PE'Zより「新しい日々~LUNA ROSSA~」前
「では……聞かせてもらおうか」
どくっ、どくっ。まるで手が心臓になったかのよう。
ぴくり、ぴくり。痙攣したのように手が動き出す。
深く息を吸い込んで、荒くなった呼吸を落ち着かせた。
目の前には、団員達が期待にあふれた表情でボクを見つめている。
――怖い……。
ボクを見つめている目の色が変わって、幻滅してしまうのではないか?そう思うと、震えが止まらない。
――でも……。
この人たちは昨日、ボクに対して何をした?その人たちは今、ボクをどんな目で見ている?
――ドキドキしてきた……!
混ざり合った感情がこみあげ、ボクの体をぶるぶると震わせる。
「んっ!~~~~~~~~~~きゅっ……ぅ」
思わず突き出してしまった拳を、ごまかすように座ったまま腕と足を延ばす。
ただ、所々から笑い声が聞こえるため、完全にごまかし切れなくて、少し恥ずかしかった。
しっかりとピアニカを握る。
体の震えも、不安もなくなっていた。
そしてイメージする。この曲のはじまり方は……、
ぷわん。
♪――ゆっくりと、朝日が昇るように。
~♪~
「ねぇねぇ、昨日吹いてた曲、あれ、また聞きかせてほしいの!」
「あ、そういえばあの曲なんて言うんだろ?」「聞きたい聞きたーい!」「陽菜ナイス!」
「また聞かせて欲し~い」
質問攻めから切り抜けた後、陽菜さんはボクにそう言うと、周りから声が上がり、ボクは戸惑ってしまった。
まさかリクエストされるとは思っていなかったこと、そして、どう表現したらいいかわからない感情に戸惑っていると、「ね、お願い」と、片目をつぶって再びボクにお願いしてきた。
「ダメ……かな?」
「んぅ!?だ、ダメだなんてこと――」
――ダメだなんてことない。
そう言い切るつもりだったのに、言葉が出てこなかった。
嫌じゃ……ないはずなのに?むしろ、言われて嬉しいのに……なんで、何で――。
「ゆ、優活君?だ、大丈夫?」
陽菜さんがボクの顔を覗き込んできたので、反射的に頬を押さえて顔を反らしてしまった。
だって、だって、今のボクの顔は――。
「陽菜、どうかしました?」
「優活君の様子がおかしかったから顔を覗いてみたんだけど……」
「覗いて……?」
「赤くなったと思ったら、そっぽ向かれちゃったのよ」
頬を押さえる手が一気に熱くなる。きっとボクの頬は、陽菜さんが言ったように、真っ赤になっているんだろう。
――な、何でこんなに恥ずかしいの??
今までリクエストされた時はこんなことなかったのに。お父さんやお母さん、おじいちゃんに春香ちゃん達……。
両手で数えるくらいしかいないけど……嬉しいけど恥ずかしいのは、どうして?
「くす。大丈夫ですよ、陽菜」
「な、何かわかったの、ゆきのん?」
「くすくす。ええ、優活君は、ただ――」
――照れてるだけなんです♪
~♪~
♪――昇った太陽が、徐々に屋根屋根を、街を白く照らしてゆく。
基本的にボクは吹いてるとき、周りとかは気にしない。……けど、こう、たくさんの視線を感じると……。
ちらりと団員達に目を向けた。
(うわ、すごく真剣に見てる。)
昨日の生徒程ではないけれど、穴があきそうなほどの視線。
そんな目を向けられると、何だかボクも――僕自身も『真剣』にやらなくちゃいけないような気がしてきた。
ミスなんて許されない、ピシッとした型にはまる、そんな感じ。
集団に合わせなくちゃいけないのはわかっている……けど、のびのびできなくて、固くなって……なんだか、窮屈で――。
(ここも……『ダメ』なのかな……)
また嫌な気持ちが心の中で湧き上がる。そんな気持ちを抑えるようにボクは目を伏せた――。
~♪~
「ひやぁぁぁぁ!!?」
僕の頬が一気に冷やされて、思わず変な声が出てしまう。
な、何で手が、しかもなんか濡れてるし。
「はぁぁぁ…、あったかくて気持ちいい…。さっき程、手を水道で冷やしておいて正解でした。」
「ちょっ、んな、なんで、雪乃さん、そんなことを――ひゃややや!!??み、みみ、耳はひゃめ~」
「ああ、耳もこんなに暖かいなんて。少し寒いこの時期には身に染みる暖かさです♪」
「わざわざ冷やしておいて、何てわざとらしい!?」
頬を冷やす手を、なんとかして引き剥がすと、その手は名残惜しそうにわきわきと動いていた。
ま、またそんな動きをして……。だけどこのまま手を離せば『もにもに』の二の舞。
だったら……これで、どうだ!
小さな掛け声とともに、一瞬で相手の掌を抑え込んだ。
それと同時に、周りから「おお」と感嘆の声が上がる。
ふっふっふ、我ながら惚れ惚れする早業♪
雪乃さんも驚いたように「まあ」と声を上げて感心している。
ひんやりした手が気持ちよくて、押し負けそうになるけど、指を絡ませればもにもにされることはない。
これぞ、先を見据えた完璧な防御!
「ボクだって男の子ですからね、非力だと思ったら大間違いです」
「ええ、まさかいきなりこんなことをしてくるとは思いませんでしたもの。優活君てば……大胆」
「えっへん、『男の子』ですから!」
誇らしげに胸を逸らすと(両手がふさがってるので気持ちだけ)、周りから囁くような声が聞こえる。
ふふふ、耳をすませば、僕が男らしいという声が――
~ひそひそ~
(うわ~、部長うらやまし~)(私もあんなことされたい……)(いいな、いいな~)(優活君は手もふにふにしてたからねぇ)(私あんなことされたら問答無用で抱きしめるかな?)(はい!私は『お持ち帰り』希望です!)(あんな可愛い子からされちゃぁ、ねぇ?)
~ひそひそ~
……あれ?
おかしいな?全くと言っていいほどそんな雰囲気がない。むしろ別の会話になってるような気がする。
「まさか、恋人握りをしてくるなんて……」
――へ?コイビト……ニギリ?
雪乃さんの言葉を頭で反復しながら、今の状況を再確認してみる。
『僕と、雪乃さんの手は、指を絡めあった状態で、拮抗している』
この状況のどこにそういった要素があるのだろうか?だいたい、ドラマとかでのシチュエーションだと、こんないがみ合った状態じゃなくて――、
――きゅ。
そうそうこんな感じで柔らかく……握……え?
――きゅう。
「優活君の手、柔らかくて……暖かいです」
そう言った雪乃さんは、頬を少し赤くして、はにかんだ。
その顔はさっきまでのいたずらっぽい顔はなく、じっと僕の目を見ながら。
その綺麗な目に見つめられ、僕の顔が徐々に熱を持ち、その目に吸い込まれるように――っ!!?
慌てて手を振りほどき、雪乃さんから距離を取った。危ない危ない、もう少しで策略に――
「隙あり♪」
――見事にはまってしまいました。
さっきの顔はどこへ行ったのでしょうか。目の前の雪乃さんは嬉しそうに僕の顔に手を当て、暖を取っていた。
~♪~
♪――早起きさんたちは、朝の日差しをあびて、一足先に一日を始める。
向けられる視線に怯えるように、息が、体が震え、それをごまかす様に音を小さくして……。
そんなボクの情けない姿を見られたくなくて……俯いて顔を隠した。
――ゆういくん――
そんなとき、名前を呼ばれたような気がして反射的に顔をあげると……。
まじまじとボクを見つめる団員の中、その視線の主――雪乃さんと目があった。
ボクと目があったことに気がつくと、雪乃さんは嬉しそうに微笑んだ。
――怖がらないで、優活君――
(――――っ!?)
はっきりと聞こえた。演奏中、誰も口を開けずに、声も出していない状態で……言葉が聞こえた。
突然のことに戸惑うボクに、雪乃さんはまた微笑んだ。
~♪~
「あうぅぅ……もういい加減にしてくださぃぃ……」
あれから、雪乃さんは余程気に入ったのか、ずっとにこにことした顔で僕の頬に手を押しつけていた。
後ろからのブーイングも知らんぷり。涼しい顔をして、ボクのほっぺたを独占していた。
「ふふ、冷えましたか?」
「ええ、そりゃもう。おかげでキンキンに冷えたほっぺたができそうです」
詰め込めるだけの棘を詰めて返事をしてみるが、早くこの手を放してくれないと、夏に嬉しい「シャーベットピーチ」ならぬ「シャーベットほっぺ」ができてしまいそうな勢いだった。そんな僕の返答がおかしいのか、雪乃さんはくすくすと笑いだした。
それと、できれば力を弱めていただきたい。このままいくと、僕の顔は「あっちょんぷりけ」なことになってしまい、(主に著作権的に)危ないことこの上ない。
「ふふ、ごめんなさい。質問の仕方がいけませんでしたね。……さっき優活君照れてましたよね?」
「――んぅ!?」
「あ、また温かくなってしまいましたね……また手を冷やさなくては――」
「わざわざ冷やしに行かないで下さい!!」
大慌てで雪乃さんの手を掴む。この人、本当に「シャーベットほっぺ」を作るつもりだ!
心底残念そうな顔をした雪乃さんは、僕から手を離すと力なく崩れた。
「うう、やっぱり迷惑ですよね……。気を紛らわせようと私なりに努力したつもりなのですが」
「ひゃわわわ!?ゆ、雪乃さん泣かないでくださいぃぃ!」
口に手を当てて、雪乃さんは静かに泣きだした。その容姿と仕草が見事に様になって、思わず見惚れそうになってしまったが……
(泣かせた)(優活君が)(また部長を泣かせた)
((((おおお~~~~ぅ))))
正直、後ろからの視線がすごく痛いです!!このままだとまた「もにもに」……いや、もっとひどいかも!!
「少しでも気が紛れればと、思ってのことでしたが……年寄りの余計なおせっかいでしたか、そうですか……」
っ!い、今葵先輩から冷たい視線を向けられた気が……。と、とにかくこの状況、どーにかしないと……。
「え、あ、ああの……雪乃さん落ち着いて下さい!おせっかいだなんてそんな――」
「年寄りだということは否定しないんですね……よよよ」
「(じ、自分で言っておいて!?)ゆ、雪乃さんは年寄りなんかじゃなくて……えーと、えーと……滑らか、鮮やか、艶やか、和やか、したたか、静岡…………あっ!貴重品!!!」
「貴重品?」
「んぅ!!間違えた!え、えーと、その……せっかくの美人さんが泣いたら…その、笑顔の方が素敵だと思いますから、その…わ、笑ってください!」
もう自分でも何を言っているかわからなかった。何を言っていいのかもわからない、でも――
――私達と奏でてくれますか――
あの時の風景、雪乃さんの笑顔はとても綺麗で素敵だったから、だから……ううー、頭がこんがらがってきたー!
「……くく」
不意に、小さな声が聞こえたので、そっちに目を向けると、雪乃さんが小さく震えていた。
「あ、あの……」
「ふ、ふふふ……ふふふ」
「?雪乃さ――」
「ふふ、ふふふふふ……、ごめんなさい優活君。優活君の反応が可愛くてつい……」
ぽかんとした僕を尻目に雪乃さんは笑いながら謝罪する。
呆然としている僕に雪乃さんはさらに言葉を続けた。
「ふふ、もう大丈夫ですか。気は紛れましたか?」
あ――。
「同年代の人に言われたことなくて照れてたんですよね?少し荒療治でしたが……ふふ、その様子だともう大丈夫のようですね」
図星を指される、僕は頭を俯かせると同時に、雪乃さんに感心した。
――お見通し、か。
出会ったばかりだというのにこんなにも看破されてしまった。
「ねぇ、優活君。さっきも言ったように、あなたは素晴らしいものを持っています。ここにいるみんなは『あなたの素晴らしいもの』が聞きたいのですから……ね――」
――あなたを……あなただけの音を聞かせてください――
~♪~
♪――昇る日はどんどん高くなって、暗がりの街をどんどん照らして……
すっと、そんな言葉がボクの中に入り込んできた。声に出したわけじゃないのに、口すら動かしてないのに、本当に短い時間、なのに……。
(雪乃さんは、すごい)
霧が晴れる様に、紐の様に――もやもやしていたものが消え、窮屈だったものが解けていった。
震えも収まり、ピアニカの音も次第にに大きくなってくる。
改めて周りを見渡すと、さっきと変らない表情で、団員達はボクを見ていた。
食い入るように、真剣に……一音一音逃さないように、
♪――寝坊助さんたちに……おはよう!
期待するような眼でボクを見ていた!
~♪~
がたん!
勢いよく立ちあがった反動で、椅子が倒れてしまったようだが、構わない。
団員達も驚いたように目を丸くしてるけど、構わない!
そんな些細なことを気にして演奏を止めてる暇なんてないのだから!
深呼吸するように息を吸い、吐き出す息で、盛り上げるように音を大きくする。
残ったもやもや《朝霧》を晴らす様に、ボクの中の臆病な心さん達を一人残らず起こす様に。
♪――今日も慌ただしい一日が始まった。
鍵盤上の指が踊りだす、ノイズが出ないように荒い息をピアニカに送り込み、心音にリズムを合わせる。
弾けそうな位に興奮気味の心臓だけれども、その鼓動は楽しそうに弾んでいた。
せわしなく指が鍵盤を叩き、歯切れよく、細かく息を吹き出して。だらしなく息を出しっぱなしにしないように注意して!
ドキドキとワクワク。
今日は何が起きるかな、楽しいこと、たくさんありますように。
毎日毎日、その日を水道の水を流すように過ごしてゆくなんてもったいない!
楽しい瞬間、嬉しい時、探せばこんなにある!ボーっとしてたら見逃ちゃう!たくさんのことがすり抜けちゃう!
今日だって、そう!オリエンテーションだけで終わると思ってたのに、いつの間にか吹奏楽団の人たちの前でピアニカ吹いてるんだもん。
その間に何があっただろう?罠に引っ掛かって、セクハラ受けて、自己紹介して……そこで子供扱いされて、女の子扱いされて、……ろくなこと起きてないなぁ。
♪――あんなに慌ただしかった昼も終わり、日は沈み始めた。
でも、こんなこと、絶対に、絶対に起きないと思う。こんなに慌ただしくて、恥ずかしくて……嬉しくて、楽しくて!今すぐ「わーーーっ!!」て叫びたくなるくらいの出来事!!まるで電車の景色のようにめまぐるしく変わって、振り返ればついさっきの出来事もどんどん遠くなってゆく。
1日が48時間になったらいいのに……。もしそんなことになったとしても、きっと足りないだろうな……そう――。
楽しい時間が早く過ぎてゆくように、この曲にも終わりが近づいてくる。
♪――日は沈み、静かな夜の中、人は夢を見る。