第10話 二人きりのバーベキューと、未来への約束
喧騒と熱狂、そして甘いチョコレートの香りに包まれた即位記念パーティーが、ようやく幕を下ろした。
ギルバート殿下と聖女リナは、その後すぐに王国へ強制送還されたらしい。
「帝国の食文化を侮辱した罪」という、外交上もっとも恥ずかしい理由をつけられて。
美味しいものを知ってしまった彼らが、味の薄い王国の食事に耐えられるのか。あるいは、優秀な料理人を失った王国がどう衰退していくのか。
それはもう、私の知ったことではない。
私は今、もっと重要なミッションに向き合っていた。
「……ふぅ。やっと二人きりになれたな」
帝城の最上階。
夜風が心地よい広大なバルコニーで、アレクが重厚なマントを脱ぎ捨て、大きく息を吐いた。
眼下には帝都の夜景が広がっているが、私たちの関心はそこにはない。
「お疲れ様、アレク。随分とかっこよかったわよ、魔王様?」
「茶化すな。……それよりセシリア、腹が減った」
「あれだけパーティーでガトーショコラを食べたのに?」
「甘いものは別腹だし、緊張で消化してしまった。それに、俺が本当に食べたいのは、着飾った料理じゃない」
アレクはネクタイを緩め、私の隣に座り込む。
その表情は、皇帝の仮面を脱ぎ捨てた、出会った頃の「腹ペコの冒険者」そのものだった。
「わかったわ。じゃあ、打ち上げと粋ましょうか」
私はニヤリと笑い、虚空に手をかざした。
【時空収納】、オープン。
取り出したのは、使い慣れた無骨な焚き火台と、炭。
そして、この日のために熟成させておいた、とっておきの食材たちだ。
「ここでやるのか? 城のバルコニーで?」
「いいじゃない。誰に気兼ねすることもないわ。これこそが、私たちの原点でしょう?」
私は手際よく炭に火を熾した。
パチパチという音が、静かな夜に響く。
堅苦しいシャンデリアの光よりも、この揺らめく赤い炎の方が、今の私たちにはお似合いだ。
今日のメインディッシュは、奮発した最高級品。
帝国の北、氷雪地帯に眠る伝説の食材――『エンシェント・ドラゴンのテール肉』だ。
アレクが自ら討伐し、私が下処理をして寝かせておいたものである。
「ドラゴンを食らう皇帝……か。悪くない」
アレクが喉を鳴らす。
厚さ二センチほどの輪切りにしたテール肉を、網の上に置く。
ジュワァァァァァァァッ!!
重低音と共に、濃厚な煙が立ち上る。
ドラゴンの肉は、牛よりも脂の融点が低く、それでいて旨味が凝縮されている。
網に落ちた脂が炭で燻され、野性味あふれる香ばしさがバルコニーに充満した。
「ああ、いい匂いだ……。これだよ、俺が求めていたのは」
アレクがうっとりと煙を吸い込む。
私はトングで肉をひっくり返す。
表面はカリッと焦げ目がつき、内側からは肉汁がふつふつと湧き出している。
味付けはシンプルに、岩塩とブラックペッパーのみ。素材の味で勝負だ。
「はい、焼けたわよ」
皿など使わない。
焼きたての肉をトングで挟み、そのままアレクの口元へ運ぶ。
行儀が悪い? 知ったことか。今はこれが一番美味しい食べ方なのだ。
「あーん」
「……あーん」
アレクは大きな口を開け、熱々のテール肉に食らいついた。
ガブッ、ジュワッ。
「んんっ……!!」
彼は目を閉じ、何度も何度も咀嚼する。
「……凄い。弾力があるのに、噛むと繊維がほどけていく。脂が甘い……いや、甘美だ。生命そのものを食らっているような力が湧いてくる」
「ドラゴンの肉は滋養強壮にいいからね。『竜の力』を持つあなたにはぴったりよ」
私も一切れ、自分の口に放り込む。
口いっぱいに広がる脂の旨味と、炭火の香り。
噛み締めるたびに、今日一日の疲れが吹き飛んでいくようだ。
「……美味い」
二人同時に呟き、顔を見合わせて笑った。
続いて網に乗せたのは、色鮮やかな『レインボーパプリカ』と、極太の『キングアスパラガス』。
肉の合間に食べる焼き野菜の甘さは、また格別だ。
「お酒も開けましょうか」
私は収納の奥底から、年代物のボトルを取り出した。
『スターナイト・ヴィンテージ』。
星の光を浴びて育った葡萄で作られた、深い藍色の赤ワインだ。
グラスに注ぐと、夜空を映したように液体が煌めく。
「乾杯しましょう。あなたの即位と、私たちの新しい門出に」
「ああ。……乾杯」
チン、と澄んだ音が鳴る。
芳醇な香りを楽しみながら、ワインを口に含む。
重厚なボディと渋みが、脂っこくなった口の中を洗い流し、余韻だけを残していく。
「……ふぅ」
アレクはグラスを傾けながら、夜景に視線を移した。
「セシリア。君と出会って、俺の世界は変わった」
静かな声だった。
「それまでは、食事なんてただの燃料補給だった。味もしない、色もない、ただ生きるための作業。……だが、君が作る飯は違った」
彼は私の方を向き、真剣な瞳で見つめてくる。
「温かくて、色鮮やかで、驚きがあって……何より、君が楽しそうに作っている姿を見るのが好きだ。俺は、君の料理に救われたんだ」
「……大袈裟よ」
照れくさくて、私はワインをあおった。
「私はただ、自分が美味しいものを食べたかっただけ。ついでにあなたを餌付けしただけよ」
「その『ついで』が、俺の全てを変えた」
アレクが手を伸ばし、私の頬に触れる。
その指先は少し荒れていて、でもとても温かい。
「パーティーでも言ったが、改めて言わせてくれ。……俺の皇后になってほしい。この国の食文化を変えるには、君の力が必要だ。いや、そんな理屈はどうでもいい」
彼は少しだけ顔を近づけ、吐息がかかる距離で囁いた。
「俺が、君を手放したくないんだ。毎朝、君と同じものを食べて、同じものを見て、歳をとりたい」
直球で、飾らない言葉。
第一話で、泥だらけでステーキを食べていた彼と変わらない、純粋な想い。
私は微笑み、彼の手の上に自分の手を重ねた。
「……ふふ。大変よ? 私、公務よりも厨房に立つ時間を優先するかもしれないわよ?」
「構わん。厨房ごと執務室の隣に増築しよう」
「食材探しで、また勝手に遠征するかもしれないわ」
「その時は俺もついていく。護衛兼、味見役としてな」
「食費だって、王国の比じゃないくらいかかるわよ」
「帝国全土の財産をかけても、君を満足させてみせる」
ああ、もう。
この男には敵わない。
ここまで言われて、頷かない女がいるだろうか。
「……わかったわ。謹んでお受けします、陛下」
私が答えると、アレクの顔がパァッと輝いた。
大型犬が尻尾を振るのが幻視できるほどの喜びようだ。
「ただし!」
私は人差し指を立てて、彼の鼻先に突きつけた。
「私が皇后になるからには、この国を『美食大国』に改造するわよ。不味いパンも、泥みたいなスープも撲滅。国民全員が、美味しいものを食べて笑顔になれる国にする。……協力してくれるわね?」
「ああ、もちろんだ。君の望むままに」
アレクは愛おしそうに私の指を握り、そのまま引き寄せた。
「契約成立だな」
そして、優しいキスが降ってきた。
ドラゴンの肉と、赤ワインの味。
そして何よりも甘い、愛の味がした。
夜風が、炭火の匂いと二人の誓いを乗せて、帝都の空へと舞い上がっていく。
かつて「可愛げがない」と追放された悪役令嬢は今、隣国の皇帝に溺愛され、国一番の幸せ者となった。
これから始まるのは、メシマズ帝国を改革するドタバタな日々か、それとも甘々な新婚生活か。
どちらにせよ、私たちの食卓には、いつも温かい料理と笑顔があることだろう。
「さて、アレク。締めは『焼きおにぎり』よ。お醤油の焦げる匂い、たまらないわよ?」
「……セシリア、愛している」
「はいはい、わかったから。早く食べないと焦げるわよ」
私たちの美味しい旅は、まだ始まったばかりだ。
さあ、召し上がれ。
(完)
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