橋を掛ける
「代表の娘がわざわざ直接来たのですか?」
私は少し険のある声で、そのように応えました。大切な交渉の場に強引に介入すると言う行動は、お転婆娘のイタズラではすまされない話です。組織同士の交渉での失敗は、多くの人の生活に影響を与えます。
「恐らくは、相手方はこの人選に多少の打算があったのでしょう」
毛利様が苦笑いをしてそのように言います。
「あまり楽しい理由では無いみたいですね」
少しだけ回りくどく皮肉な言い方をすると、それを察したのでしょう。
「その通りでございます。我が殿である重持様は、外交になんの優位性も持つ事が出来ない人と結婚をしたのですから。自分の欲に従い妻を選んだと言っても過言ではありませんし、他人から見てもそのように写ったのでしょう」
毛利様は少し目を反らしながら、早口に言います。
「豊大にとっては、それが付けいる隙に見えた?」
「正にその通りでございます。女癖が悪い男と言うのは、歴史上で多くの失敗をしているものですからな」
少しだけ茶目っ気のある言い方です。毛利様なりの照れ隠しでしょうか。
「この時、豊大の誤算は二つありました。一つは、重持様のお人柄について。我が殿は……意外かもしれませんが、色香で惑わされる人ではありませんでした」
その言い方に、少しだけモヤッとしたものを感じます。
「毛利様。その言い方だと、重持様が色香で惑う人間に見えるという風に聞こえますよ」
少しだけ咎めるような言い方をしてしまし、僅かな後悔が胸の内に湧き上がります。しかし、その後悔を吹き飛ばすように毛利様は笑います。
「おっと、これは失礼な物言いをしましたな。私は若い時、人の一面だけを見て、その人柄を判断する悪癖を持っていました。ですから、他人も若いときはそうではないかと言う決めつけをしていたようです」
こちらの真意を見通すような目をしながらそう言うため、私は想わず目線を逸らします。
「悪癖だなんてそんな……」
そんな私に対し、毛利様は追加で何か言う気が無いのでしょう。気にした様子を浮かべません。
「弁護は無用でございます。人と言うのは、一面だけで判断出来るものではとてもございません。であるのに、人の一面だけで判断しようとした。これは人の本質を見誤りかねない、大きな悪癖でございます」
そのように言って、毛利様は私をじっと見つめます。
「何か?」
その意図を探ろうと、私も負けじと毛利様の目をじっと見つめますが、彼は僅かに微笑むのみです。
「まあ、貴方様には関係の無い話かと」
その上このような事を言うため、私としては困惑するばかりです。
「豊大のもう一つの誤算は、吉良家の主の興味を引けなかった事代わりに、一人の男の興味を引いた事です」
どこか自嘲するかのような響きを聞いて、私の頭に一つの考えが浮かんでくる。
「まさか、それが貴方……毛利渡様だったりするのでしょうか」
「ええ。その通りでございます」
そのように言う毛利様に対し、私は思わずこのように溢してしまいました。
「なんと、まあ」
私の言葉に毛利様が頷きます。
「ええ。全く……我ながら驚くような成り行きでございます」
その毛利様の言い方は、どこか人を嘲笑うような言い方でした。その嘲笑う相手と言うのは、過去の自身なのかもしれません。
「それから、どうなったのです?」
「単純な話です。美しい見た目をした、違う耳をした少女に……私は懸想をしたのでございます。許されぬ想いであるとそう想ったのでございますが、そう考えたのは私だけでした」
「と、言うと?」
「実は、豊大は重持様を高く評価していました。兄と父の敵を自らの手で打ち倒す、そしてその後も安定して勢力を維持する。口で言うのは簡単ですが、実際に実施するのは困難を極めます。このような事をする重持様をどうにか味方にしたい。それが豊大の考えでございました。そのため、最も付けいる隙だと思われたのが……」
「女癖の悪さ?」
毛利様は小さく笑います。
「豊大はそのように考えたようです。その考えを重持様も察したのでしょう。どのように同盟へと持っていけばいいのかと、そのように考えているようでした。そして、その胸中を、きしも感じていたのでしょう」
豊大の名前を言う時、とても親しみを持っているのは私の勘違いではないでしょう。
「彼女は明るい声でこのように言いました。
『貴方の事は聞き及んでいます。曰く、天に目を持つ御仁だとか』
そのように言われて重持様は首を横に振ります。
『そのような大それたものではございません。ただ懸命に戦っていたらこのようになったに過ぎません』」
「その時の重持様は、さぞ気まずそうにしていたでしょうね」
重持様は自信を持って行動をしている事が多いのですが、時折表情を曇らせる事があります。
重持様の事を毛利様も思い浮かべたのでしょう、口を引き結んでいながら目だけ笑っています。
「当時は困ったものですが、今となってはいい思い出でございます」
そこで、ふと気になる事が頭に浮かびました。
「その使者様は、やはり我々とは違う耳を?」
亜人族からの使者です。やはり使者も亜人ばかりなのでしょうか。
「これについては我々も驚いたのですが、その使節の中には我々と同じ耳をした者がいました。訳あって追っ手に追われている者達が亜人族の里へと逃げ込む事は、その時代では珍しい事ではございませんでした」
山奥であれば大軍を動かす事は困難となります。当然、追っ手を差し向けるのも難しくなるでしょう。
「何だか、亜人族からの牽制にも見えますね。内乱で人がこっちに逃げてきているぞ。我々はそちらが味方を欲している事を知っているぞと言う」
その途端、毛利様が興味深そうに目を見開きます。
「鋭い指摘でございますな。面と向かって言葉にしては問題が起きる、故に当て擦りのような行動をしていたかもしれません」
すると、今まで静かに聞いていたつなさんが神妙な顔つきを浮かべます。
「今から聞くと、とんでもないことでございます」
私の視線に対し、彼女は短くそう答えました。
「話を続けましょう。その時に重持様の周りにいた者達は皆、揃いも揃って武具で身を固めていました。それは使者であるきしも察していた筈です。亜人族と言うのは、その耳によって小さな音も聞き取れる代わりに、感情が耳に出やすいと言います。しかし、彼女は物騒な警備に囲まれた中でも、その耳を一切動かさず……重持様に対して向けられていました。お互い、腹の内を容易に見せるようなお人ではなかった事もあり、状況は変化を見せずに会談は終わりました。多分、そのままでは今でも関係は進まなかったのでは無いでしょうか」
「そのままだったら、と言うことは状況を変化させるような事があったのですね」
「その通りでございます。会談の後、身の程を弁えずに使者である彼女に声をかけた者がございました」
「それが毛利様?」
その時、彼は少しだけ笑ってみせました。
「左様です。と言ってもたわい無い話をしていただけでございます」
「本当に?」
「ええ。特筆すべきことなぞございません。過去の様々な物語にあるような劇的な事件なぞ、そんなものはありませんでした。ただお互いに大変だと言う事を話しただけでございます」
「それからどうなったのです?」
「どこから聞きつけてきたのか、私ときしが婚約する話が出てきました。なんでも、発案者は巫女様だとか」
「これはまた大胆な事を言いますね」
「全くです」
毛利様が頷きます。
「私はこれ幸いと了承したのですが、その後でふと不安になってきました。私がその気になっているだけで、きしは私との婚約を嫌がるのではないかと。まあ、幸いな事に杞憂で終わったのでございますが」
「何か事件とかは?」
「特筆すべき事はありませんでした。何せ、こちらもあちらも乗り気で、私を含め当人達も満更でもないと言う形でしたから」
そう言った後で、毛利様は咳払いをします。見てみると、僅かに耳が赤い。
「この婚約によって吉良家と亜人族の間には強い繋がりが生まれ、そしてその後一年ほど後に……重持様と巫女様の間には待望のお子が生まれました。そして、その頃でございますかな……巫女様が春の方と呼ばれ始めたのは」
この呼び方の変化は、きっと春の方様が周りから親しみと敬意を持たれ始めた証拠なのでしょう。
「春の方様のお子だから、春行?」
「安直でございましょう? いい名であると思いますが」
多くの苦労をした男女の間に子供が生まれ、名前を授ける。物語であれば、ここで「幸せに暮らしましたとさ」で締めくくられても良さそうな話です。
「童に聞かせるお話でしたら、ここでめでたしめでたしとなりそうな所でございますね」
「ええ。ですが、国を治めるためにはここからが本番でございます。国と言うのは一人の才覚で治める事が出来ても、その後は続かずに潰える事が多々あります。当然、春行様にかかる重圧は大きなものでした」
「春行様は、その事についてどのような?」
毛利様は渋面を浮かべます。
「幼い時の春行様は、なんと言うか……あまり人から好かれないお人柄でございました」
言葉を取り繕っても、春行様があまり周りからよく見られていなかった事がわかります。
「自分を特別と思うあまり……実際に特別なのですが」
どうにか言葉を選んで、と言った様子の毛利様。
「周りを自分よりも低く見る事が多かったのです。当然、周りも面白いと思いません」
「物心ついた頃からそうなのです?」
「ええ。私ときしの間にも、春行様がお生まれになった一年後に子供が生まれたのですが……そちらの方が評判が良い位でして」
親が優秀でも子供はそうでもない、古今東西にありふれたお話です。ついでに言えば、つなさんが嬉しいやら悲しいやらと言った表情を浮かべています。
「どうしたものかと皆が悩んでいる時に、春の方様がどう言うわけか馬を連れてきたのです」
「馬?」
「大きな牝馬です。牡馬の方が牝馬よりも力強い事が多いのですが、その牝馬は牡馬を遙かに凌ぐ膂力を持っていました」
「そんな事が?」
「ええ。人々が知らない理を持つ馬、そう言われる程でした。物の怪の類に違い無いから首を切り落とせと言う者さえいる程でした」
物騒なお話です。自分の知らない、理解出来ないものを闇へと葬ろうとするのは人の悪い癖なのでしょう。
「ですが、その風向きが変わる戦いが起こります。西にある島にある者達が、多くの兵を集めて我らの島に攻めてくる事になったのです」
少しだけ記憶を探ってみると、私がもう少しだけ幼い時に大戦が行われると風の噂で聞いた事があったのを思い出した。
「ごくごく最近の話だったと思われますが……」
「今より、僅か七年前でございます」
まだ私の歳が八かそこらだった時です。
「その時、重持様は北の島で亜人族達の集落へと訪問していました。急ぎ本島に戻ろうにも大雨によって船がまともに動かせず、本島の北端に接岸するのがやっと。陸路で本拠まで戻るしか方法がございませんでした。不幸中の幸い、例の牝馬を連れていた重持様は、彼女に跨がって急いで城へと戻りました」
「一歩間違えば大変な事になってたのね」
「ええ。ですが、彼女が凄まじいのはそこからでした。重持様が馬を乗り換えるために彼女から降りると、不思議な事に彼女は重持様の裾を咥えて離しません。まるで、私から離れるなと言わんばかりでございました」
「それで、また彼女に?」
「結果的にそうなりました。西の島に兵達が集まっていると聞いてから、私が兵を集めていたので、後は重持様の号令を待つのみ。状況を打破する事は十分に可能な状況でした。重持様は少し迷った素振りを見せた後、再度彼女に跨がると彼女を走らせました」
「彼女に大きな負担がかかると分かっていても?」
「ええ。ですが驚く事に、彼女は足取りも軽やかに歩いていきます。それはもう、周りの兵達が急いで追いかけなければいけない程の速さでした。そして敵と相対した時には、多くの兵や馬が疲れている中、一頭だけ飼い葉を一心不乱に食べていました。そして腹いっぱいに食べた後は眠り、次の日にはまた立ち上がって重持様に頬を寄せていました」
「凄い丈夫な馬だったのね」
「ええ。そして予定よりも早く到着する事が出来た重持様は、軍備を直ちに整えて戦いを勝利する事に成功するのです」
「それで終わり?」
「いいえ、戦いは勝利してそれで終わりではありません。その後の掃討戦がより大切になるのです。相手の舞台を逃せば、その後に相手に反撃の余地を与える事になります。そのため、相手の本体を出来うる限り殲滅しなければなりませんでした」
「そんな事をすれば、相手も必死に抵抗するでしょう?」
「その通りです。そのため、勝者も敗者も多くの犠牲を出すのがこの掃討戦になります。そして重持様は相手に深入りするあまり、敵の一組の騎馬武者に接近する事を許します。重持様は牝馬に跨がり、小回りが利かない状態。到底避けられる状況ではありません」
「絶体絶命って事?」
「ええ。危うく重持様の首に刃物が迫ったその時『彼女』が膝を折ります。そして、なんと相手の騎馬武者が乗っていた馬に噛みついたのです。重持様の首に向かっていた刃物は空を切り、相手の馬は暴れて背中の武者を振り落とします。そしてその武者を重持様自ら仕留めると、それを見ていた周りの者達は歓声を上げました。そして後に人々は彼女の事をこう呼びます。
『覇王』と」
覇王、私が村を出る前に見た夢で現れた女性が口にした単語です。
「その『覇王』と呼ばれた女性はどうなったのです?」
そう訊ねると、毛利様は何度か瞬きをします。毛利様が目を閉じる時間が、いつもよりも長く感じたのは私の気のせいでしょうか。同時に、私の口の中が少しだけ乾くような感触があります。
「彼女は一頭の牡馬との間に、子供を宿しました。頭を低く下げ、飛ぶような……そんな美しい走り方をする馬です。これを知った春の方様は、彼女を春行様と一緒に暮らすように発案致します」
「周りの人は呆気にとられたでしょう?」
「ええ。病によって頭が変になってしまったのかと」
そこで私は毛利様の一つの言葉が気になりました。
「春の方様は病に?」
「覇王と呼ばれる彼女を連れてきて、暫く経ってからでございます。流行病になり、それからずっと床に伏せていました。そんなあの方が、ボンヤリとした様子で『彼女を春行の元へ』と」
「驚く事ばかりでしたでしょう?」
「そうですね」
そう言ったっきり、毛利様は暫く何かを考えるように暫く口を閉ざします。そして、その後に意を決したように私を見ました。
「実は私は春行様の教育係でして……まあ、あまり大した事は教えてあげられませんでしたが」
そう言って、毛利様は恥ずかしそうに頬を掻きます。
「とても荒っぽい部分のあった春行様は、彼女と過ごす内に少しずつ落ち着いていきました。まるで自分の中にある激情を、見事に手懐けていくかのように。そして、彼女が子供を産んだ時にはそれはもう嬉しそうで……彼女は春行様にとって、それ程特別だったのでしょう」
言い終えると、毛利様は徐に立ち上がって部屋から出ていきました。それから暫く時間が経った後、彼は小さな箱を持って部屋に戻ってきました。
黒く染められた絹織物の包みを前にして、私は首を傾げます。
「これは?」
私がそう訊ねると、毛利殿は表情を一切変えずに口を開きます。
「春行様と共に過ごした馬の……彼女の鬣です」
その時の毛利殿は、眉を動かさずに鬣に視線を落としていました。その様子からは、簡単には感情を伺う事は出来ません。
「小馬が生まれた暫く後、私は激化する戦に出かけなければいけませんでした。そして戻ってきた時、春行様は彼女の前で何も言わずに全く表情を変えずに佇んでいました。何があったのか、詳しい事は分かりません。ですが、彼女が息を引き取った事だけは分かりました。春行様も、小馬もその様子をただじっと眺めている様子が、今でも昨日の事のように思い出せます」
それが彼等にとってどれだけ大きな出来事だったのか、その事を私は推測するしかありません。
「これを……」
何かを言おうとして、そのまま口を閉ざす毛利様。
「いいえ、止めておきましょう」*3
彼はそう言った後、鬣を持って立ち去ってしまった。




