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殿様の依頼

 次の日、私が部屋で目を覚ますと、今までに無い程の体の調子の良さに驚きます。頭がいつもよりスッキリとしているし、体も心なしか軽い気がします。

 私が殿様から与えられた部屋は、八畳の板張りの部屋に、三畳分の畳が敷かれた部屋でした。畳の上には布団が敷かれ、板張りの床の上には作業をするための机が。荷物や布団をしまうための物置もあったりと、独りで住むには豪華すぎるのでは無いかと言う作りであります。私は弟妹が多く、自分の部屋がありませんでした。自分だけの部屋と言うのは憧れていたので、ちょっとだけ幸せです。更に言えば、お家賃は支払わなくてもいい上に頼めば朝食も出てくるとか。至れりつくせりとはこの事でしょう。

 広々とした空間を独り占めして、一人でのんびりと寝る事が出来る事はなんと素晴らしいことなのでしょう。そんな事を考えていると、部屋の入り口から足音が聞こえます。

「苗様、お目覚めですか?」

 おちついた、しとやかな声が聞こえてきます。あまりにも丁寧な口調に慣れず、私は緊張しながら答えます。

「は、はい! お目覚めです!」

 そうやって少し変な言い回しをする私に対し、相手は笑う事はしません。代わりにこちらを気遣うように、このような事を聞いてきます。

「昨夜は眠れましたか」

 その言葉に対し、私はコクコクと頷いてから気がつきます。襖越しで頷いても、相手には伝わる筈ありません。

「苗様、どこか悪いとこがあるのですか?」

 そう言われて、私は慌てます。

「い、いえ! そんな事はありません。混乱を招いて申し訳ありません」

 少しだけ上擦った声でそう言うと、相手から安堵の声が出ます。

「そうですか。それを聞いて安心しました。襖を開けてよろしいでしょうか?」

 その言葉に対し、私は慌てて居住まいを正してから深呼吸をして答えました。

「はい! どうぞ」

 果たして、私はちゃんと言えていたでしょうか。そんな私の心配を余所に、入り口が緩やかに開けられていきます。

「苗様、改めておはようございます」

 そう言って姿を見せたのは、長い兎の耳を頭から生やした少女でした。身長が高くすらりとした手足をした体に、凜とした顔つきをした少女。亜人族と言う奴です。私が住んでいた村にはいなかったので、私にはとても珍しく見えました。

「着替えを持って参り……苗様、そんなに見つめてどうなさったのですか?」

 兎の耳を生やした少女は、私がじっと見つめているのに気がついたのか、首を傾げてそんな事を言います。

 輝いていると錯覚するような、黒く綺麗な瞳。

 その目を見て焦った私は、首を横に振ります。

「い、いえ。何でも無いです。えっと、なんと呼べばいいでしょうか?」

 自分のしていた事を誤魔化すためにやや強引に話題を変えると、兎耳の少女は穏やかに微笑みかけてきました。

「私の事は、どうか『つな』とお呼びください」

 つな、そう名乗った少女はどこか気負ったような表情を一瞬浮かべます。しかしそれも一瞬のこと、すぐに元の穏やかな笑みを浮かべました。

「ささ、私の事を聞くのは結構ですが、早くしないと遅れますよ」

 そう言えばそうだった。今日は初日、ある事を申しつけられているんだった。


「本日は概要から、と言った所です」

 そう言うのは殿様です。殿様は昨日、私に色々と教えてくれた後に「用事がありますのでこれで」と言って立ち去ってしまったのです。本日は馬小屋で昨日私の帯に噛みついた馬の体を刷毛で撫でていました。何故か私を見て、首を上下に振っていますが……これはどのような感情表現なのでしょうか。

「苗様は、この都にある薬治館に通う事になっていたと聞いております」

 そう言われて、私は首を縦に振ります。

 薬治館と言うのは、この国の中でも、最も薬について研究が盛んな国営機関です。世界各国の薬品についての書物と薬草が集められ、その効能の研究と発展を命題として掲げられた場所。そんな場所に行く事になりましたので、実はちょっとだけ緊張しています。

「はい、その通りです」

 そう言うと、殿は私の顔をじっと見つめます。何か変な物でも顔についているでしょうか。

「ふむ、ここで一つ提案なのですが」

 勿体ぶった真剣な顔つきを浮かべる殿様を見ていると……なんでしょう、ちょっとだけ大変な事になりそうな雰囲気を感じます。

「薬治館では無く、私の屋敷にある書庫で勉強をすると言うのはいかがでしょう」

 やはりとんでもない事を言いました。でも、ここで怯んではいけません。私は確かに下心あってこの都に来ました。でも、だからと言って本分を忘れてはいけません。

「殿、お言葉ですが私は薬師としてこの都に来ました」

「聞いております」

「薬師としてこの都に来たからには、私はその事について勉強する義務があります」

「そうですな。立派な心がけと存じます」

「殿の在庫は確かに一般庶民よりも多いかもしれません。しかし、世界中の薬について研究をしている薬治館に敵うかどうかと言われると、ちょっと分かりません」

「そうですか」

 ……なんだか、私が真剣に話をしているのに、殿様は間の抜けた声ばかり出します。私の話を聞いていないのでしょうか。そう考えてちょっとだけ不満を感じていると、今まで話を聞いていたつなさんが一歩だけ前に出ます。

「苗様は、もしかして殿が所有している薬学の本の数が、もしかしたら少ないのではないかと危惧しているのですか?」

 そう言われて、私は思わず言葉を詰まらせました。そうです、私は出来れば世界各国の薬についての書物を見てみたいです。だって世界中ですよ、興味が湧かない訳がありません。

「そうだったのか。まあ、そう言う事なら見てから決めてもよろしいかと。自慢になりますが、私も多くの薬に関する本を有しております。苗様の不安も少しは軽くなるかと」

 真剣な顔で出された殿の提案を、私は無碍に出来ずに頷きます。

 

 よく磨かれた廊下を歩いていき、何人かの殿お付きである従者さんとすれ違いながらも移動していきます。少しだけ距離があるなあとか、そう言えばこの人は私の国を治めてるんだよなあとか考えながら着いて行く事十分ほど。

「ここです」

 ここまで道案内をしてくれた殿が、少しだけ自慢げな顔をします。

 二階建ての瓦屋根に、漆喰が塗られた壁。私の村には無い、土蔵造りと言う様式で作られた立派な建物がそこにはありました。

「えっと……私が入って良い場所なんですか?」

「お気持ちは察してあまりありますが、心配なさらずにお入りください」

 尻込みする私に対し、つなさんは励ますように私に語りかける。そう言われては私も躊躇していられず、大丈夫だと自分に言い聞かせつつその建物の入り口を開けます。よく手入れがされているのか、驚く程滑らかに入り口の門が開いていきます。

 外に比べれば幾分か暗い部屋の中は、採光用に取られたいくつかの窓のおかげで程良い明るさになっていました。その中は確かに、多くの本が置かれております。私の身長の倍はあるであろうかと言う高い天井に、同じ高さの無垢の板で作られた本棚。等間隔に規則正しく置かれた本棚に、各国の書物がぎっしりと。奥の方に階段があるので、この様子だと二階も同じような感じなのではないでしょうか。

「うん?」

 よく見ると、部屋の奥に異国の物と思われる肘掛けのある椅子と、簡素ではありますが大きな机が置かれています。そして、その椅子の上には見覚えのある顔が。

 窓から伸びた光に照らされるように、佇む一人の少女。美しい長い黒髪を垂らし、足の先が少しだけ見える藍色の着物。椅子に座りながら両手で持った本の紙面に、引き込まれそうな程綺麗な瞳を向けます。この世に存在するとは思えないような空気を纏いながら確かな存在感を持つその姿に、私は思わず息を飲みました。

 そんな彼女……いいえ『彼』と言うべきでしょうか。その人が私に笑顔を向けて駆けよります。

「おお、苗と春行とつなか。お主達もここに来たのか」

 そう言いながら読んでいた本を机の上に置くと、吉良持重様は穏やかな笑みを浮かべます。こうして見ると、やはり普通の少女にしか見えません。ですが、周りの人の対応を見ていると、少女の悪ふざけに付き合っていると言うようには見えません。

「苗もこの書斎で調べ物か。まあ、ここには色々あるからの」

 そう一人で納得する彼女に対し、つなさんが頭を下げます。

「大殿、このような場に私も同席してしまい申し訳ありません」

 よそよそしく言うつなさんに、大殿と呼ばれた前の党首様は手の平をひらひらとふりながら答えます。

「よいよい。何回も言っているが、お前さんは肩書きこそ『人質』ではあるが、実質勉学を教わるために来ているのだ。知識に貪欲に、もそっと堂々としているがよい」

 大殿の言葉に、つなさんは感情をどう持っていけばいいか分からないと言った神妙な表情を浮かべます。事情は分かりませんが、どうやらつなさんはこの屋敷に勉学を教わるために来ていると言うことでしょうか。少し物騒な言葉が浮かびましたが、大殿の態度から察するに変な事にはならなさそうではあります。

「ああ、置いてけぼりにしてしまったな。苗よ、お前さんはこの屋敷に客人として招かれた身。ゆるりと寛いでいけばよい」

 何だかとって付けたような態度ではありますが、そこまで身構えなくていいと言う風にも聞こえます。

「では私はこれで。後は父上にお任せします」

 その様子を見て満足したのか、殿はそそくさと立ち去っていきます。

「えっと、すいません苗様。私も実は……」

 何かやりたい事があるのか、つなさんが控えめにそう言います。

「ああ、春行の政務を見て勉強してきたいのだな。いいじゃろう、行ってきなさい」

 大殿の言葉に僅かに頬を緩ませてから、つなさんは駆け足ぎみで立ち去っていきます。

 なんでしょう、大殿と二人っきりになってしまいました。確かに大殿とは一度じっくりと話をしてみたいなとか考えていましたけれど、こんなに早く実現するとは少々予想外です。もしやとお思い大殿を見ると、和やかに微笑みを浮かべます。

「まあ座るといい。お互い、聞きたい事も山積みじゃろうて」

 どうやら私の心中を察して取り計らってくれた、と言う単純な話では無さそうです。

 

「村には、どれ程の本があったかね?」

 書物をパラパラとめくりながら、大殿はなんてこと無いようにそう言います。その様子を横目で見ながら、私も顔を一度紙面から離して大殿の表情を見て答えました。

「二十から三十程だと思われます」

 その答えに満足がいったのか、大殿は穏やかな笑みを浮かべます。

「ふむ、いい塩梅じゃ。儂が子供の頃は、地方の村に保有された本は二、三冊しか無い有様じゃったからな」

 何だか今では想像出来ませんが、時代とは変わる物だなとか思います。

「大殿は、本はどれ程読むので?」

「月に五冊か、六冊と言った所かの。今は西の方から渡来して来た物を中心に読んでいるが」

 何だか私には想像も付かない事です。

「苗殿は薬師をされておるじゃろう? 病気についてもそれなりに詳しいかと思うが」

「そうですね、都で多くの患者を診られている薬師の方に比べれば未熟ではありますが村一番であったと言う自負はあります」

「若いのに、偉い自信じゃ。それに向上心もある」

 そう言うと、大殿は一冊の本を無言でこちらに差し出してきました。

「なんでしょう?」

 そう言っても大殿は何も答えず、無言で私の顔をじっと見つめます。読んでみろと言うことでしょうか。色々と言いたい事を頭の隅においやりながら本を受け取り、表紙に書いてある文字を読みます。

 春の方 診断書

 私は思わず息を飲みます。だってこれは……

「大殿、これは貴方の……」

 そう言うと、彼は首を横に振ります。

「今だけ、今だけじゃ。今だけは倫理や礼儀を無視し、好奇心のみでこの本を読んで欲しいのじゃ」

 そうは言っても、私にはこれは難しい事です。

「だってこれは、今は亡き大方様の……大殿の奥方様であらせられる方の診断書ですよ」

 知勇に優れているが故に、身分が違うにも関わらず大殿が娶ったと言う女性。

「気にしなくていい。禁制の品ではあるが、儂が許可を出せば閲覧は可能じゃ」

「余計に気にする事を言わないでください。禁制の品なんでしょう? 大切な人の大切な記録なんでしょう? 気楽に見せて良い物ではありませんよ」

 それでも、大殿は私の顔をじっと見つめて真摯に頼みます。

「頼む」

 何だかこれ以上は押し問答になる気がしてしょうがありません。受け入れるしか無さそうだなと思いながら、それでも素直に許諾の言葉を出すのは何だか嫌で無言でその本の中を見ていきます。

 その症状は私でも知っているものでした。肺の病であり、完全に治す事は不可能と言われている不治の病。綺麗な空気のある場所で安静に過ごすしか対策が無いと言われているもの。そんな中に、大方様の容姿が記載されていました。

 長く美しい黒髪に、知性を感じさせる大きな丸い瞳。日の光に照らされて美しく輝く肌を持つ。

 その文章を見て、私は思わず目の前に座る少女の姿をした大殿を見ます。

「どうやら気がついたようじゃな」

 そう言って、大殿は神妙な顔をします。

「苗殿、ここで正式に、国家の主として、そして一個人としてそなたに依頼を出す」

 立ち上がり、威厳を感じさせる凜とした声を私に投げかけます。

「今は亡き我が妻、春の方と同じ姿になった原因を追及せよ」

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