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由比ヶ浜ケイの受難─第1章─2話「嵐を呼ぶマネージャー」

【由比ヶ浜ケイの受難】


「……夢じゃない」

由比ヶ浜ケイは、スマホの画面を見つめながら絶望に打ち震えていた。

文化祭の連絡用に……と嫌々入っていたクラスのグループチャットが、あろうことか「自分の話題」で埋め尽くされているのだ。

『由比ヶ浜さん、めちゃくちゃ可愛かったよ!』

『あのステージ凄かった!』

『ギャップ萌えヤバすぎ!』

通知の山。称賛の嵐。

「目立たないこと」を信条に生きてきた自分が、あろうことか文化祭で最も恥ずかしい輝きを放ってしまったという現実。

昨日のステージには、生徒だけでなく、神野愛理目当てで来場した一般客も大勢いた。もし、あの醜態が動画に撮られてネットに流出していたら……。

「……ッ」

ケイは想像して戦慄する。

平穏な高校生活どころか、人生設計そのものが崩壊しかねない。

(……だが、起きてしまった事は仕方がない。人の噂も七十五日、きっとすぐに忘れ去られるはず……)

幸い、今日からは土日だ。学校に行かなくて済む。

スマホの電源を切ろう。外界の情報を遮断しよう。

そう、これは前向きな逃走だ。

「……おやすみなさい」

由比ヶ浜ケイは「デジタルデトックス」という名目の現実逃避を決め込み、珍しく二度寝の世界へと沈んでいった。


【同刻 瓦 幸慈の自室】

「由比ヶ浜さん……」

薄暗い自室でボソリと呟いたのは、かわら 幸慈ゆきじ

小柄な体に、ポニーテールとそばかす、そして少し大きめのメガネが特徴的な少女だ。

彼女はスマホに保存された昨日のステージ写真を、食い入るように見つめていた。

彼女は、以前から由比ヶ浜ケイに密かな想いを寄せていた。

きっかけは入学してすぐのこと。席が隣同士になり、授業で自己紹介をした時の記憶。

「由比ヶ浜ケイです」

「瓦 幸慈って言います! ……ユキジって男みたいな名前ですよねー、あはは……」

小さい頃から名前をからかわれ、コンプレックスを持っていた瓦は、いつものように自虐的な笑いを浮かべた。

だが、ケイの反応は違った。

「そんなことないわ、ユキジって凄く綺麗な響きだと思う」

「え……」

「それに、『ケイ』だって男の子とよく間違われるし。お互い様よ」

そう言って、ケイは微笑んだ。

クールで近寄りがたいと思っていた少女が見せた、不器用で優しい笑顔。

――ズキューーーン!!

その瞬間、瓦幸慈のハートは完全に撃ち抜かれた。

そこからは沼だった。

ケイの凛々しい顔立ちに見惚れ、人付き合いを避ける不器用な仕草の一つ一つに夢中になった。

「話しかけるな」と言わんばかりの冷たい陰のオーラさえ、瓦にとっては高嶺の花の魅力だった。

しかし、昨日の文化祭で彼女は大爆発してしまった。

あの「隠された可愛さ」が、全校生徒に、いや世間にバレてしまったのだ。

週が明ければ、みんながあのアイドル・ケイちゃんに夢中になるだろう。もしかしたら、スカウトされて本当にデビューしてしまうかもしれない。

「……由比ヶ浜さんが、遠くに行っちゃう」

瓦の手が震える。

ただの日陰のファンでいられた時間は終わった。

瓦幸慈は決意した。

もう、教室の隅で見ているだけの自分からは卒業する。

「……私が、支えたい」

彼女の中で何かが弾け、燃え上がった。

――行動するのだと。



月曜日、朝陽ノ高校。

校門をくぐった瞬間から、由比ヶ浜ケイの背中には無数の視線が突き刺さっていた。

ヒソヒソ……と、あちこちからさざ波のような話し声が聞こえる。

「あの子だよね?」「動画の……」「意外と……」

注目されているのは明らかだった。

ケイは制服の襟を立て、極力気配を消そうと縮こまりながら、早足で教室へと向かう。

「(人の噂も七十五日人の噂も七十五日人の噂も七十五日……!!)」

心の中で、古人の言葉を呪詛のように唱え続ける。

大丈夫、今は珍しいだけ。一週間もすれば、みんな新しいゴシップに飛びつくはず。

そう信じて教室のドアを開けた、その時だった。


「あ、由比ヶ浜さん! ステージとっても素敵だったよ!」

「ホントに可愛かった! SNSでもバズってたよ!」

待ち構えていたクラスメイトたちに、一瞬で包囲された。

「いや……あれは……ん?」

ケイの思考が停止する。

いま、聞き捨てならない単語が聞こえた気がする。

……バズってた?

「見てこれ!」

一人の女子生徒が、興奮気味にスマホの画面を突きつけてきた。

そこに映し出されていたのは、ピンク色のフリフリ衣装を着て、顔を真っ赤にしながら必死に踊る自分の姿。

そして、その動画に添えられた文言と数字を見て、ケイは血の気が引いた。

『神野愛理の代役が恥ずかしがりながら踊ってて可愛すぎるww』

❤ 2.1万

「…………」

由比ヶ浜ケイは呆然とした。

2万グッド。

それは、いち高校生の文化祭レベルを超えた、紛れもない「炎上バズ」の数字だった。

予想以上の大ごとになっている。どうする? このままでは「デジタルタトゥー」として一生残るのでは?

(……いや、慌てるな。落ち着け、由比ヶ浜ケイ)

ケイは冷や汗を拭い、必死に理性を総動員した。

(所詮はネットの興味。消費されるだけのコンテンツよ。明日には猫の動画か何かにもっていかれる……時が経てば忘れ去られる……)

「すごいね由比ヶ浜さん!」

「あ、あはは……ありがとう……(早く忘れて、お願いだから忘れて……)」

引きつった愛想笑いを浮かべながら、心の中で必死に自分を安心させるようにブツブツと呟くケイ。

「由比ヶ浜さん!」

背後から切羽詰まった声がかかる。

目をやると、そこにいたのは同じクラスの瓦 幸慈だった。

以前、席が隣同士だったが、深い交流があったわけではない。

(……ああ、またか)

ケイは内心で溜息をついた。

どうせまた「文化祭では凄かったね」「動画見たよ」などと言われるのだろう。

注目されるのはもう御免だ。適当に相槌を打ってやり過ごそう。

「……どうしたの? 瓦さん」

「由比ヶ浜さん……私を……」

瓦は大きく息を吸い込み、教室中に響く声で叫んだ。

「私をマネージャーにしてください!!!!!」

「………は?」

時が止まった。

この人は何を言っているの?

ケイは困惑しつつ、壊れたラジオのように繰り返す。

「えっと……マネージャー……?」

「はい! 私を由比ヶ浜さんの専属マネージャーにしてほしいんです! 由比ヶ浜さんの才能を、私が一番近くで支えたいんです!」

瓦のメガネの奥の瞳が、ギラギラと燃えている。

ケイは引いた。

この人は何か致命的な勘違いをしている。私が「アイドルデビューを目指している」とでも思っているのだろうか?

私はただの被害者で、一刻も早くこの騒動を鎮火させて、日陰に戻りたいだけなのに。と

「……えっとね瓦さん、私は別にアイドルになりたいわけじゃ……」

ケイが誤解を解こうと口を開いた、その瞬間だった。

瓦はケイの言葉を遮り、カバンから一枚の書類を取り出して突きつけた。

「断られると思って、仕事もゲットしてきました!!!!」

「………は?」

思考が追いつかない。

仕事? ゲットしてきた? 断られると思って?

「地元の商店街のPRモデルです! 由比ヶ浜さんの清楚なイメージにぴったりだって、例の動画を見せて私が土下座して枠をもらってきました! 撮影は明日です!」

「明日ぁ!?」


由比ヶ浜ケイは知らなかった。

この目の前にいる同級生が「数々の受難を呼び込む」スーパートラブルメーカーであるという事を。

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