牛乳を飲んで強くなる勇者、勘違いで聖母様に母乳を要求する
月が薄く雲間に輝く荒野。辺りは不気味な静寂に包まれている。黒い影が蠢いていた。それは数え切れぬほどのモンスターたち。鋭い牙が閃き、血走った眼が獲物を求めて光っている。
その群れの前に、俺は立ちはだかっていた。
「これ以上、ここを荒らさせはしない!」
その瞬間、俺の手に握られた剣が輝きを放った。剣の周囲に集まったエネルギーが熱を帯び、大地を焼き付ける。
最初の一歩。モンスターの群れが一斉に動き出す。獣の咆哮、金属の擦れる音、無数の足音が交錯する。俺は剣を高く掲げると、振り下ろした瞬間、眩い光の波が大地を貫いた。
「ライトニング・ブレード!」
閃光がモンスターたちを飲み込む。鋼鉄のような甲殻も、岩のように硬い身体も無力だった。光はそれを切り裂き、焼き尽くす。モンスターの悲鳴が響く中、俺はさらに前へ進む。
「これが、正義の刃だ!」
最後の一振り。剣が青い閃光をまとい、空を切り裂くように振り下ろされると、大地全体が震えた。光が爆発し、モンスターの群れは一瞬で跡形もなく消え去った。
静寂が戻る。荒野にはただ一人、剣を掲げる勇者だけが残っていた。
聖母様の加護がある限り、俺は負けない!
***
「勇者イサク。此度のグレイ平野でのモンスター討伐、見事でございました」
祭壇から聖母様の声がする。
「はっ。お褒めに預かり光栄でございます」
俺はかしずき、頭を下げていた。
ここはルミナス王国教会大聖堂、聖母の間と呼ばれる場所だった。聖母様が祈りを捧げる場所として、限られた人間しか入ることが許されない。
今も聖母様と勇者の俺、そして数人の護衛しか居なかった。
「顔をお上げ下さい」
聖母様の包み込むような優しい声に導かれるように、俺は顔を上げた。聖母様は優しい笑みをたたえて俺を見ていた。まるで天使のような笑みだった。百合の花が刺繍された純白のローブからは、聖母の名に相応しき、豊かな胸が浮き上がっている。
「では今日も、『神の乳』をお飲みください」
聖母様の手には銀の盃が握られている。俺は傅いたままそれを受け取ると、中の液体を見つめた。
白い液体が盃に揺れていた。
聖母とは、この国の聖女たちの頂点に立つ者の称号である。聖母は「神の乳」と呼ばれる特別な「乳」を絞ることができ、それを飲んだ者は魔王をも倒す力さえ得られる。
しかしこの「神の乳」は適応者が著しく少ない。
飲んで効果を得られる者は過去100年見つかっておらず、勢いを増す魔王軍によって、この国は侵略の危機に瀕していた。
そんな時、前の勇者が誕生してから100年後、神の乳の恩恵を受けられる青年が現れた。それが俺だった。
文字通り、神の力を授かった俺は、各地で魔王軍を退け続けた。
「さあ」
聖母様に促され、俺はゆっくり神の乳を飲み干した。
*****
「いやあ、お前が勇者なんてな今でも信じられないよ」
旧友のジャンが酒杯をあおりながら言った
「俺もだよ。ガキの頃は二人して走り回って遊んでただけなのにな」
俺とジャンは酒場で飯を食っていた。今日は非番だったので、久々に友達と酒でも飲みながら話しをしようと思ったのだ。
「でよ」
ジャンが顔を寄せてきた。
「で、聖母様の胸は、触らせてもらえたのか」
「触らない」
興味津々といった様子で聞いてくるジャンをあしらうように言った。
「あんなデカチチ、お前も触りたいと思うだろ?」
ニヤニヤと笑いながら、ジャンが俺の横腹をつつく。全く。どいつもこいつも、聖母様をそういう目で見ている男ばかりでため息が付きたくなる。彼らの下卑た視線や下品な物言いには辟易するばかりだ。聖母様を穢すなと言いたい。
俺はそんな気持ちで神の乳を飲んでいるわけではない。使命を果たすために仕方なく飲んでいるのだ。
「触りたいなんて思わない」
「本当かよ?」
「当たり前だ。聖母様は尊き存在だぞ」
「あーあ。良いよな、お前は聖母様のお乳が飲めてよ」
「あのなあ」
俺はジャンの下品さに辟易した。
確かに聖母様の胸は大きい。それは国中に知られていることで、男たちはみんなあの胸が大好きなのだ。まあ教会連中の耳に入れば処罰を受けるので、公の場では言わないだけだ。ジャンみたいに酒で酔っぱらっている奴以外は。
「聖母様はこの国の象徴的存在だぞ。そんな目で見てはいけないよ」
「けっ、相変わらず真面目だなお前は」
その時、酒場の喧騒をかき消すほどのけたたましい鐘の音が鳴り響いた。
この酒場にだけ響いているわけではない。この城壁で囲まれた王都・ルミナリア全体に響いている。
「モンスターだ!」
酒場の外から声がした。
駆け出してみると、人々が一報を指さしたり、見つめたりしている。
俺もそっちを振り向いてみて、血の気が引いた。そちらはルミナス教会大聖堂の方角で、煙が上がっていたからだった。
***
俺は大聖堂まで駆け抜けながら詠唱した。
『影よ覆え、時を隔てろ。これらの存在を我が内に縛り、動きを奪え! 【タイムロック】!』
その瞬間、大聖堂を襲っていたモンスターたちの動きがピタリと止まる。
これは神の乳により授かりし魔法の一つ、対象物を時間停止させる、まさに神の力を使った魔法だ。しかし効果は持って5分。長くはもたない。本来ならこのまま俺がモンスター共を殲滅させれば良いのだが、止めたモンスターが多すぎて、ほぼ全ての魔力を使い果たしてしまっていた。
時を止めた状態であっても、今大聖堂にいる兵力だけでモンスターを倒しきるのは難しいだろう。こいつらは恐らく魔王軍の精鋭達。
ここを襲ったということは、聖母様を狙い撃ちにしてきたのだ。
「聖母様は無事か!」
俺は近くにいた負傷兵に尋ねた。
「は、はい! 何とか聖母の間の直前で食い止めております!」
だとすれば、俺が取れる行動は一つ。
一刻も早く聖母様のところに行って、神の乳を飲ませてもらうしかない。
もう銀の盃に入れて頂いて、それを恭しく承っている場合ではない。直接飲ませてもらうしか無いだろう。
いや本当なら俺だってそんな方法に頼りたくはない。決して聖母様の御胸を見たいなんて思っていない。吸いたいなんてもっての外。これは仕方ないことなのだ。仕方ないんだ!
「聖母様! 無事ですか!」
礼拝堂の扉を開けると、聖母様は神像に向かって祈りを捧げていた。振り返った彼女の目は潤んでいた。
「勇者イサク! 来てくださったのですか!」
「はい。衛兵から状況は聞きました。どうやら連中の狙いは聖母様、あなただ。一刻も早く、外のモンスターを倒す必要がある」
「は、はい」
「だからその、言いにくいのですが、母乳を飲ませて下さい」
「……え?」
「いやだから、母乳です。その、女性の胸から出る、白い液体。聖母様の母乳が飲みたいのです」
すると、聖母様は一瞬で顔を赤らめた。恥じらいはgood。
「な、何を仰っているのですか!? そんなもの出せませんよ!」
と、豊かな胸を、その細さでは到底隠せないであろう細腕で隠そうとする。
「いやいや! そんなはずないでしょ! 出ますよ! ほら母乳ちゃん出ておいでー」
「私の胸に語りかけるのは止めて下さい! そもそも何で私の母乳が飲みたいなんて言うのですか、この非常時に」
「何を仰っているのですか、母乳様、あ違う、母乳様! 非常時だからに決まっているではありませんか!」
「訂正した上で間違ってる! あと非常時だから飲みたい母乳とは!?」
俺は何か違和感を感じていた。あまりにも会話が噛み合わなすぎる。まるで、自分の母乳が神の乳であると知らないようだ。
「えっと、つまり神の乳が欲しいんです! あれを飲んでパワーアップしないと、このままではいずれモンスターが押し寄せてきてしまいますよ」
「ああ」
聖母様は何か納得したように手を打った。そして自分の胸を持ち上げてみせる。重そうだな。持って差し上げたい。
「な、成る程。イサクは私の母乳こそが神の乳だと思っていたのですね」
思っていた……?
「ど、どういうことですか」
「神の乳はここにはありません」
「いやあるじゃないですか! あなたの胸に! 今にも零れ落ちそうなおっぱいが!」
「だ、だから! 私は母乳なんて出ないですし、出てもそれは神の乳ではありません!」
しばしの沈黙が辺りを包んだ。その静寂を 破ったのは俺の声だった。
「嘘おっしゃい!!!」
「ええっ!?」
「俺は騙されませんよ! 聖母様は俺におっぱいチュパられたくないからって、そんな嘘をついているのですね!」
「う、嘘なんてついていません! あとチュパられるって何!?」
「そもそも! 僕は聖母様のおっぱいが飲みたくて勇者になることを志したんですよ!」
「そうなの!? めちゃくちゃ最低じゃないですか! 何でよりによって100年に一度こんな変態さんが選ばれてしまったの!」
「俺は来る日も来る日も死と隣り合わせの鍛錬を積んできた! もう無理かもって諦めそうになったこともあったけど、その度に聖母様のお乳首様の顔を思い浮かべて頑張った!」
「お乳首様!?」
「だ、だいたい、何で神の乳がここに無いのですか! そんな体しといて矛盾してると思わないんですか!」
「この人さっきからセクハラワードしか言ってない! だから、神の乳というのは、『牛乳』なんです!」
「はぇ?」
聖母様の話はこうだ。この国には神とあがめられる牛がいる。その牛の出す乳を飲み、力を得た者は、勇者として選ばれ、数々のチート能力を手にする事ができる。その牛から取れるのが神の乳……つまり、俺が飲んでいるものらしい。
では聖母様の役割は無いのか? というと、そうではないようだ。
聖母様の役割は、その牛から乳搾りをすること。これは通常の人間が絞っただけではただの牛乳になってしまう。特別な力を持った彼女が絞るからこそ、「神の乳」と呼ばれる特別な牛乳が取れるのだという。
「えっと、つまり俺は今まで聖母様の母乳だと思って飲んでたのは、牛の乳だったってこと……?」
「そうです」
「嘘だあああああ!!」
俺はうずくまって、聖堂の中をコロコロ転がり続けた。そして聖母様のすぐ近くまで行くと、勢いよく起き上がった。
「嘘だと言ってよママぁ!」
「誰がママですか!」
俺の頭はぐるぐると回っていた。今まで積み上げてきたものが、一気に崩れる感覚だった。どうしても、どうしても神の乳が牛乳だったなんて、認めたくなかった。
「本当に出ないっていうならエビデンスを出して下さい!」
「エビデンス!?」
「母乳が出ないという科学的根拠ですよ! つまり直接絞らせて下さい!」
「絶対胸揉みたいでけじゃないですか!」
俺は膝に手をついて、荒い呼吸をしていたが、やがて落ち着いてきて顔を上げた。
「分かりました。とりあえず神の乳というのは別にあるということですね」
「はい」
「では母乳を下さい」
「わかってないじゃないですか!」
「いやいやいやいや! 何怒ってるんですか! 子どもを前に母乳を出さないとか、これもう育児放棄だろ!」
「い、育児放棄!? イサクは私の子どもではありません!」
「おっと、ネグレクトですか? 労基に言いますよ?」
「絶対相手にされないし管轄違うし! あと母乳を飲む労働って何!」
納得がいかない。ここに神の乳が無いということは、このままふたりともモンスターに殺される確率が非常に高いということだ。つまり、勇者としての俺に残された最後の仕事は何か。それは何としても、人生の最後に母乳を飲んでから死なねばならないということだ。
「出してくださいよ! 気合で!!」
「出せませんよ!」
「いや出る! 絶対出る!」
「じゃああなたが出してみてくださいよ」
「ほああああああああ!!!! あ、何か出た」
「何が!?」
ぺろっ。
「あ、石油だこれ」
「乳首が油田!?」
「母乳警察だ!」
「母乳警察!?」
「国家転覆罪で逮捕する! おしりを出しなさい!」
「何で!?」
「うわああああああああわわ!!!」
「ちょ、イサク……何を泣いているのです」
「勇者はついに突っ伏して泣き始めた。オークに鉄の棒で顔面フルスイングされた時も、敵の雷魔法で全身黒焦げにされたときも泣かなかった彼が、勇者になって初めて泣いた。それほど、母乳が飲みたかったのだ。ママの母乳が」
「ナレーション風に母乳を要求し始めた!」
「そもそも本当にそんな牛いるんですか! ママの嘘じゃないよね!?」
「ほ、本当です! 本当にいるのです!」
「そんな牛みたいなお乳ぶら下げといてよく言うわ!」
「失礼すぎない!?」
「そんなお乳しといて神の乳とかいう牛乳渡してくるとか、もう景品表示法違反だろ!」
「景品表示法違反て……」
「ちゃんと生産者表示しなさいよ!」
「さっきから何で神の乳を小売業の視点から評価してるんですか!」
「勇者よ。その辺にしておきなさい」
明らかにママのものではない、低い声がした。声のした方に二人して振り返ると、一匹の牛が、口をもっちゃもっちゃ動かしながらこちらに近づいてくる。
「神牛様! 来てくださったのですか!」
ママは、まるで本当に神が目の前に現れたかのような上ずった声を出した。
「兵士たちが私をここまで送ってくれたのです」
牛が言った。
「そうなのですね。来てくださって良かった。二重の意味で助かりました」
そう言うと、ママは牛の下にかがみ込み、乳をぎゅうぎゅうと握って乳搾りを始めた。
「あ、あの、勇者の俺に手伝えることは……」
「いえ、ありません。これは私が絞らないと、神の乳たりえないのです」
「じゃあその間、俺がママのお乳を絞るっていうのは?」
「何で!?」
「ママの乳は俺が絞らないと、神の乳たりえないのです」
「真似しないで!」
言っている間に、ママが銀の盃に並々と牛乳を注いだ。そして俺の方に持ってくる。俺はその様子を、虚ろな目で眺めていた。
「さあ、飲んで下さい勇者。今あなたが魔法で止めてくれているモンスター達も、そろそろ動き出してしまいます!」
「飲まない」
「え?」
「飲まねえ」
「ど、どうしてですか」
俺は目をカッと見開いた。
「ここで俺がその牛乳を飲んでパワーアップしちまったら、俺が今まで母乳だと思ってムラムラしながら牛乳を飲んでいたことを証明しちまう。そんなのアホじゃないですか」
「アホですよ?」
「だが俺がここで牛乳を飲まずにモンスター共を駆逐したら、母乳でパワーアップしていた可能性が僅かにでも残る……可能性があるのなら、0でないのなら、俺は、その可能性にかけたい」
「アホですね本当に」
「その代わり、ここで俺がモンスターを殲滅できたら、約束通りママの母乳は飲ませてもらう!」
「そんな約束してないけど!?」
その時、扉が蹴破られてオークの大群が現れた。
「聖母はいるか! 貴様の命をもらい受ける!」
「お前さえ消えれば、この国は我々のものだ!」
わめきながら、最も大きな一頭が進み出てきた。
俺も迎え撃つ形で、そちらにスタスタと歩いていく。
「ちょ、イサク! あなたは今普通の人間と変わらないのですよ!? 危険です! 戻りなさい!」
ママが必死に息子の俺を心配をしてくれている。しかし、もう既にオークは金棒を振りかぶっていた。
「くたばれ、人間!」
オークの繰り出した金棒が、確実に俺の頭を捉えた。
しかし、俺はびくともしなかった。防御の体制さえ取らなかった。今の俺には取る必要もなかった。
強烈な一撃を喰らって尚立ち続ける俺に、オークたちは次々にどよめきの声を上げた。
「ば、馬鹿な! 無傷だと!?」
「こいつ、なんて骨密度してやがる!」
「ああ、毎日牛乳を飲んでるに違いない!」
その言葉で俺の理性はぶっちぶちのばっちばちに切れた。
「お前らさえいなければああああああああああ!!!!!!」
俺の全身から殺気が溢れ出し、聖堂を、いや、教会を、いや、この国ごと包んだ。俺は踏み込み、渾身の拳を、オークの腹に叩き込んだ。
「母乳パンチ!」
「ぐああ!」
大きなオークは他の大きなオークも巻き込み、壁を貫いてはるか彼方まで消えていった。
「てめえら全員! ぶっころしてやうるうらああああああわあああわうぇあわわうぇえわふぁbてあgじょえあjgぽgj;えおいsbtじぇおあいg@!!!」
*****
こうして、勇者イサクは殺意の衝動に突き動かされるまま、3日後には魔王討伐を成し遂げてしまった。
莫大な金と名声を手に入れたイサクだったが、彼は生涯、絶対に牛乳を口にしなかったという。
おわり