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吉良家の治める国

 この島と言うのは、何せ随分と長い事戦乱の時代が続いたそうです。そんな国を治めるのが吉良家と言う一族。内乱の時代は長かったですが、賢者と言われる妻を持つ人によって治められました。平和な時代の到来です。

 そして、その平和な時代を作った人はと言うと……

「今は亡き我が妻、春の方と同じ姿になった原因を追及せよ」

 なんて事を、しがない小娘に言っていました。

「大殿。お言葉ですが……もっと適任の方がいるのでは?」

 しがない小娘である私には、言葉を選びながら恐る恐るそう言うしかありません。

「そのように言うという事は、引き受けてはくれないと」

 残念そうな表情を浮かべる大殿。少しだけ心が痛みますが、ここは引く訳にはいきません。

「大殿、確かに私は、貴方が知りたい情報に持っているかもしれません」

 そう言うと、大殿はこちらの意図を探るように目を少しだけ見開きます。

「でも、かもと言うだけです。あまりにも根拠が弱い」

 そう言うと、大殿は困ったように眉根を寄せます。

「それでも、全く情報を持っていない儂に比べれば……ずっと事情を知っていると言える」

 言い分として苦しいことは、大殿も分かっているのでしょう。言葉が徐々に尻すぼみになっていきます。

「大殿、申し訳ありませんが……」

 私は丁寧にお辞儀をしながら、目を伏せます。ここから先は、私の立場では言う事が出来ません。

 立場の違いから、明確な拒絶をすることが出来ない事を察したのでしょう。大殿は目を暫く閉じた後で静かに頷きます。

「分かった。無理を言ってすまなかった」


 大きな大きな溜め息を溢すと、隣で団子を頬張っていた殿様が私の顔を見ます。

「どうしましたか? そんな大きな溜め息を吐いて」

 言いながら、団子を奪おうとするサルガクを手の平で押し返す殿様。

 大殿からの依頼を断った後、私が部屋の前で溜め息を吐いていたら団子を持った殿に会ったのです。そのまま屋敷の縁側に腰掛けて、このような事をしている訳です。

「大殿からの依頼を断った事による自己嫌悪です。どうして私は、あそこで『出来ます』と言う一言が言え無かったのでしょう」

 そう言うと、殿はサルガクの鬣を掻きながら微笑む。

「それは仕方ありませんよ。父が無茶を言っているのは確かですし、それを無闇に引き受けて、結果『出来ません』と言うのでは誰も幸せになりません」

 微笑みながらそんな事を言う殿を、私は睨む。

「殿、もう少し真面目に答えてください。私だけ真剣に話をしているのが、馬鹿みたいでは無いですか」

 そう言うと、殿は大らかに笑う。

「まあ良いでは無いですか。死ぬ訳でも、住む場所を失う訳でもないわけですし」

 どう言う事だろうと殿の顔を覗き込むと、殿は穏やかな笑みを浮かべる。

「苗殿は客人としてこの城に招かれています。そして薬学を十分に学ぶまで、この城に滞在する事を許可されています」

 それは知っています。ですが、私はそれが……

「方便だと思っていましたか?」

 私の考えを先回りするかのように、殿はそのように言います。

「ええ。私はてっきり、大殿が元の姿になる事を研究させるためにここに招かれたのだとばかり。それが私の『役目』であるのだと」

 そして、彼等が考えていた「役目」を私が果たせないとなれば、そこで私は用済みになる。そうなれば、私をこの城に置いておく意味は無くなる。そのように考えていると、何故か反対側からすごい圧を感じました。視線を動かして見ると、サルガクが私の側に立っています。

「まあ、主な目的がそれである事は否定はしません。ああ、サルガク。囓っちゃ駄目ですからね」

 殿がそう言うと、サルガクは開けた口をゆっくりと閉じて後ろに下がります。もしかして、囓られる直前だったのでしょうか。

「私の城では『小姓』と言う職業があります」

「小姓?」

 私の住んでいた村では聞き慣れない職業ですが。

「主君の側近くで仕えて、雑用をする武士です。主に生まれた身分が低い者がなる場合が多いです」

 それは、生まれによる差別があると言うことでしょうか……そのような言葉が出そうになるのをギリギリ堪えます。その様子を見て、殿も察したのでしょう。

「一種の取り引きです。彼等は城の雑用をこなす代わりに、給金と住む場所、勉学に励む機会が与えられます」

 身分の低い者と言うのは、得てして権力と財力に乏しい場合が多いです。生活費を稼ぐために働かなければならず、勉学さえ出来ない事もある人も珍しくありません。

 この小姓と言う制度は、そんな方々に殿の出来る精一杯の配慮なのでしょう。

 ここで感情に任せて責め立てるのは簡単です。ですが、それで物事が良い方向に進む事は無いでしょう。

「わかりました」

 殿の配慮を理解したと伝えるためにこのように言うのが、今の私に出来る精一杯。

「話が逸れてしまいましたね」

 少しだけ暗い空気になったのを振り払うように、殿はわざとらしい程に明るい表情を浮かべます。

「私の城では、多くの者が仕えて、己が為に国を利用しているのです。なので苗殿、貴方も遠慮なんてする必要はありません。思う存分、国を利用してやればいい。それが結果的に、お互いの利益に通じます」

 なんともまあ、見た目にそぐわず豪放な物言いでしょう。そんな殿の事が少しだけおかしくて頬が緩みます。

「えっと、苗殿。私は何か変な事を言いましたか?」

 私の顔を覗き込みながら、そんな事を言う殿に私は首を横に振る。

「いいえ、そんな事はありませんよ」


 ふと私の住む国がどういうものなのか気になった私は、早朝から屋敷の書庫へと足を向けます。

「あら、苗さんも何かお探しですか?」

 書庫で書物を漁っていると、そう言ってつなさんが姿を現しました。

「はい。私の国についてもう少し勉強しようかと。何せ村から出ずに薬学の勉強ばかりしていましたから」

 そう言うと、つなさんはいくつかの本を取り出します。

「ではこちらをどうぞ。大体ではございますが、この国近辺の地図がございます」

 その言葉の通り、その本には私の住んでいる国と思われる三日月の形をした島と、真円に近い形をした二つの島、そして半円の形をした島が描かれています。

「このいくつかの島、どの島が我が国なのですか?」

 疑問に感じた私がそう訊ねると、つなさんは穏やかな笑みを浮かべたまま答えてくれました。

「この全てが我が国なのですよ」

 そう言って、彼女は指先を紙面にそっと置きます。

「まず、中央にある三日月の形をした島。これが本島と言う島でして、我が主が拠点としているのもこの島でございます」

 そう言うと、指先を本島から北にある少し大きめの島へと動かします。

「本島の次に大きな、この北の島が北満月島。兎の島とも呼ばれています。私のような兎の耳を生やしている亜人族が多く暮らしている島ですね」

 そう言った後に、今度は本島の西にある島へと指を動かします。

「三番目に大きなこの島が西満月島。大陸と近い島ですので、自然と多くの文化が混じる場所となっております」

 そして円をちょうど真っ二つにしたかのような形の島、本島の南にある島を指差します。

「そして、この上弦の月の形をした島が『覇王の島』と呼ばれている島です」

 その名前なら、私も聞き覚えがあります。覇王、夢で出会った女性が私に言った名前。そしてその正体がわからない謎の存在。

「仰々しい名前ですが、何か由来が?」

 他は見たままか、或いは安直に付けられた名前が多いのですが、ここだけは少しだけ意味があるような気がします。

「童に聞かせるお話、そこに出てくる覇王と言う存在から来ています」

 そう言うと、つなさんは一度咳払いをしてから歌を歌うように語り始めました。


 現在も残る月の形をした島々。混沌としたその島々の一つに、大きな力を持った存在現れり。その強大な力を持って、その島々を一つに統一にけり。

 その後に覇王は力を失い、生まれ故郷へと戻り静かに眠りけり。現在(いま)は、その名前が故郷の島に残るのみ。

 後に、覇王の力を宿す者現れり。その力を使い、島々を治めたり。


 語り終えると、つなさんはにっこりと微笑む。

「このようなお話ですが、ご存じありませんか?」

 やはり聞いた事が無く、私は首を横に振るしかありません。

「申し訳ありませんが」

 そう言うと、つなさんは特に気分を害した様子もなく頷きます。

「そうですか」

 そう言っているとお腹の音が鳴ります。少し恥ずかしくてお腹を押さえていると、つなさんは笑ってこう提案した。

「そろそろお昼にしましょうか」

 

 穏やかな昼下がり、屋敷の書庫で滋養強壮についての本を探していると、とある一つの本が目にとまりました。

「面白い本でもありましたか?」

 作業を手伝ってくれていたつなさんが、ひょっこりと本棚から首を出します。

「ええ。これなんですが……」

 そう言ってつなさんに本を見せました。本の表題は「伝記集」とだけ短く書かれています。その本を見ていると、つなさんは渋い表情を浮かべました。

「失礼ですが、あまり面白い本だとは思えません」

 そう言うのも無理は無いでしょう。伝記と言うのは、要するに語り継がれてきたなにかしらの記録です。ちゃんとした記憶もありますが、眉唾な話も多く、娯楽としての側面が強いもの。歴史を真剣に調べるのなら、当時の人が書いた日記や帳簿の方が信憑性が高いとされています。

「そうですね、これ自体はそこまで面白い訳では無いでしょう」

 そう言いながら、本をパラパラとめくっていくと、一つのページが目にとまります。

 黄泉と繋がる泉

 その名前の通り、黄泉へと繋がる泉が出てくる話です。その泉に入った者は、黄泉の国に行った者と出会う事が出来ると言われています。

「これだけでは、根も葉もないおとぎ話にすぎません。ですがここを見て下さい」

 私はそう行って末尾に書かれた数字を指差します。法暦一〇〇〇年、今が法暦一六〇〇年なので、この話は六〇〇年前の話になります。

「これが何か?」

 つなさんは首を傾げて少しだけ渋い顔をします。

「この時代が大事なんです。生憎、この資料には場所が書いていませんが……」

 同じ年代に成立した書籍を調べて見ると、こちらの期待していた資料が一通り見つかります。

「多分、多分ですよ。まだ確証はありませんが……伝記集とこの二つの本が鍵になります」

 私は手元に少しだけズシリとくる程重い二つの本をつなさんに見せます。

 一つ目の本の表題は「事件改め 法歴一〇〇〇年」その名前の通り、法歴一〇〇〇年に各地で起きた事件について纏めたものです。

 二つ目の本の表題は「各地泉質」こちらは各地にある温泉や鉱泉の性質について調べられたものです。古い資料の写しで、原本の成立時期は分かっていません。

「申し訳ありませんが、伝記集とその二つの本の繋がりがよく分かりません」

 つなさんが困惑した様子でそのように言います。ちょっと話を急ぎすぎたかもしれません。

「見せた方が早いと思われます」

 それぞれの本をめくっていくと、私の推察に近い内容が現れます。

「この『事件改め』には当時、幻覚を見たと言う人が現れる事件がいくつかあります。その内、療養のために湯治をした人は一人、これですね」

 その資料によれば、妻を亡くして心身共に疲労していたその男性は、湯治をした場所で妻と出会ったと言う。更に気になるのはその続きです。

「これは……」

 その文章を読んで、つなさんが驚きの声をあげます。無理もありません。そこに乗っているのはまさしく今の状況を連想させるからです。

「その男性は、妻から姿を借りたと供述しています」

 その資料では、幻覚を見た際の精神的な混乱による発言だと処理されています。しかしこれが事実なのだとしたら、今の大殿の状況と極めて酷似しています。

「そしてもう一つは泉質についてです」

 温泉や鉱泉の効能について、科学的に検証する事を試みた事が前書きで書かれています。まだまだ未開拓の分野ではありますが、興味深い事も多く書かれていました。

「見てください、つなさん。ここに、幻覚を見せる温泉についての事も書かれています」

 曰く、その温泉に入ると死んだ人間に出会う幻覚を見ると。幻覚作用のある成分が含まれている可能性があると、但し書きで書かれています。

「この資料二つを照らし合わせると……こうですね」

 その二つの資料には、一つ共通している部分があります。実例です。

「事件改めには、湯治をした男性の特徴を示しています」

 その資料を読んで、つなさんが納得したように頷きます。

「身長五尺、西の大陸の単位で言うと、三三分の五〇メートルですね」

 その言葉に、今度は私が驚く。

「つなさん、西の大陸で使われてる単位を知ってるんですか?」

「え、ええ。父が西の大陸との交易について仕事を担っているものですから」

 なんと、政務について勉強していると聞いていましたが、まさか他の大陸の事まで。他の大陸について知るためには、専門的な資料が必要なのです。しかし、これが値段が高くて手にいれられない。他の国の言葉を知る学者さんに教えを請うと言う手もありますが、これもまた引く手数多で予定を取れない。

 そのため、他の国についての事を知っている人と言うのはそれだけで貴重です。

「流石殿様から直々に学んでいるお人ですね……」

 そんな風に感心していますと、つなさんが大袈裟に首を左右に振ります。

「そこまで大仰な事ではありません。私は、父上の仕事を見ていただけですから」

 なんだか謙遜しているし、変に突っ込むのもつなさんに気を遣わせるでしょうか。

「話を元に戻しますね」

 そう言うと、つなさんはホッとしたように安堵の表情を浮かべます。その表情に気付かないふりをして、違う話に切り替えます。

「各地泉質には、情報提供者として……」

 言いながらパラパラと捲ると、そこには予想通りの事が書いてありました。

「ここですね。幻覚を見せる湯の情報提供者の特徴として『身の丈五尺程の男性』と言うのが登場します。それぞれの本に他にも身体的特徴が書かれていますが、照らし合わせると『事件改め』で出てくる幻覚を見た男性と『各地泉質』の情報提供者は同一人物である可能性が高い訳です」

 それを言うと、今度はつなさんが感心したように頷きました。

「細かいとこまでよく気がつきますね」

「大した事ではありません。ただの習慣です」

 意識を書物に向けながらそう言うと、つなさんが首を傾げます。

「習慣?」

 横目でつなさんの不思議そうな表情を眺めながら、書物を見つめます。

「薬草の選別をする時に、村長によく言われました。植物と言うのは、よく似ているが効能が全然違う物がある。だからしっかりと見分け無ければいけないと」

 パラパラとページを捲りながらそう答えると、つなさんが忍び笑いをする。

「私、何か変な事を言いました?」

 もしかしたら、気づかない内に奇妙な事を言っていたでしょうか。

「ええ。苗さんは大殿からの依頼を断ったのに、その事について調べているのがおかしくて」

 笑いを堪えながらそんな事を言われ、私もハッとします。そう言えばそうです。私は大殿からの依頼を断っているのです。なのにこれでは、大殿の依頼を引き受けているかのようでは無いですか。

「私ってば、頓珍漢な行動をしてる……」

 そう言って項垂れると、つなさんが穏やかな表情をこちらに向けます。

「まあまあ。興味が湧いてしまった事を、積極的に調べる事自体は悪い事ではありません」

 何だか、幼い子供扱いされているような気がします。そう感じながらつなさんの顔を見ると、つなさんは本に視線を落としています。その視線の動きに合わせるように、耳もまた紙面に真っ直ぐ向けられていました。

「つまり、苗さんはこう言うことですね。この三つの本は、同一の事件を取り扱っていると」

 訊ねるようにそう言われて、私は首を縦に振ります。つなさんはその事実を一つ一つ確認するように頷き、懐から半紙を取り出します。

「そして、この三つの本を照らし合わせると、このような事実が明らかになると」

 つなさんがさらさらと文字を書いていき、簡潔に情報を纏め始めます。

 ・今から六〇〇年前にも、無くなった妻の姿になった人物がいる。

 ・その時に女性になった男性は、妻への未練が無くなった後、元の姿に戻った。

 ・書物に書かれた温泉の効能と、大殿が湯治を行った温泉の効能と一緒である。

 綺麗なその字に少しの間見とれた後、私は首を傾げました。

「同じなのですか? この書物に書かれた温泉と、大殿が湯治を行った湯船の効果が」

 その言葉に、つなさんがゆっくりと首を縦に振ります。

「間違いありません」

 その温泉の効能はこう書かれていました。

 心の疲労への極端な効果


 少しだけ湿った空気が窓から入り、その空気に僅かに目を反らしながら戸締まりを行います。借りてきた本が、湿気で悪くならないかと心配をしながら机の上を整理していると、ひたひたと床に足を置く音が聞こえてきました。

「苗殿、よろしいでしょうか」

 気遣うようなその声に少し驚きながら、私は深呼吸をしてから返事をします。

「入るのは構いませんが、貴方程多忙な方が私などにどのような御用でしょうか」

 自分で言ってから、自分が嫌になります。私はどうしてこのような言い方をしたのでしょうか。そんな自問自答をしていると、殿がドアの向こうで苦笑いをしているのが聞こえてきます。

「なんとも手厳しい言い方です」

 そう言うと、殿は何も言わなくなります。立ち去ったような音も聞こえず、呼吸の音も聞こえるため、すぐそこにいるのでしょう。

「ふむ。少し時間が押していますね」

 何を言うべきか迷っていると、扉の向こうで殿がそのような事を言います。

「殿、あまり時間が無いなら、私に構わずにご自身のために時間を使う方が宜しいかと」

 そのように言うと、扉の向こうから何かを握りしめるような音がします。何を握り締めているのだろうかと気になりつつも、扉を開ける勇気が出ない私はじっと扉を見つめたまま動けません。そのようにしてお互いに何も言わずに少しの時間が経った後、殿は少しだけ強張った声を出します。

「苗殿、気が向いたら、西門の櫓の上に来て下さい」

 そんな事を言った後、即座に慌ただしい足音が聞こえてきました。私は殿の言った言葉を頭の中で反芻した後、私の口からはポツリと一人言が出ます。

「時間位言って下さい」

 誰も聞いていない言葉は、当然誰も答えてくれません。私は溜め息を吐いた後、そっと扉の外へと足を踏み出します。


 どんよりとした雨雲は日の光を覆い隠し、夜間のような暗さが周りを包みます。その中を転ばないように気をつけながら歩いていくと、目的の場所が見えてきます。

「これは苗様、話は聞いております」

 その目的の場所に着くと、見張りの人が私に頭を下げてそのように言います。

「殿はこちらに?」

 やや緊張しているせいか些か堅い言い方でそのように言うと、見張りの人は静かに首を縦に振ります。

「はい」

 その私の言い方に動じず、彼は右手を梯子に向けます。

「暗いので足元にお気を付けて」

 その言葉に首を縦に振って返事をすると、手の平を梯子の足に引っかけます。女性が使うには少しだけ段と段の間が広いのを気にしながら上まで登ると、目的の人の背中がそこにはありました。

「時間は合ってました?」

 そう訊ねると、その人は苦笑いをして答えます。

「ええ。驚く事にちょうど良いです」

 晴れた日にその顔を見れば、爽やかな印象を受ける好青年に見えたでしょう。しかしどんよりと曇った空模様を背景にしたその姿は、どこかもの悲しく見えます。

「ここでは、何を見る事が出来るんですか?」

 頭の隅にあった疑問を口にすると、殿は視線を西に向けて呟くように

「城下町一帯です」

 と言いました。見てみれば、確かに綺麗な風景です。

「観光で来たのなら、まず満足するのでは無いかと」

 言いながら、少し意地悪な言い方かなと思います。私のこの町に来た目的は、観光では無く勉強なのですから。そしてその事は、殿も知っている筈です。

「そうですか」

 そんな私の意図を知ってか知らずか、殿は眉を悲しそうに寄せながら口元は笑うと言う絶妙な表情を作ります。

「器用な顔」

 なんとなく頭の中に浮かんだ言葉をそのまま言うと、彼は少しだけ表情を弛緩させました。

「何だか、初めて純粋に褒められた気がします」

 そう言って殿は笑いますが、私から見るとそれは笑い事ではないです。

「心を許した友人等は、いないのですか?」

 なるべく朗らかに言います。

「そのような方は中々出来ません」

「そうですか」

 こちらがこのような事を言った意図などを問いただしてもよさそうな物ですが、そのような事は一切してきません。この人はどのような考えの人なのか、とっかかりのような物があっても良さそうな物です。

「苗殿?」

 恐る恐ると言った空気でそのように言う殿に対し、私は少し不機嫌に

「何ですか?」

 と答えます。すると、殿はこれまた慎重に言葉を選んでいると言った様子で

「何か、腹立たしい事でもありましたか?」

 なんて言います。なんて答えるのか、それを考えるのも面倒になって私はぶっきらぼうに言い張りました。

「何でも無いです」

 そんな訳がないのですが、我ながら辻褄の合わない言動ばかりしています。そんな私を見て、殿はなんて言えば良いのかと逡巡しては言葉を飲み込むと言う行動を繰り返しています。これは私から何か言わないと、ずっとこのような事をしている気がしてきました。

「ここに私を呼んだのは、どのようなご用件で?」

 私のその言葉を聞いて、殿はようやく我が意を得たりと言った様子で表情を明るくします。

「夕日です」

 そのように言われて、私はピンと来ます。

「あ、もしかして曇りの日の夕暮れを見せようとしてます?」

 そう言うと、彼は面を喰らったように目を見開きます。

「む、知っているのですか」

 それに対し、私は首を縦に振ります。

「曇り空では、日の光は隠れた状態になります。ですが夕暮れの時にだけ、その日の光は姿を現します」

 そう言う間に、雲の合間から日の光が顔を覗かせます。

「日が昇っている時は日の光を隠す雲ですが、日が沈む時だけは日の光を反射させて雲全体が光っているように赤く染まります」

 空全体を覆う雲は日の光を遠くにまで届けるように、自身を日の光の色にしました。

「この時だけは、晴れの日よりも明るい」

 その光景を共にぼんやり見ていると、ふと殿がこんな事を言い出します。

「この時、詩人であれば気の利いた言葉を言えるのでしょうね」

 どこか自虐的に言うので、私は少し笑ってしまいました。

「何を言っているのですか。殿は武士、詩人は詩人。武士は戦う事が本業でしょう?」

 そう言うと、殿は目を伏せて呟く。

「戦う事は、傷つける事を目的にする物です。人を幸せにする事が目的ではありません」

 そう言う彼の目をジッと見つめます。どこか空虚さを臭わせる、茶色の瞳。

「世界中の人が善人で、戦う事では無く話しあう事で全てが解決する。それは確かに、理想であり最善かもしれません」

 そう言うと、殿の目が私を見ます。少しだけ子供っぽい、そう思わせる純粋な目を見て言葉を更に紡ぎます。

「でも、残念ながらそうではありません。世の中は理想通りに進む事もあれば、次善の策が通る事もあります。そしてそれが上手くいかなければ、取り返しの付かない事にある事も多くあります」

 自分よりも少しだけ大きい殿の肩を掴むと、彼は驚くように肩をふるわせます。

「最善の策を通す事だけを考え、次善の策、最悪の場合の想定を怠る者は多くの場合大変な事になります。それだけ次善の策を講じ、最悪の事態を備える事は大切な事なんです。殿は武士の頭領として、その大切な事を担っているのですよ」

 そう言うと、殿は何かを飲み込むかのように口を閉じました。そして額に皺が寄る程に強く瞼を閉じた後、まっすぐと私を見つめます。

「私に、そのような大役が務まるでしょうか」

 その顔はどこか不安そうでありながらも、一歩だけ前に進もうとするかのような気概も感じさせます。

「何事もやってみなければ分かりません。絶対に成功が確約されることは無いように、絶対に失敗する事が確定する事も滅多にありません」

 そんな事を言う私に、殿は少しだけ笑います。

「絶対にありません、と自信を持って言えたら格好いいでしょうに」

 少しだけからかいまじりにそんな事を言う彼に、私はむっとして言い返します。

「流石にそこまで言ったら、まるで自信過剰なうつけ者みたいじゃないですか」

 その私の言葉を受け流すように、殿はケラケラと笑いながら見張り台の手すりを叩いています。何だか少しだけ失礼な気がします。

「殿、笑いすぎです」

 少しだけ身を乗り出しながらそう言うと、殿は宥めるように手の平をこちらに向けます。

「まあまあ。謝りますから、機嫌を直して下さい」

 このまま許してしまうのは面白く無い。そんな風に思った私は人差し指を立てて、それを殿の前に突きつけます。

「一つだけ条件があります」

 どこかわざとらしくそう言うと、殿もまたわざとらしく居住まいを正して私の顔を見つめます。

「なんでしょうか、姫様」

 その様子がおかしくて、思わず笑ってしまいそうになりながらも、私は真剣な表情でこのように言います。

「何か美味しい食べ物でもご用意下さいな」

 そう言うと、彼は微笑みながらこう答えました。

「ええ、是非」

 そう言って暫く微笑んでいた殿ですが、その顔がふと曇りました。どうしたことだろうかとその顔を暫く眺めていると、殿は少し不自然な事に腰に佩いていた刀を鞘に入れた状態で右手に持ちます。そのまま建物の近くに寄ると、床に鐺(鞘の先の部分)で軽く叩きます。

「つな」

 そう短く言うと、音も立てずに建物の入り口が開き、中からつなさんが姿を現します。その表情は普段の穏やかなものではなく、口を真横に閉じて表情を押し殺したような不気味なものでした。

「既に屋敷の周りを固めておりますが、他に何かございますか?」

 そのつなさんの言葉に、私は理解が追いつきません。ですが、殿は違うようです。

「一人だけ、俺に対峙するように仕向けてくれ。少し話がしたい。念のためサルガクに鞍を付けておいてくれ」

 そう言うと、つなさんは一度だけ頭を下げて扉を閉めます。

「ここから先、苗さんは私から離れないで下さい」

 何のことなのか、詳しく問いただしたい気持ちは湧いて出る程あります。しかし殿の険しい表情が、その言葉を出す事を思いとどまらせます。


 結局、私は殿に何か詳しい事を聞けぬまま暫く歩きます。屋敷の裏、小さな物置と見事な楓が植えてある小さな広間の中心で、殿は足を止めます。日が少しずつ沈み足元も疎かになる頃、殿は鞘を左手に持ち、どこかわざとらしい程に堂々と胸を張り声を出します。

「表に出よ!」

 そう殿が言うと、物陰から一つの人影が姿を現します。

「おやおや、勇ましい事で」

 少しだけ奇妙な訛りのある口調でそう答えるのは、全身灰色の人物でした。鉄で出来た鎧を全身に纏い、その表面をつや消しのためなのか灰色に染められています。目を惹くのはその鎧です。我が国で使われているさねと呼ばれる物を組み合わせた胴鎧では無く、板金を加工して作られた胴鎧を身につけています。また、顔ごと覆い尽くすように被られた兜。その兜は狼の耳を連想させるかのように頭の上に二つの突起がついています。

 どこか異国情緒を臭わせるその人物に対し、殿は臆する事無く大声を上げます。

「何用だ。ここは誰の屋敷か知っての事か?」

 いつもの殿の姿を知っている身としては、少しだけわざとらしい程に居丈高な言い方に私は面喰らいます。対し、相手はそんな殿を嗤います。

「ええ、勿論知っていますよ。月の国で大将をしている旦那」

 幼ささえ感じられる少年の声。相手が言い終える前に、殿は腰に佩いた刀の鯉口を切り、静かに右手に刀を持って相手を睨み付けます。

「良い剣を持っていますな、旦那」

 どこか引っかかる言い回しをするその相手を、殿は無言で睨みます。そのまま暫くの時間が過ぎた後、相手の腕が突如として動きます。

 金属同士がぶつかり合う音。その音がした後、私の目の前に小さな棒状の刃物が突き刺さります。その光景を目にし、相手は初めて同様したように後ずさりしました。

「肩書きだけでは無いようですな、月の島の王子様」

 そう言って逃げる正体不明の存在。

「殿!」

 それと同時に、つなさんが弓と矢筒を持ち、サルガクを連れて現れます。どう言う訳かサルガクには鞍が付けられており、いつでも騎乗出来るようになっています。

「他は?」

「殺しました」

 殿の短い問いに、つなさんは淡々とした様子でそんな事を言います。驚く私に目もくれず、殿は満足そうに頷いてからサルガクに乗って弓と矢筒を受け取ります。

「よし、では奴は捕らえる」

 そう言って一目散にサルガクを駆けさせる殿。その後を一瞬追いそうになりましたが、その速度を見て追いつかないだろうと悟ります。

「苗さん」

 そんな私に、つなさんが側に近寄ってきます。

「南の開けた田園地帯だけ、警備を薄くしておきました。彼奴が逃げるならそこでしょう」

 そう淡々と告げる彼女に、私は『貴方は何故そんな事を知っているの』と訊ねたくなりましたが、今は問いただす時間さえ惜しいです。私が首を巡らせると、館から見て南東の位置に物見櫓が立っています。物見櫓に登ると、そこでは案の定南の田園地帯が見渡せるような場所になっていました。

「どこに……」

 そう呟くと、いつの間にか私の横に立っていたつなさんが遠くを指差します。その指先を追っていくと、そこには殿がサルガクの上で弓を引いていました。

 いいえ、弓を『引く』と言う表現が合っているか分かりません。左手に弓矢を持ち右手に矢を持つと、両拳を頭の上まで持ちあげます。弓を引きながら徐々に拳を下げていき、そして矢が地面と水平になった途端に放たれます。

 矢は逃げる相手の足に当たると、その相手は転倒。そのタイミングを待っていたかのように、その逃げた人物を捕まえて縄をかけます。

「お見事です」

 そう呟くつなさんに、私は声をかけます。

「先ほどの……」

 殺した、と言うのは何の事ですか。そう訊ねようとして、止めます。聞きたくない、或いは聞かない方がいい。そんな感情が不思議とわき上がったからです。

「何か?」

 そう言うつなさんに、私は首を横に振ります。

「いいえ。何も」

 そう言うと、彼女は満足したように頷きました。


 夜も更け、縁側を歩いているとふと人影を見つけました。その小さな人影は誰だろうかと目を凝らしますが、生憎月が雲に隠れて見えません。

 ちゃぷん、そんな水音が聞こえてきます。とくとくと、小気味よい水音が暫くした後、陶器を床に置いたような音が響きます。

「おや?」

 穏やかで涼やかな少女の声がした途端、月を隠していた雲が流れて行きました。その途端に、縁側に腰掛けていたその姿が目に映ります。

「大殿、そんな呑気な事をしている場合ですか」

 そう言うと、彼女は右手に持った杯の匂いを嗅ぎながらこんな事を言う。

「そんな非難するような事を言う割には、安心した顔をしておるぞ」

 そう言われて、私は思わず顔を触ります。その様子を見て、大殿は愉快そうに笑っていました。

「計りましたね、大殿」

 そう言うと、彼女は特に気にせずに

「まあまあ。そんなにカッカとするでない」

 あまり過剰に反応するのも癪なので、すまし顔でその横に座ります。

 大殿は私が座った場所とは反対側に、大きなお盆を置いていました。その上には、魚介類を醤油で漬したような物が乗せられています。

「随分と凝った料理ですが、わざわざ作らせたのですか?」

 そう言うと、大殿は首を横に振ります。

「いいや、儂が作ったのだ」

 その魚を一口食べて、大殿は微笑みました。

「ううむ、美味い」

 そう言われると、私も食べてみたくなります。

「私も一口貰っても?」

「良いが、巷では下魚と評判のものじゃぞ?」

「構いません」

 食い気味にそう言うと、大殿は嬉しそうにしながら両手を叩きます。すると、どこからか人が現れ、箸を一膳大殿に渡しました。

「好きに持っていくといい」

 その言葉に甘えて、新しく持ってこられた箸で魚を口に運びます。蕩けるような感触とでもいいましょうか、口に入れた瞬間に魚の脂が舌の上で溶ける感触を味わうと、先ほどまでの尖った感覚が徐々に失われていきます。

「どうじゃ?」

「素晴らしいです」

 大殿の言葉に、私は思わずそう答えます。

「左様か。傷みやすい魚を醤油に付けてみたのだが、どうやら試みは成功のようじゃ」

 その言葉に慌てて食べたものを吹き出しそうになります。

「醤油? 高級品では無いですか。原料さえ貴重と言う」

「少し違うぞ。原料となる物は貧しい土地でも作る事が出来る物が多い。まあ、製法がとんでもなく複雑じゃから、一般にはあまり出回らないのだが……」

 どちらにせよ、高級品であることには違い無いらしいです。

「痛みやすい魚を腐りにくく加工し、尚且つ臭みを抑える事が出来ないものかと思ったのだが……もう一工夫必要なようじゃ」

 そう言われてみれば、少しだけ臭いが人を選ぶ感じがします。大殿があまりにも美味しそうに頂くので、気にせず食べてしまいましたが、この臭いは好みが分かれそう。

「香辛料として、ネギでも入れてみては?」

 そう言うと、大殿は我が意を得たりと目を見開きます。

「それはよい。また入れてみよう」

 そう言った後で、ふと思い出しました。

「そんな事よりも、夕暮れの事件ですよ」

 私が身を乗り出してそう言うと、大殿は呑気に欠伸混じりに答えます。

「ああ、侵入者の事か。奴なら城の牢屋に入れてある」

「そう言う事では無くてですね、彼等が何者かと言う話です」

 そう言うと、大殿はふむと頷いてから答えます。

「我が国から西に進んだ大陸は知っておるかの?」

 そう言いますが、私の頭にはすぐに浮かんできません。その表情を見て察した大殿が説明を続けます。

「広大な領土を持つ遊牧民族、強力な機動力と、飽くなき領土欲を持つとされる。

 その国の名前はトルグート。現状、この世で最も大きな国であり……」

 大殿は一拍置いてから、こう答える。

「儂達の住むこの国『月本』に最も近い国じゃ」

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