外交
大殿の言った事を、私は一人反芻していました。そのまま暫くの沈黙の中、私は一言言葉をひねり出します。
「我が国は月本と言う名前なのですか?」
それを聞いて、大殿は持っていたおちょこの中身を溢しました。
「知らなかったのか?」
驚いた様子でそう言う大殿に、私は再度訊ねます。
「ですから、我が国の名前です」
そう言われて、大殿はすぐに答えます。
「そうじゃよ。我が国は月本と随分前から……」
言っている途中で、大殿は何かに気がついたのでしょう。無言で宙を暫く見つめてから、ぼんやりとした様子でこんな風に言いました。
「そう言えば、我が国が外の国に対して『月本』と言う名前を使い始めたのは……つい最近じゃった。他の国にはその事を大々的に言っておったが、自国内では瓦版を各地に建てる位しかして無かったの」
なんて言います。
「なんでまた、月本と言う名前にしたんですか?」
その言葉に、大殿はふむと少し考えてからこのように応えました。
「少し不満そうじゃの?」
どうやら、私の顔に不満が浮かんでいたようです。
「その通りです。どうせなら太陽のように、輝かしい物にして欲しかった」
自分の素直な意見を言うと、大殿はふうむと少し考え、言葉を選びながら喋ります。
「太陽が権力の象徴であり、月が寿命の象徴である。そんな言葉がある」
その言葉を聞いて、ぴんと来るものがありました。
「権力ではなく、それ以外を連想させる言葉を使いたかった?」
その言葉を聞いた大殿が、興味深そうに私を見ます。
「ふむ、理解が早いの」
そう言うと、大殿は杯を置いてから月を眺めます。
「太陽と言うのは、我が国だけではなく、多くの国で権力の象徴として描かれてきた。輝かしい功績を、太陽に例えて表現する事が多かったわけじゃな。しかし、私は自分の権力を誇示する気にはなれなかった」
蕩々と語る大殿の顔をのぞき込みながら、私は疑問をぶつけます。
「どれ程の権力を有しても?」
権力が人を変える、そんな事を考えながらそう言いました。すると大殿は、何かを悟ったように首を横に振ります。
「権力では私は変わる事が出来なかった。いいや、どんなモノでも私は自分を変える事が出来なかった」
どこか諦観をしているような、自虐的な物言い。これ以上は何も聞かない事が、この場は穏やかに過ごす事が出来るでしょう。しかし、私は続きを促すように言葉を続けます。
「自分が常に見えてきた?」
「そんな大層なものじゃない。ただ成長もしていないし、代わり映えをするような変化もしなかった。儂は覇気に欠ける、幸運によって国を統治しただけじゃ」
その言葉に、私は反論する言葉を投げかけようとしました。しかし、少しだけ心を閉ざしているように見えるこの人の心に、私の言葉が通じるとは思えません。煩論に発展するのが目に見えています。
少しだけ目を閉じてから、私は口を開きます。
「そう言えば、トルグートに詳しい人について心あたりはありませんか?」
話の変え方が少々強引すぎる気がしますが、大殿はわざとらしく両手を合わせて話に乗っかってきます。
「おお、それならば良い者がいる」
やや嘘くさい笑顔ですが、私はそれをわざと指摘せずに乗っかります。
「その方とは?」
「つなの……」
大殿のその言葉を言い終える前に、突如として背後の襖が開く。
「お呼びですか?」
話で出てきたつなさんだ。反応が早い。
「お呼びでないわい」
大殿の素っ気ない反応に、つなさんの耳がペタリと垂れる。
「大殿、ちょっと大人げ無いですよ」
なんて言うと、大殿は口を結んでたじろぐ。
「む、むう。すまんのう」
大殿の言葉に、つなさんの耳が再度立ち上がります。なんか見ていて面白いかも。
そんな様子を見て、少々気まずかったのでしょう。大殿がわざとらしく咳払いをしてから
「つな」
と言って神妙な面持ちをします。
「お主は春行に付いている筈だろう。どうしてここに?」
その言葉に、つなさんは居住まいを正して大殿に向き合います。
「侵入者が現れてからまだ日が浅いものですから、こうして大殿の警護に付いている訳でございます」
いつになく真剣な表情でそのような事を言うつなさんに、大殿は困ったように頬を指先で掻きます。
「そうは言うてもな、つなよ……現状、実質的な国の主は春行じゃ。儂は、ほれ」
大殿は立ち上がると、その少女になった自らの姿を見せつけるようにくるりと回る。
「こんな姿じゃ。これでは国の政務もままならん」
そのように言う大殿に対し、つなさんは首を横に振ります。
「見た目は関係ありません。私にとっては、殿も大殿も等しく我が主です」
その言葉を聞いて、大殿は溜め息を吐きました。
「馬鹿な事を。箔が落ちた国の領主に、そこまで執着するとは」
これに対し、つなさんは殿をじっと見つめます。
「いいえ。見方によっては、大殿は箔が付いたと言えます」
神妙な態度で、そのように応えるつなさん。
「その言葉を聞いても、儂にはどう答えてよいか分からん」
そうして、暫く黙り込む大殿。その姿を見て、私は何も言えず、つなさんは続きを待つように真剣な目で大殿を見ていました。
「今は下がれ。何かあれば、その都度伝えよう」
その大殿の言葉に、つなさんは落ち着いた様子で頷く。そして部屋の奥に入ると同時に襖を閉じて姿を隠した。
「忖度も、行きすぎれば煩わしいものだな」
そう呟く大殿。
「そんな事言って。つなさんが聞いたら、怒りますよ」
そう言う私の言葉を聞きながら、大殿は杯の中身を少しだけ口に含みます。時間を掛けて飲み込んだ後、鼻を鳴らしてこう答えました。
「多分、今聞いておるが……それでも怒っていない。これまでもそうじゃ」
まさかと思い、つなさんが姿を消した襖の向こう側を覗き見ます。しかし、そこには誰の姿も見受けられません。
「大殿、からかってます?」
少しだけ睨むように大殿を見ますが、その顔は至って真面目な顔をしていました。
「いいや」
そして、また真剣にそんな事を言います。どう言うことでしょうか。
「奴の身のこなしはこの国でも随一じゃ。音も無く姿を消すなんて、造作も無いことであろうよ」
どこか確信めいてそう言うため、私は言い返す言葉が出てきません。恐らくですが、とても口が達者でも、大殿からこれ以上の言葉を出す事は出来ないでしょう。
そのように考えた私は、話題を少し変える事にしました。
「そう言えば、つなさんが現れる前に何か言いかけていましたね」
私の言葉に、大殿はふむと頷いてから、こう答えます。
「そうじゃ。トルグートに詳しい者の事じゃったな」
その言葉に、私は頷いて肯定します。
「その者は、つなの実父であり我が国の外交担当。毛利渡じゃ」
大きな窓に高い天井、煌びやかな調度品。十畳程の部屋に、板張りの床。そこに畳が敷き詰められ、窓には高級な和紙が張られた障子がはめ込まれています。全体的に質実剛健な作りをしている大殿達の屋敷に対し、この屋敷は華美な作りをしていました。
派手で高級感があり、同時に品の良さある敷物に腰を下ろして、私はどうすれば良いのか悩んでいました。キョロキョロと周りを見渡せば品がない者のように写るし、ただ何もせずに待っているのは落ち着きません。やれる事と言えば、数字が刻まれた円盤に動く針がついた奇妙な物体……それから発せられるカチコチと言う音を聞くだけです。
まだ登ったばかりの日によって照らされた部屋で、私は異国に来たような心持ちをしながらじっと待っていると、ようやく待っていた人が現れました。
「お待たせしました」
そう言って現れたのは、初老の男性です。屈強である事が連想出来る大きな肩幅に、歩いている時に一切ぶれない体幹。武術に対しては素人の私でも、彼は優れた武術家であるのではと、そんな考えが頭に浮かびます。
そして、私と同じ普通の耳をしたその男性が、私と対面するように座ります。その様子を見てから、私は徐に口を開きました。
「本日はお忙しいところ、ご足労ありがとうございます。私は、現在吉良様の屋敷に住み込みの薬師をしている苗と申します」
そのように言うと、彼は穏やかな微笑みを浮かべながら頭を垂れました。
「私は、この国で外交を担当している毛利渡と申します。わざわざ遠い地からお越し頂き、ありがとうございます」
このように言うのも、私が住まわせて貰っている屋敷の離れからの距離にあります。
「ここから片道一時間かかる城から、よくぞおいでなされました」
その言葉に、私は首を傾げます。
「一時間?」
そう言うと、毛利様はそう言えばと頷きました。
「失礼。時間と言うのは、東の国であるドリズィオンで使われている単位でございます。一時間が、約二刻となります」
そう言う間、円盤を付けた奇妙な物をちらちらと見ている事から、それは恐らく時間を計る道具なのでしょう。
彼の言う通り、今私のいる屋敷と言うのは、大殿様の住んでいる屋敷から随分と遠くにあります。遙か北側に大殿の城が見える小高い丘の上に作られていました。周りが見渡せるような見張り台が、南北に一つずつ。警備をする者が駐屯出来るような、簡素な作りをした屋敷が数軒あります。
ここにある道具や調度品について根掘り葉掘り聞いてみたい気持ちはありますが、そんな事をしていては時間がいくらあっても足りません。私は咳払いを一度した後、彼に向かって質問を投げかける事にしました。
「本日お伺いしたのは他でもありません。隣国であるトルグートについてです」
毛利様は私の言葉を聞いて、特に慌てる事無く微笑みました。
「そうですか」
毛利様はそう言った後、暫く考え込んでからこう言いました。
「それを言葉で説明するのは、難しいですな」
そのように言う彼の目を見て、私は何か既視感を抱きます。輝いていると錯覚するような漆黒の瞳。どこかで似た目を見たような。
そうして別の場所につれてこられた私は、目茶苦茶な量の本を見て辟易していました。
「実は書庫からトルグートの本を大量に持ち出して、ここに積んでおいたのです。そして使ったまま整理せずに置いておいたので、未だにこのような有様で」
毛利様は乾いた笑い声を出しながらそう言います。
通された部屋は、六畳ほどの板張りの部屋です。西に板で出来た引き戸があり、南と東に採光用の小さな窓。北側に大きな本棚があるため圧迫感があり、寛ぐには向いてい無いような空間になっています。
「毛利様、因みに何冊程この本はあるのですか?」
それを聞いて、毛利様は少し考えた後、こう答えました。
「八十程でしょうか」
聞いた瞬間に目眩がします。一冊取って中を見てみると、内容はかなり難しい。しかも全てのページ数が、二百はあるのでは無いかと言う厚さです。
「異国では、数百の本が所蔵された館もあると言います。大殿達の暮らす館に置かれた本の数も、これに比べればかなりの数でしょう。しかし比較的少ないと言っても、一人で読むには多すぎる事には変わりはありません」
なんだか凄い疲れた様子で、そんな事を言われました。
「なんでこんな量の資料を?」
「未だに後継者が決まっていないのです。また、補佐する人もいないと問題が山積みで」
その言葉に、思わず頭が痛くなります。
「だから言葉で説明するのが難しいと?」
そう訊ねると、毛利様は首を縦に振りました。なんと言うか、この人も苦労性の気配がします。
「事情は分かりました。取り敢えず、少しずつ読んで見る事にします」
そう言って一冊本を見ると、中に扇情的な女性の絵が描かれています。
「あ、それはトルグートの男達を惑わしたと言われる美姫達の絵ですね」
「そんな物まであるんですか!?」
なんだか先行きが不安ですが、コツコツと進めて行くしかないでしょう。
トルグートと言う国で分かった事と言えば……
「国の人が全員絶倫である事ですね」
「声に出さないで下され。どのような顔をすればいいのか分かりかねます」
私の言葉に毛利殿は神妙な顔つきで応えます。
「何を言いますか。精の付く食べ物ばかり食べてる彼等は、さぞ絶倫に違いありません」
毛利殿は神妙な顔つきで資料を見ると、言葉を選ぶように口を開く。
「苗殿、いったいどこまで知っていますか? こちらに揺さぶりを掛けているのでは……」
その言葉の真意は分かりませんが、私が何か重大な事を知っているのか……それを疑っているようです。
「いいえ、そのような事はありませんよ」
毛利殿を見つめながらそう言うと、毛利殿はほっとしたように息を吐きます。心なしか、空気も弛緩したように思えます。
「いやはや、失敬失敬。先ほどの質問は忘れて貰えると助かります」
毛利殿は柔和な笑みを浮かべながらそう言います。意図は分かりかねますが、彼には重大な事のようなので、特に反対もせずに頷きます。
「そうですな。彼等は強い精力を持つ事でも知られる民族性がある事を、私は別の資料を目に通した事で……」
そこまで言った後、毛利殿は何かを思い出したかのように少しだけ真剣な目をします。
「あ、この『別の資料』と言うのは言う事が出来ぬので、そこには触れてずにおくと助かります」
口調こそ温和ですが、その目に強い意志を感じます。
「えっと……」
きっとここで引けばこの場は穏やかに治まる。そう思うと同時に、ここで引き下がればこの事について聞く機会は失われるのではないか。そのような考えが頭に浮かびます。暫く目を閉じてどちらの方がいいか、と天秤に掛けた後で私は応えました。
「分かりました。今後この事には一切触れません」
そう言うと、今度は毛利殿が感心したように頷きます。しかし同時に、少し心配そうな雰囲気も見て取れます。
「そう言われると助かります。その代わり、今後何か相談があれば出来うる限り力になりましょう」
そう言われて、私は少し思いついた事があります。
「それでしたら、相談を一つ聞いて貰って宜しいでしょうか」
少し緊張しながらそう言うと、毛利殿はこちらの緊張を読み取ったのか、優しい顔を浮かべます。
「ええ、かまいません」
どこか慈愛を感じられるその顔を見てから、私は気になっていた事を聞いてみます。
「殿の事について……」
そう、会ってすぐの時は特に気にしていなかった。しかし、彼とよく話をするようになってからは頻繁に気になるようになっていた事である……
「吉良春行殿の事についてお聞きしたいのです」
そう言った瞬間、毛利殿は目を暫く閉じます。何も喋らず、静かな空間で時だけが過ぎるのみ。私の心臓が早鐘を打ち始めた時、毛利殿は感情を押し殺したような顔で私の顔を見つめます。
「あの方は実質的な一国の主、それだけでは駄目なのでしょうか?」
もしかしたら、これは毛利殿なりの拒絶なのかもしれません。私にはこれ以上踏み込んでほしくない、そのように内面では思っているかもしれません。そのような考えが浮かぶのですが、私は自分で自分の言葉を制御する事が出来ませんでした。
「駄目です。私はあの方の事をもっと知りたい」
そのように言うと、毛利殿は私の事を吟味するように眺めてから口を開きます。
「大殿はもしかしたら、こうなるように仕向けたのかもしれませんな」
私の想定していた言葉とは違う言葉に、私は首を傾げます。
「その言葉はどのような意図が含まれているのでしょう?」
私の言葉にすぐ応えず、彼はどこか遠い場所の音を拾うかのように宙を眺めます。どのような表情をしていいか、どのような声色で喋ればいいのか……それを計りかねているかのような顔をした一人の老人。
「身勝手な理由で突拍子の無い事をお聞きますが、貴方は今の生活をどう考えいますか」
本当に突拍子の無い言葉です。しかし、それが毛利殿には大切なのか、その瞳は酷く真剣でした。そのため、私も真剣に応えます。
「悪くは無い生活です。よりよい生活になればとも」
そう言うと、毛利殿は暫く私を見つめた後で……ポツポツと話をします。
「彼女には、母のように慕う存在がいました」
「ように?」
どこか含みのある言い方です。
「実の母ではありません。それどころか、人でさえありません。ただの一頭の牝馬です」 聞いた瞬間、一人の少年が一頭の大きな体をした馬によりかかる姿が頭に浮かびます。
「私はその一人と一頭、彼等に尽くすことを大殿に申しつけられていました」
遠い昔の事であるのでしょう。ですが同時に、鮮明に思い出しているのでしょう。毛利殿の瞳は僅かに細められていました。そんな彼が感じているのは、郷愁でしょうか。それとも悲しさでしょうか。真意は分かりません。
「実の母と離れて暮らす一人の少年、しかし側には大きな体と優しい心を持ち、違う姿をした血の繋がらない少年を慈しむ一頭の母がいました。その時はまだまだ争乱が続き、国内もとある事情から混迷していましたが、私達の側は平穏で包まれていました」
毛利殿の言うことを頭の中で反芻してから、浮かんだ疑問をぶつけてみます。
「混迷と言いましたが、この国で何があったのです?」
「それは……」
私の言葉によって毛利殿に少しだけ逡巡が生まれます。暫く生まれる沈黙の後、
「大殿の妻、春の方様が病床に伏していた事です」
目を見開き、彼の顔を見ます。その顔は努めて感情的にならぬよう、目を伏せていました。
「あのお方は、名前の通り春のような心をお持ちの方でした。心優しく、時に力強い風を起こす」
「風?」
そこに、小さな足音がどこかから聞こえてきました。どこかで似たような足音を聞いた事がある……そう思っていると、襖を開いて知っている姿が。
「どうも、こちらに苗様がいらっしゃるとお伺いしたのですが……」
そう言って現れたつなさんが毛利殿を見ます。
「おや、父上もこちらにいらっしゃったのですが」
その言葉に驚きながら、私は毛利殿に視線を向けます。彼は照れくさいのか、少しだけ視線を逸らしていました。
「父?」
確かに似た目をしていると感じてはいました。名前も、大殿から聞いていた通り。しかし、毛利殿とつなさんでは耳の位置が違います。
大殿の言った毛利渡と言う人物と、目の前にいる毛利渡と言う人物が、同姓同名の別人なのでは? そのような考えがどうしても抜けない。それが私の本音です。
そんな私の視線に気がついたのか、毛利殿は私に再度視線を向けました。
「古い話です。自分の身の程を弁えない若者が、自分の国と溝のある一族の娘に恋をしたと言う……」
言う言葉はぶっきらぼうですが、その言葉にはどこか優しさと嬉しさを含まれているような……なんて言えばいいのか、上手い言葉が思い浮かびません。
「父は母との馴れ初めを自らの口で話してはくれないんです。でもご安心下さい。父から聞く事は出来なくても、大殿から一部始終聞く事が出来ます」
そんな事を言うつなさんに、毛利殿……いいえ、この呼び方も改めた方がいいのかもしれません。現在、私の目の前にいるお二人は両方とも毛利の名を持つのですから。
「では、つなさんの上の名前は」
「はい。毛利、そう名乗っています。母の名前である「宇佐」でもいいのですが」
宇佐、その名前を私は聞いた事がありました。戦の神である宇佐の宮を信奉する、神の使い。そして我が国最大の亜人族の集団、豊大の党首の名前。
「では、つなさんは……」
そう訊ねると、つなさんは首を縦に振った。
「はい。私は宇佐の次期党首第二候補、宇佐つな。同時に、月本の重役、毛利渡の長女でもあります」
愛敬
つなさんが部屋に入ってきた後、彼女は申し訳無さそうに目を伏せながらこう言いました。
「申し訳ありません。お話の途中で邪魔をしたようです」
そう言って立ち去ろうとする彼女に対し、毛利殿は首を横に振ります。
「いいや、ちょうどいい。つなもここにいなさい」
そう聞いたつなさんは、一瞬私に目配せをします。毛利殿はきっとつなさんにも関わる話をこれからしようとする、そう考えた私は首を縦に動かします。きっと、ここから先の話は彼女も交えて話をした方が、より状況を理解出来る。そんな考えからでした。
「私は元々、先代の吉良家当主からお仕えしている身でした。っと、違いましたな。今の吉良家当主は春行様でしたから、先々代と言う事になります」
記憶を少しずつ掘り起こしながらと言った様子で、彼は話します。
「その時は若僧で、重持様もお若かった。我が吉良家はまだ小さな家に過ぎず、国家統一なぞ夢のまた夢。そのような事を言えば、周りから笑われる有様でした」
そう言う彼の顔は少しだけ楽しそうでした。大変と口では言うものの、彼等はそれなりに楽しかった事が窺えます。
「そんな我らの元に、一つの噂が耳に入ります。この世の全ての事を知る巫女がいると」
少しだけ神妙な様子で言う彼に、私は思わず呆気にとられて首を傾げました。
「巫女?」
「巫女です。まあ、噂は噂、今から考えると突拍子の無い話でございます。ですが私と重持様は二人でこう考えた訳です。噂の真偽を確かめてみようと」
「ええ……」
そんな噂に耳を傾けるなんて……なんて事を考えるのでしょう。
「その時の主……重持様のお父上ですな。彼にもその噂をお話したところ、面白そうだから行ってまいれと許可を頂き、重持様はその巫女へと文通を始めます」
大殿の……吉良重持様のお父さんも中々おおらかな性格のようです。
「因みに文通から始めたのは、重持様が女性に免疫がなかったからです」
「あの重持様が?」
考えていた以上に奇妙な理由です。見ず知らずの私に話しかけてきたあの重持様が。
「噂の出所を確かめようとする好奇心がありながら、相手が女性であると言う理由でいきなり出会う事を避けたのです。耳障りのいい言い方をすれば、奥ゆかしい性格ですな」
面白おかしく言っていますが、これを聞いたら重持様は機嫌を損ねそうです。いえ、この人達の仲ならそれでも仲直りしそうですが。
「大殿は巫女様に手紙を送った後、なんと驚く事に返事が来ました。しかも末文に『返事をお待ちしています』とまで書かれて」
一国の主から連絡が来て、無碍にする事が出来ずにそう返した可能性もあるな。そんな意地悪な事を考えた私に、毛利殿は悪戯坊主のような表情を向けます。
「どうかいたしました?」
「いいえ。話を続けましょう」
どこか腑に落ちない私を気にせず、毛利殿は話を続けます。
「この時手紙をお届けしたのが私なのですが、私は手紙を渡す時に巫女様に会う事は出来ませんでした。彼女の住むと言う屋敷の前に簡素な箱が置いてあり、その横に『ご用件のあるお方は、文を書いてこの箱に入れて下さい』と書いて立て札があるのみです」
なんだか慇懃無礼にも感じられるやり方です。訪問する方に出会うために、時間を割きたくないとも取れます。
「そのため、私は期待をせずに重持様からお受け取りした文をその箱に入れました。重持様にその事をお伝えしたところ『そうか』とだけ言って実に残念そうにしていました」
「返事はどのような形で?」
「一通目に文をお渡しした後、諦めきれなかった重持様がもう一度文を書いたのです。呆れる私が渋々巫女様の屋敷に行くと、箱の横にこのように書かれて置いてあったのです」
そう言って、毛利様は筆と半紙を出して一筆認めました。そこには『生良茂餅様へ』と書かれています。
「重持様は偽名を使っていたのです。中身を見ていなかった私は、その時に初めて……偽名を使って巫女様と接触しようとしている事を知りました」
毛利様は愉快そうにしていた顔を少しだけ真面目にしながら、こう話します。
「吉良家は今よりもっと小さかったとはいえ、由緒ある武門の名家。好奇心で他人を巻き込む事は不要な災いを招くと考えたのでしょう」
「それでも、好奇心を抑えられなかった?」
私の言葉に、毛利殿は神妙に首を縦に振ります。
「巫女と呼ばれる人がどのような人なのか、それが知りたい。しかし、他人を巻き込む事は気軽にやってはいけない。その二つの考えがあったのでしょうな。重持様は手紙を私に託される度に、再三に亘って私に言い含めたものです。『他言無用、くれぐれも内密に』と」
好奇心と責任のどちらを取るか考えた、重持様なりの折半なのでしょう。
「話が少し前後しましたな。大殿と巫女様はその後、一年あまり手紙をやりとりしました」
「一年も?」
そんなに長い期間、手紙をやりとりしたとは。
「気の長い事です」
「全くです。数日に一回手紙を持たされる、こちらの身にもなってほしい物です」
毛利殿は呆れた表情をしている。その時の事は余程大変だったのでしょう。
「そんな重持様が、ある時こう言いました。『会いたい人がいる』と」
「一年も時が過ぎてから?」
「ええ。真剣な顔で、密やかに」
「その後は、結婚してめでたしめでたし?」
よくある美談だと、そう締めくくられます。恋仲になった男女が結ばれ、二人は幸せに過ごしましたとさ……と。
「そうは問屋が卸しませぬ」
「全部が全部上手くいかない?」
「ええ。ここから様々な縁が、複雑に絡みあう事になります」
恐らく、その一つ一つが現状を生む遠因になっている事が予想されます。
「重持様が巫女様と出会うために、夜の闇に潜みながら彼女の屋敷へと向かいました。屋敷の前で私は自ら待つ事を進言し、重持様はそれを渋々と言った体で受け止めました」
「重持様は、巫女様と二人っきりになるのが気恥ずかしかったのでしょうか?」
「恐らくは」
そう言って、毛利様は静かに笑います。
「しかし、私としては二人の時間を邪魔したく無かった。そう思い、待つと進言しました」
「毛利様の進言を聞き、重持様はさぞ肝を冷やしたことでしょう」
「その問いは、お答え致しかねます」
毛利様は心底可笑しそうに笑っておりました。そのときの重持様は、相当興味深いお顔をしていたのでしょう。
「暫く時間の後、重持様が屋敷から一人の女性を連れて出てきました。その姿は、貴方様も自らの目で見たことがあると思われます」
「今の重持様の姿?」
その言葉に、毛利様は頷いて肯定しました。
「お二人とも、随分と照れくさそうな顔をしておりました。お互いが相手の足並みを気に掛け、揃って足を踏み出そうとする。でも歩幅が少しだけ重持様の方が広く、それに気がついた重持様が足並みを緩める。するとそれに気がついたあの方は、懸命に足を伸ばして足並みを揃えようとする」
そんな事を言いながら、毛利殿は苦笑いをしました。
「ここまで揃わないものかと、当時の私は思ったものです」
その時に感じたのは、決して良い感情だけではなかったのでしょうか。彼の顔には少しだけ、苦い経験を思い出したような表情が浮かんでいました。
「二人の仲を反対する者はいなかったのですか?」
そんな事を言うと、毛利殿は目をグッと閉じた後で手元を見ます。
「私が二人を連れて城へと戻ろうとすると、一人の兵が私の元へと歩み寄ってきました。よく知る者でしたが、その姿を見た私の心中は穏やかではいられませんでした。彼は具足を着込み、体中に矢を受けていたからです」
私はその言葉を聞いて、自然と拳を握ります。
「彼は私にこのように伝えました。手紙を……と」
その後彼がどうなったのか、毛利殿は言いませんでした。恐らく、軽々しく言う事を躊躇うような状況だったのでしょう。
「彼の懐には手紙があり、そこには重持様が跡取りとなる事が書かれておりました。それを見た重持様は大層驚いた事を覚えています。何せ、あの方には兄がいましたから」
口ぶりから察するに、毛利様も重持様も、その重持様の兄が跡取りであると言う認識でしたのでしょう。
「その兄が凡愚であったと言う可能性は?」
「ありえませんな。重持様の兄は、武勇は当時の人々と比べても優れ、更に穏やかな心を持っていました。更に常々、私に対して『重持は大器を持って生まれた身。我は将来、彼奴を補佐するつもりだ』と言っておりました。当時は、我が主を立てて下さったのだろうと考えていたものです」
「その兄ではなく、何故重持様が跡取りに?」
「重持様がいない間に、城へと焼き討ちがあったのです」
辛い記憶なのでしょう。毛利様は眉を顰めて苦々しい表情をしていました。
「兄と重持様の間に何があったのかは分かりかねます。ですが私には立ち入らせてくれないやりとりがあったと、そう考えております」
家族である者二人が何をしていたか、それについて他人が知る事は些か難しい事です。
「私は身分の違う男女が、周りから賛同を得て結ばれる姿を見たかったのかもしれません。我らの一族であればそれが可能だと。しかしそんな夢は、城と共に灰燼に帰しました。重持様は城を失いました。しかし、厄介な事に役目はあったのです」
「一族を再興させる事?」
毛利様は頷きます。
「焼き討ちにより、重持様のご両親も兄もこの世からいなくなりました。ですが厄介な事に吉良家当主と言う名前だけ受け継いだ」
「逃げ延びた残党が、重持様の元に募ってくると?」
「そうです。そして重持様は周りの者達を纏め、家族を焼いた者達に復讐する事になるのです」
「身分と名を変え、密やかに暮らす事は?」
その問いに毛利様は首を横に振ります。
「吉良家を焼いた者達の仕打ちは苛烈を極めました。元々吉良家に仕えていた者、近縁の者も遠縁の者も、老人でも赤子でも捕らえて葬り去っていきました。そんな中で、反乱軍の目をかいくぐった者達が、重持様の元へと集まってきました。その者達は皆、口を揃えて言いました。『復讐をしたい』と」
その時の毛利様はどこか悲しみを持っていました。周りはどう言おうとも、毛利様にとっては違う考えがあったかもしれません。
「その時の重持様はどうすればよいのか迷っていました。そんな時に巫女様はこのように言った事を、今でもハッキリと思い出せます。『引けば怯えて暮らし、進めば困難となります。引いた後の暮らしに何が待ち受けるかは分かりませんが、進んだ先には三つの道がある事がわかります』と」
「三つ?」
「曰く『一つ目は相手を倒す道。反乱軍を倒し、組織に組み込めば怯える事は無いでしょう。二つ目は反乱軍に負ける道、華々しく散ると言えば聞こえはいいですが、長い歴史に埋もれる事は必定でしょう。三つ目は決着がつかない道。いつまでも決着がつかず、泥沼の戦いになるでしょう』と」
そう言っている時に、毛利様は表情を一切変えませんでした。
「あくまでも淡々と述べる巫女様が続けて何かを言おうとすると、重持様はこのように口を開きます。『戦いたい』と」
短い言葉ですが、重持様にとっては一番の願いが込められている気がしてなりません。
「それから先、重持様は僅か一年あまりで逃散兵を集めると、反乱軍を鎮圧。あっと言う間でした。まるで未来が見えるかと思うような巫女様と、空に目があるのかと思う程的確に戦場を把握する重持様。このお二人に太刀打ち出来ず、反乱軍は鎮圧されました」
簡単に言いますが、これは決して容易ではありません。家を再興すると言うのは、多くの家が夢見て、そして潰える事が多いと聞きます。
「元の領地を取り戻し、簡素ではありますが城を再建した殿はある事を言いました。亜人族と同盟をしたいと。反対意見は少なくありませんでしたが」
そう言って、毛利様は困ったような顔をします。心なしか照れくさそうな……
「相手の事を調べると、どうやら豊大と言うのが亜人族では一番大きな部族らしいと。それを知った我々はこちらから正式に使者を送り、無礼のないように細心の注意をしながらしたためた手紙を相手に届けると、返事はすぐに来ました」
そう言うと、毛利様はしばし目を瞑ります。
「少しだけ話が逸れますが、この時に豊大の使者に道案内をするのは私でした。彼女らかなり大がかりな護衛をつけて突然、我が城へと参りました。一瞬、亜人族が攻めてきたのかと勘違いした程です。私は門の裏に弓兵を配し、なるべく急いで軽装の着ぶくれしない鎧を着込みました。いざと言う時のために、戦うためです。そして相手を下手に刺激しないようにするため、軽装の上から儀礼用の着物を重ね着します。
一触即発の場であろうか、対応によっては国の危機となり得ないか。そんな思いを抱きながら城の門の前で待つと、輿とそれを取り囲むように兵の集団が現れます。その時、その集団の中から従者のような格好をした者が一人、私に近づいてきました。『ここが吉良のお城で間違いはないか』と訊ねられたので、私は『その通りです。もしや豊大の使者でございますかな?』と返すと、その従者は静かに頷きました。
随分と綺麗な歩き方をする従者だと思いました。背筋を伸ばし、長い足をしなやかに動かすその様は、ただ者ではないと思ったものです。同時に疑問も浮かびました。その者は目深の陣笠で顔を隠し、体の曲線が分かり辛くなる程の厚着をしていました」
そのように語る毛利様を横目にして、つなさんが忍び笑いをしています。何かあるのでしょうか。
「使者達を城へとお招きした後、私は会談の場に先回りして重持様と使者達を待ちます。手紙を渡すだけの使者にしては、随分と大がかりな使者様達の様子に、私と重持様は警備をどのようにするか、どのように対応するかを話し合いました。そうこうしている内に、我々の前に使者様達が現れます」
毛利様は目を細めます。過去に見た美しいモノに、思いを致しているのでしょう。
「その時、部屋に一人の人物が現れました。儀礼用の美しい着物に身を包み、洗練された足取りで重持様の前に座ります。私はその歩く姿を見て、この者こそ門の前で見た顔と体を隠した少女であると思いました。切れ長で柔和さの感じるその瞳に私が目を奪われていると、重持様が彼女に問いかけます。
『本日はお越し頂き、誠にありがとうございます。見れば、先日そちらにお送りした手紙の返事かと思われます。
しかし、友好の使者としては随分物々しい様子。何かこちらが粗相をしましたかな?』」
少しだけ物々しい言い方です。きっと緊張する状況だったのでしょう。
「この重持様の問いかけに、使者様はこう答えます。
『誤解があるようですが、我ら豊大に敵対の意思はありません。今回、このような仰々しい護衛になったのは理由があります』
凜としていてハッキリとした……何より敵意の無いその声に、重持様がこのように応えます。
『交渉の内容とは直接関係の無い理由のようですな。して、豊大はどのような意図でこのような護衛を?』
重持様の問いかけに、その使者である女性はこのように言いました。
『私の身を案じてでしょう』
その言葉を聞いた瞬間、吉良の者達は皆、緊張した面持ちで彼女の顔を見ました。その空気を愉しむかのように、彼女はこのような言葉を口にします。
『自己紹介がまだでしたね。私は豊大の現当主である宇佐前守が娘、宇佐きしと申します』」




