チューニング-5
「それでは、終わりにしましょうか。」
「あー、やっと終わったのよ。」
私が部活終了の合図を告げると、あちらこちらで疲れ果てたような声が上がる。
確かに、ここまで密度を上げて練習したのは初めてかもしれない。
3年生が引退してから約3か月、私は吹奏楽団の一年生(と言っても、もうすぐ二年生だが)団長としてこの楽団を率いてきた。
最初は不安もあったし、トラブルもあった。でも、その度に心強い幼馴染や、先輩たちに支えられ、ここまでやってこれた。
でも、大きな問題があった。それは先の通り3年生が引退してしまったということ。もともと30人近くいたこの部活だが、そのうちの大部分が3年生だったので、今では12人と大幅に減ってしまった。しかも近年の軽音楽(特にロックバンド)ブームにより、吹奏楽団に入る人数が減る一方。(前にも似たような出来事があったような気がする。囲碁とかテニスとか……)
だから今年はなんとしても新入生を集めたかった。新入生歓迎会はなんとしても成功させて、部員を増やしたい。
その旨を部員全員が理解してくれたため、大きな衝突は起きることなく、円滑に進められたのは幸いだった。
「ゆきの~ん、帰りはどっかよって行かない?」
陽菜が後ろから声をかけてきた。その声は、少し疲れた様子がうかがえるが、部活終了と聞いて、その顔は少しずつ元気を取り戻しているようだった。
赤井陽菜。私と同い年で、幼馴染の一人で、とても元気な部のムードメーカー。
「ええ、いいですよ」
「ん、わかった。じゃあ、師匠と鈴っちも呼んどく。ん~、やっぱり桃屋がいいかな。あそこのチョコパフェはお手ごろだし~……あ、カフェ緑は
今日ケーキバイキングだったけ?あー!喫茶キイロのクーポン今日までだった!」
今日寄っていく店を選ぶだけで、こんなにもたくさんの表情を見せる。みんなは落ち着きがないと苦笑するけれど、これは間違いなく陽菜の魅力だ。
実際、彼女の周りにはたくさんの友人が多いことがそれらを裏付けている。……罠を仕掛けたがるという悪癖が玉に瑕ですが。
「う~、ど、どこにしよ……。ししょ~、師匠はどこがいいと思います~?」
陽菜が涙目になりながら‘師匠’のもとへと向かう。
そんな師匠の名前は風音葵。
私の一つ上で、幼馴染の一人でもある。演奏技術が高く、入学当初から団長を務めたが、その権利を私に譲り、今では副団長としてこの楽団を支えている。
「ふむ、我としてはバーガーショップMoccoがよかったのだがな……まぁ、可愛い弟子の希望だ。ここはひとつ……確かキイロのクーポンが今日までと言ったな、ふむ、ならばキイロだ。使ってないクーポンは活用しないとな。」
「ありがとうございますなの!さっすが師匠!」
「はっはっは。もっと褒めろもっと褒めろ!」
まぁ、少し変なところもありますが……面倒見のいい姉貴分です。
「ひゃん」
少し離れたところから小さな悲鳴が上がる。これは……またやってるなぁ。
「み、海鈴せんぱ~い……」
「あらあら、ごめんなさい。ふふ、形のいいお尻だったからつい」
「そ、それはわかりましたから……ひん、も、もうゆるして~」
海鈴と呼ばれた生徒は、少し申し訳なさそな顔をして謝るが、しかしその手は女生徒のお尻に夢中のようだった。
彼女の名前は白岡海鈴。この人も私の一つ上の幼馴染だ。
見た目はふんわりとした清楚なお嬢様……なのだけれども、
「ひ~~ん」
「うふふふ……」
こんな感じに女の子に対して過度なスキンシップをすることが玉に瑕と言ったところ。ときどき私達にも矛先を向けてくるのだ。
あ、紹介が遅れましたね。私の名前は黒姫雪乃。この紅坂高等学校吹奏楽団の団長を務めさせてもらいます。
さて、団員の騒ぎがこれ以上大きくならないうちに――
ぱんっ、と一つ手を叩く。
「はいっ!それではみなさん片づけましょう」
後片付けをしておかないと、いけませんね。
~♪~
それは、片付け途中の出来事だった。
(あれ……?)
どこからともなく聞こえてくる音……いや、旋律。
最初は団員が、さぼって吹いているのかと思ったが、そうではないと気付く。なぜなら、全員が、機材のもち運びやら、清掃をしていたりしたからだ。
では誰かの着信音か?違う。着信音独特のノイズ交じりの電子音じゃない。これは……実際に誰かが演奏している?
よく耳を澄ませてみる。
かすかに聞こえる音は、暖かくて、懐かしい、音色――。
懐かしい……?
気がつけば、楽団の全員がかすかに聞こえる曲に気がついたようで、耳を傾けたり、どこから聞こえてくるのかとあたりをきょろきょろと見回していた。
「ゆきのん、ゆきのん」
「陽菜?」
「こっちこっち……見て!長老の方!」
陽菜が小声で私を招き、窓の外――裏門の桜(みんなは長老と呼んでいる)の方へ指をさす。
そこには、一人の少女が桜と戯れながら演奏をしていた。
夕陽に映える金髪に、整ったやさしそうな顔つき。その顔は幼さく、手にした楽器が、さらに彼女の幼さを後押しする。
彼女の持っている楽器を見て納得した。なるほど、懐かしさの正体は鍵盤ハーモニカだ。
ところどころから感嘆の声が上がる。いつの間にやら団員達は片付けを中断して、彼女の演奏に耳を傾けていたようだ。
「楽しそうだよね……」
誰かがぽつりとつぶやいた。彼女は体を左右に揺らし、弾むように鍵盤を叩き、時に優しくやわらかく、時には速く激しく、落ち着けて、盛り上げて、包み込むように。
人の表情のように変わる旋律は、まるで歌っているようだった。
まさに釘付け。団員のだれもが、彼女に見蕩れ、聴き入り、その場から動こうとしなかった。
本来なら団長という立場上、みんなに片付けを促さなければならない。でも、
あの桜のような満開の笑みを見たら、あんなに嬉しそうな顔を見てしまったから――。
私は自然と言葉を飲み込み、彼女の演奏会の観客となった。