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由比ヶ浜ケイの受難─第1章─14話「静のクール」

【由比ヶ浜ケイの受難】


「愛理さん、ちょっと相談……」

「どうしたの? ケイちゃんがあたしに電話とか珍しいね。明日雪でも降る?」

自室のベッドの上。由比ヶ浜ケイは藁にもすがる思いで、全ての元凶にして友人・神野愛理に電話をかけた。

御空ユミとの勝負、城ヶ崎莉杏からの重圧。このままでは「身の程知らずのピエロ」として社会的に抹殺される。

ケイが経緯を話すと、電話の向こうの能天気な声色が、ふっと真面目なトーンに変わった。

『あー……そりゃ大変だねぇ。ユミちゃんは手強いよ』

「やっぱり、そう?」

『うん。彼女の「クール」は伊達じゃない。それにね、ハッキリ言うけど……今のケイちゃんの人気って、半分くらいは「話題性」で成り立ってるから』

グサリと刺さる正論だった。

文化祭動画での「ギャップ」や、ゲテモノ企画での「ハプニング性」が面白いのであって、純粋な歌やダンスのパフォーマンス勝負だと……。

『正直、手も足も出ないと思うよ』

愛理の言葉は珍しくシビアだった。

彼女は友達としてではなく、業界の先輩として冷徹な現実を告げていた。

『あと1ヶ月もないんでしょ? 今からダンスの技術を磨いても、ユミちゃんには絶対に追いつけない。真っ向勝負したら、公開処刑だね』

「うぅ……」

否定できない。それが一番怖い。

「させられた」記憶が蘇り、ケイは呻いた。元はと言えば、この人が私をステージに引きずり出したのが全ての始まりなのだ。

『でも、勝負は受けちゃったんだもんね。……やるしかないか』

愛理の声が、コーチのそれに切り替わった。

『まず、意識を変えよう。今までのケイちゃんのレッスンは「失敗しないため」「恥をかかないため」のレッスンだったでしょ?』

「ええ。振り付けを間違えないとか、歌詞を飛ばさないとか」

『それじゃダメ。今日からは「客を魅了するため」のレッスンをするよ。減点方式じゃなくて、加点方式のパフォーマンスを目指すの』

ここから、愛理による深夜のリモート指導が始まった。


『ケイちゃんに足りないのは基礎体力と経験値。だから、派手な大技や激しいダンスバトルは捨てる』

愛理の作戦は合理的だった。

短期間で付け焼き刃の技術を覚えるよりも、今できる動きの「精度」と「安定性」を極限まで高めること。

指先の角度、ターンした後の静止ポーズ、視線の流し方。

それらを徹底的に洗練させ、「隙のない美しさ」を作る。

『ユミちゃんがアグレッシブな「動」のクールなら、ケイちゃんは徹底した「静」のクールで対抗するの』


さらに、愛理は数本の動画を送ってきた。

それは、過去に活躍した「伝説のクール系アイドル」たちの映像だった。

『表情を見て。ただ無表情なだけじゃないでしょ?』

言われて凝視する。

確かに、彼女たちは笑っていない。しかし、その瞳は雄弁だった。

憂い、強さ、儚さ、そして隠しきれない情熱。

「笑わない」の中に、数え切れないほどの色がある。

『今のケイちゃんの無表情は「虚無」か「帰りたい」のどっちかだからね。……そこに「物語」を乗せる練習をするよ』

鏡の前で、ひたすら自分の顔と向き合う地味な特訓。

少し顎を引く。目を伏せる。流し目を作る。

心の底にある「帰りたい」というネガティブな感情を、「孤高の寂しさ」という芸術へと昇華させる作業は、もはや演技の領域だった。



数日後。基礎レッスンを終えたケイを見て、画面越しの愛理が頷いた。

『うん、だいぶ「アイドル」の顔になってきたね。……よし、これならイケるかも』

「何か、勝算があるの?」

ケイが聞くと、愛理は悪戯っぽく、しかし自信に満ちた声で囁いた。

『あるよ。とっておきの秘策がね』

「秘策?」

『うん。ダンスで勝てない、歌でも経験値が違う。……だったら、「ケイちゃんにしかできない」土俵に引きずり込めばいいんだよ』

愛理が提案したその内容は、あまりに大胆で、そして確かに由比ヶ浜ケイという「特異点」なら可能かもしれない、起死回生の一手だった。

ケイはゴクリと唾を飲み込んだ。

「……分かった。やるわ。……それで、刺し違えてやる」

由比ヶ浜ケイの受難。

彼女は初めて、ただ流されるのではなく、自分から「勝ちに行く」ための武器を手に取ろうとしていた。


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