チューニング-6
歌口から唇を離し、息を一つ吐く。
ふはぁ――。
やっぱりこの時間が一番好き。一つのことに夢中になって、馬鹿になって吹いていく。それがたまらなく気持ちがいい。
きっと演奏中はだらしない顔だったんだろうなぁ、実際見たことないからわからないけど、思わず笑いがこみあげてゆく。
ふと、日が結構傾いていたことに気が付く。ポケットから携帯を取り出し、時間を確認すると、
17:16
だいたいいい時間かな。今から帰れば十分に夕飯の用意ができる時間だったことに満足する。
――さて、と。最後にご挨拶しなくちゃね。
ふぁああ~~~~ん。
――きりーつ。
ぷぁぁ~~~~~ん。
――れい。
ふぁぁああ~~~む。
「本日はご静聴いただき、ありがとうございました。」
かち…かち…かち……。
強めの風が吹き、枝同士が重なり合って、ぎこちなくかちかちと音をたてる。桜の木が拍手しているみたいでなんだか嬉しい。
かちかちかち……。
周りの木も枝をぶつけ合う。えへへ、満足してくれたんだ。
パチパチパチパチパチ!
今度は喝采の拍手が鳴り響く。人が手を叩くような乾いた音が………………んぅ?
ぱちぱちぱちぱちぱちぱち!
お、おかしいな。風がやんだのにまだ木々たちの拍手が鳴りやまない。さ、最近の木の拍手はエコー効果までついてるのかなぁ??
背後から聞こえる拍手の音はどんどん大きくなってゆく。しかも時々「きゃーー」とか「こっちむいてー」とか聞こえてくる。
き、気のせい、気のせいだよね。むしろ木の精(?)だよね?お、音を小さくして弾いたんだもん、人に聞こえてるはずが、
――そう言えば途中から楽しくなって……。
ちゅ、注意して、
――結構盛り上げちゃったような……。
……。
――ノリノリになっちゃたような気が……。
…………。
木の精であることを祈りつつ、ゆっくりと、声の方向へ振り向く。
「あ、こっちむいた」「かわいいーー!」「手振ってー!」「うまかったよーー」「すごいすごーい!」
……ばっちり聞かれてました(泣)。
て、落ち着いてる場合じゃない!!ど、どうしよ!このままだとホントに入学取り消しに――。
「見つけ……ました!」
「みゃい!」
どきり、と心臓が跳ね上がる。いつの間にか、僕の近くに息を切らせた女生徒が立っていた。
あ、も、もうだめ。こんなに近くでボクの顔、見られちゃったんだもん。
「……」
「……」
どう切り出していいかわからず、互いに見つめあう。
きれーな人……。
目の前の人はまさに、大和撫子という言葉を体現したような人だった。
穏やかながらも凛とした整った顔立ちに、吸い込まれそうな黒い瞳、そして、腰まで伸ばした黒い髪……あれ?この人……。
「あ、あの!」
「ひっぅ!!」
って、じっと見てる場合じゃなーい!
「ご、ごめんなさーーーーーーいいぃぃ!!」
ピアニカを乱暴に前かごに突っ込み、自転車のペダルを一気に踏んでその場から立ち去った。
うう……。ぜ、絶対顔覚えられたぁ……。
~♪~
「…行ってしまいました…。」
私が話を切り出す前に、彼女は猛スピードでこの場を去ってしまった。
とはいえ、自分も何を言えばいいかわからなかった。
ただ、このまま何もしゃべらないままなのは嫌だった。……結果はこの通りだが。
「はぁ……」
思わず溜息が出る。
もう会えないかもしれない。そう思うのは行き過ぎかもしれないが、少なくとも会える機会は少ないといえるだろう。
あの身長からしてみれば、少なくとも中学生、いや小学生あたりか。春香ちゃんなら何か知ってるかもしれない。
……そう言えば春香ちゃんが最近嬉しそうに話してたな、不思議な男の子のこと。
春香ちゃん達と同じくらいの身長で、すごくピアニカが上手で、金髪で、青と黒のオッドアイ特徴的な……あれ?
あの子に今の特徴、全部当てはまるような……でもあの子は女の子ですよね??……あら?視界の隅できらりと光る物が見えた。
「これは……」
光るそれは黒い樹脂製の歌口。慌てて去って行ったから、落としたことに気がつかなかったのだろう。
「ゆきの~ん。」
「陽菜……それに葵さん、海鈴さんも。」
「もう、いきなり駆けださないでほしいのよ!」
「まぁ、気持ちはわからなくもないが……おや、それは?」
「え、ああ。これはさっきの子の……」
「ふむ……して、どうするのだ?」
「それは……もちろん!」
もう一度会いたい。
でも明日は新一年生のためのオリエンテーリングがある。だから本格的に活動ができたとしても午後からになるだろうから休みにしておいたのだ。
もしかしたら来ないかもしれないし、来たとしてもすぐに逃げてしまうかもしれない。
だから、この与えられたチャンスを利用しない手はない。
手の中にある歌口を軽く握り、校舎の方に体を向け、団員に向かって口を開いた。
「みなさん!あの子に会いたいですか?」
「「「「あいたーい!」」」」
「あの子とお話ししたいですか?」
「「「「したーい!」」」」
「明日、休みですけど手伝ってくれますかー?」
「「「「いいともーーーー!」」」」
全員が口をそろえて賛同する。
「みんなノリがよすぎなのよ!」
「ふふ……みんなそれだけ気に入ったのよ。それにしても、あの子可愛かったわね。ほっぺもやわらかそうで、きっとお尻も柔らかいんでしょうね!」
「うむ、我も堪能したいものだな。陽菜はどうだ?」
「やっぱり、‘あれ’の反応が気になるかな。それによって新一年生の歓迎方法を変えるつもり!」
みんな好きなように盛り上がる。不思議な子ですね、本当に。たった1曲吹いただけでこんなになるなんて。あの子がもう少し早く生まれてくれれば、今頃……ふふ、やはり惜しいですね。
「あら、雪乃さん?……ふふ、あなたもあの子を気にいってしまいましたか?」
「はい!」
あの子にあったら何を話しましょう?
「ぬふふ~、ちっちゃくて可愛いいの好きだもんね、ゆきのん♪」
「ふふ、一目惚れしちゃいました」
今から考えておかないといけませんね。
「雪乃はどうだ?何がしたい?」
「そうですねぇ……」
そのためにも、
「ぎゅっ、てしたいです!」
作戦を考えなくてはいけませんね♪
………………そういえば春香ちゃんの言ってた男の子、ものすごく女の子みたいな顔してるって……あら?
~♪~
うう~、最悪だよ~……。
晩御飯を食べを並べながら、今日の出来事を思い返していた。
みんなから小学生扱いされて、トマトはつぶれて前籠がちょっとスプラッタになってるし(ピアニカもスプラッタになってた……)、歌口はなくなってるし、自転車から降りるとき足をぶつけるし……それに、顔見られちゃったし……ああ、思い出しただけでブルーだ……。
「……い」
「はぁ……」
「優活」
「んぅ!?あ、何じいちゃん?」
「……何か、嫌なことでもあったのかの?」
「へ?……あ、ううん!そんなことないよ?」
「……優活よ、知ってるかの?手料理には作った人の思いや気持ちがそのまま味になって表れるのじゃ。……何かあったんじゃろ?」
「……あはは。うん、実は――これこれしかじかで」
ついさっき起きたことをじいちゃんに話す。学校の桜が綺麗だったこと、そこで弾いたら気持ちよさそうだからつい弾いちゃったこと、そして、そこの生徒に顔を見られちゃったこと……。
「――かくかくうまうま……というわけじゃな。……はっはっは、優活も大胆じゃのう」
「うう……でもどうしよう。もしかしたら入学取り消しなんてことに……」
「ふむ……まぁ、その点は大丈夫じゃろう」
「……なんで?」
「その程度のことで、いちいち大事にすることでもなかろう。第一、喜んでいたのじゃろう?」
「えっ?」
「優活の演奏を、褒めてくれたのじゃろう?」
にっと歯を見せじいちゃんが笑う。
あ――。
言われてはっとした。その時はいろいろと混乱してたから気がつかなかったけど、あの時は……。
「あは」
思い出して自然と声を出す。そうだ、ボクは、ボクは……!
「それにの――」
「……じいちゃん」
「なんじゃ?」
「ボクさ、……褒められちゃった。父さん達やじいちゃん以外の人にさ、ピアニカ褒められちゃった……え、えへへへ」
「ああ」
「すごいって、うまいって、たくさんたくさん褒められちゃった。」
「ああ」
「じいちゃん!」
「ん」
「す~~~~~~~~~~っごい嬉しい!!」
こんなに嬉しいのはいつ以来だっけ?初めてテストで100点取った時?初めて逆上がりができた時?初めて自転車に乗れた時?卵焼きが上手にできた時?
運動会の徒競走で3位になれた時?ううん、そんなんじゃなくてもっと!!
――ぽふり。
そんな時に、頭に柔らかい感触。
「じいちゃん……」
「優活」
その顔は穏やかで、ゆっくりとボクの頭を撫でていた。いつものような荒々しい手つきではなく、優しく、撫でるように。
「良かったの」
「うん!!!!」
ああ、どうしよ!すっごい嬉しいのが止まらない!
もうボクの頭の中は嬉しさでいっぱいになっていた。
あ~~、ええと……。そうだ、ばあちゃんに報告しなきゃ!あとは父さんと母さんにも!
遠足に行く前の子供のようなはしゃぎよう。ああ、このまま眠れなかったらどうしよう!
ボクの心配事はすでに新しい方にすり替わっていた。
「じいちゃん、片付け終わったらパソコン貸してね」
「場所はわかるかの?」
「うん」
「使い方は?」
「……よろしくお願いします。」
明日はオリエンテーションもあるし、それに……うん、明日が楽しみだ。