由比ヶ浜ケイの受難─第1章─1話「望まぬ偶像化」
日陰者を望む少女、由比ヶ浜ケイが無理やりアイドルをやらされ、数々の受難に巻き込まれる物語です。
不憫なケイの可愛らしい姿、ライバル達との戦いをお楽しみください。
※一部AI使用、加筆修正しています
【由比ヶ浜ケイの受難・第一章】
日陰者の哲学と、栄光という名の悪夢
朝、私は夢を見た。
場所は、どこかの巨大なコンサートホール。
視界を埋め尽くすのは、眩しすぎるスポットライトと、海のようなサイリウムの光。
私はそのステージの中央に立っていた。
隣には、誰かがいる気がする。
見知った顔のような、けれど霞がかかって誰だか分からない、誰か。
直後、背後の巨大モニターに何らかの「結果」が表示された。
その瞬間。
ドッッッ!!!! と、ホール全体が割れんばかりの大歓声と拍手に包み込まれる。
それは祝福の音だった。誰もがそのステージに立つ者を称えていた。
けれど、私にとっては――。
9月中旬、東京某所。朝6時半。
「……悪夢だ」
目覚ましのアラームが鳴るよりも早く、少女は低い声で呟いて身を起こした。
乱れたシーツの上で額の汗を拭う。
鏡に映るのは、黒髪のショートヘアに、整ってはいるがこれといった特徴のない顔立ち。
由比ヶ浜ケイ。
文武両道で知られる名門・朝陽ノ高校に通う、ごく普通の1年生だ。
彼女には、確固たる信念があった。
それは「いかにして目立たずに生きるか」。
きっかけは小学校時代に遡る。
当時、要領が良く成績も優秀だった彼女は、教師や同級生から「頼れる存在」として持ち上げられた。
結果、待っていたのは称賛ではなく、無限に降り注ぐ面倒事と、他人の責任まで負わされる理不尽な重圧だった。
『有能さは、平穏を脅かす罪である』
幼いケイはそう学習した。
以来、彼女は徹底的な「理詰め」によって自らの行動を制御するようになった。
気配を消すための呼吸法。
教師と目を合わせない絶妙な角度。
クラスの会話には「肯定」も「否定」もせず、ただ「相槌」だけで溶け込む技術。
目立たない仕草、目立たない表情、目立たない言動。
全ステータスを「平凡」に偽装し、周囲の記憶に残らないモブキャラクターを演じ続けること数年。
由比ヶ浜ケイは、誰からも注目されない「日陰者」としての地位を、盤石なものにしていたはずだった。
――あの「悪夢」を見るまでは。
「ケイちゃん、宿題見せて!」
よく通る、鈴を転がしたような明るい声。
その一声が響いた瞬間、1年A組の空気は一変し、次いでどよめきと羨望のため息に包まれた。
教室の入り口に立っていたのは、ウェーブがかった金髪を高い位置でサイドテールにし、吸い込まれそうな碧眼を輝かせる美少女――神野愛理。
3歳で子役デビュー、そのまま女優として小中学校時代を駆け抜け、高校入学と同時にアイドルデビュー。『ビッグバン』の愛称で瞬く間に高校生アイドルの頂点へと登りつめた、生まれながらの「スター」だ。
「……なんで、いつも私なの?」
私は極力目立たないよう、声を押し殺して抗議する。
「だって幼馴染でしょ? それにケイちゃんのノートが一番分かりやすいし!」
悪びれもなくウィンクする彼女に、私は頭を抱えた。
なぜ、こんな雲の上の存在が、徹底して地味を貫く「日陰者」の私ごときに絡むのか。
理由はシンプルにして理不尽。「幼稚園からの幼馴染だから」。これに尽きる。
私と愛理は、確かに長野県の学校で幼稚園から中学まで同じ学び舎にいた。
だが、それはただ「同じ空間にいた」だけだ。友人ですらなかった。
まともに会話をした記憶など、中学の廊下ですれ違いざまに「貴女って、私と幼稚園から一緒なんだよね!」と聞かれ、「さぁ?」と適当に塩対応をした一度きり。
それなのに。
遠く離れたここ東京の高校で再会した彼女は、私をロックオンした。
わざわざ別棟にある華やかな「アイドル科」から、私がいる地味な「普通科」の教室まで足を運んでくるのだ。
「はい……」
「サンキュー!」
宿題のノートを受け取るや否や、彼女は去るどころか、さらに身を乗り出してくる。
「ねえ、ケイちゃんってアイドルやらないの? 運動神経良いし顔も良いから、絶対伸びるよ!」
「……やるわけないでしょ、愛理さん」
あまりにバカバカしい提案に、思わず深いため息が漏れる。
しかし、この天然の王者は止まらない。
「知ってるよ? 小学校のとき『記憶力のケイ』って有名だったじゃん! ダンスだってすぐ覚えちゃうでしょ?」
「ッ……」
忌々しい過去の異名を掘り起こされ、私は露骨に顔をしかめた。
確かに、たいていの事は一度見聞きすれば覚えられるし、実践もできる。
だが、その能力こそが私を「都合の良い便利屋」へと追いやり、平穏を奪ってきた元凶なのだ。目立つことの最たるものであるアイドルなんて、死んでも御免だ。
「……確かに、今回の文化祭の愛理さんの振り付けも、資料を見ただけですぐ覚えちゃったけど。私には愛理さんみたいな愛嬌もスター性もないよ」
もうどこかへ行ってくれないか、というオーラを全力で放ちながら、私は再びため息混じりに答えた。
「振り付け」とは、今月の文化祭用に全校生徒へ資料として配布されたものだ。
由比ヶ浜ケイは完璧主義者だ。
自分がステージに立つわけではない。だが、万が一トラブルが起きた際、状況を把握していないことで生じる「想定外の面倒事」だけは避けたい。そのためなら、自分に直接関係のないダンス資料であっても完璧に頭に叩き込む。それが私の「目立たず生きるためのリスク管理」だった。
しかし、そんな私の生存戦略など露知らず、愛理は目を丸くして感心している。
「スッゴ〜! やっぱ才能あるのになぁ」
「…………」
「じゃああたしは行くね! 宿題ありがとー!」
嵐のように現れ、嵐のように去っていく。
愛理は手を振ると、軽やかな足取りでアイドル棟の方へと駆けていった。
あとに残されたのは、クラスメイトからの突き刺さるような視線と、ドッと疲れた私だけだった。
文化祭……。
それは「日陰者」にとって、一年で最も警戒すべきイベントだ。
私の計画は完璧だった。目立たず、裏方としての職務を淡々とこなし、誰にも注目されないままフェードアウトする。
だが、そんな儚い決意は、間もなく粉々にぶち壊されることになる。
文化祭当日。
校内は外部からの客や生徒たちが行き交い、極彩色の屋台が立ち並び、普段とは比べ物にならない華やかな空気に包まれていた。
ここ朝陽ノ高校は、多くのスターを輩出した『アイドル名門校』としての顔を持つ。
普段は校舎も別で、一般科の私とは無縁のアイドル科だが、今日だけは違う。体育館ではアイドル科生徒によるスペシャルライブステージが開催されるのだ。
当然、大規模なイベントには人手がいる。数人の一般科生徒が、裏方としてその運営を支えることになる。
私は迷わず、その裏方役を志願した。
アイドルを近くで見たいから? まさか。
私のクラスの出し物は「メイド喫茶」だ。教室に残れば、フリフリの衣装を着せられ、「おいしくな〜れ」などという呪文を強要されるリスクがある。
それに比べれば、照明の当たらない舞台袖でケーブルを巻いている方が、遥かにマシで、遥かに「私らしい」。そういう算段だった。
そして始まったアイドル科ステージ。
私は舞台袖の暗がりから、その様子を眺めていた。
「……凄い」
思わず独り言が漏れる。
体育館の特設ステージは、割れんばかりの大歓声と熱気に包まれていた。
そして何より、アイドルたちだ。
指先まで神経の通ったダンスのキレ、腹の底から響く歌声、そして何より、浴びるライトを何倍にも増幅して返すような「華」。
一般人とは生物としての構造が違うのではないかと錯覚するほどの輝きに、私は思わず魅入っていた。
プログラムは進み、次はいよいよ大トリ。
絶対王者、『ビッグバン』神野愛理のステージだ。
これが終われば撤収作業をして解散。あとは人がいない校舎の裏手か図書室の隅で、読みかけの本でも読んで時間を潰そう。私の平穏な文化祭は、それで幕を閉じる……はずだった。
ガタンッ!!
舞台裏の階段付近で、鈍く、重い音が響いた。
「キャアアッ!!」
「愛理さん!? どうしたの!?」
悲鳴と怒号。
私の背筋に、嫌な汗が流れた。
事件は、私が最も油断していた瞬間に起きた。
慌てて悲鳴のした方へ駆け寄ると、そこには階段の下でうずくまる愛理の姿があった。
華やかなステージ衣装が、薄暗い舞台裏で痛々しく浮いている。
「大丈夫、大丈夫……ちょっと転んだだけだから」
愛理は顔を歪めながら立ち上がろうとするが、すぐに膝から崩れ落ちた。
明らかに大丈夫ではない。
スカートの裾から覗く脛は赤黒く変色し、見るも無残に大きく腫れ上がっている。素人目に見ても分かった。骨折だ。
「愛理さん! 動いちゃダメ!」
「離して……! 行かなきゃ……みんなが待ってるの……!」
ステージへ向かおうと地を這う愛理を、周りの生徒たちが必死に羽交い締めにして止める。
私は冷や汗を拭い、努めて冷静に、最も残酷だが正しい判断を口にした。
「その怪我じゃ無理よ、愛理さん。……ステージは中止にするしかないわ」
そう告げた瞬間、愛理の瞳の色が変わった。
痛みに潤んでいた瞳が、鋭く、恐ろしいほどの執念を帯びて私を射抜く。
「ダメ……それだけは……絶対に、イヤ……」
「愛理さん、気持ちは分かるけどリスクが大きすぎる。残念だけど……」
私が諭そうとした、その時だった。
愛理はしばらく俯いていたかと思うと、ゆらりと顔を上げ、とんでもないことを口にした。
「あはは……だよね。私が踊るのは無理だよね」
彼女は、狂気すら感じる虚ろな笑顔で私を指差した。
「じゃあ、ケイちゃんが出てよ。ダンスは覚えてるって言ってたし」
「……は?」
時が止まった。
この状況で、この女は何を言っているんだ?
「愛理さん、今冗談を言ってる場合じゃ……」
「それだ!!」
私の反論を遮り、パニックになっていた一人の女子生徒が叫んだ。
血走った目で私を見るその顔には、溺れる者が藁をも掴むような、危うい狂乱が浮かんでいた。
「……は?」
私は顔をしかめた。嫌な予感が、背筋を駆け上がる。
「今さらステージ中止なんかしたら、スペシャルライブは失敗に終わる……伝説に泥を塗ることになる……! でも、代役がいれば……!」
「ちょ、ちょっと待って! 何言ってるの……!?」
「一か八か、賭けるしかないわ……!!」
パニックは伝染する。恐怖は理性を食いつくす。
中止という「絶望」を回避するためなら、彼らはどんな無茶苦茶な「希望」にも縋り付く。
一人、また一人と、私を見る目が変わっていく。
「由比ヶ浜さん、お願い!」
「ダンス覚えてるんでしょ!?」
「お願い、ステージを救って!!」
「冗談じゃないわよ! 私はただの……」
私の抗議の声は、集団ヒステリーのような「お願い」の合唱にかき消された。
日陰にいたはずの私は、スポットライトよりも眩しく、熱い、理不尽な期待の中心に引きずり出されていた。
「由比ヶ浜さんのサイズに合う衣装持ってきたよ!!」
その声とともに、私の視界はピンク色に染まった。
手渡されたのは、フリルとレースがこれでもかとあしらわれた、THEアイドルな衣装。背中には大きなリボン、スカートはふんわりと広がり、絶対領域を強調するような短さだ。
「ちょ、ちょっと待って……! これを私が着るの……!?」
「はい、着替えて着替えて! 時間ないから!」
有無を言わさぬ勢いで更衣室(というかただの衝立の裏)に押し込まれ、数分後。
「……っ」
私は鏡の前で絶句した。
そこに映っているのは、普段の地味な制服姿とは似ても似つかない、ピンク色のフリフリに包まれた自分だった。
「わぁ〜! 可愛い!! いけるいける!」
「すっごい似合ってるよ由比ヶ浜さん!」
周囲の女子生徒たちがキャアキャアと盛り上がる。その歓声が、私には死刑宣告のように聞こえた。
「や……やっぱり無理……! こんなの……恥ずかしすぎる……っ!」
私は涙目で、顔を真っ赤にして訴えた。鏡の中の自分と目が合うだけで、羞恥心で死にそうになる。
「何言ってるの! ダンス覚えてるの由比ヶ浜さんしかいないの!」
「そうだよ! 愛理ちゃんのために、お願い!」
「由比ヶ浜さん、頑張って!」
私の悲痛な叫びは、集団の熱狂にかき消された。一度動き出した歯車は、もう誰にも止められない。
私は抵抗する間もなく、背中を押されて舞台袖へと連行された。
ステージの方では、マイクを持った愛理が、一人の女子生徒に肩を支えられながらゆっくりと中央へ進み出ていた。
テーピングでぐるぐる巻きにされた足が、痛々しく照明に照らされる。
『キャアアアッ! 愛理ちゃん!?』
『嘘、怪我してる!?』
会場が騒然となる中、愛理は努めて明るい声で言った。
「みんなごめーん! 見ての通り、ちょっとドジ踏んで怪我しちゃった! 今日は踊れそうにないんだ……ごめんね!」
謝罪の声に、会場の空気が沈む。だが、愛理はすぐに声を張り上げた。
「でも! 今日はスペシャルな代役を用意しました!! あたしの友達が、代わりに踊ってくれます!!」
え?
「ダンスは未経験らしいけど、一生懸命覚えてくれたから! みんな、応援してあげてね!!」
ドッッッ!!! と会場が再び盛り上がる。
嘘でしょ。未経験「らしい」? 覚えて「くれた」?
全部、今さっき決まったことじゃない!
愛理はスタッフに支えられながら、再び舞台袖に戻ってきた。
そして、ピンク色の衣装で固まっている私と目が合うと、ニカッと笑って――。
「ごめん☆ あとはよろしく!」
と言わんばかりに、親指を立ててサムズアップした。
「…………」
終わった。
外堀は徹底的に、完璧に埋められた。もう後戻りはできない。
「さあ、行って! 由比ヶ浜さん!」
背中をドンと押される。
私は人生で一番の緊張と、吐きそうなほどの羞恥心を抱えながら、眩しすぎるスポットライトの中へと、ふらふらと歩みを進めた。
視界が真っ白になる。
大歓声が鼓膜を叩く。
由比ヶ浜ケイ、地獄のステージが始まる。
「こ、こんにちは〜……!!」
私は頭脳をフル回転させ、記憶にある「アイドルっぽい声」を模倣してマイクに向かった。
けれど、喉が引きつって、出てきたのは裏返ったような情けない声だった。
『ザワザワ……』
『あれ、由比ヶ浜さんじゃね?』
『けっこう可愛くね?』
体育館がどよめく。
その視線の全てが、私のフリフリのピンク衣装と、ガチガチに強張った顔に注がれている。
逃げ出したい。今すぐこの場から蒸発して消えてしまいたい。
(……やるしかない。やるしかないのよ、ケイ!)
イントロが終わり、歌い出しのタイミングが来る。
私は半ばヤケクソで体を動かした。
「〜♪ 〜♪ ……っ!」
歌詞が飛ぶ。
頭の中は真っ白で、愛理のノートで完璧に覚えたはずのフレーズが出てこない。
ステップはロボットのようにぎこちなく、ターンをするたびにスカートがふわりと広がり、そのたびに私は羞恥心で死にそうになる。
けれど、必死だった。
愛理が繋いだバトンを、ここで落とすわけにはいかない。
その一心だけで、私は不格好に手足を動かし、涙目でマイクにしがみついた。
そして、ラストの決めポーズ。
私は震える指でピースサインを作り、引きつった頬を無理やり持ち上げた。
「……っ!!」
顔は茹でダコのように真っ赤。目には涙が溜まっている。
それはアイドルとして見れば「0点」の笑顔だったかもしれない。
しかし。
ドッッッッ!!!!!!
一瞬の静寂の後、体育館が揺れるほどの爆発的な歓声が轟いた。
『可愛いーーッ!!』
『頑張れー!!』
見る者に衝撃が走っていた。
普段は目立たない地味な女の子が、恥じらいながらも必死にダンスし、歌い、涙目で決めポーズをする姿。
その未完成で、けれど懸命な姿は、計算されたアイドルの愛嬌よりも強烈な破壊力を持って、観客のハートを悩殺していたのだ。
(……え?)
鳴り止まない拍手と歓声。
私は呆然と立ち尽くした。
会場は、予想だにしない盛り上がりを見せている。失敗ではない? 受け入れられている?
しかし、その時の私はまだ知らなかった。
このステージが、後に語り継がれる「伝説」の始まりになることを。
そしてこれが、平穏を愛する日陰者・由比ヶ浜ケイが、宇宙規模のアイドル戦争に巻き込まれていく、壮絶な「受難」の幕開けであることを。
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