音会わせ-2
下ごしらえを済ませ、ジャージに着替える頃にはあたりは少しずつ明るくなっていた。
あはは、結構時間喰っちゃった。
「じゃあ、じいちゃん。行ってきます!」
「おう、行って来い!」
素振りをしているじいちゃんに一言告げて、ボクは相棒とともに外へ駆け出した。
たったったったった。
速くしないように、逆に遅くなりすぎないように、一定のリズムを保ちながら走ることが大切だと父さんと母さんが言っていた。
幼い頃から母さんに呼吸法の訓練を受けていたため、毎朝のランニングはもうボクの習慣だ。
ずっと、母さんの後にくっついて走っていたので、今では意識しなくてもこのテンポで走ることができる。
ランニングのコースは、まずじいちゃんの家からスタートして、商店街へ。
商店街を見回すとちらほらと人影があり、早いところではもうお店の準備に取り掛かるところもあった。
「おはようございます!」
「おう!今日も元気だなっ!」
「おはようさん!」
「おはよう!」
まだ6時にもなってないのに、眠気を感じさせない元気な挨拶。じいちゃん曰く、ここの魅力は「起きた朝から眠りにつく夜までの威勢のよさ」とのこと。
「おう、嬢ちゃん!今日もがんばれよ!」
「マサさん、ボクは男だってば!」
そして、マサさんはいつになったら覚えてくれるんだろうか、ボクの性別……。
商店街を抜けたら、いつもみんなと集まる河川敷へ。
地平線には赤い帯と、空色のグラデーション。太陽は既に顔を出してるが、上を見上げればまだ夜の色。少し探せば星が見つかりそう……ん、めっけ♪
「ん~~~~」
腕を伸ばし、朝の空気を目一杯吸い込む。まだ少し冷たいけど気持ちいい。
今の時間は、
6:12
家を出たのがだいたい5:50くらいだから、だいたい20分くらいでここに着いたことになる。
え?昨日は自転車で30分以上かかったんじゃないかって?だからあれはじいちゃんの足止めが原因で……。自転車だったら10分くらいで着いちゃうんですよ?ホントですよ?
斜面の芝生に腰を下ろし、仰向けに寝転がる。ふかふかの芝生は、葉先がツンツンとしててくすぐったい。
春先の大地は程よい水分を含んでいて、冷たくて気持ちがいい。
太陽は徐々に昇ってゆき、大地を照らし、夜の青を追いやり、明るい空色になってゆく。
――きれーなあお……。
そういえば、春香ちゃんと初めて会ったのもこんな感じだったかな。
あの時はいきなりヨゼフが――。
――ぬっ。
「っわぁ!ヨ、ヨゼフ!?」
ボクの目の前が突然真っ白な雲に包まれた。……わけではない。
「ちょっ、こらヨゼフくすぐったいって。」
……やっぱり雲かもしれない。ボクの顔は今、局地的な集中豪雨に見舞われた。
「ヨゼフ!また勝手に駆け出して……って、優活さん!?」
「は、春香ちゃん、へるぷ~」
正体不明の雲に「貪られ」、ボクの顔はすっかり「びしょびしょ」、いや「べちゅべちゅ」になってしまった。
「ああ~、もう!ヨゼフ、Come on!down!」
名前を呼ばれた‘雲’は猛スピードで春香ちゃんの所に駆けていき、命令通りに伏せのポーズを取った。
あの‘雲’の正体は、春香ちゃんの家で飼っている犬。名前はヨゼフ。‘雲’と言うように白くてもこもこしたでっかいわんこ。
春香ちゃんと初めて会った時も、こんな感じでべちゅべちゅやられました。
「ああ、こんなになっちゃって……って、優活さん?何で笑ってるんですか?」
「え?ああ。最初春香ちゃんとあった時もこんな感じだったな、って」
「う……」
「気にしてないよ。久々にヨゼフにも会えたし。ん~、ヨゼフあったか~い」
ヨゼフの体に顔を埋めると、ふかふか加減が気持ちいい。もふもふ~♪
「そういえば優活さん」
「ん~ん~♪な~に~?」
「今日も吹きに来たんですか?」
「ん、いつもだいたいこの時間に吹いてるよ?そっちは初めて会ったきり全然見ないけど」
「散歩のコースを3日ごとに変えてるんです。それに、毎回私が担当してるわけでもないですしね。」
「へ~え、いくつか散歩コースがあるんだ?誰か散歩に連れてく人でもいるの?」
「……私の姉が」
「春香ちゃんって、お姉さんいたの?」
「はい、もうすぐ高校2年生になる姉がいます」
「へ~え、それじゃボクの先輩だね。学校であったら挨拶しとかないと」
「しなくていいです!」
春香ちゃんが急に大きな声をあげる。いきなりのことだったので、ボクもヨゼフもびくっと体が反応し、それに気がついた春香ちゃんが、「しまった」と顔をそらした。
「春香ちゃん、もしかしてお姉さんのこと、嫌いなの?」
「そ、そんなことないですっ。い、今のは……その」
「じゃ、じゃぁ何?」
「そ、それは……だから……んと、とにかく!嫌いじゃないんです!それより優活さん、吹かなくていいんですか?」
「へ……え、ああ!そうだったそうだった」
春香ちゃんに言われて思い出す。相棒――ピアニカを取り出し、チューブを取り付けた。
「あれ?いつものあれはどうしたんですか?」
「ああ、歌口ね。昨日無くしちゃって、あ!」
「ど、どうしました?」
「違うピアニカの歌口を借用すればよかったんだ……」
「……」
まぁ、持ってきちゃったものはしょうがない。それに、チューブだからできることもあるしね。
「さて!」
足を伸ばして膝の上にピアニカを置いて、両手を鍵盤に添える。
「リクエスト、何がいい?」
「ふぇ!?わ、わたしですか?」
「うん。何かやって欲しいのあったら、どうぞ♪」
「え、え~と……じゃぁ――で」
「うん、わかった。それでは、お聞きください!」
‘ぷぁ~~~む’と、一音。ピアニカのやわらかい音色が空に溶けていった。
~♪~
今吹いているのは「大きな歌」。
春香ちゃんと初めて会った時もこの曲を吹いていた、ボクの練習曲。
思わず笑いそうになってしまう。が、笑ってしまったら音の調子が狂っちゃうから、心の中でクスリと笑う。
そういえば、「大きな」歌だから、小学生の時思い切りおっっっっっきな音で吹いてお母さんやお父さんに怒られたっけ。
あの時は意味も知らなかったからなぁ……。ちょっと恥ずかしかったかも。
父さんと一緒に演奏するときは、いつもこの曲から始めて、この曲で終わる。
おかげで今は意識しなくても体が勝手に吹いていくれる。
あ、それと豆知識も。この曲は2番まで知ってるっていう人は多いと思うけど、実は8番まであったりします。
……って言っても、8番は応援歌の意味合いが強いんだけどね。
大きいものってたくさんあるな。橋だったり、ビルだったり。川だったり、海だったり。太陽もそう、空だって!
身近にある物をあげるだけでこんなにある。「大きい」でくくっただけでこんなにある!
『こんなにたくさんある「大きい」の中で音だけ大きいだけじゃだめだ、たくさんあるんだからたくさん使いなさい。それが優活の音色になるから』
父さんが口癖のようにボクに言い聞かせていたこの言葉。あの時は「大きな音」だけだったけど、結構増えたかな?
「大きなの海」ように広く、「大きな思い」と「大きな願い」をこめて、「大きな手で、腕で」包み込むように、「大きな夢」を、
「大きな空」へ――「大きな力」で「大きくはばたけ」!
見よう見まねの父さんの真似だけど、やっぱり父さんのようにいかないな……。
「ふは、……春香ちゃん?どうしたの、顔赤くして?」
「……優活さんの曲は、とってもいい曲なんですが」
「なんですが?」
「聴きやすい曲なんですが……聴いてるうちに、こう、恥ずかしくなってきます……」
え~~……。
少しぐだぐだし始めたかも……でも、大きな歌のくだりはやっておきたかったからなぁ……。少しテーマを仕掛けるという意味合いで出したんですがね。