第7話 宮廷料理人を黙らせろ! ふわとろオムライスの革命
ヴァルドリア帝国の帝都、バルムンク。
黒曜石で作られた堅牢な城壁と、剣のように鋭い塔が聳え立つ軍事国家の中心地だ。
王室専用馬車から降り立った私たちは、整列した文官や家臣たちの出迎えを受けた。
「皇帝陛下の御帰還、心よりお慶び申し上げます!」
深々と頭を下げる彼らの視線が、アレクの隣に立つ私にチラリと向けられる。
「誰だ、あの女は?」という好奇と警戒の色。
まあ、無理もない。行方不明だった皇帝が、見知らぬ銀髪の女を連れて帰ってきたのだから。
「陛下、長旅でお疲れでしょう。すぐに休息の準備を……」
初老の執事長が声をかけるが、アレクはそれを手で制した。
「いや、まずは食事だ。腹が減って死にそうだ」
アレクのその言葉に、執事長は心得たように頷いた。
「畏まりました。料理長ヴァルゴが、最高級の食材を用いた『伝統の正餐』をご用意して待ち構えております」
「……ヴァルゴか」
アレクの眉がピクリと跳ねた。
その名前を聞いた瞬間、隣に控えていたハンスさんも露骨に顔をしかめる。
「伝統、ね」
私は小さく呟いた。
道中の騎士たちの食事事情を見る限り、この国の「伝統」にはあまり期待できそうにない。
「セシリア、すまないが付き合ってくれ。あいつの料理は……その、喉を通らないんだ」
アレクが小声で助けを求めてくる。
私はため息交じりに頷いた。
「わかったわ。専属シェフとして、厨房の視察もしておかないとね」
◇
案内されたのは、広大だが冷え冷えとした王宮の大食堂だった。
長テーブルの上には、すでに料理が並べられている。
そこに立っていたのは、白い高い帽子を被り、ヒゲを蓄えた恰幅の良い男だった。
宮廷料理長、ヴァルゴだ。
「おお、陛下! ご無事で何よりです! このヴァルゴ、陛下のために腕によりをかけて『冷製フルコース』をご用意いたしました!」
彼が自信満々に指差した先には、美しく飾られた皿が並んでいる。
……見た目は、確かに綺麗だ。
ゼリーで固められた魚、冷やされた肉のパテ、氷細工のようなスープ。
だが、どれもこれも冷たく、湯気一つ立っていない。
「……ヴァルゴよ。私は温かいものが食べたいと言ったはずだが」
「陛下、何を仰いますか! 熱を通しすぎると食材の『高貴な魔力』が逃げてしまいます。それに、この『氷河サーモン』のゼリー寄せこそ、我が帝国の美学! さあ、どうぞ!」
ヴァルゴは聞く耳を持たない。
アレクがげんなりした顔で、ゼリー寄せを一口食べる。
「……硬い。それに味がしない」
「なんと! それは陛下の舌が、下賤な旅の食事に毒されてしまったのでは!? この繊細な薄味がわからぬとは!」
ヴァルゴが憤慨して声を荒らげる。
皇帝に対してこの態度。どうやらこの国では、職人の地位が妙に高い――というか、食文化が未熟すぎて「料理人」というだけで特権階級化しているようだ。
「……ねえ、そこのヒゲのおじさん」
私は見かねて口を挟んだ。
「何だ貴様は! 部外者が神聖な厨房に口を出すな!」
「部外者じゃないわ。私はセシリア。陛下の新しい専属シェフよ」
「はぁ? シェフだと? 女子供に何ができる!」
ヴァルゴは私を頭からつま先まで見て、鼻で笑った。
「どうせ旅先で、焼いただけの肉を出して陛下の機嫌を取ったのだろう? 料理とは芸術だ。貴様のような田舎娘には理解できんよ」
カチン。
私の頭の中で、何かのスイッチが入った音がした。
料理を芸術と呼ぶのはいい。だが、食べる人のことを考えず、独りよがりな美学を押し付けるのは料理人失格だ。
「……へえ。言うわね」
私は腕を組み、挑発的に微笑んだ。
「じゃあ、勝負しましょうか。私が作る料理と、あなたのその冷たい芸術品。どちらが陛下の舌を満足させられるか」
「面白い! 恥をかかせてやる。厨房を使わせてやるから、好きにするがいい!」
◇
厨房に入ると、弟子たちが心配そうに私を見ていた。
ヴァルゴは腕組みをして、高みの見物を決め込んでいる。
「ふん、どうせ大した食材も持っていないのだろう」
「食材ならあるわ。最高級のやつがね」
私は【時空収納】を開いた。
取り出したのは、真っ白な陶器に入った『米』だ。
王国の領地で試験栽培していた『ジャポニカ米』。ふっくらとした粘り気が特徴だ。
そして、鮮やかなオレンジ色の黄身を持つ『ゴールデン・コカトリス』の卵を五つ。
「米だと? あんな家畜の餌を……」
外野の声は無視する。
まずはチキンライス作りだ。
鶏肉(これもコカトリスの腿肉)と玉ねぎを細かく刻み、バターを熱したフライパンへ投入。
ジュワァァァ……!
バターの芳醇な香りが厨房に広がり、弟子たちが「おっ?」と鼻を動かす。
火が通ったらご飯を入れ、ここで私の秘密兵器――『完熟ルビートマト』を煮詰めて作った自家製ケチャップをたっぷりと回し入れる。
ジャァァッ!!
トマトの酸味が飛び、甘く濃厚な香りが爆発的に広がる。
塩胡椒で味を整えれば、艶やかなオレンジ色のチキンライスの完成だ。
これをラグビーボール型に整えて、皿に乗せる。
「いい匂いだ……だが、あんな赤い飯、見たことがないぞ」
ヴァルゴが少し動揺している。
だが、本番はここからだ。
私は新しいフライパンを熱し、バターを溶かす。
ボウルに卵三個分の溶き卵を用意し、一気に流し込んだ。
ジュッ、ジュワワワ……。
菜箸で手早くかき混ぜる。
火加減が命だ。外側は固まりつつ、内側はトロトロの半熟状態をキープする。
フライパンの柄をトントンと叩き、卵を回転させながら楕円形のオムレツを作る。
ここだ。この一瞬。
私は表面がツヤツヤに輝くオムレツを、チキンライスの上にそっと乗せた。
「なんだそれは? 卵焼きを乗せただけではないか」
ヴァルゴが嘲笑う。
確かに、見た目はただの黄色い塊が乗っているだけに見えるだろう。
「完成よ。アレク、ハンスさん、お待たせ」
私は皿を二人の前に置いた。
「セシリア、これは……?」
「『ふわとろオムライス』よ。さあ、ナイフを入れてみて」
アレクは不思議そうにナイフを手に取り、オムレツの真ん中に刃を当てた。
そして、すっと切れ目を入れる。
その瞬間。
プルンッ。
トロォォォォォォリ……。
弾力のあるオムレツが左右に開き、中から黄金色の半熟卵が雪崩のように溢れ出した。
半熟卵はチキンライスを優しく包み込み、まるで花が咲いたかのような美しい姿へと変貌する。
「なっ……!?」
ヴァルゴが目を剥いた。
厨房の全員が息を飲む。
「……凄い。生きているみたいだ」
アレクは震える声で呟き、仕上げに私がかけた『デミグラスソース』と絡めて、スプーンですくい上げた。
卵の黄色、ケチャップライスの赤、ソースの茶色。
完璧なコントラストだ。
彼はそれを口へと運ぶ。
「――んんッ!!」
アレクの金色の瞳が、カッと見開かれた。
「卵が……飲めるほど柔らかい! バターの風味と卵の甘みが、濃厚なケチャップライスと混ざり合って……なんだこの幸福感は!」
「団長、私も!」
ハンスさんも一口食べ、机をバンと叩いた。
「美味い!! 酸味のあるライスとまろやかな卵の相性が抜群だ! 何より温かい! 胃の中に温もりが染み渡るようだ!」
二人は無我夢中でスプーンを動かした。
冷たいゼリー寄せなど目もくれない。
カチャカチャと皿の音だけが響き、あっという間に完食してしまった。
「……そんな、馬鹿な」
ヴァルゴが崩れ落ちる。
「私の芸術が、あんな大雑把な混ぜご飯に負けるなど……」
「大雑把じゃないわ」
私は冷ややかになったチキンライスの残りを、ヴァルゴの前に突き出した。
「火加減、米の水分量、卵の撹拌速度。全て計算し尽くしているの。食べてみなさい」
ヴァルゴは震える手でスプーンを取り、口に入れた。
「……っ!?」
彼の目から涙が溢れた。
「温かい……。懐かしい味がする……。ああ、私は何を間違っていたのだ。料理とは、見た目ではなく、食べる人を温めるものだったのか……」
ヴァルゴは床に手をつき、私に向かって頭を下げた。
「参りました……! セシリア様、いや、師匠! どうか私に、この『オムライス』の作り方を教えてください!」
厨房の弟子たちも一斉に頭を下げる。
「師匠! お願いします!」
「……はぁ」
私はため息をついた。
面倒なことになったが、まあ、敵対されるよりはマシか。
「いいわよ。その代わり、私の指示には絶対服従。いいわね?」
「はいぃぃっ!!」
こうして、私は帝城到着初日にして、宮廷料理長を軍門に降し、厨房の実権を掌握したのである。
「セシリア」
満足げに口元を拭ったアレクが、私の腰を抱き寄せた。
「最高だった。これを毎日食べられる俺は、世界一の幸せ者だ。……やはり、即位パーティーの料理も君に任せたい」
「即位パーティー?」
「ああ。近々、各国から来賓を招いての大々的な披露目がある。そこで君の料理を出せば、我が帝国の食文化が未開だなどと、誰にも言わせないはずだ」
アレクの瞳には、強い信頼と野望が宿っていた。
なるほど、外交という名の『飯テロ』を仕掛けるつもりね。
「わかったわ。その代わり、手伝いはハンスさんだけじゃ足りないから、ヴァルゴたちも扱き使うわよ」
「好きにしてくれ。君こそが、この城の真の支配者だ」
アレクは皆が見ている前で、私の手の甲に恭しくキスを落とした。
厨房から黄色い歓声(とハンスさんの胃もたれしそうな顔)が上がる。
こうして、帝国の食卓改革は順調な滑り出しを見せた。
だが、その即位パーティーに、因縁の相手――私を追放した王国の元婚約者たちが招待されていることを、私はまだ知らなかった。
キッチンには、甘い卵の香りと、勝利の余韻が漂っていた。




