその言葉は、予想以上の効果をもたらしてしまった。
なんと、その冗談は現実になったのだ。
「…………」
数分後。
あたしは舞台袖で、信じられない光景に唖然としていた。
スポットライトの中、あの子が踊っている。
ピンクのフリフリ衣装を着せられ、引きつった顔で。
技術は未熟。動きはガチガチ。プロから見れば、噴飯もののレベルだ。
けれど。
ワアアアアアアアアッ!!!!
会場が揺れている。
生徒たちが笑い、歓声を上げ、熱狂している。
失敗を恐れず、必死に食らいつくその姿に、誰もが目を奪われている。
「――ケイちゃん……」
あまりにも不格好。
しかしそこには、人々を笑顔にし、心を動かし、熱狂させる――紛れもない『アイドル』の姿がそこにはあった。
「ねぇ、愛理さん」
「ん? どしたのケイちゃん」
いつものように1年A組の教室に来ていた神野愛理に、由比ヶ浜ケイはある質問を投げかけた。
ケイは少し言いにくそうに視線を落としつつ、核心を突く。
「愛理さんは、いわゆる『アンチ』とはどう向き合ってるの?」
「なになに? なんか酷い事でも言われた?」
愛理は眉間にシワを寄せ、心配そうにケイの顔を覗き込む。けれど声色はいつもの明るい調子を崩さない。
「まぁ……やっぱり『ポッと出が調子に乗ってる』とか『コネ』とか、色々ね」
ケイは小さくため息をついた。
最近増えたSNSの通知。その中に混じる棘のある言葉たちが、ボディブローのようにケイの精神を削っていた。
「あー、あるある! 有名税ってやつだね〜」
愛理はケラケラと笑い飛ばした。
「まぁ、芸能界にアンチは付き物よ! いちいち気にしてたら身が持たないって! 『あー、暇な人がいるなー』くらいに思ってスルーするのが一番!」
「……そうね」
「それに、アンチがいるってことは、それだけ注目されてるってことだし! ポジティブにいこ!」
太陽のように明るく振る舞う愛理。
その姿に、ケイは眩しさと憧れを感じた。自分なら一日引きずるような悪意も、この人は笑顔で消化してしまう。
「……ふふ。愛理さんは強いわね。羨ましいわ」
ケイは微笑みながら、本心を口にした。
「ケイちゃんケイちゃん! 次の仕事のグラビア撮影なんだけどね!!」
ドタバタと教室に入ってきた瓦幸慈が、会話に強引に割り込んでとんでもない事を言い出した。
「……は? グラビア!?」
「そう! 『週刊・初恋サタデー』の巻頭グラビア! 水着だよ水着!」
「聞いてないわよ! 断って! 絶対に嫌!!」
「えー! もうOK出しちゃったよ!?」
「取り消してきなさいよ!!」
ギャーギャーと口論を始めるケイと瓦。
いつもの騒がしい日常。
愛理は「あはは……」と苦笑いしながら、その光景を眺めていた。
だが。
ケイが目を離した、ほんの一瞬。
愛理の顔から、笑顔が消える。
吸い込まれるような碧眼から、光が消える。
彼女は誰にも聞こえない声で、ボソリと呟いた。
「……羨ましい……ね」
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