由比ヶ浜ケイの受難─第1章─16話「剛VS柔」
【由比ヶ浜ケイの受難】
12月上旬。朝陽ノ高校の体育館には、冬の寒さを忘れさせるほどの、暖房が追いつかない熱気が充満していた。
特設ステージ前には、全校生徒の大半が詰めかけ、色とりどりのサイリウムが波打っている。
舞台袖。
由比ヶ浜ケイは、深く静かに呼吸を整えていた。
身に纏っているのは、深いミッドナイトブルーのベルベット生地に、星々のような銀色のラメが散りばめられたドレス衣装。
スポットライトを浴びると、まるで冬の夜空そのものを切り取ったかのように輝く、シックで幻想的な装いだ。
ふと、数日前の神野愛理との会話が脳裏をよぎる。
『いい? 今回のライブ、前代未聞の普通科アイドルが出るってことで、みんな興味津々なの。つまり、客の多くはケイちゃん目当て。……今回のライブは圧倒的ホームだよ! リラックスリラックス!』
(……ホーム、か)
1人目、2人目と、アイドル科の生徒たちが次々とパフォーマンスを披露していく。
レベルは高い。歌もダンスも、素人の私とは積み上げてきた時間が違う。
だが、ケイの心は不思議と凪いでいた。
(……凄い。凄いけれど、これぐらいなら普段のライブステージで見慣れている…。『今の私なら、ついていける……!』)
練習に裏付けされた確信。
そして、最強のアイドルを至近距離で浴び続けてきた経験が、ケイの目を肥えさせ、度胸を据えさせていた。
「次は……御空ユミ!」
MCの声と共に、会場の空気が一変した。
温度が下がるような錯覚。
ステージに現れた御空ユミは、和洋折衷を思わせる、濃い青を基調としたスタイリッシュな衣装を纏っていた。着物を崩したような大胆な襟元に、ミニスカートとロングブーツ。それは現代に降り立った「雪女」のような、妖艶さと鋭さを併せ持っていた。
彼女はマイクを握りしめ、鋭い視線で観衆を射抜く。
流れたのは、重厚なシンセサイザーと激しいビートが絡み合う、攻撃的なデジタル・ロック。
「――ッ!!」
圧倒的だった。
突き抜けるようなハイトーンボイスと、髪の先まで神経の通ったキレのあるダンス。
彼女のクールさは、観客を突き放し、ひれ伏させるような「剛のクール」。
『絶対零度』の異名は伊達ではない。彼女はそのカリスマ性で、体育館という空間を完全に支配していた。
だが、ケイは飲まれなかった。
(……確かに凄い。でも、愛理さんの太陽のような圧力に比べれば、まだ呼吸ができる)
最強を知っているからこそ、恐怖はない。
御空のパフォーマンスが終わり、今日一番の割れんばかりの拍手が体育館を包んだ。
「続いて、普通科・由比ヶ浜ケイ!」
歓声と、好奇のざわめきが混じる中、ケイはステージ中央へ進み出た。
イントロが流れる。透明感のあるバラードから、徐々にテンポアップしていく楽曲。
ケイが動く。
派手さはない。だが、指先の角度、視線の運び、ステップの位置。全てが愛理と共に導き出した「最適解」で構成されている。
そして歌声。
ケイは徹底的に理詰めで音程を解析し、ピッチを1ミリも外さない精密機械のような正確さで、透き通る歌声を響かせた。
それは、触れれば壊れそうな「柔のクール」。
舞台袖で腕を組んで見ていた御空ユミは、鼻を鳴らした。
(……悪くはない。素人にしては上出来。でも――)
ダンスのキレ、声量、表現の幅。どれをとってもエリートには遠く及ばない。
「雰囲気」だけで勝てるほど、甘い世界ではないのだ。
(勝った…… )
御空は勝利を確信し、口元に冷酷な笑みを浮かべた。
だが。
曲が終盤に差し掛かり、曲調が一気に明るく転調するラストスパート。
ここで、神野愛理が授けた「秘策」が起動した。
ケイが、客席に向かって顔を上げた。
これまで鉄仮面のように表情を崩さなかった彼女の口元が、ふわりと緩む。
「――っ」
それは、引きつった愛想笑いでも、媚びるようなアイドルスマイルでもない。
雪解け水のように柔らかく、どこか儚げで、慈愛に満ちた「聖母のような微笑み」。
笑わないクールアイドル。
笑わない日陰者。
笑っても引きつり笑いしか見たことがなかった、あの由比ヶ浜ケイが。
『(……みんな、来てくれてありがとう)』
声には出さず、表情だけで感謝を伝えたその瞬間、
会場中の生徒たちのハートが撃ち抜かれた。
「…………な!?」
御空ユミの顔から、笑みが消え失せた。
技術ではない。理屈ではない。
「普段笑わない子が、一番いいところで優しく微笑む」。
その計算され尽くした「ギャップ」という名の凶器は、技術の差を埋めるどころか、会場の空気を一瞬でケイの色に染め上げた。
ワアアアアアアアアッ!!!!!!
曲が終わると同時、爆発的な拍手と歓声が体育館を揺らした。
勝負の行方は、分からなくなった。
呆然とする御空、喝采を浴びるケイ。
熱狂冷めやらぬステージに、MCのアナウンスが響く。
「さあ、続いてのエントリーは……アイドル科2年、城ヶ崎莉杏!」
照明が落ち、暗闇の中にゆらりと人影が浮かび上がる。
喧騒が一瞬で静まり返るほどの、異質な気配。
『美霊』が、目を覚ます。




