第4話 殺気立つ騎士と黄金色の唐揚げ
昨夜の豪雨が嘘のように、森は清々しい晴天に恵まれた。
濡れた木々が朝日に輝き、空気は澄み渡っている。
そんな爽やかな昼下がり、私たちはまたしても食欲との戦いを繰り広げていた。
「セシリア、今日の昼飯はなんだ? 朝からタレに漬け込んでいただろう。あの匂いだけで白飯が食えそうだ」
アレクがソワソワと私の手元を覗き込む。
彼の視線の先にあるのは、ボウル一杯に漬け込まれた鶏肉――正確には、この辺りの森で狩った『フォレスト・コカトリス』の腿肉だ。
「今日は揚げ物よ。みんな大好き、鶏の唐揚げ」
「唐揚げ……!」
アレクがごくりと喉を鳴らす。
コカトリスの肉は弾力があり、噛めば噛むほど濃厚な旨味が溢れ出る。
それを生姜、ニンニク、醤油、そして隠し味の『リンゴ酒』をブレンドした特製ダレに一晩漬け込んでおいたのだ。
「揚げるわよ。跳ねるから少し下がってて」
私は焚き火にかけた深鍋の油温度を確認する。
菜箸を入れると、シュワシュワと細かい泡が立つ。適温だ。
片栗粉をたっぷりまぶした肉を、一つずつ油の中へ滑らせていく。
ジュワアアアアアッ!!
鍋底から湧き上がるような重低音が響き、白い泡が肉を包み込む。
瞬く間に、醤油とニンニクが焦げる香ばしい匂いが爆発的に広がった。
「うおぉ……。いい音だ。昨日のアヒージョも良かったが、この音はまた格別だな」
アレクが涎を拭うような仕草で鍋を見つめる。
肉の表面が徐々にきつね色に染まり、衣がカリッと固まっていく。
私は一度取り出し、少し休ませてから、高温の油で二度揚げをした。
これで外はカリカリ、中はジューシーに仕上がる。
「はい、揚がったわよ」
ザルに引き上げ、油を切る。
カラコロと乾いた音が、衣のサクサク具合を証明している。
黄金色に輝く唐揚げの山。これを見て理性を保てる人間などいないだろう。
その時だった。
「――見つけたぞ!!」
突如、森の静寂を切り裂くような怒号が響いた。
茂みをかき分け、銀色の鎧を纏った騎士が飛び出してくる。
手には抜き身の剣。その切っ先は、真っ直ぐに私たち――正確にはアレクの方に向けられていた。
「貴様ら! 我が主君を誘拐し、たぶらかした罪は万死に値する!」
殺気立った騎士は、鋭い眼光で私を睨みつけた。
整った顔立ちだが、眉間のシワが深い苦労人風の男だ。
「ハ、ハンス!?」
アレクが素っ頓狂な声を上げて立ち上がる。
どうやら知り合いらしい。
「陛下! ご無事ですか! 今すぐにこの女狐を斬り捨ててお助けします!」
「待てハンス! 剣を収めろ! 彼女は誘拐犯などでは……!」
「騙されてはいけません! その女、何か怪しい術を使っているに違いありません。でなければ、陛下が数日も帰還されないなどあり得ない!」
ハンスと呼ばれた騎士は聞く耳を持たず、私に向かって踏み込んできた。
殺気十分。問答無用で斬りかかってくる気配だ。
アレクが私を庇おうと動く。
だが、それより速く、私は動いた。
【時空収納】から取り出した『何か』を、箸でつまみ上げる。
「問答無用なんて野暮ね。話は聞くから、まずはこれを食べなさい!」
私はハンスの口元めがけて、揚げたて熱々の唐揚げを一つ放り投げた。
「なっ、暗器か!?」
ハンスは反射的に剣で払おうとしたが、あまりに良い匂いに反応が遅れた。
そしてあろうことか、飛んできた唐揚げをパクりと口で受け止めてしまったのだ。
さすがは騎士、動体視力がいい。
「んぐっ!?」
「噛んで!」
私の命令に、彼は条件反射で咀嚼した。
カリッ、ザクッ。
森に小気味良い音が響く。
そして次の瞬間、ハンスの動きがピタリと止まった。
口の中に広がるのは、カリカリの衣を突き破って溢れ出る、熱々の肉汁。
ニンニクと醤油のパンチが効いた味付けが、疲労した体に直撃する。
「……ッ!!」
ハンスの瞳孔が開いた。
剣を持った手がだらりと下がる。
彼は口の中の物体を必死に味わい、飲み込み、そして信じられないものを見る目で私を見た。
「……なんだ、これは」
「コカトリスの唐揚げよ」
私はすかさず、もう一つの唐揚げを箸でつまんで差し出した。
「怒るのもいいけど、せっかくの揚げたてが冷めちゃうわ。もう一つどう?」
「……い、いや、私は敵の手料理など……」
「宮廷料理より美味いぞ」
横からアレクが口を挟んだ。
「ハンス、これは命令だ。食え。食えばわかる」
「へ、陛下?」
主君の命令とあっては逆らえないらしい。
ハンスは恐る恐る口を開けた。
私は容赦なく唐揚げを放り込む。
モグモグ、カリッ、ジュワッ。
「……美味い」
ハンスの目から殺気が消え、代わりに感動の涙が滲んだ。
「外側は岩のように香ばしいのに、中は雲のように柔らかい……。それに、この味付けはどうだ。一度食べたら忘れられない中毒性がある……!」
「でしょ? 揚げ物にはこれが合うのよ」
私は氷をたっぷり入れたグラスに、琥珀色のウィスキーと強炭酸水を注いだ『ハイボール』を二つ作り、アレクとハンスに手渡した。
「はい、ハイボール。脂っこい口の中をさっぱりさせてくれるわよ」
ハンスは呆然としながらグラスを受け取り、一口飲んだ。
炭酸の刺激と爽快な喉越しに、彼はまたしても目を見開いた。
「……これは、魔法の水か?」
「ふふ、気に入ってくれたみたいね」
気がつけば、私たちは三人で焚き火を囲んでいた。
ハンスは完全に餌付けされ、夢中で唐揚げとハイボールを往復している。
「いやはや、申し訳ありません。てっきり陛下が悪徳商人に騙されているのかと……。まさか、こんな素晴らしい料理人とご一緒だったとは」
ハンスは唐揚げを頬張りながら、しきりに恐縮している。
どうやら彼はアレク――皇帝陛下の側近兼騎士団長らしい。
陛下がいなくなったことで城は大騒ぎになり、必死の捜索の末にここへ辿り着いたとか。
「うむ。ハンスよ、わかったら私の邪魔をするな。私はまだ帰りたくない」
アレクが不満げに言う。
その手には、山盛りの唐揚げが確保された皿がある。
「しかし陛下、政務が山積みです。それに、これ以上ここにいては……」
ハンスが私の揚げたての唐揚げに手を伸ばそうとした、その時だ。
パシッ。
アレクがハンスの手を叩き落とした。
「……アレク?」
「ハンス、食いすぎだ。それはセシリアが俺のために揚げたものだ」
アレクはハンスを睨みつけ、自分の皿を抱え込むようにして守った。
その目は、完全に獲物を取られまいとする野獣のそれだ。
「へ、陛下? まだ大皿に沢山ありますが……」
「ダメだ。セシリアの手料理を他の男が美味そうに食っているのを見るのは、どうも気に食わん」
「えぇ……」
理不尽な主君の言動に、ハンスは困惑の表情を浮かべる。
私は思わず吹き出してしまった。
「なによそれ、子供みたい。ハンスさんの分もちゃんとあるから、仲良く食べなさい」
私は新しく揚げた唐揚げを追加で大皿に盛った。
「ほら、揚げたてよ」
「……セシリアがそう言うなら」
アレクは渋々といった様子でハンスへの威嚇を解いたが、それでも私とハンスの間に割り込むように座り直した。
そして、私に向けてだけ甘えたような顔を見せる。
「セシリア、俺のグラスが空いた。もう一杯作ってくれ」
「はいはい」
どうやらこの皇帝陛下、独占欲がかなり強いらしい。
ハンスはそんな主君の姿を見て、驚きつつも何かを悟ったように小さく頷いた。
「……なるほど。陛下がこれほど執着されるとは。これは連れ戻すよりも、いっそ……」
ハンスの独り言は、唐揚げを齧る音にかき消されて聞こえなかった。
こうして、側近ハンスを加えた私たちの宴は、唐揚げの山が消滅するまで続いたのである。
ハイボールの酔いも手伝って、ハンスが実は苦労人であることや、帝国の食事が本当に酷い(パンで釘が打てるレベル)という話で大いに盛り上がった。
だが、この賑やかな時間が、嵐の前の静けさであることを私たちはまだ知らなかった。
森の奥深くで、地面を揺らす巨大な影が蠢いていることに。




