物語の続き
強い風が吹いて、砂塵が舞います。日も暮れて視界が悪い中、私は足元に気をつけながらゆっくりと歩いて行くと、ふと数人の足音が聞こえました。
「ああ、入れ違いにならなくて良かった」
そう言われて目を上に向けると、そこには春行様が私をじっと見つめています。その横には二人の護衛が、どちらも広い肩幅があって太刀を身につけています。
「最近は物騒ですから、日が暮れてから出歩くのは危険です」
とのこと。
「先日、物騒な襲撃事件もありましたからね」
「ええ」
あまり穏便な会話では無いのですが、春行様は穏やかな笑みを浮かべます。
「何を聞いてきたのですか?」
私が聞きあぐねていた話を、彼はいとも容易く訊ねてきます。
「随分と踏み込んだ事を聞いてくるんですね」
「ええ。どうやら足踏みしても無駄なようですから」
いつもと違う雰囲気、怒っている……とは少し違うようです。
「覇王と呼ばれた女性の事を聞きました」
そう言うと、彼は暫くの沈黙の後、このように言いました。
「ではサルガクと私の関係も?」
その言葉に対して、私は少し考えてからこのように答えます。
「聞きはしましたが、まだ分からない事もありますし、分かった事もございます」
そのように言うと、彼は興味深そうにこちらを見ます。
「貴方はサルガク様とずっと一緒にいたのですね」
その時、私は意図して微笑みを作りました。その顔をじっと見た春行様は、特に表情を変える事無く視線を前に向けます。
「開戦は近いかもしれない」
唐突にそのように言われます。
「戦が始まるのですか?」
予想出来た事でありますので驚きませんが、少しだけ残念な気持ちが心の奥にあります。蟠り、と言うのでしょうか。
「我々武士には民の安全を守る責務があります」
それ以上、彼は何も言いません。
私と彼は何も言わないまま、ゆっくりとした歩幅で目線を前に向けたまま歩いていきます。
以前は冷たい雨が降ることが多かったのですが、最近では空気が穏やかなものに変わっていっています。季節の変わり目なのでしょう。
「そろそろ田植えの時期ですね」
「ええ。人が動き易くなる時期です」
そう言っている間に吉良家の屋敷が見えてきました。門の前ではかがり火が焚かれ、二人の門番さんが無表情で立っています。その片方の門番さんが春行様に気づいて近づいてきます。
「苗殿」
短くそう言ったので、私は少しだけ距離を取ります。*11門番さんは私が距離を置いたのを確認してから、春行様の耳に何か囁きました。唇の動きから、二言程でしょうか。そこまで話をしてから、門番さんは素早く春行様から距離を取って、そのまま無言で門を開きます。
「どうぞ」
真顔でそれだけ言うと、春行様は急ぎ足で門の奥まで入っていってしまいます。私はその様子を見届けてから、その中へと歩を進めます。すると、門番さんが表情を変えずに私をじっと見つめている事に気がつきます。その様子が、私には不安と不信が入り交じっているように見えました。弁解のために話をするべきかとも思いましたが、不信感を抱いている相手の話など心に響かずに不安を煽るだけでしょう。
「何も言いません。問いません」
そう短く言うと、その兵士は一瞬驚いた後で頭を粛々と下げてそのまま上げません。私はその姿を横目に、門の中へと歩を進めていきました。
書庫で資料を眺めていると、重持様が小さな足音を立ててこちらに歩いてきます。
「ふむ」
そう言って暫く私の顔を見つめる重持様に、私は首を傾げます。
「何か?」
少しだけ険がある言い方、それを聞いても重持様の表情は眉一つ変わりません。
「私の過去を知ったのではと、そう思ったのだが」
そう、私はこの人の過去を知った。でも、なんだか素直に彼の言葉を肯定するのが癪で否定をしようとする。
「気のせ……」
でも、そこで私は少し思い直す。こんな時に感情的になって何になるのだろうと。
「ええ。貴方の過去を知りました」
天に目があると言われる彼、どのようにしてもお見通しか……買いかぶりだったとしても、毛利殿から事の真偽を問いただせば分かることです。
「重持様、人は不思議な事に……本人から聞いた事よりも人伝で聞いた事の方を信じてしまう生き物です」
私の言葉に耳を傾けるように、この人は真っ直ぐと私を見つめる。その目はハッキリ見えるのに、真意は分からない。目を大きく見開いて、真顔で私を見ている。
「貴方がこのような芝居をしてまで、私に自らの過去を教えたのは何故です?」
私の乱暴な言い方にも、彼は怒らずに答えます。
「王の道、その先のため」
「王の道?」
疑問を持つ私を余所に、彼は一冊の本を出します。何が書いてあるのか分からない……我が国の文字ともトルグートの文字とも違う文字。
「これは南の国、エンリルの書物。世界で最も古い歴史を持つと言われている国で、これはその国で最も古いと言われている書物じゃ」
その小さな体に不釣り合いな大きさと厚さを持つ、この国で作られているような紐で綴じたものとは違う本。鞣した皮で作られたようなその本を彼は開きます。
「一人の少年がいる。その者は元は未熟で、性格も能力も決して褒められるものではなかった。しかし友との数々の冒険により成長していき、最後には大きな成長を見せる。
我が国では、組織の一番上にいる存在を『殿』と言うが、他の国ではこのような存在を『王』と呼ぶ。
分かるかね? 人が人の上に立つに相応しい存在へと成長する物語の事を、人は『王道』と呼ぶのだ」
彼の瞳はどこか夢で見た事を思い出しているかのようです。
「王の道、王道……その先と言う事は、貴方は春行様が一つの国の主である事より、一歩先に進んだ存在になって欲しいとでもいいたげですね」
少しだけ皮肉を込めて言いますが、彼はその言い方を聞いて寧ろ嬉しそうです。
「察しがいいじゃないか」
彼は本を元々あった場所に納めると、口の端を片方だけ上げて笑って見せます。どこか狡猾さを思わせるその笑い方を見て、私はこの人に未知のものがまだまだあるのではと思わずには居られません。
「多くの物語が、目的を達した時点で一つの終わりを迎える。しかし現実はそうではない。立場のある者は、国を継続的に成長させていく事が求められる。故に、人は成長するための学びを常に行う事を求められる」
常に成長する事、多くの人が行おうとして失敗する事でもあります。
「それが出来る者は存外少ない。我々が知らないものによる働きかけで出来るが故に、教える事によってこのような能力を与える事は出来ないかもしれない。大抵の場合は実を結ばない、不毛な行いと言ってもいい。人は他人を動かすための確実な手段を持たないのも大きい。
しかし、春行はこの能力を持った」
言い終えると、重持様は疲れた様子で椅子に座ります。
「苗殿。私は妻を亡くしてから学ぶ事に疲れてしまった。*12次の世代に座を譲りたいが、まだまだ奴には不足している部分がある」
その言葉に私は反感を覚えます。
「人に不得手があるのは当然でしょう? そのための部下ではありませんか」
足りない部分は他人に頼る。多くの物語の主人公が行っている事です。それに何も物語にあるような堅い信頼関係を築く必要はありません。現実では金銭、権利、物。それらによって人に協力を得られる事が大半です。
「そうじゃな。一般的に、平和な国のいい領主と言う面においては、春行は素晴らしいと言ってもいい」
「でしたら」
「それでは足りぬと言ったら?」
足りないとはどう言うことでしょう。彼自身が素晴らしいと言った舌の根も乾かぬうちに、自分の言葉を否定するかのような事を言うなんて。
「人を纏める優しき王、困難に対してくじけぬ王。それだけでは足りないのだ。我々がこれから戦うであろう相手もまた、そのような者なのだから」
そう言われて一つの国が思い浮かびます。
「トルグートの王がそのような存在だと?」
そう訊ねると、彼は神妙に頷きます。
「かの者の名前はボルド……鋼鉄を意味するトルグートの英雄じゃ」
かつん、かつん。そんな音が曇り空に響きます。
「門を開けよ!」
門番さんの号令と共に城門が空けられます。城の中には屈強な兵士さん達が所狭しと並び、私はその様子を倉庫の小窓から覗き見るのみ。
「どうしてこちらの城に?」
私は側に立つつなさんにそのように訊ねます。と言うのも、この城は私が初めて春行様と出会った城とは別の城。私が毛利殿と面会した城になるからです。
「目的の違いからです。普段我が殿が軍務や政務のために通っているあの城は、主に軍務のために用いられる城。その目的から『石坂城』と呼ばれています」
石、坂、そして城……文字から察するに、石で護りを固め、坂で上り難くした城と言う事でしょうか。確かに整備された登城用の道意外は険しい坂があります。堀や石垣で仕切られた区画の事を曲輪と言うらしいのですが、あの城にはこれが多く作られています。城へと攻め込まれ難くするための工夫でしょう。
「逆にこの城は、その目的から『街道城』と言われています」
小さな山に建ってはいますが、これもそこまで大きな山では無いため比較的登りやすい城です。山の麓に沿うように街道が通っており、街道を歩くとその威容な姿を目にする事が出来ます。
「常時と戦時、用途で分けてるって事ですか?」
「その通りです。いつ敵が来ても良いように、あらゆる事態を想定した構えとなっております」
そう聞いて私は、城を二つも持つなんてお金持ちだな、なんて事を考えてしまいます。
「軍事用の城と言うのは敵に内部を探られてはいけませんから、このように二つの城を作っている事になります。ただ、吉良家の当主は城に籠もらずに打って出る事が多いので、ほぼほぼ軍を一時的に配備する用途にしか使われていませんが」
あのように穏やかな顔をして、結構好戦的なのですね。
「おっと」
つなさんがそう言った後、その大きな兎耳がピクリと動きます。
「近づいてきたみたいですよ」
その言葉につられるように外を眺めると、馬に乗った一人の男性がこちらに歩いてくるのが見えてきます。
革で出来た羽織物を身につけ横幅の広い馬に跨がったその姿は、文献でしか見た事が無い変わった姿です。
「苗様、もう少しだけ頭をお下げ下さい」
どうやら身を乗り出しすぎたようで、つなさんにそう注意されます。
「あちらから私の姿は見えるのですか?」
「城の門から入り口までの道の横にある小さな土倉ですので、比較的目に入り難い場所ではあります。ですが、念には念を」
そう言われては返す言葉がありませんので、私は身を引いて窓も半開きにしておきます。
「サルガクとはまた違った馬ですね」
「ええ。トルグートは寒い高原の地を本拠地にしております。そのためサルガク様よりも全体的にがっしりとしていて、正面から見て丸い体をしています」
「住む場所でそこまでの違いが?」
「はい。人も都と農村部で体つきが違うでしょう?」
言われてみればそうです。
「逆にサルガク様は、横幅が大きく体高も高い。全体的にすっきりとした体格をしています。バランスがいいのですが、極端に寒いのも極端に暑いのも苦手でしょう」
「それは人も同じでは?」
「いいえ。この世界では、寒い場所で平気な人や熱い砂の大地でも飄々と生きている人もいると聞きます」
「私には想像も出来ない」
そんな事を話していると、彼等が城の中へと入っていきます。
「へえ」
その時、つなさんが耳を緩く左右に動かしながら感嘆の声を出します。
「どうしました?」
何か気になる事でもあったのだろうかと思いそう訊ねると、彼女は私を見てこのような事を言います。
「もしかしたら、彼等は我々の存在を気づいているかもしれません」
その言葉に、私はまさかと思いました。あのトルグートの使者は真っ直ぐ前を見つめ、堂々とした姿で城の中に入っていきました。こちらに気がついた様子など、ひとかけらも見受けられません。
「心拍数が上がりました。緊張しています。同時に、首が僅かに左右に動いている衣擦れの音が聞こえます。目で見ていては気づきにくい変化ではございますが、私には奇妙な行動に移ります」
「まだ断定とまでいかないのでは?」
「ええ。なので、仮定の話です」
彼女は言いながら立ち上がります。
「何を?」
「少し嫌な考えが頭に浮かびました。場所を移動しましょう」
少し急ぎ足で移動する彼女の後を、私は急いで追いました。
「予定通りであれば、父がまず応対します。それで事と次第によっては殿か大殿が対応する流れになります」
「大殿はあの姿で?」
「ええ。殿の許嫁か、春の方様が生きていたと言う体裁で会う事を考えています」
裏の事情を知っている身としては張りぼてのような体裁と言わざるを得ませんが、事情をよく知らない遠い国の者なら騙す事が出来ると言う目算でしょう。
そんな事を考えていると、つなさんは小さな部屋に上がり、更に天井の板を外して奥に入って行きます。屋根裏部屋と言うもので、あまり住み心地が良く無いことから倉庫として使われる事が殆どの場所です。
「ここです」
見てみると、床に目を凝らす事でようやく見える程の小さな穴が空いています。
「文には書いていない事だが、我らの王は其方の事を高く買っている。服従の異を唱えれば、武器を使わずにおこうと考えている」
流暢さにかける居丈高な声が下から聞こえてきます。見るとトルグートの使者が熱心に語りかけています。
「ふうむ。それは興味深い事ですな」
そう言うのは春行様です。上質な黒い着物を着て、手には扇子が握られています。
そんな彼は、眉間に深い皺を作りながら耳を傾けています。
「で、あれば我が王の気が変わる前に服従する事を誓うといい」
威圧的な姿勢を崩さずにそのような事を言う使者に対し、春行様は特に気後れする事無く彼を真っ直ぐ見つめます。
「いいや。服従はしない」
春行様が感情を押し殺したような声でそのように答えました。
「国がどうなってもよいと?」
その言葉に、春行様はすぐには答えません。つなさんも困惑しているのか、口を引き結んで緊張した様子を見せています。ただ、私にはなんとなく、春行様がどのような事を言うか予想がついていました。そして……
「其方達に、我が国がどうにか出来ると?」
予想通り、そのような事を言いました。
「国力差が分からないと見える」
相手の言葉に、春行様は笑う余裕さえ見せます。普段では見せない酷薄ささえ感じる、冷酷な笑み。私には、それがとても頼もしく見えます。
「まるで国力がそのまま戦の勝敗に繋がるとお考えのようで。今まで少ない兵で大きな軍を壊滅に追い込んだ……貴方達とは思えない言葉ですな」
その言葉に使者は表情を変えません。ですが、上から見ている私にはその使者の背中に一粒の汗が流れるのが見えました。
「そちらの人はどのようにお考えで?」
流石と言うべきでしょうか、使者は慌てる様子の見えない言葉で春行様の横に座る重持様に言葉を向けます。
重持様は頭に頭巾を被って、動き難そうではありますが重厚さを感じる着物で身を包んでいました。こうして見ると、尼さんにも見えます。
「私は我が国が平穏である事を望みます」
そのように切り出すと、その使者は露骨にほくそ笑みます。
「ああ、そうだろう」
その時の使者は、口の端をつり上げ相手よりも上位である事を確信しているかのようです。
そんな相手に向かって、重持様は感情が分からぬ能面でこのように言いました。
「貴方達に、我が国を平穏にする事は出来ません。これ以上は刃を持って戦場で語りましょう」
その言葉を聞いて、使者は眉間に皺を寄せて立ち上がります。
「後悔する事になるぞ!」
そのように言われても、二人は動じた様子を見せません。それ程までに彼にとっては屈辱的な言葉だったのでしょう。
「ふふ」
つなさんはその様子を見て、愉快そうに笑っています。
「これから過酷な戦いが行われますよ?」
そう言うと、彼女は嬉しそうにこう言いました。
「望む所です」




