覇王の息子
本文中に男性の事を「彼女」と呼ぶ描写がありますが、意図的な表現ですのでご了承下さい。
着々と戦の準備が進んでいく中、書庫に立ち入ると重持様が一人で本を眺めていました。彼であり彼女でもあるこの人は、机に本を広げて椅子に座りながら渋い表情でそれを眺めていました。本の表紙を見てみると、トルグートの書物である事が見て取れます。
「本日はいい天気ですね」
そう言うと、彼は口を閉ざして窓を見る。窓の外はざあざあと言う擬音が似合う程の大雨となっており、好んで外に出る人はいないでしょう。
重持様もそう思ったのか、私に対して渋い表情を見せます。
「私はこの天気がいいとはとても思わないが……」
控えめにそう言う様子がおかしくて頬が緩みます。きっと、彼なりに気を遣った言葉なのでしょう。
「そう思うでしょう? でも今の私にとってはとてもいい天気なんです」
首を傾げるこの人に、私は続けます。
「戦争が始まる事になります。満足ですか? 貴方にとっては病魔を運んできた憎き国でありますから」
そう言うと、彼は表情を消す。以前の私であれば気圧されていたか、或いは気を遣って回りくどい言い方をしたでしょう。しかし、今はその表情が自分を守るための鎧のように見えます。
「何かを掴んだようじゃな。聞こうじゃないか」
この人は相変わらず自己を押し殺したような言い方でそのように言います。私はその顔を見て、口を開きます。
「かつて春の方様が患った病魔、その症状が大陸で一六年前に流行ったと言われる病と同じでした。そして、奥方様が倒れた時も同じ」
そこまで言っても重持様は表情を変わりません。いいえ、変えないと言った方がいいのかもしれません。彼の立場上、人に隙を見せる事は容易には出来ませんから。
「奥方様は生まれたばかりの我が子に病をうつさないため、彼を守るために自らを隔離しました。これは自らの子供が愛情を知らない子供になる危険性もあります。だからこそ、彼女は一頭の女性を彼の側に置いた。そんなとこでしょう」
そう言うと、重持様は頬杖を付いてこちらを見ます。
「どうだったかな。何せ昔の事だから忘れてしまった」
賛成も否定もしない、下手な隙を見せない言い方です。これでは事実確認は出来ません。しかしそれでも私は構いません。
「重持様、私は彼をそのように見ます」
そこまで言うと、彼がようやく私の顔をじっと見ます。それだけで口を開こうとはしませんから、私はまた喋ります。
「彼は一国の主であり、両親から想われた。でも、母からの想いは直接受け取る事が出来なかった人」
そこまで言うと、重持様はようやく口を開きました。
「それでいいのか?」
その言葉に、私は頷きます。
「卑下も美化も無粋です。確認した事実を見て、その人を好ましく想う。それで……いいえ、それがいいのでは無いかと考えます」
そこまで言ってから、自然と頬が緩みます。
「ちょっとかっこつけすぎたかもしれません」
そう言うと、重持様は穏やかな微笑みを浮かべます。
「構わん。多くの人が生きる理由、死ぬ理由なんて理屈をこねてかっこつけてばかりだ。他人に対していい格好をしたい。それはごくごく自然な事」
そこまで言ってから彼は一度目を閉じます。それが私には、記憶の中を探るような、或いは自分の中にある勇気を絞り出すような行動に見えます。そして目を開くと同時に、再度私に視線を向けました。
「格好付ける事を優先して合理的に動けなくなってしまっては、戦は勝てん。苗よ、お主の存在が、もしかしたら春行を合理的な行動に突き進ませるかもしれん」
至極真面目にそのように言われ、私は思わず考えた事を口にします。
「変ですね。それではまるで、格好付けないためにも理由が必要のように聞こえます」
私のその言葉を聞いて、重持様は深く頷きました。
「そうじゃ。奴は妻と似て理屈っぽいからの」
そう言われて私は思わず笑ってしまいます。
「奥方様にいつか怒られますよ」
私が笑いながらそう言うと、重持様もまた笑いながらこう返しました。
「そしたら、また謝るだけさ」
きっと、本来の姿であれば穏やかでありながらも威厳を感じさせる笑みを浮かべていたのでしょう。でも、今はかつて彼が最も大切にした女性の姿を借りて、見る人々を惑わせるような笑みを浮かべています。はたして、これがどのように転ぶのか。
医薬品、感染症、それらについていくつ調べても足りないのが現状です。多くの征服者が、多くの権力者が野望を抱きながらも感染症によって倒れたと言います。なんとか止める方法がないものかと調べてみますが、やはり見つからない。
窓の外からは荒々しい男性の声が聞こえてきます。慣れ親しんだ自室と城の訓練場は、かなりの距離がある筈。それでも聞こえてくる事に、熱の入りようが窺えます。
しっとりとした空気が、窓から流れてきています。そう言えば色々な事があって忘れていましたが、私がここに来たのが立春あたり。少しずつ暦も進んできていて、風も穏やかになりつつあります。その代わりに湿気を帯びた風は、梅雨の訪れを感じさせます。
「私が戦場で倒れた後も、貴方が希望すればここで過ごす事が出来ます」
そう言うのは春行様はこちらを気遣うように、穏やかな顔を浮かべます。どこか空虚ささえ感じるのは、私がこの人の事を知ってきたからでしょうか。以前は、この人の穏やかな顔を見ても「優しい人」と言う印象位しか抱かなかったと言うのに。
「やはり、死ぬ事も想定するのですね」
少しだけ皮肉を込めてそう言います。以前の私であれば、他人との衝突を恐れて言わなかったような気がします。この環境で、私も変わってきているのでしょうか。
「相手を殺めると言う事は、自分も殺されると言う覚悟を持たなければいけません。そうでなければ、戦場で早死にすることになります」
春行様は覚悟をしている表情を浮かべます。これはいったいどんな覚悟でしょうか。死ぬ覚悟? それとも命を奪う覚悟? それとも両方?
そう考えた時、ふと春行様がサルガクの鬣を撫でている時の顔を思い出しました。彼が最も心の支えとしているのは、多分彼。
「サルガクも連れていくのですか?」
そう訊ねると、春行様はゆっくりと頷きました。私はそれに安堵をします。そこで少し奇妙な気持ちになりました。馬が大切な人と共にいく、その事実に安堵するのは何故でしょう。
「難しい顔をされていますね」
春行様は珍しいものを見たと言わんばかりの顔で、そのように言います。
「ええ、慣れない事を考えたものですから」
自分が欲しいもの、安堵している理由。そんな自分の気持ちについて考えるなんて、今までやってこなかったものですから。
「故郷にいた時は、作物や疫病についてばかり考えていたものですから」
だから、こうやって気持ちについて考えるなんて事は本当に初めてです。
「貴方が故郷にいた時は、どのような事をしていたのですか?」
そう言われて少し考えてみます。そう言われて思い浮かぶのは、弟や妹です。
「弟や妹が出来る度に、その子供が死なぬ様にと考えていたものです」
春行様が頷きます。
「名医であろうと子供を生きながらえさせるのは至難と言いますから」
「でも、私の弟達は幸運もあってすくすく育ちました」
そう言うと、春行様は驚きの表情を浮かべます。
「それは珍しい……」
春行様はしきりに頷きます。
「生まれたばかりの子供は体が弱く、大人になれない事も珍しくありません。疫病、飢え、戦。様々な要因で死んでいくものです。きっと、貴方が守っていたのですね」
そう言って、春行様は笑みを浮かべます。
「私も守る事が出来るようになりたいものです」
そう言った時、彼を覆う空気が変わった気がします。表情が特に変わった訳ではありません。でも、そう感じたのです。
正式に戦いに赴く時に、一通の書状が各地に発付されました。
曰く
我はこの国を統べる者である。我が国における平穏、満ちたる日々。そして萌芽しつつある文化を目の前にしながら、我はそこに背を向ける。
比類無き巨大な遺産を残すため。
聞け。武士共は我に続き、彼の地で命を賭ける事になる。
その心は我と共に故郷で語り継がれるだろう。であるが故に、この苦労は決して不毛なものであらず。
武士共はその勇ましさにより故郷を守る大仕事を達成するのである。
懸命に進み、本懐を遂げよ。
戦いの後には、名誉と平穏がもたらされるであろう。
こうして、国中からトルグートに対抗するために多くの兵が集められました。数は正式に教えて貰えませんでしたが、二万、三万と言う規模では無いとの事。私が……いいえ、もしかしたら我が国で生きている者は誰も、このような人数を見たことが無いかもしれない人数が集められたとの事。国が大きく変わる瞬間に立ち会っていると、今ならば断言出来ます。
草木はあまり生えず、海から運ばれてくる塩によって畑さえまともに育たない不毛な地。トルグートに対抗するための仮拠点を作られたのは、そんな場所でした。
元々あった建物は小さな城程度、しかし港は大きく作られて大きな船を出すには申し分の無い規模です。海から流れてくる波は大きくうねり、地面を削っています。ですが深く青い空とそれを写し出す海の様子は、どこか穏やかな雰囲気を出しています。
「考えて見れば、城から出るのは久しぶりですね」
そのように言うのはつなさんです。私と共に出兵予定地の下見をするために、私の護衛をしてくれています。
「毛利殿とお話した城があるじゃありませんか。あそこに訪れてからは、そこまで日が経っていませんよ」
そう言うと、つなさんは苦笑いを浮かべます。
「あそこは吉良の城の目と鼻の先にあります。外出した内に入りませんよ」
そう言うものでしょうか。村からあまり出た事が無い私にとっては、あれ程の外出であっても大きな冒険をしている気分になるのですが。もしかしたら、彼女にとっては違うのかもしれません。
このような感覚の違いと言うのは、生まれや環境の違いも大きく関わっていると聞きます。
「つなさんは遠出する事に慣れているのですか?」
そう訊ねると、彼女は苦笑いを浮かべながら答えます。
「ええ。よく馬に乗って、一人で遠くに行ったものです」
少し照れくさそうな事から、彼女にとっとは気恥ずかしい事なのかもしれません。
「周りはなんと?」
「何も言わずに出て言ってしまうから、探すのも一苦労だと」
「無断外出だったんですか? それは周りが心配するでしょう」
そう言うと、つなさんは懐かしそうに目を細めます。
「重責が嫌だったんです。殿程ではありませんが、私にも責務と期待がありましたから」
期待と言う言葉に少しだけ反論したくなります。恐らくですが、それは違うと。でもそれを今言うのは得策では無いでしょう。そう考えて、口を閉ざして彼女の顔を見ます。
そんな私の様子を見て彼女がどう思ったのか、静かに微笑みます。
「少し語弊があったかもしれませんね」
そう言うと、彼女は懐から小さな包みを取り出します。黒く染められた艶のある布、私が今まで見たものの中でも上等なものだとわかります。
「手を」
つなさんに言われるがままに、私は手の平を出します。その包みを手の平に載せられて、私は戸惑います。
「中を見て下さい。私と殿が相談して、貴方に渡そうと思ったものです」
言われた通り、布をそっと開いて見ます。
桐を図案化した家紋の総称の事を桐紋と言います。その桐紋は我が国では最も有名なものである、三つの葉を垂らしてその上方に三五三の順番で花を配したもの。五三の桐と言われる、吉良家の家紋です。その紋が記された印籠が治められていました。
それをじっと眺めていると、つなさんが視線をそっと違う場所に移します。そこには、私が殿達に頼んで作って貰った建物が見えました。
「傷病者集中管理所ですか。もしかしたら、ここにある建物の中でも最も立派な建物かもしれませんね」
その通りかもしれず、その建物は瓦屋根にして周りに堀が作られ、庭には多くの荷馬車qが備え付けられています。
「昔、父に言われた事があります。どれほど堅牢な城でも、それを治める主の心持ち一つで容易く崩れる。だからこそ、その主はしっかりとした心持ちを持たなければいけない」
風が強く吹き、木の葉が揺れます。その音を聞いて、つなさんは笑って私を見ました。
「傷病者集中管理所の初代責任者、それを貴方に任せてみたいと殿と大殿が言いました。私も同じ気持ちです。その印籠の中には、殿から一部権利を代行された証しである印鑑が治められています。それを使えば、一部の権利を殿の許可無しで行使する事が可能となります」
その言葉に、私は簡単に首を縦に振る事が出来ません。
「馬鹿な事を言ってはいけません。私はただの医者です。年も若く、経験も無い」
そう言うと、彼女は首を横に振る。
「年を取ると言うのは良いことも悪い事も内包しています。執着も増え、寿命も残りが少ない。まあ、いくらお年を取っても元気な方もいますが」
そう言ってくすくすと笑った後で、改めて彼女は私を見据えます。
「貴方は貴方自身が知らないだけで、強い心を持っています。それを多くの人に役立つ事に使ってほしい。それが私達の願いです」
そう言われて、少し考えてみます。重責であること、多くの人の命に関わること。それらを考えて、私は暫く目を閉じます。
考えを少しだけ纏め、それから目を開けると、つなさんは変わらず微笑みを湛えて私の前に立っています。
「引き受けます。でも、こんな雑談のような形で授けないで下さい」
そう言うと、つなさんはそれもそうだと言うような顔で頷きます。
「それもそうですね」
数日後、大きな神社で、私に正式な決定が渡されました。私の前には、いつもの動き安い服装とは違う、黒く立派な服に身を包み、烏帽子を付けた春行様が立っておられます。
「戦により怪我を負った者、不慮の病に冒された者。その者達を癒やし、この世に生きる勇気を与える事。それが責務である」
その言葉と共に、私は殿の代理として決議を下す事が出来る印鑑を渡されました。私は借り物ではありますが、柿色の立派な服に身を包み印鑑を受け取ります。
「まずは私が勇気を持って貴方の責務に答えてみせましょう。それが多くの人が立ち向かう理由になるよう、努めていきます」
そう言って静かに頭を下げて、私は彼の顔を見ます。彼はいつもとは少し違う、気を張り詰めた顔をしていましたが、私の顔を見て少しだけ頬を緩ませました。私はその表情を見て、少しだけ安心しながら後ろに下がります。
この日は私だけのために開かれた就任式ではありますが、それでも多くの人が集まってきました。噂話では、殿が物好きな女に情けで役目を与えたと言う話もあります。そんな話を聞いて、特に何も思わない私は段々変になっているのかもしれません。
多くの軍が旅立つ日、私は大殿……重持様の座敷で海を見ていました。
「戦か。もう出る事は無いのだろうな」
そう彼女が言うので、私は首を縦に振ります。
「刀や槍、銃を持って血を血で洗う事はもう無いでしょう」
そう言うと、彼女は嘆息します。
「その代わり、富貴の者達の薄汚い計略と向き合わないといけないだろうがな」
その言葉に、私は少し笑ってしまいます。
「貴方のような剛胆な方でも、そのような事を気にするのですね」
そんな私の軽口に、彼女は少しだけふて腐れます。
「儂だってそれぐらいは気にするわい。気にしないのは妻と……」
そう言うと、彼女はふと窓の外を見た。
「ふむ。今日にするのか。風向きもいいしな」
その言葉に、私は外を見ます。そこから見える海岸には、春行様が多くの軍を率いて檄を飛ばしているのが見えました。
「少し席を外しますね」
そう言うと、彼女は落ち着いた様子で頷きました。
「行ってきなさい。私は既に別れを済ませている」
踏み込むと足が沈む砂、そんな場所で彼は何やら部下と言い合っていました。
「殿、お頼みします」
そう言う部下に対し、彼は険しい顔で首を横に振ります。
「ならん。そのような事」
そんな所に駆けよっていくと、その兵士が私に頭を下げます。
「医療頭殿、貴方からも何か言って下さい」
そう言われて、少し考えてから、それが私の俗称である事に気づきます。
「何かあったんですか? それと、その呼び方は建設の人みたいですね」
「申し訳ありません。殿がサルガクを連れて行かないと言って聞かないのです。それと、この呼び方は畏敬の意味もありますのでお気になさらず」
私の呼び方はともかく、サルガクの事は冗談では済まされません。
「殿、どう言う事ですか?」
そう言うと、春行様は険しい表情を一瞬だけ緩めて、また険しい顔になって答えます。
「そのままの意味です。サルガクは渡海しません」
詳しい戦略は私には教えられていませんが、この戦いでは渡海してこちらから戦いの主導権を取りに行く計画の筈。そのために機動力があった方が良いはずです。なのに彼にとっての一番の相棒であり名馬であるサルガクを置いていくとはどのような理由でしょう。
「私は彼を危険な目に遭わせたくない」
その言い分はよくわかります。自分にとって大切なものは大切に取っておきたい、そんな心情なのでしょう。でも、そんな事をすれば機動力と言う大切な要素を一つ捨てる事にもなりかねません。
「医療頭。貴方からも何か言って下さい」
見れば、春行様にそう進言している人はそこまで身分が高く無いように見えます。細心の武具を身につけていますが、その装飾は至って質実剛健。華美な装飾は見て取れません。そんな人が彼の事を思い言及すると言うのは、これが見ず知らずの人にとっても大変な事であることが見て取れます。ここでやることは、やはり彼を説得して、サルガクを連れていくように言うことでしょう。
「殿は……」
私がそう口を開くと、蹄の音が聞こえてきます。その音のする方向を見ると、サルガクが悠然とした態度で歩いてきました。サルガクは私と春行様を一瞥すると、ぶるぶると鼻を鳴らした後で船へと乗り込んでいきます。その船は一番大きな船、馬が乗るのに適した船であることが見て取れます。
「殿、サルガクの好きな風にやらせてあげて下さい」
そう言うと、春行様は渋面を浮かべます。
「しかし……」
なんと言っていいか分からないように、春行様は視線を彷徨わせます。
「そのように無理に言えば、体が良くても、心が平穏を保てないでしょう」
そう短く言うと、春行様は険しい表情を浮かべた後でゆっくりと頷きます。
「分かった」
そう言うと、周りから歓声が上がります。
「覇王の息子達が戦場にこられるぞ!」
そんな声が各所から出ました。
「これは一体……」
春行様だけが戸惑うように周りを見渡します。
「貴方を慕ってきた人がこれ程いると言うことです」
私がそう言うと、春行様が不安そうな表情を浮かべます。多分、自分がそこまでの人間では無いと彼は考えているのかもしれません。でも、私はそうは思いません。
「胸を張ればいいんです。殿はそれをしてよいお人なんですから」
そう言うと、彼は周りを見渡してから口を引き結びます。
きっと大丈夫。
そう自分にも言い聞かせながら、私もその横であたりを見渡しました。




