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だから、嘘を

作者: ねこきち

続編?はブログの方で公開中です(数話に分けます)。

頂き物のイラストも下にリンクさせて頂きました!






 とりあえずビール、いつものように声を揃えて居酒屋の店員に注文して置かれた水を一口飲んで同時に息を吐き出す。

この恒例行事はすでに卒業した大学時代から続いていた。 

いい年頃の男女が月数回こうして会ってそれが数年も続いているなどと言ったら、まあ大概の人はそのまま付き合っちゃえよと思うだろう、向こうだって全く気がない訳はないと言うだろう。

 ところがどっこい。

私の今目の前にいる長年の友人は確かに私の長年の片思い相手ではあったが、どこをどうしても私とそんな関係になる事はない男なのだ。

何せ彼はゲイなんだから――いい男なのに、女にとっては詐欺みたいなもんだ。

 私がその話を聞いたのは大学三年の頃だったか……、今まで相当モテる矢神が彼女を連れ歩く事もなかったのはそういう訳だったのかと、当時すでに片思いしていた私は絶望のどん底に突き落とされた。

その頃の私は自棄になった、他の女を一切近寄らせないくせに私だけは友人として傍に置く矢神に期待していた分……耐え切れなくて。

 彼を忘れる為に遊びまくってそれでも忘れられなくて、その内声をかけて来る男の全てが鬱陶しくなって、私はレズビアンだからと追い払うようになった。

それでも矢神の傍を離れたくなくて口実にしたのかもしれない。

 矢神が自分から私に同性愛者だと打ち明けた事はないが、多分私が知っているとわかっているだろう。

以前矢神の口から私が同性愛者なのかと尋ねられた時に頷いた時も彼は驚いて見せたりはしなかったから。

 そうして私は自分も「同じ」だから安心して傍に置いてと言うように、矢神もそれを理解するように、私達はお互いに友情以外の感情を持たない友人と暗黙の了解で一緒に居続けている。

 ……正直馬鹿な事をしていると思わないでもない。

矢神はある時期を境に一定以上酔いが回ると「好きな子」の事をよく口にするようになった。

可愛い可愛いと連呼するから、もしかしたら十代の男の子なのかもしれない……矢神の男の趣味なんて聞きたくもないけど。

 もし矢神がゲイでなかったのだとしてもそんな可愛い子が好きなら、やっぱり私の出番はなかったなと笑うしかない。

私も自分で言うのも何だが矢神に負けず劣らずモテると思う、矢神を忘れる為に自棄になっていた時も相手を探すのに苦労はしなかった、けれどその誰もが私を「綺麗」だとか「色っぽい」だとかは言ったけど一人も「可愛い」なんて言ってくれた事はなかったから。

両親が共働きでおまけに五つ下の弟がいたから、幼い頃から甘えるとか言うのが苦手で性格もお世辞にだって可愛いとは言い難い、精々「見た目と違ってしっかりしている」なんて言われる程度。

どうあっても矢神の友人以上にはなれないのが悔しくて、私も習うように酔った矢神に向かって「好きな人」の事を話す。

 格好よくて、ちょっと照れ屋で義理堅くて、私に優しくするから諦める事が出来ない……私を好きにならない、私の好きな人。

多分正気半分でそれを聞きながら、矢神は私の好きな人はノンケなのだと思ってるんだろう。

 食事とビールを交互に口にしながら早速酔いの回った少し赤い顔で、矢神はじっと私を見た。

その、私を見る目が好きなのだと――きっと一生経っても言えやしないに違いない。

「……告白とか、しないのか?お前なら、きっと大丈夫だと思う、俺が保証するよ」

 あんたが言うから余計に信憑性がないのよ、とはやっぱり言えない。

私はそれに決まって首を横に振る、だって友達としても傍にいられなくなるなんて嫌だ、それくらいならもう死ぬまで片思いのままでいい。

「そういう矢神だって、なんで告白しないのよ。あんたなら落ちない奴なんていないわよ」

 そう、どうせそのカワイイ男の子だって、矢神に迫れれば悪い気はしないはずだ。

実際矢神はノンケの男に告白された事だってあるらしい、……矢神は今思い人の事しか考えられないと断ったそうだけど。

 そういえば矢神のこんな話は皆人伝に聞いてばかりだ。

矢神は大学卒業と同時に実家であるバーを継いでバーテンダーをやっている、ゲイバーにでもするつもりかと思えば、むしろ女性向のバーで店員も二人除いて全員女性だ。

私以外で唯一親しい彼の二つ下の妹が私の矢神の情報源。

 多分矢神はその妙に一本気な性格から、却って恋愛対象になり得る男性ばかりの職場とはしなかったんだろう、幾ら周囲に群がる女性に言い寄られてもゲイだと言えば大半はさっさと諦める。

私にとっていいような、そうでもないような。

 この思いが逆立ちしても報われないなら、いっそカワイイ男の子とでもくっ付いて幸せ一杯になればいいのにとヤケクソにそう思う。

片思いがどれだけ苦しいか知っているから、せめて矢神が愛する相手と幸せになればいいって。

 だって女の私より、その気のない男の方がずっとずっと可能性があるんだから。

「だって無理なんだ、俺を恋愛対象になんか見てないのは嫌ってほどわかってる」

「そんなのわかんないじゃない。可愛くていい子なんでしょ?あんたの気持ちを知って貰えれば、真剣に向き合ってくれるわよ」

 本当にこっちこそ嫌ってほど聞かされた。

素直でいい子で笑うと本当に可愛くて、その笑顔を見ると自分まで嬉しくなって、誰にも渡さないように……抱き締めてしまいたくなるって。

 きっとそれは私には微塵も感じない性欲が混じっているんだろう。

羨ましい、身が焦げるほどそう思う、そんな私はその子と違って可愛くもいい子でもない。

男にだって決してモテない訳じゃないくせに、その可愛い子に対してはオロオロしちゃってるんだろうかと、ふと微笑ましくなった。

「……由香利の好きな奴は?由香利の話を聞いてると、俺にはそいつこそ由香利の事好きなんだって思える」

「まっさか」

 相当酔いが回って来たのか、矢神はさっきよりも赤い顔になってそう言った。

それがまたなんか可愛くて、私は笑った。

「ていうか、そろそろ帰る?矢神顔真っ赤だよ」

「……最近疲れてるから酔いが早いのかも」

「大丈夫?帰れる?」

「…………ちょっと、無理そう……」

 立ち上がろうとした矢神はフラついて大きく息を吐き出すとテーブルに突っ伏した。

バーテンだけあってそこそこ酒には強い矢神がこんな風にするのは初めてで、私は慌てて隣に駆け寄って矢神の額に冷たいお絞りを当てる。

「悪い、……」

「いいよ、どうせ週末だし。今タクシー呼ぶから、送ってくよ」

 心配だから、なんて言えないのが私だ……本当にちっとも可愛くない。

 幸いここから矢神のマンションはそう遠くない、そこから私のアパートまでは距離があるけど……さっさと矢神を寝かし付ければ終電ギリギリ間に合うかな。

矢神を送り届けたら出来る限りさっさと帰ろうと思いながら、私は清算をし店の前に来たタクシーに矢神を押し込んだ。






 実はひょっとしたらと思った事があったのだ、私でさえも正確にはいつからか思い出せない頃から片思いし始めた矢神だから、実は実はひょっとしてひょっとしたらその片思いの間の性欲を吐き出す相手がいなくもないのかもしれないなあと。

しかし奴は奴だった、私に惚れ直させてもちっともどうしようもないっていうのに。

 無惨に散らかった部屋はどう考えても友達ですら呼んでいる気配がない、前に一度今みたいにどうしようもなくてこの部屋に来た時と同じ足の踏み場もない部屋だった。

例えばセフレみたいな存在がいたんだとしても、自分の部屋には決して上げたりなんかしないんだ、…………だから私を惚れ直させてどうしろと。

こんな汚い部屋見て惚れ直したとか思ってる私もいい加減痘痕も笑窪だな、なんて恋愛って面倒なんだろ。

 フラフラした足取りの矢神の体をベッドに押し付けてやって、やっと手を離すとほっとする。

向こうは何のやましさすら持ってくれないっていうのに、私が矢神に触れているだけでドキドキする鼓動が恨めしかった。

 さて帰ろうかと私はベッドに大の字になった矢神から踵を返す、こんな所で二人きりでなんていられる訳がない。

だから私は出来る限り矢神の部屋へは近付こうとしなかった。

女に襲われたなんて、矢神にとっちゃ嫌悪の極みもいいとこだろうし。

 うん、そう、何もしないでここにいたら矢神襲っちゃいそうだから、私が。

だからさっさととっとと帰る、帰るったら帰る。

早くしないと終電出ちゃう、ダッシュだダッシュ――と鞄を持ち直そうとした私の手が不意に伸びて来た手に掴まった。

「な、に」

「……着替え、手伝って」

 どうやらジーパンで寝るのがお気に召さないらしいコンチクショウ。

「着替えどこ……」

「タンスの中」

 言われた通り漁る。

「ていうか床に出てるのが全部でタンスに一枚も入ってないじゃない!」

「そー……だっけ」

「もー!」

 私は床に散らばった衣服を掻き集めて洗濯機に突っ込んだ、洗剤と一緒にゴウンゴウン回る洗濯機の音を聞きながら、床に散乱する雑誌やら何やらをこれまた掻き集めて棚やゴミ袋に放り込み、キッチンに積まれた食器を洗いまたしてもゴミ袋にゴミを詰め込み、終わった洗濯物を室内干しして矢神が着る物だけを乾燥機にかけ直し、その間に掃除機をかけ床を拭いて、ほかほかになったTシャツとハーフパンツを大の字になったままの矢神に叩き付けてやる頃には……。

「終電行っちゃったじゃないのよバカー!!」

「うう……大声出すな……。泊まってけばいいだろ」

「どこに寝ろって言うのよ、布団もないくせにっ」

「ここで」

 そう言って自分が寝ているベッドを指差す矢神に、私が思いっきりさっき掃除機をかけたばかりのクッションを叩き付けてやった。

無神経なゲイなんて嫌いだ!……なんでこんなのが好きなんだ私は!

 腹を立てながらもここからタクシーも高くて拾えなくて歩いて帰る気もせず、私はもう一つのクッションを矢神に投げ付けて、干していた大き目のTシャツを乾燥機に突っ込み温めたお風呂に入って盛大に溜息をついた。

ソファで寝るとしても、どうせ眠れる訳がない。

女だって、自分にその気がなくとも好きな男の家に二人でいてぐーすか眠れない、少なくとも私は寝られない。

 お風呂から上がって仕方なく下着をそのまま着け(先に洗えばよかったけど、流石にノーパンで数十分も待っていたくない)、ワンピース並みのTシャツに腕を通して化粧を落とした。

男の家でこれはどうなのってあまりにもあまり過ぎる格好だけど、悔しくも悲しい事に矢神の前じゃどうでもいい感じ。

お約束にこんな格好させて喜んだ男なんて唸るほどいたってのになあ……女って事がすでにセックスアピールが皆無なんていっそ冗談だと言ってよ。

 どうせ眠れないなら適当に部屋を片付けて、朝になったらすぐ食べられるようにご飯の用意でもしてればその内疲労が勝ってなんとか眠れるかも知れない。

よしと気合を入れて洗面所を出ると毛布を一枚持った矢神がソファに寝転んでいて、私は思わずぎくりとする。

「何、寝てなさいよ」

「寝てるよ。俺がこっちで寝るから、由香利がベッド使って」

 使えるかこのバカ。

矢神の匂いが染み付いてるベッドなんて益々眠れないこのバカ。

「今更私に気を遣わないでいいわよ」

「シーツはちゃんと洗ってるから大丈夫」

 そういう事を言いたいんじゃないこのバカ。

 私は無視してキッチンに立つと、適当に冷蔵庫を漁ってスープを作っておく事にした。

生で食べられそうな野菜はないし、スープとパンだけの朝食になるけどこの調子じゃ朝は二日酔いだろうから、まあいいだろう。

作り終わって戻ると矢神はまだ寝転んだまま起きていた。

「どうしたの、まさか具合悪くて眠れない?」

 ここまで悪酔いした矢神を見た事がなくて、仕事で何かあったんだろうかとちょっと不安になる。

疲れているとはいっていたけど、そんなに忙しいんだろうか。

私達の休みが合う月に二回の今日もいつも通り飲んじゃったけど悪かったかも知れない。

 まだ顔が赤い矢神が熱でも出しているんじゃないかと手を伸ばして額に触れると、気持ちよさそうに目が閉じられて思わずパッと手を離してしまう。

目を開けた矢神は少し不満そうに私を見上げた。

「気持ちいいから、もっと触っててよ」

 冗談だろう、このバカ。

「ついでにここもう少し掃除するから、いいからベッドで寝てなさいって」

「いい、あんま眠くない」

「朝二日酔いで死ぬわよ」

「したら由香利が見取って」

 べしりと額を叩いてやれば矢神は蹲って低く唸った。

その腕を引いてもう一度ベッドに押し付けてやると、私の腕が掴まれて一緒になってベッドに転がってしまった。

 ――何事?

「いいから一緒に寝よう。誓って何もしないから」

 別に期待もしてない!期待も出来ないから嫌なんだ!……と叫び出したいのを我慢する内に矢神の腕は私に巻き付いて逃げ道を塞ぐ。

なんだろう、これって俗に言う生殺しって奴?フツーこれって男が体験するもんじゃないの?

 逃げようとしてもがっちり抱き締められて、矢神はさっさと片手でシーツを引き上げ私を抱き枕のようにして寝る体勢に入ってしまう。

 ……うわあ、好きな男に軽く殺意が芽生えたよ今。

虚しい、虚し過ぎる、何が悲しくて長年片思いした男と一緒に寝るという美味しいシチュエーションの中、どうせ手なんか出しもしないくせになんて思わなくちゃならないんだろ。

あれだ、こいつにとって私なんて、犬や猫と一緒だ、一緒に寝たところで欲情一つしない。

あんな事を言ってたって、矢神が何もしないと私がわかってると知っててやってるんだ。

 好きなのに、私は矢神が好きなのに、……矢神だけが好きなのにな。

こんな風に無防備に触れられると、嬉しくて苦しくて、私は矢神を騙してるんだって胸が痛くなる。

好きだから傍にいたい、恋愛対象として意識一つされなくとも、いつか矢神に恋人が出来て幸せそうな顔に心が引き裂かれる事になっても。

 結局自分勝手だ、本当に私はどこまでも可愛くていい子になんてなれそうもない。

私は好きな人を騙す、大嘘吐きだ。






 結局碌に眠れないまま朝薄い睡眠から目を覚ました私は未だ体に矢神の腕が絡み付いているのにちょっとほっとして、その分早く逃げ出さなきゃと焦る。

昨夜よりは緩んでいた腕からなんとかそっと抜け出して、着替えを済ませてから昨夜作っておいたスープを温めた。

その間顔を洗って携帯している歯ブラシで歯を磨いて化粧をして、すぐにでも出て行けるように。

 そんな事をしていたって、もっとこのままここで二人でいたいと思う気持ちがあるのは否定出来ない。

私の悪い癖だ、いつまで経っても勝手に期待してしまう……矢神が私を友人以上として受け入れてくれるんじゃないかって。

 そろそろ矢神を起こそうかと思っていると突然鳴ったチャイムにドキリとしながらも、まさか朝から矢神の友人が訪ねて来るとも思わなくてうっかりそのまま玄関に出てしまった。

「あれ?君誰?」

 開けたドアの向こうに立つ人を見て息を飲んだ私はそのまま呼吸が止まるかと思った。

私より幾分か高い身長の、人懐こそうな笑顔が可愛い男の子……年はわからないが若そうに見える。

 きっとこの子が矢神の思い人なんだろうと、否定したい心より早く頭が冷静に確信した。

「あ……私矢神の友達で、……昨夜矢神が飲み過ぎたから送って来て……」

「あ、そうなんですか!俺矢神先輩の後輩の明石です。今日カクテルの特訓して貰う約束だったんすよ」

「そう、なんだ」

「でも彼女が来てるのにお邪魔したらやっぱ悪いっすよね?」

「や、私矢神とそういう関係じゃないから。約束してたなら上がっていいと思うよ、矢神まだ寝てるけど」

「うーん……じゃ、お邪魔しまーす」

 ――……素直でいい子……聞いていた通りの子だ、間違いない。

朝ご飯にコンビニのお弁当を持参で来たという明石君に出来たばかりのスープを勧めると、見ているこっちまで釣られる笑顔で美味しいと何度も褒めてくれた。

 ああ、わかる、なんだ、矢神ってば目が高いじゃない、そりゃ女でしかも私みたいな可愛くないのじゃ手を出す気にもならない訳だ…………そうか、そうだよね。

「矢神先輩にこんな美人の友達がいたなんて驚きっすよ。そりゃあ先輩も隠す訳だ」

 そういえば明石君はその気がないんだっけ……何か誤解されてる気がするけど、やっぱり明石君は矢神がゲイだって知らないんだろうな。

なんといえばフォローになるのかもわからない、私が言わなくとも矢神への好感度は高そうだし……人の恋愛に他人が口挟むもんじゃないよね。

矢神の為には明石君と二人きりにさせた方がいいんだろうけど、……まだここにいたいって私の気持ちが足を動かさない。

 嫌な女。

「隠してる訳じゃないと思うけど……態々私の事話題に出す必要もないんだし」

「ええー?俺なら貴女みたいな美人が友達だって、すげー自慢しまくるけどなあ」

 私から見れば一応恋敵なんだけど、この子にさえ私って相手にされてない感じがするわ……。

「あ、えっと、名前伺ってもいいですか?」

「え?あ……早田由香利よ」

「いやー、ちょっと矢神先輩心配されてたんすよね。あの人、女嫌いっぽいじゃないですか。店だって売り上げいいから女性向けってやってるようなもんだって言うし、言い寄られてもお客さんにはやんわり断ってるみたいっすけど。従業員だって先輩にコクったら即解雇なんて噂もあるんすよ。でもいい男がいつまでも独り身でいるとこっちに御鉢が回って来ないよなあって。なんだー、由香利さんみたいな人がいるんじゃ、そりゃその辺の女じゃ敵わない訳だよ。俺達後輩の為にも矢神先輩の事よろしくお願いしますね!」

 …………激しく誤解されている……この子いい子だけどちょっと人の話し聞いてないわね。

 それから明石君は矢神の分のスープまで食べる勢いでおかわりをしながら、自分は矢神が講師に出向いている専門学校の生徒なのだと教えてくれた。

その明るく朗らかな様子に嫉妬すら出来ない。

 これが矢神に愛されるに相応しい人なのだと思ったら、ただここにいる自分が酷く惨めなだけだった。

それにこんなにいい子なのだから、出来るならば矢神を彼が思うように好きになって欲しいと思う。

 私が出来ない分、……それも自分勝手な願いだった。

「ていうか、本当に私矢神とはそういうんじゃないの。……私、レズビアンだから」

 目をこれ以上なく真ん丸にさせた明石君が可愛くて、私は思わず笑ってしまった。

「驚いた?」

「お……どろきますよ、そりゃ。ええ?えー?そりゃ勿体無い……」

「勿体無い?」

「男に興味ないって事でしょ?せめて男もいけるなら、俺立候補しようかと思っちゃいましたよ今」

「……気持ち悪くない?同性が好きって」

「いや、まあ、マニア的趣向だと思えば」

「あはは!面白い事言うのね」

「……やっぱ勿体無いなあ、由香利さん……」

 じっと私を見る明石君にちょっと居た堪れなくなった時だった。

「明石!お前、何勝手に人の部屋入ってんだよっ」

 いつの間にか起きて来た矢神が、二日酔いなのか不機嫌そうな顔で私達を見た。

その目に、私は思わずどきりとするも視線が逸らせない。

「ごめん、私が入って貰ったの。明石君、今日矢神と約束してたって……」

「由香利さんは悪くないっすよ、俺がやっぱ出直せばよかったんで」

 揃って言い募ろうとした言葉を矢神が遮った。

「由香利、お前もう帰れ」

 その瞬間から私の耳にはキーンという耳鳴りのような音が届き、他の音は何も聞こえなくなった。

言外に邪魔だと、そう言われたのだけはわかった気がする。

矢神が何か言っていたような気もするけど、私は床に置いていたバッグを引っ掴んでまさに逃げるように矢神の部屋を飛び出した。

 それからどうやって部屋まで帰ったのか覚えていない。

気が付いたらアパートの前に立っていて、管理人さんが水道管が破裂してとか言って、戻った部屋は水浸しで、私は適当に掃除をした後貴重品と何枚かの服と下着をボストンバッグに突っ込んで、五駅先の実家に帰っていた。

ボストンバッグに入っていなかった携帯はアパートに置きっ放しにして来てしまったとか、そんな事も考えないまま。






 実家から大学に通っている弟は突然帰って来た私に仰天したものの、アパートの事情を話すともうずっとこのまま実家にいればいいと言う勢いで私の帰宅を喜んでくれた。

幼い頃は殆ど私に育てられたようなものだった所為か、弟は結構なシスコンだ。

それもあって家を出たけれど、年に数回会うだけになっても弟は弟のままでついほっとしてしまう。

「あんた、今日授業は?」

「午前中だけ。バイトもないし今日はすぐ帰るから。姉ちゃん、何か久しぶりに作ってよ」

 私が育てた所為でこう甘えっ子になってしまったのかと思うとちょっと責任を感じる……。

父親に似て割と強面なこの弟が私の前ではこうだと知ったら彼女はどう思う事やら……友人の前ではクールぶってるみたいだし。

「彼女は?」

「半月前に別れた」

「また?」

「いつもの」

「……はあ。もう、早く行ってらっしゃい」

「昼はハンバーグね。行って来ます!」

 手を振って弟を送り出し、思わずまた溜息が零れてしまった。

弟は「本当に私の事好きなの?」という文句で付き合う彼女達から数ヵ月後には三行半を突き付けられるらしい。

……どこで育て方間違ったのかしら。

 ぽつんと家に取り残されて、私はハンバーグと呟きつつ脱力するようにリビングのソファに沈み込む。

矢神の言葉が頭に蘇って来て、思わず強く目を瞑った。

 矢神は間違ってない、そりゃ誰だって好きな人と朝から一緒にいられるっていうのに邪魔者がいたんじゃさっさと帰れと思う。

別に私自身を邪魔に思ったとかじゃない、それはわかってる。

 でもあの子と並べちゃうと、私にそんな事を言えてしまうくらい好きなんだなあと、まざまざ見せ付けられたようだった。

お前じゃないんだと、言われたに等しかった。

 明石君はいい子だったから、矢神さえ押せば何とかなるんじゃないかな。

ああやって二人で過ごしていけば、明石君もマニア的趣向もいいんじゃないかって思うじゃないかな。

 私一体何考えてたんだろ、幾ら矢神が私を友人と思っていたって、恋人との時間と比べるまでもない。

明石君じゃなくても、いつか矢神に恋人が出来れば、それにくっ付いてる私は邪魔なだけだ。

自分が傍にいたいからって、本当に独り善がりだな私。

 熱くなった目頭を誤魔化そうと、私は立ち上がって冷蔵庫の中を漁った。

矢神に作ったスープより、可愛い弟の為に仰天するほど美味しいハンバーグを作ってやろうと思った。

 ……うん、大概私もブラコンだわ。

ハンドバッグに入れていた手帳を見て会社の友人には一応電話を入れておく事にする。

私のアパート会社に近いから、たまーに泊めてって奴らがアポなしで来るんだ。

『由香利?どったの?愛しのゲイ君とは昨夜何か進展あった?』

 中でも付き合いが深い友人に電話したとたんの第一声に私は肩を落とす。

社内の友人の中では唯一私の片思いの相手の事を知っている人だ。

いい奴だけど……相変わらず歯に衣着せぬというか……。

「進展なし、わかっていたけど自分の立場を痛感した故、今後の接触は絶とうかと検討中。アパートの水道管がどうにかなったとかで、マイルームが水攻めに遭い暫くは実家暮らしと、ご了承のほど」

『了解仕った。つか、何かあった?今更痛感って。相手がゲイだって瞬間に気付けよって感じだけど』

「へえ、ご尤もで。とにかく、そんな訳だから暫くソッコー帰るから、飲みはパスね」

『ああ、実家ちょい離れてんだっけ。災難だったわね、……両方』

「お気遣い痛み入ります」

『まあ、合コンする気になったら言ってよ。参加するだけでも由香利なら人集めにゃバッチリだからさ』

「気が向けばね」

 何度か電話を繰り返して、私は足りない材料を補充すべく近所のスーパーへ出かける事にした。

眠気も疲れもあるだろうに、なんかどこか麻痺しててよくわからなくなってるな。

 自分では意識というか考えなかったけど、さっき自分で言った通り、これからは矢神の傍からは自分から離れた方がいいのかもしれない。

この先私の気持ちが知れないとも限らないし、矢神にしっかりとした恋人が出来ればそれを本当に祝福出来るのかどうかも自分でわからなくなって来た。

 私がどう足掻いてもなれないような可愛い人の隣で幸せそうにする矢神を、私は本当に傍で見続けていられるだろうか。

あんな風に好きな人との扱いの差を受けて、今以上に取り乱さずにいられるだろうか。

……多分、きっと無理だ。

 今までは矢神から好きな人の話を聞いても話だけで目にした事がなかったから現実感が伴わなかったんだ、矢神が今まで付き合ったなんて話も聞かなかったし、私はすっかり今のままで何も変わりがないと思い込んでいた。

矢神の好きな人を実際目にして、漸く……本当に今更これが現実だと気付いた訳だ。

 ホント、バカ過ぎる。

「ただいまっ。姉ちゃん、いる!?」

 買い物を終えてこれでもかとハンバーグを作っていると、弟が元気一杯に帰宅した……なんだか姉が行方不明にでもなるような口調なのはスルー。

「はいはい、いますよ」

「よかった。友達んとことか行かなくていいかんな。通勤が面倒なら、俺が朝車で送るし」

 ……本当にこのままここに引き止められそうだな…………それもいいかなあ。

実家にいれば間違っても矢神とは偶然にも顔を合わす事もないだろうし。

って、もうフェードアウトの体でいってるな私。

 これで仮にも友達だなんてホントよく言えてたよ……ごめんね矢神、でも離れている内にいつか笑って矢神とその恋人におめでとうと心から笑える日が来るかもしれないから。

そうしたら幾ら差を見せ付けられたって、追い出されたって、今度こそ友達として一緒にいられる。

「とりあえず工事が終わるまでの一週間はここにいるわよ。……その間に帰って来るか決めるわ」

「マジで!」

「……あんたはそんなだから彼女と続かないのよ」

「いいよ別に。独身なんて今時珍しくもない」

 ああああああ、そこまで話しを進めるなバカ。

 肩を落としながら食卓にハンバーグを突き出してやると、普段の強面からは想像も出来ない顔で子供のように笑う。

姉の目には贔屓ながら可愛いと思うんだけど、やっぱ彼女としたらシスコンの彼氏などゴメンかなあ。

 それぞれ近況などを話しながら二人でもそもそと昼食を食べる。

私が大学生になって家を出るまで、これが日常の風景だったっけな。

「そういえば姉ちゃん、あいつとまだ会ってんじゃないだろうな」

「あいつ……ああ、矢神?ていうか、あんたまだ矢神を目の敵にしてんの?」

 弟が高校の頃だったか、どうやら付き合った彼女が当時やってたバイト先で矢神を好きになったとかで、しかも私が矢神と友人だと知ってからまるで親の仇のように私に縁を切れと言って来る。

「幾らそれで彼女にフラレたからって、何も矢神が彼女と付き合ったとかじゃないんだから……」

「それはもういいんだよ。そうじゃなくてっ、姉ちゃんはあいつに騙されてんだ。あいつ、すげー冷たく女捨てるって有名なんだぞ!」

「……捨てる、って……矢神、彼女いたの?」

「知らないのか?やっぱ騙されてんだ。中には一週間もしないでポイ捨てされたって奴までいるんだぞ」

「え、……え?」

 嘘だ、だって矢神はゲイで、女に興味がなくて……私は一度だって矢神に彼女がいるなんて噂でも聞いた事はない。

「矢神モテるから、勘違いしちゃった子とかいただけじゃない?」

「あいつの高校時代の先輩に聞いたんだから確かだよ!大学入ってからは最初からこっ酷くフルだけになったらしいけど、高校ん時は女とっかえひっかえで酷かったって聞いた」

 ……それじゃあ、何?矢神がゲイになったのは大学から?

でも私の聞いた話じゃ、矢神は最初からゲイで女には全然興味が持てないって…………え?

「あいつ、姉ちゃんを狙ってんだよ。今は優しいかも知れないけど、付き合ったらそれこそ遊ばれて捨てられるに決まってる」

「そんな事は……」

「あるんだよ!姉ちゃんはお人好しだからわかんないんだ」

 頭がすっかりパニックを起こして、私は感じた眩暈に箸を置いて手で顔を覆った。

「姉ちゃん?顔色悪いぞっ」

「ごめ……昨夜あんまり寝てないんだ……」

「先に言えよ!大丈夫か?病院行く?」

「いい……寝る」

 有無言わせず弟に抱き上げられて運ばれるまま、私はもそもそと着替えてベッドに潜り込み、真っ白な頭の中で何かがぐるぐる回るのを感じながら意識を手離した。






 ああああああ頭痛い気持ち悪い、二日酔いが今頃来たみたいだ、ていうか今何時?

水を飲もうとベッドから這うようにしてでて、立ち上がる気力もなくて這ったまま廊下から階段を下りる。

 もう少しでキッチンに到達!というところでリビングから人の声が聞こえて来た。

弟の友達でも来てるんだろうかと静かに通り過ぎようとすると、弟の荒げた声が耳に届いて思わずドアの方へ這って行く。

まさか痴情の縺れかと思ったけど言い合っている相手も男の声だ、……まさか殴り合いの喧嘩とか始めるんじゃないでしょうね。

 かといって出て行く訳にも行かず、とりあえず物音だけには耳を済ませながらキッチンへ這って水を飲み、再びリビングの前に行くと段々と大きくなっている声が聞こえて来る。

 ていうか……なんかどっかで聞いた声が。

「いい加減姉ちゃんに付き纏うの止めろよ!遊びなら他の女にすればいいだろ!?」

「そっちこそいい加減にしろこのシスコン!俺は遊びのつもりは一切ない!」

…………まさ、か……?

「ハッ、すでにネタは上がってんだこの女ったらしが!」

「どうせ高校時の情報だろうが、更新しろ更新!」

「うるせえ!言い訳ばっかしやがって、二度と姉ちゃんに近付くんじゃねえよっ」

「お前がとっとと姉貴離れしやがれ!」

 訳のわからぬ口喧嘩の中、とうとうガツンとかガタンとかいう物音が聞こえて来て、私はもう我慢し切れず這ったままずるずるとドアノブに手を伸ばしてそれを引いた。

案の定ドアの向こうには胸倉を掴み合った男二人が目を見開いて私に視線を同時に向ける。

「やが、み……何やって……」

「由香利!」

「姉ちゃん!」

 お互いを押し退け駆け寄って来た二人の大声に思わず頭を抱えて蹲る……頭に響く。

「おい、大丈夫か?顔真っ青だぞっ」

「い、医者!病院!」

「……ちょ、黙って…………頭、痛……」

 ぐうと唸って目を閉じると、再び体が抱き上げられる感覚がする。

忘れたくても忘れられない、弟とは違う腕の感触。

 ベッドに寝かされてそのままブラックアウトした私が再び意識を取り戻した瞬間、視界に飛び込んで来たのは矢神のドアップで、私はまたうっかり気を失いそうになった。

 こいつは私を殺す気か!?

「具合どうだ?」

「……大分、マシ……」

 違う意味で死にそうになりましたけどね、色々と。

「よかった……」

「……うちの弟は?」

 心底ほっとしたような顔を直視出来ず、誤魔化すように言ってみる。

言ってみたら気になって来た、あの状態の弟が私に付いてないのは物凄く違和感。

するとむっとした矢神はとたんにやりとした。

「友達からレポートの半分抜けてたとか連絡来て慌てて出てった。姉ちゃんは俺に任せるって」

 嘘だな。

どうせ私を一人にするのと天秤にかけて苦汁の選択といったところだろう、多分私を一人にしたら危ないとか何とか矢神が吹き込んだに違いない。

 例の一件以来弟とは会ってもいないはずだけど、矢神の方もどうも大人気なく弟に突っ掛かるんだよなあ。

もしかして愛情の裏返し?……え、まさか弟も許容範囲?明石君とは比べものにならないくらい可愛くない顔だけど?

いや、それはないか、そういえばこいつ結構長い事あの可愛い子に夢中なんでしたもんね。

 ああそうだ、謝らないといけない。

頭ぼんやりしてる今なら言っちゃえる気がする。

「矢神……あの、ごめんね」

「え?何が?ていうか、謝るの俺の方だろ?」

「は?……や、別に。あれは私が悪かったよ。ちょっと空気読んでさっさと退散すべきだった」

 自分勝手な欲望のお陰様で、矢神の恋路まで邪魔したんじゃシャレにならない。

まあそんな私など、明石君の眩いばかりの純真さが滅多打ちしてくれましたけども。

悪が栄えた試しなしとはまさにこの事だな、私利私欲に走った先には自業自得が待ってる。

「はあ?いやだから、あれは俺が悪かったんだよ。ちょっとテンパって、言い方間違えたっていうか」

「ううん、好きな人と二人でいたいと思うのなんて当然じゃない。もっと私が気を利かせてれば……」

「好きな人?……誰の」

 少し顔を険しくした矢神は枕元に腰を下ろすと、私の頭の横に手を付いて真上から見下ろして来た。

 な、なんだこの事情聴取的な……!

あれ?もしかして矢神って、私が知らないと思ってる?

そ、そういえば矢神の口から実際そうなんだって聞かされた事はなかったけど……まさか隠しておきたかった!?

 ヤバイ、こういう場合なんて言ったらいいんだ!?

「あ、え、あ、う」

 うわあ、言い訳すら思い付かないこのバカ!

「や、矢神、の……」

「俺の?」

「好きな、人?」

「……誰が」

「…………あか、し、く、ん……?」

 うわあうわあうわあ、ドラマなんて皆嘘っぱちだ!あんなスラスラ自供なんて出来ない!

 そ、そうか、矢神ってば私にも隠しておきたかったのか……そういえば別にゲイだってオープンにしてる訳でもなかったしな。

あ、あれ?そういえば弟が何か言ってたような……?なんだっけ?

「……俺、男好きになる趣味ないんですけど……?」

 私に覆い被さるようにしたまま、目を細めた矢神が低く唸るようにそう言った。

怖!恐!コワ!こわーい…………って。

「ええええええええええええええええ!?……ああああああいたたたたた」

 仰天するまま叫んだ自分の声がそのまま脳天に反響して、私はまた頭を抱えて丸くなる。

うう……飲んだ後に掃除とか体を動かすの、もう絶対しない。

 って、そうじゃなくて!

「嘘だっ、私矢神がそう言ったって聞いたもん!」

「誰に」

「え?えーと、あんたが大学ん時フったっていう……誰だっけ?あーほら、あの、巻き髪が凄かった子」

「覚えてない」

 そりゃあねえだろ!

「他にも!えっと、えーと、そう!あの、……全身シャネルの子!」

「それも覚えてない。……あ、いや、待て。その時って一年の終わり頃?」

「そうそう」

 入学式で知り合ってあっという間に友人関係を築いた私達だったが、私はその半年後にはもうすでに矢神を好きになってた。

その間も矢神が友達として話す女の子は私だけで、もしかしたらなんて期待も持ってた矢先の事だった。

 トイレで彼女達が友達相手に愚痴のように話す場面に遭遇してしまったんだ、……正確には私が個室に入ってる時勝手に愚痴られたから不可抗力で。

あいつホモなのよとか、あの男は男にしか興味ないんだってとか、知りたくもないのにその頃学校のトイレ入る度にそんな話ばっかり聞こえて来て、一時期校内のトイレが私の魔のスポットになったっけな。

「……それ、あれだよ、フラレた腹いせにやられたんだ……」

 真上からはああと盛大な溜息が降って来る。

「俺高校の時……結構遊んでてさ、多分その話とかどっかで聞いた奴らが断っても断っても追っ掛けて来てて」

 ああ、なるほど、一部異常にモテて追い掛け回されてたのはつまりあれか、ソッチに興味がある子達だったのか。

それはそれで空恐ろしいものがあるけど。

「なんかもう面倒になって、『もう女に興味ない』って言ったんだよな。そしたらなんかあっさり引いてくれるようになって、だからそれ以来ずっとそれで通して来たんだけど……まさかソッチに解釈されてるとはな……。どうりで妙な目で見て来る男がいたはずだよ……」

 再び溜息をついた矢神は疲れた顔になって私に倒れ込みながらも体重はかけないように抱き締めて来る。

 いやいやいやいや、それはちょっと待った!矢神がゲイでなくともそれはそれこれはこれだ!

――……そうか、なんだ、勘違いだったのか……ハハ。

 じゃあ私の言い訳じみた口実って一体。

ホント悪い事って出来ないようになってるなあ。

「そういう訳で、俺ホモじゃないです」

「……あ、ハイ……了解しました……」

 にっこり笑う奴の目があからさまに笑っていないので、私の笑顔も引き攣ってしまう。

え、いや、確かに私も勘違いしたかもだけど、私悪くなくないですか?

「だからってなんでイキナリ俺の好きな奴が明石だとか勘違いした訳だよ」

 よっこいしょと言いながら私は抱き上げられてくるりと体勢を矢神と反転させられる。

矢神の体に乗っかった私の頬をがっちり両手で挟んで覗き込まれ、逃げられない事を悟った。

 じ、事情聴取続行?

「だって、矢神の好きな人、可愛い人だって言ってたから……」

「ほう。由香利さんの目には明石が可愛く映ったと」

「や、なんかアイドルっぽい顔だよね……」

「ほうほう。もしかして由香利さん、実は男はああいうのがご趣味で?」

「い、いえいえ、どちらかっていうと、全然男を意識しないタイプです」

「……由香利さん?」

「は、ハイ」

「もしかして由香利さんは意識しちゃうタイプの男が存在すると?」

 うううう……やっぱその話題に行っちゃいますよね、逃げられませんよね、そうですよね。

「……まあ、しますね」

「………………………………」

 ち、沈黙が重いであります!

「もしかして、両刀?」

 ああもう諦めるしかない、私は稀代の大嘘つきですハイ。

「違い、ます」

「……そのこころは?」

「レズは、嘘、です」

「……………………………………………………」

 あああああああああ重い重い!圧死する!!

「つまり?由香利さんの好きな奴ってのも男?」

「そう、ですね」

「…………」

「ご、ごめん……嘘ついて」

「なんで嘘ついた?」

 そ、そこまで聞きますかね警部殿!?

「それにはやんごとなき事情が御座いましてですね……」

「ほう、して?」

「あの、だから、つまり」

「つまり?」

 クソ、一生言う機会なんかないと思ってたから言うべき台詞なぞわからんよ!

だから、ただ、私は……。

「矢神が、好き――……っ」

 ぐっと顔を引き寄せられて唇が塞がれた。

いや塞がれたなんて生易しいもんじゃなく、食われた、舐められて吸われて食いまくられた。

ぞわぞわと全身を上って来る感覚に私は耐え切れず舌を絡める。

欲しくて欲しくて仕方なかったものをやっと味わえた充足感だけで達しそうにさえなった。

 やっぱり違う、他の人じゃこんな風になれなかった。

「は、ぁ……はっ」

 唇を重ねたままでお互い荒い呼吸を繰り返して、喘ぐように空気も唇も貪り続ける。

どれくらいそうしていたのか、ふと唇を離した矢神が目を細めた。

 うわあ、色っぽい……。

「なんて顔してんだよ、……エロ過ぎ」

 それはあんただ。

「由香利、俺が何年片思いしたか知ってる?」

「は?……あー、三年前くらいから聞いたよね?」

 だから大学卒業辺りの頃だったか、あの時も昨夜みたいにやたら矢神が飲んで、酔っ払いそのままに片思いだと勝手にぶちまけ始めたんだ。

そうそう、その時も矢神の部屋に送らざるを得なくなったんだっけ。

如何にその子が可愛いかだの如何に自分が惚れてるかだの酔っ払いながら寝るまで延々と聞かされ続けて、危うく殺人現場になるところだった。

 で、それが何?

 いや、そういえば私達なんでキスした?ていうかなんで私キスされた?

「正確には俺大学一年の時から絶賛片思い。もっと正確には、入学式の日から」

 そりゃあまた、私より長い片思い歴じゃないですか。

「あんなモテてたのにあんたが片思いって、……まさか不倫?」

 そう言ったらまた目が笑ってない笑顔のままぶちゅっとキスされた……なんでだよ。

「あのなあ、俺の話し散々聞いてただろ」

「聞きましたとも。素直でいい子で笑うと本当に可愛くて、その笑顔を見ると自分まで嬉しくなって、誰にも渡さないように抱き締めてしまいたくなる、でしょ?」

「そうそう。ついでに追加。やたらキスが巧くて、そんでキスの後はめちゃめちゃエロイ顔になる――俺の事を、好きな子」

「へえ。…………はい?」

「もいっちょ追加。結構天然で鈍いわ」

「失礼ね!あんたよりマシよ!」

「自覚した?」

 …………それってつまり、…………はあ。

がっくりと脱力して矢神の上にぐでんと伸びる。

「全っ然私とタイプ違うじゃない、そんなのわかる訳ないわよ……。可愛いなんて私一度も言われた事ない」

「……ほー。んじゃなんて言われた?」

「綺麗とか色っぽいとかー、見た目通りエロイとかー」

「…………見た目じゃわからんような事も言われたと?」

「そりゃ見た目じゃわかんないでしょセッ……」

 おっと。

「セ?」

 おおおおおおっと。

「黙秘!」

「認められません、却下」

「異議あり!」

「却下」

「女の過去に男が喜ぶ情報など何もないわよ!」

「ほう。俺が喜べない過去だった、と」

 誘導尋問です!

「お互い様でしょっ」

「聞きたいんなら覚えてる限り言うけど?」

「いらんわっ」

「俺は聞きたいなあ。そのエロ顔と体で何人の男虜にしたのか」

 うわああああああなんか不味い方向に展開が。

「て事はあれだ?お前が男に興味ないとか安心してた俺がバカだった?」

「そ、そんな事は?そもそももう男近寄らせないように嘘ついてたのもあったし?」

「ほう。そんな嘘つかなきゃならんほど寄って来てたと、現在進行形だと」

「いいいいいいやいやいや、だからお互い様でしょ!?」

「うん、まあな。じゃあ体に聞く事にしよう」

「何そのエロオヤジ的発言!」

「だから俺が何年我慢して来たと思ってんだよ。下手すりゃ十年行くんだぞ!?その間俺はお前の顔と声と体をおかずに自家発電だったんだぞ!」

 知らーん!

「つまり」

「つ、つまり?」

「もう無理。……抱かせて」

 はい喜んでと言う代わりに、お褒め頂いたキスで返答する事にした。

あああもう二人揃ってバカだ大バカだ、こんななれそめ誰にも話せやしない。

 でも、好きで好きで仕方ない、ずっと指咥えて見てるしかなかったものが目の前に据え膳されて、これで食わなきゃ女が廃る。

 ずっと触れたかった指が私の服を剥いで胸の形を確かめるように揉む、それに応えるように矢神の背中から腰を指で辿ると硬くなり始めた矢神のものが太腿に押し付けられた。

駄目だ、興奮が止まらない、体が熱い。

「や、がみ」

「名前呼べよ」

「よーす、け」

「ん……由香利、愛してる」

「私も」

 全ての事がもう頭から飛んだ、ただもう矢神が愛しくて欲しくて、お互いの体を弄って触れる事しか残らない。

世界の全部が矢神になったみたいに何も見えない、弟も……………………………………弟?

「キャーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」

「わーーーーーーーーーーーーーーーーーー!?」

「ギャーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」






 その後男二人に両腕を抜けるほど引っ張られながら、結局矢神に引き摺られるようにして矢神のマンションに逆戻りした私達はインターバルを物ともせず散々抱き合って、翌日の昼に漸く目を覚ました。

何時かと手を伸ばしたサイレント済みの携帯には恐ろしいほどの着信履歴…………今更ながら弟の将来が恐い。

「はよ……」

 次いで目を覚ました矢神はそう言いながらも私を抱き込んで再び目を閉じる。

「あんた、店は?」

「本日一身上の都合によりお休みしますって張り紙しとけって言ったから大丈夫」

 自分の店だと思ってやりたい放題だな。

「ねえもう離して。お腹空いた、何か作るから」

「そういえばお前、他の男に飯なんか食わすなよ」

「何の話よ」

 こちとら十五年は毎日弟に手料理食わせてたわよ。

「明石に食わせてただろうがー。あいつ全部食いやがったんだぞ、俺でさえお前の手料理なんて食った事なかったのに」

 何可愛い事ぬかす!……ダメダメ、流石の私もこれ以上は出来ない。

「矢神が起きて来ないからでしょ」

「全っ然寝れなかったんだ!」

 それって、あの、もしかして…………私本当に襲っちゃってもよかった?

あーもう全てが後の祭りだよ。

「やっと少し眠れて起きれば由香利はいないし挙句他の男と楽しげに飯なんか食わしてるし」

「ねえ、帰れって言ったのって……」

「そうですよ、嫉妬しましたよ、猛烈にしましたよ、あいつの前に置いとくの嫌だったんですよ!」

 ヤケクソになって拗ねた口調が可愛くて、ぬいぐるみにでもするように音を立ててキスしてやった。

しかしすぐさま伸びて来る手は絡めてホールド。

どれだけ溜めてたのか知りたくはないけど、せめて夜までちょっと落ち着け。

「……お前絶対俺より経験あるだろ」

「比較対象がわからないんですけど。あ、言わなくていいから」

「言いたくないからだろ」

 わかってるじゃないか。

なんでそう知りたがるのかこっちが謎だけど。

私だって矢神が今までどうセックスして来たかなんてあんまり聞きたくはない、張り合って変な趣向に目覚められても困るし。

「別に過去に嫉妬はしないから」

 嘘臭い。

さっきの嫉妬発言は嬉しいけど、こっちのはちっとも嬉しくないぞ。

「似たようなものだと思うけどね。ああでも私は数日でポイ捨てなんてしてないわよ?」

「……誰が言ったんだよ」

「弟経由で、あんたの高校ん時の先輩だとか」

「それは捨てる以前に付き合ってなかったんだ」

「矢神、よくよく女を勘違いさせるように出来てるのね」

「名前」

 ハイハイ。

「付き合ったのなんて一人だ、それも段々ストーカーじみて来て別れ話が拗れて酷い目に遭って。それから懲りてホント付き合うとかなかったし」

「ほう。彼女ではなくセフレが仰山いたと」

「……セフレでもない。そういう相手っつっても、マジで一回するだけ。しかも全員殆ど玄人に等しかった年上だってのに、なんだって学校の奴らがそんな話広めたのかホントわかんね……」

 それはまた、ゲイ疑惑の二番煎じなんでは……いや、一番煎じか?

「基本的に俺なんでか女のそういう粘着質なとこばっか見て来たから、彼女とか作る気もなかったんだよ」

 それはそれは。

「それが大学で今更初恋とかしてさあ。そしたらもう他の女なんて全部面倒でしかなくなって、セックスする気にもならなくてさあ」

 それはそれはそれは。

「惚れたからそうなのか、そうだから惚れたのか、今でもはっきりしないけど。とにかく由香利だけがそもそも俺の規格外だったんだよ」

「入学式の時にって言ってたけど、あの一日で好きになってくれた訳?まさか一目惚れなんて言わないよね?」

「や、外見的にも俺の好みど真ん中だった。大体お前超目立ってたし、こりゃとりあえず近付いておかないとなと思った」

「目立ってたかなあ」

 別に何もヘマをやらかした訳でも、代表として答弁した訳でもないんだけど。

矢神はじろりと私を睨んで唇を甘く噛んで来る。

「むしろ野郎共の目が行きまくってて目が行かない方がおかしかった」

「そういうの悪目立ちって言うんじゃ」

「話してみればそのエロイ外見に反して竹割ったみたいな性格だし気は合うし……正直どうしてやろうかと思ったね。でも付き合えばお前も今までの奴らみたいに豹変するかもと思ったら言い出せなくてさ。そのくせ他の男には牽制しまくった」

「あー、一時期声かかんの少なくなったと思ったら」

 おっと、……そんな睨まなくてもいいじゃない、こっちだって矢神がモーションかけられてんのなんか腐るほど見たっての。

「いつまで経ってもお前は俺のいい友達然で、こりゃ違う意味でうかうかしてらんねえかなって思った矢先にお前のレズ発言だよ」

 あー……なんだ、その。

「て事はそのちょい前くらいが由香利のピークだって事か」

「何のピークよ。って、わかったわよ話すわよ話せばいいんでしょ!そうですよ、あんた忘れる為に遊びまくりでしたよ、そもそも私も付き合ってなんかなかったわよ、大体一晩限りよ、そしたら二回三回って迫って来る男が増えて来てこりゃマズイと思ったからレズ発言したわよ、そうすりゃあんたも安心して私を傍に置くだろうと思ったから一石二鳥だったわよ!」

 にやにやとする矢神の額を思いっきり叩いてやった。

しかし矢神は急に真顔になって羽交い絞めして来る。

「由香利、初体験いつ?因みに俺中三、相手はカテキョのおねーさん」

「……中一。相手は聞かない方がいい」

「え、ヤバイ感じ?」

「え、聞きたい感じ?」

「ほら俺ってお前が実際初カノだし?限りなく最後の女だし?全て知っておきたいみたいな男心?」

 腐った女みたいな男心ですね……私も痘痕も笑窪かチクショー。

「……当時新任で来た副担」

「うわあ、俺より年の差」

「そっちのおねーさんいくつ?」

「19くらいだったと思う」

「うん、こっち25……今思い出しても若気の至りだったわあれは」

「由香利から迫った?」

「まさかー。でもあの頃そろそろもう男子は性的な目でしか見て来なくなってたから、なんか鬱陶しくて、それなら同い年 よりは年上で経験もある方がいいやって」

「俺同等に乱れてんなあ。やっぱ俺達ってお似合いだ」

「……そうかもね」

 よかった、正直彼氏になる男には生涯の秘密だと思ってた、ありがとう矢神、乱れた性活を送っていてくれて。

「しかし中一で25の男落とすかねえ。今度アルバム見せて」

「あんまり変わってないよ。当時老け顔だったから、二十歳過ぎて漸く年齢が追いついて来た感じ」

「じゃあこの先もその顔で変わんないか。……俺なるべく長い間現役でいるから」

「……そう、ガンバッテ」

「よし、じゃあ早速」

「お昼作るね。もうお腹限界」

「由香利ぃ」

「手料理食べたいんでしょ」

「……わかった。そうだ、また明石が来ても二度と部屋に上げるなよ、つーか無視しろ、話さなくていい」

「言ったと思うけど、あの子私のタイプじゃ全然ないんだけど」

 言っても信用ないかもしれないが。

いやでも私だって男と見ればホイホイ食って来た訳じゃないのよ、それなりに後腐れなさそうな好みのタイプ選んで来たのよ。

 ……そういえば皆どこか矢神に似てるとこあったっけなあ……私病気だ。

「違うんだって。お前があいつの趣味ど真ん中なの。俺とモロに趣味被ってんだよあいつ」

「そういえばやたら美人だと言われたわ。私みたいのが好きそうなタイプには見えなかったけどなあ」

「それがあいつの手なんだ。子犬の皮を被った狂犬もいいとこだ」

 ほう、先輩後輩似たり寄ったり、と。

 ベッドから起き上がって床に投げられた下着に伸ばそうとした手が後ろから捕らえられる。

「ちょっと」

「またあのカッコして。あれグッときた。き過ぎて襲いそうだったけど」

「は?……男ってああいうの好きねえ」

「それは俺以外にも――」

「じゃあシャツ出して。折角洗ったんですからね。また散らかしたらもうここには来ないわよ」

 既に飛んだ二日酔いだけど、あれはもう二度と経験したくないわ。

「はいはい。で、下着も着けないで」

「……ハイハイ」

「俺オムレツがいいな。卵と牛乳はあるから」

「はいはい」

「食べ終わって風呂入ったらまたやろうな」

「はいはい」

「俺と結婚しよう由香利」

「は――」

 ぎゅっと手が握られた、矢神がにっこりと笑う、酷く幸せそうに。

胸から込み上げて来る何かに、喉が詰まった。

「顔真っ赤。笑ってるの、自覚してる?」

 わからない、でも矢神が言うならそうなんだろう、きっと私は笑ってる。

諦めるしかないと思ってた、傍にいたいなんて言ってい続けるんだと我慢しても真実に見て見ぬフリをしても、矢神の隣にいる事が出来るのは私じゃないって諦めてた。

 握られる手を強く握り返す。

そのまま引き寄せられて抱き締められた、隣じゃなく、もっと近い腕の中に。

「お前嬉しいって思う事にはすげー幸せそうな顔で笑うから。そういうとこが可愛いんだ、可愛くて堪んない」

 さっきより少し火照り始める体に腕を伸ばして私も強く矢上を抱き締めた。

「よーすけ」

 頷くでも肯定するでもなく、ただ名前しか呼べなくて。

何も言えない私に矢神は優しく笑った。

「わかってるよ。その顔が返事だろ」








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