由比ヶ浜ケイの受難─第1章─18話「友情」
【由比ヶ浜ケイの受難】
12月上旬、冬季ライブから数日後…
昼休み、1年A組の教室。
後日入手した城ヶ崎莉杏のステージ映像をスマホで観ていた神野愛理は、しばらく考え込むようにして黙り込んだ。
そして、パッと顔を上げて言い放った。
「うん、これは無理だね! ドンマイ!」
「……軽い」
「だってこれ『神の領域』だもん。人間が挑んでも無駄無駄! 交通事故に遭ったと思って忘れな!」
取ってつけたような励ましに、ケイは苦笑した。
だが、肩の荷は下りた気がした。
「……まぁ、御空さんとの勝負もうやむやになったし、結果オーライってことで……」
「えー? でもユミちゃん、この数日元気無かったよ〜。相当堪えてるみたい! あのプライドの塊が凹んでるレアな姿、ケイちゃんも見ればよかったのに」
愛理は珍しい動物を見たかのように自慢げに話す。
その時だった。
「ねぇ」
廊下から、よく通る凛とした声が響いた。
教室の空気が一瞬で凍りつく。入り口に立っていたのは、噂の主・御空ユミだった。
「げっ」
「あ、ユミちゃん!」
「……ちょっと、ついてきなよ」
御空が手招きをする。
愛理は「え、いいけど……」と腰を浮かせたが、御空は冷たく言い放った。
「違う。……由比ヶ浜ケイ」
「……え?」
ケイの口から情けない声が漏れる。
なぜ私? 呼び出し? 報復?
「は、はい……」
言われるがまま、ケイは怯えながら席を立ち、御空の後をついていくことになった。
連行された先は、校舎裏の自販機前だった。
御空は財布を取り出すと、背を向けたまま立ち止まった。
「……飲み物、何がいいの」
「え?」
「奢るって言ってるの」
突然の申し出に、ケイは目を丸くした。
しばらくの沈黙の後、恐る恐る答える。
「……じゃあ、コーヒーで」
「分かった」
ガシャン、ボトン。
温かい缶コーヒーが手渡される。
(……これが、愛理さんの言ってた「優しい」ってこと?)
不器用すぎる。だが、悪い気はしなかった。
二人は近くのベンチに並んで座った。
木枯らしが吹く中、温かい缶の温度だけが救いだ。
「…………」
「…………」
気まずい沈黙を破ったのは、御空だった。
「……いいステージだったよ」
「あ、ありがとうございます……」
ボソリと呟かれた称賛に、ケイは縮こまる。
御空は遠くの空を見上げながら、ポツリポツリと語り出した。
「……城ヶ崎先輩のパフォーマンス、凄かったよね」
「そう……ですね……」
「色んな高校生アイドルのライブ見てきたけど、あの感覚は……神野愛理を観た時に似てた」
御空の手が、ギュッとスカートの生地を握りしめる。
「……笑っちゃうよね。神野愛理のいない1年生全国大会で優勝したぐらいで、天下取った気になって舞い上がっちゃってさ。……井の中の蛙だったよ、あたしは」
自嘲気味に笑う横顔は、いつもの「絶対零度の支配者」ではなく、ただの悔しがる一人の少女のものだった。
「いや……そんなこと……」
「でも、良かったよ。あなたといい、城ヶ崎先輩といい……凄いのが2つも見られたから」
「……!」
御空が、真っ直ぐにケイを見た。
「あの『微笑み』。……悔しいけど、すごかった。あれはあたしには出せない」
「……」
ケイは珍しく照れた。
あの御空ユミに、真正面から認められたのだ。
「でも、あたしは諦めない。いずれあの2人の領域に立って、超えてみせる。……次は、あなたのことも圧倒するよ」
静かに、しかし力強く語るユミ。
その瞳には、再び闘志の火が灯っていた。
ケイの胸の奥が、少しだけ熱くなる。
(……これが、ライバル……友情……?)
なんだかむず痒いような、くすぐったい感覚。悪くない。そう思った。
しかし。
ここからが地獄だった。
「…………」
「…………」
御空ユミは、言いたいことを全て言い終え、満足して黙り込んでしまった。
ケイもまた、「そうね、頑張ろう」と気の利いたことを言えるタイプではない。
(……あれ? 次は何を話せば?)
沈黙が落ちる。
1分。
3分。
5分。
(……もしかしてこの人、会話のデッキ、もう切れちゃった?)
ケイは悟った。
御空ユミ。クールで孤高に見えるが、その実態は自分と同じ。
友達が少なく、自分から話題を振るのが苦手な「コミュ障(こっち側)」の人間だ。
さっきまでの饒舌さは、用意してきた台詞を読み上げていただけに過ぎない。
(……どうしよう、帰りたい)
(…………コーヒー、もうぬるいな)
会話スキルが壊滅的なケイと御空。
二人はベンチに座ったまま、互いに次の言葉を探り合い、そして何も見つけられないまま、地獄のような沈黙を共有し続けた。
「…………」
「…………(チラッ)」
「…………(サッ)」
気まずさに耐えかねて視線を合わせても、すぐに逸らしてしまう。
結局、二人はそのまま20分以上を無言で消費し、予鈴のチャイムに救われる形で解散した。
なお、教室で待っていた神野愛理は、いつまで経っても帰ってこない二人に痺れを切らし、
「さては青春してるな〜! 邪魔しちゃ悪いし!」
と勝手に解釈して、さっさとアイドル科の教室に帰ってしまっていた。
由比ヶ浜ケイの受難。
新たなライバルとの関係は、前途多難な「沈黙」から始まった。




