お互いの腹の内
ニンジンを四つに切り、それを手の平に載せて持っていく。それが鼻先に来ると、サルガクは嬉しそうにそれを咥えます。
「変わった事をしますね」
そう言うのは春行様です。彼は私がサルガクにニンジンをあげる様子を興味深そうに眺めていました。
トルグートの使者がやってきてから数日、彼はこうして時折サルガクの元にふらふらとやってきては、その様子をじっと見つめていました。
私も私で、馬に関して書かれた本を集めては彼等、彼女達の事を少しずつ覚えています。
「トルグートの対応はしなくて良いのですか?」
そのように言うと、春行様は渋面を浮かべます。
「そのように言われましても、既にやることはやってます」
手際が良すぎる気がします。
「まだあれか数日しか経っていないではありませんか」
そのように言うと、彼は頭をぼりぼりと掻きます。
「彼等が要求する事は事前の調査で見当がついていましたので、後はそれについてなんと返答するかを決めていました」
なんと、驚きです。
「想定よりも相手が動くのが遅かったため、我々は準備を十分に行う事が出来たのです。後は迎え撃つのみ」
話を聞いていて、一つ気になる事がありました。
「サルガクも連れていくのですか?」
私の言葉に、彼は頷きます。
「彼は軍馬です。いざ戦となれば、戦場を駆けていく事が求められます」
「でも貴方は前戦には出ず、後ろで指示を出すのみでしょう?」
「それが大切なのです」
彼は真剣な顔でサルガクを見つめます。
「軍の大将が的確な指示を出さねば、その軍は大きな被害を出します。単純な勝ち負けだけではありません。被害を抑えることも、また人を束ねる者に与えられた役目なのです」
その言葉に、私は溜め息を吐きます。
「人の上に立つっての言うのは、嫌なことの方が多いですね」
そう言うと、彼は苦笑いを浮かべます。
「そうかもしれません。無能であれば、責務に気づかず我が儘を言うだけで、すぐに死ぬ事が出来るのですが」
その最後の言葉に驚き、私は彼をじっと見つめます。
「死にたいのですか?」
サルガクもただ事ではない事を察したのか、春行様の事をじっと見つめます。その瞳を見て、彼は優しげに微笑みます。
「嫌なことの方が多いと頭と理性では思っています。ですが感情は違います。まだ生きていたい。まだサルガクや……」
そう言った後、彼は私の顔をじっと見ます。
「どうしたのです?」
そう訊ねると、彼は視線を外します。
「今から言う事は、出来ればすぐに忘れて下さると嬉しいです」
「何をおかしな事を。忘れてほしい事なら、そもそも言わなければいいではなりませんか」
私のその言葉に、彼は口を開けたり閉めたりを暫く繰り返してからこのように言います。
「サルガクと、貴方と。苗と言う少女ともう少しだけ生きていたいと考えています」
短くそう言うと、彼は私から顔を逸らしました。
「見方によっては軽薄に見られかねない言葉です。忘れて下さい」
そうは言われても、忘れる事は難しそうなのですが。
「ああ、そうだ。そう言えば質問に答えて貰っていませんでした」
彼はそう言ってわざとらしく話を逸らします。先ほどの言葉の真意について問いただしたかったのですが、今聞いてもまともな言葉が返ってきそうになかったので
「質問と言えば、なんでしょうか?」
と、答えます。
「サルガクにニンジンをあげた時の事です。貴方はニンジンをいくつかに切って渡していたでしょう。それは何故です?」
そう言われては答えない訳にはいきません。
「馬と言うのは、興味深いものに対しては耳をピンと立ててそちらに向けると言う習性がございます。また、嫌なことがあると耳を後ろに寝かせます」
そこまで言うと、春行様はふむふむと頷きます。
「サルガクは今まで、ニンジンを渡すと一瞬ではありますが耳を寝かしていました。なので何か不満があるのでは無いかと考え工夫をした所、どうやらニンジンを細かく切るといいらしいと分かりましたので」
「どうやってそのように知ったのです?」
「違う切り方のニンジンをいくつか容易して、サルガクの前に並べたのです。そしたら、この切り方をしたニンジンに真っ先に食いついたので」
そこまで言うと、彼は少しだけ申し訳なさそうな表情を浮かべます。
「私は、今までそれに気づいてあげられなかったのか」
自分を責めるようにそう言う彼ですが、私から見れば思い悩みすぎだとは思います。しかし、このような真面目な部分が彼の良さでもあるのでしょう。
「若様」
私はあえて、普段とは違う呼び方で彼を呼びました。
「サルガクと過ごしてきた日々は楽しかったですか?」
そのように言うと、彼は躊躇いがちに頷きます。
「ええ」
「そうですか。では嫌だと思った事は?」
そう言うと、彼は痛い事を我慢するかのような辛い表情を浮かべます。
「全く無い訳ではありません」
「でも、今ここにサルガクと共にいます。そして今の立場にいます」
「それは周りに支えられたからで」
「それに気づかぬ者もいます」
そこまで言って、私は深く深呼吸します。
「物語が好きな者や学のある者は、決断力のある人や自分の自尊心を傷つけぬ者を褒め称えます。しかし学が無く経験のある者は、信頼のある者こそ尊びます」
「どちらを大切にすれば良いのだろう?」
「それは活力のある者です」
「どっちです?」
「どちらでしょう?」
そう言い終えると、彼は額を抑えます。
「私の経験から考えると、学がある者は学に溺れる事が多く、自ら動く事を嫌がる者が多い。学がなく経験のある者は、自らの経験を尊びすぎて努力する事を止める者が多い。どちらも程ほどにある者が、よく学びよく相手を見る」
そこまで言って彼は溜め息を吐きます。
「まさか答えを出す事を投げ出すとは」
「ええ。貴方なら私よりも益のある答えを出すと思いまして」
「自らよりも私を信じているようにも、自ら答えを出す事を放棄しているようにも聞こえますが?」
怒っているとは少し違います。彼は拗ねていると言う方が正しい感じで私にそのように言います。
「いいじゃありませんか。貴方の答えは、私が考えていたものよりも興味深いものですよ?」
「どのように考えていたのです?」
「学がなくても経験のある者の方が活力があると」
彼はやれやれとでも言いたげな様子で頭を振ります。
「単純な正誤のある事なぞ、世には稀です」
「ではそれでいいではありませんか。春行様は今自らが出せる中で、最善だと思う事をやった」
「他人に咎められるかもしれません」
「言わせておきなさい。それで満足するなら、それでよし。満足せずとも、それを糧に生産性のある行動に移せぬなら無意味になります」
「なんとも手厳しい言い方ですね」
そう言いつつも、春行様は愉快そうです。
「分かりました。迷っていても問題は解決しませんね」
そう言いながら、彼は姿勢を正します。
「私は私の国を守るために、戦います。それに迷いはありません」 そう言うと、彼は恥ずかしそうに笑いました。
「もう一つ、固まった決意がございます」
彼はそう言うと、懐から一枚の紙を出しました。
「これを。気が向いた時にでもいいので、読んでほしいのです」
綺麗に折りたたまれた上質な紙、中に書かれた事が読まれたく無いのか、透けないように二重にしてあります。
「この近くで周りから見え無い場所と言うと、どこでしょう?」
「貴方の部屋なら誰も見ないと思われますが」
「では急いで読みましょう」
そう言うと、彼は戸惑うように目線を泳がせます。
「えっと、もう少し後でも良いのではないですか?」
「何故?」
「自分で渡しておいてなんですが、今更になって恥ずかしくなってきました」
そんなに恥ずかしい事が書いてあるのでしょうか。
「問題の先送りは面倒なんですよ?」
咎めるようにそう言うと、彼は苦笑いを浮かべます。
「本当に申し訳ありません。ですがすぐにと言うのは、緊張しますので」
言い終えると、彼は自分の気持ちを抑えるためになのかサルガクの首筋を撫でました。。その様子を見ていたサルガクは、鼻先を彼の額に押しつけます。
「ほら見て下さい。サルガクも急いている様子ですよ」
「サルガクを楯にしないで下さい」
そんな様子を見ながら、ボンヤリとこんな事を考えます。全てが上手くいって欲しいな、と。
空を見ると、雨雲の隙間から青空が見え始めていました。
あれからも幾度かトルグートの使者はやってきましたが、お互いの言い分は一切変わりません。その事を聞いて、城下では「まもなく戦が始まるのでは」と言う噂が流れています。
しかし、それは正しいとは言え無いでしょう。
「先日、商人の集団が城下町にやって参りました。出で立ち、訛りからトルグートからやってきたものと思われます」
つなさんが春行様にそのような事を言うと、彼は頭をボリボリと掻いてから書類から視線を上げます。
「商売熱心な事だな」
「間者でしょうか」
「いいや。ただの節操無しだろう。こちらで得た情報と、トルグートの王に売っているのだろうよ」
思惑はそうでも、やっている事は間者と同じな気がします。ですが春行様はそのような相手を特に気に掛けません。
「あまり良い気分はしませんね」
「相手の口に戸をする事は難しい。相手はこの都の首都でのみ商いをしておるのか?」
「こちらの独断で、行動の制限をつけております」
それを聞いて、春行様は少し考えました。
「そのまま、あくまで儂の命令とは言わないように。実際命令を下していないしな」
そう聞くと、つなさんは頭を下げて下がっていきました。
このようなやりとりをしているのは春行様の執務室です。私はその側で彼の体調を逐一観察する役目を承っていました。毒を盛られるのを事前に防ぐ事と、盛られた場合にすぐに対処出来るようにするためです。
「下手な行動を許して宜しいのですか?」
「部下が無能な組織はすぐに瓦解する、と言うのは相手にも分かっているでしょうし……」
そこまで言って彼は少し考えます。
「少し話が飛んでいたでしょうか?」
「ええ」
お陰で途中から話が見えてきません。自分の発言に気づいた春行様は頭を抱えます。
「これでは机上の空論をかざして偉ぶっている者と変わらんな」
「嫌なのですか?」
「感情では」
少し考える彼でしたが、すぐに立ち直ります。
「これが利益に繋がるのなら、これもまたよしとするべきなのでしょうか?」
「少なくとも私はそう思いますが」
そこまで言うと、彼は笑います。
「やはり一度情報を纏めましょう。もしかしたら見逃している事があるのかもしれません」
そう言って彼は書類を広げます。
「まず、最近のトルグートの動きです。彼等はこちらに使者を送った後、多くの商人をこちらに送っています」
これの目論みはやはり商人に情報を売ってもらうためでしょう。
「そしてこちらでは船を多く建造しています。このまま相手が攻めてこなくても商売に利用出来ますし、戦時では兵站を運ぶ事に利用出来ます」
言葉の端々から、春行様の頭の中では戦になるかそうでもないか分からないのが窺えます。
「相手が戦争するかしないか、どちらにしても、相手が私達にとって大きな脅威である事は違いありません。この脅威を取り除くための一番確実で効果的なのは……」
その言葉の続きを、私が続けます。
「戦で相手に大きな被害を出す事ですね」
春行様は頷きます。
「戦をする者と言うのは、民衆と一つの契約を交わしています。我々が治安を護り、民衆は見返りに税を納める。そのためには信頼関係が必須となります」
「その信頼を崩すために、戦で大敗に追い込む事が効果的であると。文化人からの批判は免れないでしょうね」
「その通りです。そのために、体裁だけでも相手が悪いと言う形にしたいのです。見てくれだけの善悪でも、人は信じてしまうものですから」
春行様はそう言って本棚を見ます。書庫に比べれば幾分か量は少ないですが、この執務室にも多くの本が置いてありました。手を伸ばせば届きそうで届かない程度の天井に、土塗りの壁。入り口は二重になっていて、廊下と部屋の間に小さな空間が。内部の音が外に漏れないようにするための構造と言う事です。採光用の窓が大きく取られてはいますが、分厚い板ですぐに閉じられるようにしてあります。
窓から外を覗いて見ると、板塗りの壁が見えます。そして窓の横から兎の耳と馬の鼻がニュッと同時に飛び出してきました。
「どうかなさいましたか?」
と兎耳を横にゆらゆら揺らしながらつなさんが話しかけてきます。
「重持様は今回の件、どのような対処を?」
「お答え出来ません」
じっと見ていると、彼女はじっとこちらを見る。
つなさんは答える事が出来る事はすぐに答える人です。重持様の行動について質問して答えられないと言う事は、逆説的には彼が表には出来ない秘密の行動を起こしていると言う事が推測出来ます。
「そうですか。では今は会う事が出来ないと考えて宜しいですね?」
「お答え出来ません」
下手な事も言え無い、と言う事でしょう。
「どうしました?」
春行様が不思議そうに首を傾げます。
「実はお頼みしたい事がございます」
そう言うと、彼は困ったように眉をひそめます。現状、時間が惜しいため頼みを聞いている暇は惜しい。でも頼まれれば行動をしたい。そのような顔です。
「宜しければ、父にお頼みしましょうか?」
見かねたつなさんがそのように答えます。
「そうですね。では、こちらを」
私が懐から書類を取り出し、彼女に渡します。
「中身を改めても?」
私が頷くと彼女が書類を見ます。しかし、それを見て彼女が渋面を浮かべました。
「何か変な部分がありましたか?」
彼女が首を横に振ります。
「申し訳ありませんが、理解出来ない部分が多くて」
そうですか。薬学に関係する事が多かったので、その点に理解がありそうな重持様を通したかったのですが。
「何やら不穏な言動が多い気がします」
神妙な顔をする春行様に対して何か思う事でもあったのか、それまで大人しかったサルガク様が窓の中に首を伸ばしてきます。
「分かったよ」
そう言ってあしらおうとする春行様に対し、サルガク様は首を上下に振ります。
「分かった。分かったって」
言ってから、春行様は慌ててつなさんの持っていた私の書類を受け取って中を改めます。暫く無言でそれを見ていた春行様でしたが、その顔が驚きに染まっていきます。
「これは……目から鱗ですな」
中を見て私の意図を察したのか、彼は真剣な顔で頷きます。
「必ずや用意致しましょう」
その言葉を聞いて私が胸を撫で下ろしているのに対し、つなさんは気難しい顔で口を引き結んでいました。
「準備が整いつつあります。兵糧、武器、書状。後はこの国に来ているトルグートの商人の動き次第になりますね」
春行様がほくそ笑むと言う言葉が似合うように、口角をつり上げました。
「何か企みが?」
私の言葉に何か気がついたのか、彼は咳払いをしてからサルガクの鼻先に手を置きました。
「トルグートの主は優秀な人物と聞いています。正確な情報さえ渡せば、合理的な判断を下せるでしょう」
その言葉に、私は引っかかる部分があります。
「正確な情報、ではそれを与えなければ……」
私の言葉に、彼は満足そうに頷きます。
「人の自尊心は過去に多くの失敗を生み出してきました。そしてトルグートの人達もそれは例外ではありません」
「出世欲に駆られた人が、功績に目が眩んで早合点する事もありえますね」
「ええ。その通りです」
春行様は頬を緩めていますが、私も人の事を言えません。きっと同じように口角をつり上げて悪巧みをした顔をしています。
「嫌ですね。この時ばかりは戦いが好きになりそうで」
春行様はぼやくようにそう言いました。




