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聖者が街にやってくる

作者: 桃園沙里

 その村は、宿場町と宿場町の間にある、旅人が通り過ぎるだけの小さな村だった。これといった産業もなく、村民のほとんどは小作農である。村の丘には隣町の大地主の葡萄畑が広がり、多くの村民はそこで働いている。

 村のメインストリート沿いには酒場が二軒、そのうちの一軒は宿屋も兼ねているが、ここ二、三年は客が泊まったのを見たことがない。それからパン屋、食料品屋、小間物屋、それがこの村の商店全てだ。本や衣類は徒歩なら三十分以上かかる隣町へ行かねばならない。

 村長は昔からこの土地に住み、葡萄畑の管理を任されている。他の村民よりは多少の余裕があるが、とにかくこの村の人々は質素な暮らしを強いられるような状況である。


 ある春の夕暮れ時、村に二つだけある酒場の一つに、小間物屋の主人が入ってくると食堂中に聞こえるような大声で言った。

「有名な聖者、聖パステーク様がこの村にやってくるのだって」

 給仕をしていた女店員が聞き返す。

「なんだって、そりゃ本当かい」

「今教会で聞いてきたんだ。嘘じゃない」

 小間物屋は、パン屋、食料品屋、村長の娘婿、の三人の客が囲んでいるテーブルについた。

「こりゃあ、この村にも運が向いてきたな」

「忙しくなるぞ」

 会話を聞いていた隣のテーブルの男が聞き返した。

「どういうことだい? 」

「それはね」

 女店員が手を休めて説明し始める。

「聖パステーク様が訪れた地と言うだけで聖地として崇められ、巡礼者が多く訪れるようになるのさ。立ち寄った名所には観光客が増え、土産物を皆が買い求める。宿屋も食堂も土産物屋もみんな儲かるって噂さ。どこだかの町では、パステーク様が岩をトンと杖で突いたらそこから泉が湧き出て、今では、その水を瓶に詰め、奇跡の水として旅人に高く売って大儲けしてるらしいよ」

「それはすごい。じゃあ、この村も」


 聖パステークとは、神の奇跡を起こすと名高い聖者である。

 赤ん坊の頃、教会の前に捨てられていたのを牧師が拾い、神の子として育てられた。幼い頃から神の教えを熱心に学び、真面目な子供だった。彼が十三歳になったある日、彼は奇跡を起こした。枯れた木に花を咲かせたのだ。それ以来、彼が祈ると病は癒え、空に祈れば虹がかかり、いつからか人々は聖者聖パステーク様と崇めるようになった。やがて彼を崇める信者の中から、自らすすんで聖パステークのお世話をする者、聖パステークの言葉を本にする弟子などが現れた。

 聖パステークは、病に苦しむ人々などを救うために、数年前から国中を旅するようになった。旅には数人の弟子や信者が付き従っている。聖パステークはただ、行きたい場所を歩いているだけである。聖パステークとその弟子たちは教会に泊まり食事をするので、村の店にはあまり関係がない。ただ、人々は、聖パステークが通った道を聖なる道、訪れた場所を聖地と崇め、その軌跡をたどり巡礼の旅をする。巡礼者は立ち寄った町や村で宿屋に泊まり、飲食をし、食料を買い、記念となる土産品を買う。彼らが使うお金は、その土地にとって大きいのである。


「いつ来られるのだね?その聖者様は」

 貧乏なこの村にも、ぜひ聖者様の恩恵を授かりたい、裕福になりたいと思う気持ちが村人に芽生える。

「到着まであと七日ほどらしい」

「ようし、じゃあいろいろ準備しなくちゃな」

 村人たちは明るく言った。

「その、例の泉の水で大儲けした町のように、この村にも聖者様に何か奇跡を起こしてもらいたいものだ」

「ふふ」

 奥のテーブルから、鼻で笑う声が聞こえた。

 教会で寝泊まりさせてもらう代わりに教会の掃除や雑用をしている男だ。

「無理無理。聖者様は何もしてくれやしない。この村に長居はしないのだもの」

「どういうことだ」

「宿も食事も全部隣町で済ませるから、何の準備も必要ないと。この村はただ通り道だから、まあ、教会に寄って挨拶くらいはするけど、それだけだ。ただ通り過ぎるだけ」

「宿も食事も」

「でもまあ、この村に宿泊するとか言われても、教会は狭いし宿もない、食事も、なあ」

「うちの食事に文句があるのかい」

 奥から女店員がどなる。

「そうだな、こんな小さい村に聖者様ご一行が大勢で来て泊まると言われても却って困るよな」

「それもそうだ」

「いや、しかし……、」

 パン屋が教会の男を振り返った。

「本当に通り過ぎるだけなのか」

「そうだ。食事もしない、買い物もしない、観光も散歩もしない。せいぜい水の一杯でも飲む程度だ」

「じゃあ、聖者様が来ても、村には何の恩恵は無しか? 」

「ま、そういうことだろうな」

 男の言葉に皆は顔を見合わせた。

「聖パステーク様が通っただけの村、か」

「そんなじゃ巡礼者も立ち寄らない。逆効果じゃないか」

「だったら来ないほうがいい」

「大騒ぎして、ばかばかしい」

「なんとかならないか」

「聖パステーク様をなんとか利用できないものかね。せっかく来るんだし」

「そうだ、この村にも聖パステーク様に奇跡を起こして貰えばいい。泉を湧かせたりとか」

「そんな調子いいこと」

「いいこと思いついた」

 小間物屋が手を叩いた。

「なんだ」

 みんな一斉に小間物屋を見た。

「例えば、聖パステーク様がこの村へ来る道で体の具合が悪くなったとしたら」

「この村で休まなくてはならない」

「そう、そしてこの村の井戸水を飲んで治ったとしたら」

「おおっ」

「でも、どうやってそんな上手い話になるのかね」

「だから、例えば、の話だよ。他にも手はある。そうだな……この村に留まってもらう方法」

「一番美しい村娘に世話をさせて長居してもらうというのは」

「無理だ。相手は聖者様だぞ」

「ええい、いっそ、この村で死んでもらって聖者の墓を村に作ろう」

 そう言った小間物屋を皆が振り向きました。

「シッ、声が大きい」

「……でも聖者の墓がこの村にできたら、この先ずっと旅人は途絶えない」

「いやいや、だからと言って」

「そうだ、罰があたるぞ」

 五人は一様に腕組みをして黙り込みました。

 村長の娘婿が顔を上げた。

「いい案がある」


 それから七日後、教会の礼拝堂で祈りを捧げる聖パステークと聖パステークの弟子たちを、村長と娘婿、それから松葉杖を持つ若い娘が見守っていた。

 聖パステークは祈りを終えると、神父様に挨拶をし、神父と共にゆっくりと出口へ向かった。

 礼拝堂の一番後ろの席に座っていた村長らが立ち上がった。

「聖者様」

 村長が意を決したように言った。

「私はこの村の村長です。実はこの娘、足を怪我してずっと治らず、痛みのために思うように歩けません。聖者様がこの娘のために祈ってくださったら幸いです」

 聖パステークは足を止めた。

 娘は、困難そうに杖を片手に立ちあがろうとした。

「座ったままでよろしい」

 聖パステークは手で制した。

 娘の頭の上に右手をかざし、何やら口の中で言葉をつぶやいた。少しの間があった後、聖パステークは手を外すと、娘に向かってにっこり微笑んだ。そうして彼女に立つように促した。

「まだ痛みますか」

 娘は椅子の背を頼りに恐る恐る立ち上がった。

「! 」

 娘が驚いた顔をして聖パステークを見た。

「痛くありません。足が……どこも痛くありません」

「おお」

 取り囲んでいた村長らと弟子たちは静かに歓声を上げた。

「ありがとうございます、ありがとうございます」

 娘は何度も頭を下げた。

「神のご加護がありますように」

 聖パステークは満足そうに微笑み、再び出口の方へ向き直った。

「あの! 」

 村長が声を上げた。

「この奇跡を、他の者たちに伝えるために、ぜひ、村に記念碑を造ることをお許しください」

 聖パステークは眉の端を下げ、困ったような顔をし、傍にいる年配の弟子を見た。

 弟子が聖パステークを代弁するように言った。

「そういったことでしたら、少々決まり事がありまして、ええ、説明することがございます。聖パステーク様、私が説明しておきますので、ええ、聖パステーク様はどうぞ、次の町に先に行って休んでください」

 聖パステークは安堵した顔をして「では先に行っています」と、二人の弟子を残して教会を後にした。神父と杖をついていた娘、村人たちが、聖パステークと他の弟子たちを街道で見送った。


 礼拝堂には二人の弟子と村長と村長の娘婿が残された。そのうち年配の弟子が村長を見た。

「で、村長さんは、聖パステーク様の記念碑を建てたいとおっしゃるのですね」

「ええ、この奇跡を人々に伝えるために、教会の前庭に碑を建てとうございます」

「実は……、世の中には聖パステーク様を利用しようとする輩が大勢いましてね」

「ええ、」

 村長はギクリとした。

「こちらを」

 若い弟子が肩から下げた布袋から一冊の本を出し、年配の弟子に渡した。

「これは」

 表紙に「聖パステーク様の旅・弟子コンコンブルの記録・その七」とある

「私ども弟子が作っている書の最新版です。これまで聖パステーク様が旅の道中で行った説教、奇跡などさまざまなことを記録として書き留め、聖パステーク様の旅に同行できない信者たちに伝えるため、書物にしているのです」

 年配の弟子はパラパラとページをめくって見せた。

「この本には聖パステーク様が通った街、奇跡を行った街、銅像が建てられている街、そういった全ての街が掲載されています。ですから、この本に掲載されていない場所の記念碑は、聖パステーク様と関係がない偽物という意味になります。私ども弟子はこうした本を作ることによって、聖パステーク様を悪用されないよう管理しているのですよ。貴方にも差し上げましょう。聖パステーク様の偉大さを少しでも伝えられますよう」

 本を受け取りながら、村長の額に汗が滲んだ。

「この村に聖パステーク様の記念碑を建てたいというのでしたら、次の巻に書く必要があります。なあに、実際に聖パステーク様がこの村で奇跡を起こされたのですから何の問題もありません。ただ……」

 年配の弟子は声のトーンを落とした。

「ここだけの話ですが……」

「聖パステーク様は金銭に無頓着なのです」

「はあ」

「清廉なお方ですから当然なのですが、正直言って、私どもは苦労しますよ。聖パステーク様は手元にある金銭を、惜しみなく貧者に与えてしまう。ご自分の生活費や旅費のことなど微塵もお考えにならないのです。ですから私ども弟子がこうやって本を書き、世界中の人々に販売して、その利益を聖パステーク様の旅の資金に充て、また貧しい人々に寄付しているのです」

「そんなご苦労が……。あっでは、この本もタダでいただくわけには」

 村長は慌てて渡された本を返そうとした。

「いえいえ、それはかまいません。でも……」

「もし、この村に聖パステーク様の記念碑を建て、この書物で紹介するのであれば、そのために、いくらかのご寄付をいただけたら、と……」

「ええ、もしこの村を紹介していただけるのなら、是非」

 村長の顔が紅潮した。

「この本は世界中の人が買っています。世の中の聖パステーク様の偉大さを少しでも知りたい、少しでも近づきたいと思う信者が、この本に書かれている土地を巡礼します。この村にもきっと巡礼者が大勢訪れるでしょう」

「それはありがたいことです」

「ああ、でも、私どもがこのようなことをしていることは他の人々はもちろんのこと、聖パステーク様にも内密にお願いします。金銭に困っていることを知られたら、聖パステーク様はもう旅をおやめになってしまうかもしれません。世界中の、聖パステーク様のお姿を拝見したがっている人々の元へ、二度と行けなくなってしまいますから」

「ええ、ええ、わかりました。もちろんですとも」

「ありがたいことです。この村に神の恵みがあり繁栄しますように」

 弟子はにっこり微笑んだ。


 教会の前で二人の弟子を見送った村長は、教会の前で待っていた先ほどの娘を満足げに振り返った。

「よくやった。たいした演技だった。聖者様もすっかり信じたようだ。聖者様の記念碑を作ればこの村が聖地とされ、旅人が大勢訪れる」

 教会の外で固唾を飲んで見守っていた小間物屋、パン屋、食料品屋、酒場の主人らが村長に走り寄った。

「どうでした」

 村長は先ほどの出来事を全て話した。

「うまくいったのだね。しかも、こちらで宣伝する手間も省けた」

「結局、弟子の人たちも、聖者様を利用して金稼ぎをしているのは、我らと同じなんだなあ」

「やましい気持ちが吹き飛んだよ」

「これから宿屋や土産物を作らないといけないな」

「こりゃ忙しくなるわ」

 小間物屋たちは明るく笑い合った。


 村を後にした二人の弟子は、次の町に向かってのんびりと街道を歩いていた。

「まさかこんな田舎の小さな村でもあのようなことをするとは、驚きました。世界中どの街にもいるのですね」

 若い弟子が、村長から受け取った袋の中身の銀貨を確かめながら言った。

「うむ。それにしても、あの娘、なかなかの演技だった。仮病を使ってパステーク様の奇跡を乞う人間は多いけれど、今までの中でいちばん真に迫ってたよ」

「パステーク様もすっかりその気になっていましたね」

「あの娘、いっそ我らの仲間に誘いたいほどだ」

「……本当にパステーク様は何の力も持っていないのですか」

「そうだよ。パステーク様の奇跡は、みんな我らが仕組んだことさ。雨が止みそうになったらパステーク様を外に連れ出し、杖を振ってもらう。泉が湧く場所を我らがあらかじめ調査して、パステーク様に発見してもらう。偽の病人を用意してパステーク様の祈りで治癒したように見せる。肝心なのは、パステーク様自身が自分に力があると思い込むことだよ。自分で自身の力を偽りだと思っていないから、言動に迷いがない。まさかここまで有名になるとは思わなかったけどな」

「万が一、本物の病人が現れたら」

「何度もあったよ。その時は、あなたの信仰心が足りないのです、毎日神に祈りなさい、とかなんとか言って終わらせればいい。簡単なことだ。我ら弟子たちが口を堅くしていれば今後もずっとうまくいくだろう」

「本当にありがたいことです。貧乏な私が生活の心配をしなくて済むようになったのも、みんなパステーク様のおかげですから」

「パステーク様のおかげというよりは我ら弟子たちのおかげなんだけどな」

 若い弟子は、年配の弟子に向かって手を合わせた。

「そうですね。感謝しています」

 二人はクスッと笑って顔を見合わせた。(了)

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