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由比ヶ浜ケイの受難─第1章─11話「ビッグバン」

【由比ヶ浜ケイの受難】


11月中旬、放課後の教室。

平和な下校時間を、太陽のような笑顔が遮った。

「ねぇ! あたしのライブ来なよ!」

「嫌」

由比ヶ浜ケイは即答で切り捨てた。

0.1秒の迷いもない拒絶。

「えー、いいじゃん今週オフにしたんでしょ? 知ってるんだからね!」

「だから嫌なの。休日は家で寝ていたいの。……それに、全治3カ月はどうしたのよ?」

「気合いで治した!」

「なにそれ……」

医者が聞いたら卒倒しそうな理屈だ。しかし、目の前の怪物はピンピンしている。

ケイはため息をついてカバンを持った。

「ユキも来ていいからっ!」

いつの間にか仲良くなっていた瓦幸慈のあだ名(下の名前の読みを変えて『ユキ』らしい)を上げる愛理。

だが、それは逆効果だ。

(……瓦さんと休日を過ごすのは御免よ。仕事の話か、私の尊さについての演説を聞かされる未来しか見えないもの……)

「帰るわ」

ケイが背を向けた、その時。

「ねぇ……どうしても、ダメ……?」

背後から、湿っぽい声がした。

振り返ると、愛理が上目遣いで、潤んだ瞳を向けてきている。

あざとい。計算だと分かっている。

だが、これに弱いケイは、またしても自身のお人好しスイッチを強制的に押されてしまった。

「……はぁ。分かったわよ。行けばいいんでしょ」

「やった! それじゃこれ、ユキにも渡しといてね!」

愛理は表情を一変させ、満面の笑みでチケットを2枚押し付け、仕事へと駆けていった。嵐のような女だ。

その後、部室でチケットを渡された瓦幸慈が、頬を染めてクネクネと軟体動物のような動きで喜びを表現したのは言うまでもない。



ライブ当日。

会場は都心から少し離れた、6000人を収容する巨大アリーナだ。

待ち合わせ場所に現れたケイは、完全なオフモードの私服だった。

チャコールグレーのチェスターコートに、黒のタートルネック。ボトムスはチェック柄のテーパードパンツで、足元は歩きやすいショートブーツ。

色味を抑えた、目立たないためのシックな装い。

「スタイリッシュで素敵! ケイちゃん何着ても似合う〜!」

瓦が手を合わせて褒め称える。

対する彼女自身は――白いふわふわのコートに、淡いピンクの長いスカート。髪も丁寧に巻かれており、どこからどう見ても「デート気合十分」の姿だった。


「凄……」

会場に入った瞬間、ケイの口から思わず声が漏れた。

すり鉢状の巨大なホールが、人で埋め尽くされている。

色とりどりのサイリウム、開演を待つ地鳴りのような熱気。

これが、トップアイドルの集客力。

隣の瓦も「わぁ……」と圧倒され、さっきまでの浮かれた気分が吹き飛んでいるようだった。

【太陽の顕現】

照明が落ち、重低音の轟音が内臓を揺らす。

無数のレーザー光線が空間を切り裂き、ステージ中央にスポットライトが集中した。

爆音と共に現れたのは、神野愛理――「ビッグバン」。

衣装は黄金と深紅のドレス。

フリルや装飾は豪華だが、激しい動きを阻害しないよう計算され尽くしている。

前説も、MCもなし。

いきなりイントロが始まった。曲は彼女の代表曲『ビッグバン・イグニッション』。

明るく、激しく、全てを巻き込む爆発的なアップテンポナンバーだ。

「行くよ!!」

彼女が舞う。

豪快かつ華麗なターン。

スカートが花のように開き、黄金のポニーテールが光の軌跡を描く。

爆発的で情熱的、それでいて優雅。

指先の所作ひとつ、視線の配り方ひとつにまで、計算された「可愛らしさ」と、天性の「カリスマ」が宿っている。

(……っ)

ケイは思わず目を奪われた。息をするのも忘れるほどに。

とても怪我明けとは思えない。骨折の影響など微塵も感じさせないステップ。

いや、以前よりも凄みを増している。

まさに『神の領域』。

(……これが、本物)

瓦も、口を半開きにして釘付けになっている。サイリウムを振ることさえ忘れている。

曲が終わり、静寂が訪れた瞬間、彼女が叫んだ。

「みなさーん! 今日は来てくれてありがとー!!」

ワァァァァッ!!

会場が爆発した。

たった一言。それだけで6000人の心が一つになる。

彼女の声には、聴く者に活力を与える天性の周波数があるようだ。

激しいダンスの後なのに、息一つ切れていない。

すべてが圧巻。これが「ビッグバン」。

ケイは自分のちっぽけな実力との差を、まざまざと見せつけられた。



ライブ終了後。

ケイと瓦は、しばらく座席から動けなかった。魂を抜かれたようだった。

「高校生最強アイドル」……その肩書が伊達ではないことを、骨の髄まで理解らされた。

『ケイちゃんやっほー! 今からあたしんとこおいでよ! 話はつけとくから』

愛理からの着信で我に返し、ケイたちはスタッフに導かれて関係者ブースへと向かった。

奥の部屋には、3時間のステージを終え、パイプ椅子に座る愛理の姿があった。

汗だくだが、その汗すら珠玉のように輝いている。

「どうだった!」

ニカッと笑ってピースサインを作る愛理。

ケイは、月並みな言葉しか出せなかった。小手先の感想など失礼に思えたからだ。

「……凄かった。すごく」

「いやー、やっぱさ、ケイちゃんとはあたしのライブでの勇姿を共有しときたかったんだよねー」

「……それが誘った理由?」

「うん!」

なんという純粋さ。

自分の晴れ姿を、同業者であり幼馴染であり友達であるケイに見せたい。ただそれだけの理由。

マウントでも自慢でもない。そこにあるのは、子供のような真っ直ぐな友情だけ。

由比ヶ浜ケイは、フッと自然な笑みを浮かべた。

(……本当に、敵わないわね)

その時だった。

今まで黙り込んでいた瓦幸慈が、一歩前に出た。

「愛理さん……」

その声は、いつもの浮かれた調子ではなく、「プロデューサー」の響きを帯びていた。

ふわふわのコートを着た少女の目から、ハートマークが消え、冷たい炎が宿る。

「私は……ケイちゃんをトップアイドルにするために、今後も精進するつもりです」

「……は?」

ケイの口から間の抜けた声が漏れた。

瓦は愛理を――明確な「超えるべき壁」として睨み据えた。

「絶対に負けません! それがたとえ『女神のアイリ』でも!!」

まさかの宣戦布告。

しかも、当事者の意思を無視した、完全なる独断。

愛理はきょとんとした後、今日一番の満面の笑みを浮かべた。

好戦的な、王者の笑みだ。

「いいね、その挑戦乗ったよ! ケイちゃん、ユキ、高みで待ってる!」

「いや、私の意思は……」

「望むところです! 行きましょうケイちゃん、覇道への道を!」

「聞いてないし……」

二人は勝手に盛り上がり、火花を散らしている。

頭が痛い。

今日はお休みだったはずなのに。

なぜ私は、最強アイドルとの全面戦争に巻き込まれているのか。

そう心の中で呟き、ため息をつく。

由比ヶ浜ケイの受難は、冬の寒空の下でも終わる気配がなかった。


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