由比ヶ浜ケイの受難─第1章─12話「絶対零度のエリート」
【由比ヶ浜ケイの受難】
「由比ヶ浜ケイ……あなたには、負けない」
11月中旬、放課後の廊下。
帰宅しようとしていた由比ヶ浜ケイの前に、物理的な冷気を纏ったかのような一人の少女が立ちはだかった。
落ち着いたダークブルーに染められたロングヘア、射貫くような凛々しい瞳。
その立ち振る舞いは、隙がなく、まさに「クール」そのもの。
彼女の名は、御空ユミ(みそら ゆみ)。
本校のアイドル科1年生にして、1年生限定の全国大会『フレッシュアイドルカップ』の優勝者(※ただし神野愛理は怪我で不参加)である。
「……は?」
ケイの口から、間の抜けた声が漏れた。
なぜ、雲の上の存在であるアイドル科のエリートが、普通科の自分に絡んでくるのか。
ケイが困惑していると、御空はケイを値踏みするように睨みつけ、苛立ちを隠さずに吐き捨てた。
「単刀直入に言う。あたしとキャラ被ってんだよ、あなた」
「……あぁ」
なるほど。ケイは瞬時に理解した。
現在、由比ヶ浜ケイは「笑わないクール系アイドル」として、校内のみならず一部の界隈で認知されつつある。
そして、目の前の御空ユミもまた、長年「笑わないクール系アイドル」を売りにしてきたプロフェッショナルだ。
最近、ポッと出の素人であるケイが話題になることで、彼女のアイデンティティが脅かされていると感じているのだろう。
「クールで笑わないアイドルは、この学校に一人でいい……そうは思わない?」
御空が鋭く問いかける。
その言葉に、ケイは心の底から同意した。
是非とも、あなたがその座を維持してください。私は今すぐにでも「ただの日陰者」に戻りたいのです、と。
「はい、そう思います。(あなた一人でいいです……!)」
ケイは力強く、深々と頷いた。
これで和解成立だ。ケイは身を引き、彼女が唯一無二のクールアイドルとして君臨する。これこそが平和的解決。
しかし。
ケイの言葉を聞いた御空の目が、驚きと共に、さらに鋭く細められた。
「……ッ!? ……いい度胸じゃない」
「へ?」
彼女の口元が、好戦的な笑みの形に歪む。
「『自分こそがその一人にふさわしい』……そう言いたいわけ?」
「いや、そうじゃなくて……」
「面白い。普通科の素人が、エリートのあたしに喧嘩を売るとはね」
違う。売ってない。白旗を全力で振っているだけだ。
ケイが誤解を解こうと口を開きかけた、その時だった。
「望むところですよ!! ケイちゃんの力、見せてやります!!」
横から、ガッツポーズをした小柄な影――マネージャーの瓦幸慈が割り込んできた。
「わ、瓦さん!?」
「御空さん! うちのケイちゃんは、ただクールなだけじゃありません! その冷徹さの奥にある『虚無』こそが新しいクールの形なんです! 世代交代ですよ!」
「余計なこと言わないで!!」
ケイの悲鳴は無視された。
御空は、瓦の挑発を真正面から受け止めてしまった。
「フッ、上等。……なら、決着をつけようか」
御空は、ビシッとケイに指を突きつけた。
「来月開催される、アイドル科主催の『校内冬季ライブ』。あなたも参加しな」
「……え、あれってアイドル科だけの……」
「アイドルであれば普通科でも参加可能。……そこで、全校生徒による投票を行う。どっちが『真のクールアイドル』として票を多く得られるか……勝負といこうよ」
校内冬季ライブ。
毎年、希望した生徒たちが観客兼審査員となり、最も輝いていたアイドルを決める一大イベントだ。
プロ予備軍たちがしのぎを削るそのステージに、普通科の生徒が立つなど前代未聞である。
「普通科がプロの卵に勝てるわけ……」
「望むところですよ!! 受けて立ちます!!」
瓦がケイの代わりに、高らかに宣言した。
ケイは瓦の服の袖を引っ張る。
「ねえ聞いて瓦さん! 私の意思は!?」
「逃げないよね? 由比ヶ浜ケイ」
御空の瞳が、絶対零度の冷徹さでケイを射抜く。
「もし逃げたら……『偽物は敵前逃亡した』って、校内放送で言いふらしてあげる」
「……うぅ」
詰んだ。
逃げれば社会的死。戦えば公開処刑。
由比ヶ浜ケイはアイドル科の精鋭たち、そして『絶対零度のエリート』と票を争うことになってしまった。
「覚えてなよ。ステージの上で、格の違いを教えてあげる」
御空は長い青髪を翻し、颯爽と去っていった。
残されたのは、頭を抱えるケイと、「燃えてきたぁ!」と武者震いする狂気のマネージャーだけ。
「……瓦さん」
「何!? 作戦会議する!?」
「……呪うわよ」
冷たい廊下に、ケイの怨嗟の声が響く。
由比ヶ浜ケイの受難は、ついに「学内カースト」の頂上決戦へと巻き込まれていくのだった。




