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『追放令嬢はソロキャン中! ~森で極上ステーキを焼いていたら、匂いに釣られた皇帝陛下(遭難中)に求婚されました~』  作者: 月雅


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第1話 追放されたので、森で最高の一杯を

パチパチと爆ぜる焚き火の音が、静寂に包まれた森の中に心地よく響く。

夕闇が濃くなり始め、空には一番星が輝きだしていた。


私は手近な切り株に腰掛け、大きく伸びをする。


「……ふぅ。やっと一人になれた」


私の名前はセシリア・ローズブレイド。

つい数時間前まで、この国の公爵令嬢であり、王太子の婚約者だった女だ。

そして今は、聖女を害したという無実の罪を着せられ、国外追放処分を受けた身でもある。


ドレスも宝石も、身分証さえも取り上げられ、着の身着のままで国境の森に放り出されたわけだが――。


「最高の気分だわ」


私は誰もいない森に向かって、艶然と微笑んだ。

負け惜しみではない。本心だ。

堅苦しい王妃教育、味の薄い健康食ばかりの宮廷料理、そして私の顔色ばかり窺う婚約者。すべてにうんざりしていたのだ。


私は虚空に手をかざし、愛用している固有スキル【時空収納】を発動させる。

亜空間の裂け目から取り出したのは、愛用のミスリル製スキレットと、キンキンに冷えた『ドワーフ印のラガーエール』だ。

この収納スキルには時間停止機能がついている。いつ入れても、取り出すときは入れた瞬間の鮮度と温度を保てる優れものだ。


王宮の連中は、私がこのスキルでこっそり食料やキャンプ道具、そして大量のお酒を持ち出していることなど夢にも思っていないだろう。


「さて、まずは乾杯といきますか」


栓を抜くと、シュワッという軽快な音が鳴る。

瓶の口をそのまま唇にあて、喉を鳴らして黄金色の液体を流し込んだ。


ごきゅっ、ごきゅっ、ぷはぁ!


「んんっ、美味しい……!」


冷たい炭酸が乾いた喉を駆け抜け、麦の香ばしさとホップの苦味が口いっぱいに広がる。

自由の味がした。

これからは誰に気兼ねすることなく、好きなものを食べ、好きなだけ飲んで生きていくのだ。


食前酒で胃を刺激したところで、本日のメインディッシュに取り掛かることにしよう。


収納から取り出したのは、厚さ三センチはあろうかという巨大な肉塊だ。

これは『ロックバイソン』のサーロイン。

岩山に生息するこの魔獣は、凶暴だがその肉質は極上だ。赤身には濃厚な旨味が詰まり、適度に入ったサシは熱を通すと甘くとろける。


「今日はシンプルに、ガーリックバター醤油でいきましょう」


焚き火の上に五徳を置き、十分に熱したスキレットへ、まずは牛脂を馴染ませる。

白い煙がうっすらと立ち上り、準備が整った合図を送ってくる。


私は塩と胡椒を強めに振った肉塊を、躊躇なく鉄板の上へと滑らせた。


ジュウゥゥゥゥゥゥ――ッ!!


森の静寂を切り裂くような、激しくも食欲をそそる音が響き渡る。

肉の表面が焼ける香ばしい匂いが、瞬く間に周囲へ拡散していく。


「いい音……」


トングで肉の端を持ち上げ、焼き色を確認する。完璧な狐色だ。

裏返すと再び、ジュワァッという官能的な音が耳をくすぐる。

肉汁を閉じ込めるように表面を焼き固め、中はレア気味に仕上げるのが私流だ。


仕上げに、香り付けのスライスガーリックとバターを投入する。

バターが溶けて泡立ち、ニンニクの香りと混ざり合って黄金色のソースへと変化していく。

最後に醤油をひと回し。

焦げた醤油の香りが爆発的に広がり、それはもう暴力的なまでの食欲への誘惑となった。


「よし、完成」


皿に盛り付けるのももどかしい。

焼き立ての熱々を、ナイフで一口大に切り分ける。

断面は美しいロゼ色。溢れ出る肉汁が、溶けたガーリックバターと混ざり合って艶やかに輝いている。


フォークで突き刺し、口へと運ぼうとした、その時だった。


ガサガサッ!


背後の茂みが激しく揺れた。

私は瞬時に肉を載せたフォークを置き、代わりに護身用のナイフを構える。

熊か、それとも魔獣か。


「……う、うぅ……」


茂みから這い出してきたのは、獣ではなかった。

人間だ。それも、かなり大柄な男性。


ボロボロの黒いマントを羽織り、腰には立派な長剣を佩いている。

黒髪は泥と汗で汚れ、精悍な顔立ちは青白く憔悴しきっていた。

左腕からは血が滴っており、酷い怪我をしているようだ。


追手だろうか? いや、王国の騎士団の鎧ではない。

冒険者だろうか。


彼はふらふらとした足取りで私の方へ数歩近づくと、虚ろな金色の瞳で私――ではなく、スキレットの上の肉を凝視した。


「……いい、匂いだ……」


ドサッ。


男は糸が切れたように、その場に崩れ落ちた。


「ちょっと!?」


慌てて駆け寄る。

脈を確認すると、弱々しいが動いている。

呼吸も荒いが、死んではいないようだ。

失血と疲労、それに何より――。


ぐぅぅぅぅぅぅ……。


男の腹が、雷のような音を立てた。

なるほど。


「お腹が空いて倒れたのね」


呆れると同時に、少しだけ同情が湧いた。

こんな森の中で行き倒れるなんて、よほどの事情があるのだろう。

それに、せっかくの料理が冷めてしまう。


私は男の体を揺すった。


「もしもし、生きてる? ご飯、食べる?」


「……めし……」


男がうっすらと瞼を開けた。

金色の瞳が、獲物を狙う獣のように鋭く光る。


「食う……食わせて、くれ……」


「はいはい。今準備するから、ちょっと待ってて」


私は彼の上体を抱え起こし、切り株に背中を預けさせた。

近くで見ると、驚くほど整った顔立ちをしている。

目つきは鋭く、頬には小さな古傷があり、いかにも「コワモテ」といった風貌だが、どこか大型犬のような雰囲気もある。


私は切り分けたロックバイソンのステーキを皿に取り、フォークを添えて彼に渡した。


「熱いから気をつけてね。ロックバイソンのステーキよ」


「肉……」


彼は震える手で皿を受け取ると、フォークも使わずに手づかみで肉を口に運ぼうとした。

よほど飢えているらしい。


「待って、手で食べたら火傷するわよ」


私は仕方なく、彼の代わりにフォークで肉を刺し、口元へ運んでやった。


「ほら、あーん」


男は一瞬、戸惑ったように私を見たが、肉の匂いに抗えなかったらしい。

大きな口を開け、肉を頬張った。


もぐ、もぐ。


租借するたびに、彼の表情が劇的に変化していく。

最初は驚きに見開かれ、次に陶酔したように細められ、最後には――。


ポロポロと、大粒の涙が溢れ出した。


「えっ、ちょっと!? 辛かった? それとも熱すぎた?」


私が慌てると、彼は首を横に振った。

口の中の肉を大切そうに飲み込み、掠れた声で呟く。


「……美味い。……美味すぎる……」


「あ、そう」


「肉が、こんなに柔らかくて……脂が甘いなんて……。それに、この味付けはなんだ。身体の芯まで染み渡るようだ……」


大の男がボロボロと泣きながら、必死に訴えてくる。

よほど不味いものしか食べてこなかったのだろうか。それとも極度の空腹が良いスパイスになっただけか。

どちらにせよ、料理人として――正確には趣味の料理愛好家として、これほど嬉しい反応はない。


「まだあるわよ。ほら」


私は次々と肉を切り分け、彼の口へ運んだ。

彼は雛鳥のように素直に口を開け、猛烈な勢いで平らげていく。

厚切りステーキ一枚があっという間に消えた。


「……足りない」


彼は空になった皿を見つめ、懇願するように私を見た。


「もっと、ないか? 金なら払う。いくらでも払う。だから、もっと食わせてくれ」


その必死な形相に、私は思わず吹き出しそうになった。

コワモテの剣士が、餌をねだる犬に見えて仕方がない。


「お金はいらないわ。どうせ一人じゃ食べきれないほど持ってるし」


私は再び収納魔法を発動させ、追加の肉と、作り置きしていた野菜の付け合わせを取り出した。

ついでに、もう一本のラガーエールも。


「怪我人にお酒はどうかと思うけど、景気付けに一杯どう?」


「……酒まであるのか。あんた、女神か?」


「ただの通りすがりの元公爵令嬢よ」


私は彼に新しい皿とビール瓶を持たせた。

彼は瓶を受け取ると、私を真似て豪快に煽った。


「――っ!?」


冷たさと炭酸の刺激に目を見開き、そして深く息を吐く。


「……生き返った。こんなに美味い酒は、帝国の宮廷でも飲んだことがない」


「ふーん。あなた、帝国の兵士さん?」


隣国のヴァルドリア帝国は、武力に優れた国だが、土地が痩せていて食文化が壊滅的だと聞く。

「茹ですぎて泥になったパスタ」や「ゴムのようなパン」が主食だという噂は、あながち嘘ではないのかもしれない。


「……まあ、似たようなものだ。俺の名はアレク。冒険者稼業をやっている」


男――アレクは少し言葉を濁しながら名乗った。

嘘をついている気配がするが、深く詮索するのは野暮というものだろう。

誰にだって事情はある。私にだってあるように。


「私はセシリア。今はただの無職よ」


「セシリア……。恩に着る」


アレクは私の名前を噛み締めるように呟くと、二枚目のステーキにかぶりついた。

今度は自分でフォークを使っているが、その手つきはどこか洗練されており、育ちの良さを隠しきれていない。

やはりただの冒険者ではないな、と私は確信した。


けれど、今はどうでもいい。

誰かと囲む食卓は、一人で食べるよりもずっと食が進む。


「じゃあ、アレク。出会いに乾杯」


私は自分のビール瓶を掲げた。

彼は口元にソースをつけたまま、真剣な顔で自分の瓶をカチンとぶつけてきた。


「ああ。……あんたに会えてよかった」


その言葉には、単なる空腹満たし以上の、重く熱い響きが含まれていた。

焚き火の明かりに照らされた彼の金色の瞳が、じっと私を見つめている。


胃袋を掴んだ自覚はあったが、まさかこの一食が、私の運命を大きく変えることになるとは。

この時の私は、まだ知る由もなかったのだ。


夜風が、香ばしい肉の匂いを乗せて森の奥へと運んでいった。


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