その4
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来た。
その機会は意外に早くやって来た。由雄が湊人に入れ知恵をしてから一週間ほどして、またあの客がやって来た。湊人が最初に「匂いがきつい」と感じた男性だった。男性1としよう、と湊人は思った。
男1の風貌は以前と同じだが、多少リラックスしているようにも見えた。今日も用事は品物のコンビニ受け取りだった。受け取り票の処理をしながら湊人は心の中で迷いを感じた。もしかして、何もしていない人を疑っているとか…。
「どうぞ」
湊人は品物を引き渡した。客は荷物を抱えると何も言わずにドアに向かって行き、湊人は心を決めた。よし、作戦の開始だ。
男が店を出て駐車場を横切って右に向かうのを見届け、湊人はカウンターに置いたカギの束をジャラッと鳴らして叫んだ。
「あ、お客さん、忘れ物!」
お菓子の棚のところにいた同僚が振り向く。湊人は急いでカウンターを出ると、ドアに向かいながら同僚に声をかけた。
「お客さんが忘れ物をした。ごめん、ちょっと俺、走って届けて来るから」
「いいよ。オッケー」
同僚はうなずき、湊人は店を飛び出した。
コンビニの駐車場を出て右に曲がると、二十メートルほど前に男1が見えた。その姿を見失わないよう気をつけながら、途中で店の看板の後ろにさっと隠れた。コンビニの制服を急いで脱いで肩掛けバックに入れ、代わりに丸めた毛糸の帽子を出して目深に被る。胸ポケットから伊達眼鏡を取り出してかける。これで変装は大丈夫だ。
男1はコンビニを出てから通りを真っ直ぐ、百メートルほど振り向くこともなく歩いた。そして角を左に曲がった。湊人は小走りに駆けた。焦って角を曲がると、男はまだ前方を歩いていた。湊人はホッとし、家々や建物にへばりつくようにして身を隠しながら後をついて行った。やがて前方の家の門の前で男は立ち止まり、尻ポケットから鍵を出してドアを開け、中に入って行った。湊人はその家にゆっくりと近づいた。
何だこれは…。湊人はその家を見上げて驚いた。
グレーが基調のその家は三階建てで、一階が車一台分のガレージ、二階と三階が居室のようだ。門にも玄関にも表札は出ていない。今時のご時世だからそれは普通なのかもしれない。
この家の外見は湊人には違和感しかなかった。湊人が生まれ育った真鍋家は広い敷地内に大きな平屋の母屋、離れ、作業小屋やガレージがあったからだ。しかし、ごく普通の一戸建ての家に比べても目の前にある家は高さの割に幅が極端に狭く、いかにも窮屈そうに感じられた。両隣の家も同様の作りだった。それぞれの家と家の間隔が狭い。ようやく大人が歩けるくらいしかない。ましてや庭などと言うものは備えられていないー。
…ああ、これはあれか、聞いたことのあるペンシルハウスってヤツだ…。
ぶしつけに他人の家を眺めていた湊人は首をすくめた。俺は、よそ様の家屋にケチをつけられる立場にあるのか。俺と言えば、ただ親の脛をガリガリかじっているだけの学生じゃないか。
チリチリ…。小さな鈴の音が背後から聞こえた。
「そっち行っちゃダメだよ。気をつけて」
子供の声がして湊人が振り返ると小学生の列だった。六、七人ほどの小さい列で集団下校していた。前に立っている上級生の子が時々振り返って下級生の様子を見ている。彼らの瞳が湊人の視線と合う。湊人は笑顔で小さく手を振った。普通の閑静な住宅街の風景だ。
湊人は当てが外れた気がした。もう少し何か、異様な家や近所を想像していたのだ。何人もの怪しげな人物が出たり入ったりを繰り返し、周りにはゴミが散らかり、バイクや改造車も走り回っている…。しかしそんな感じは全くなかった。まずい。これじゃ俺が不審者になってしまう!
…ふう、ここらで終わりだな。湊人は苦笑いし、元来た道へ向き直って歩き出した。
先程の角の所へ来た。曲がろうとした時にちょうど、コンビニへ向かう方向の反対側からやって来る人影に気がついた。どこか見覚えのある姿。それは…。おっと、もう一人の男、男2じゃないか!
湊人は一瞬固まったが、すぐに冷静になった。慌てずにまたゆっくりと歩き出す。内心は焦っていたが、ともかく次の角まで来たところでゆっくりと曲がった。ちょうどコインランドリー店があり、湊人は店の看板に隠れて様子をうかがった。
男2はまっすぐに歩いて行く…、先ほど男1が入って行った家の方向に。湊人はゴクリと喉を鳴らした。