不満未満
5日間、ここを通る女がいた。ということは、僕もここを5日間通っていたということだ。と言っても僕はここに用事があるわけではなかった。では、僕は彼女のストーカーだろうか?
いやそれもまた違う。ただ、ストーカーと思われてもそれはそれで仕方がないのかもしれない。なぜなら、僕がここに5日間通った理由は、美しいその女に見とれてしまったからだ。ただ、僕の話はやめにしよう。僕はあくまで、この話の主人公ではない。よって語り部に徹さなければならない。
女は決まって13時にここに来ていた。最初に13時に偶然見かけてから、明日もここへ来るのではないかと期待して、5日間僕もここへ通っていたのだ。事によると、僕は暇なのかもしれない。いや、暇であることを認める気は無いが、きっと他人から見れば暇だと言いのけられるのだろう。
ただ、普通ならばこの女性はここへ来る資格があるのだから、毎日来たって別にいいだろうし、僕もそれだけじゃ5日間同じことをするような人間ではない。来たくなってしまう理由がそこにはあったから、5回も繰り返したのだった。
ここ、というのはまずコインランドリーであるのだが、コインランドリーに入る時と出た時でその女の服の色が変わっていたのだ。
これは邪推だが、コインランドリーの中で着替えているのではないか?という煩悩まみれの想像をしていた。もしかしたら、あの美しい姿の下着姿、いや、それ以上が見れるのでは?
我ながら醜いことだとは思う。ただ、僕も一男性であって、だからそこは許して欲しい。
そもそも、その欲望を抜きにしても、出入りで服が変わっていることは不思議だ。そこに焦点を当てて話したい。
ただ、僕は勇気がなくてこの5日間コインランドリーには入れなかったのだ。意気地無し、と罵られてもこの場合仕方ないと思う。彼女が出るのにざっと、1時間以上はかかるのに僕はずっとコインランドリーの前で待ち伏せしているのだ。確かにストーカーであると言われてもおかしくはない。ただ、僕はどこへ帰っているのかまでは着けていないから、その点を配慮して、ストーカーではないと思って頂きたい。
そして、もう一つ不思議な点がある。それが、彼女は服を一切持ってコインランドリーに行っていないのだ。車でコインランドリーに向かうことも無く、手ぶらでコインランドリーに入っている。
先程、下着姿を見れるのではないか、と言ったが、服を持っていないのに1時間以上時間がかかっている。まさか、コインランドリーで洗濯せずに、時間を潰すためにわざわざ来るとも思えないので、、やはりコインランドリー内で脱いでその脱いだ服を選択しているのだと思われる。いるのだと思われる。
僕がもうそろそろ、突入しようかと思った6日目、13時に彼女はコインランドリーに現れた。
今日も僕はコインランドリーの中に入れないのだろうな、と思っていたのだが、彼女が僕の方に睨みをきかせたのがわかった。
多分僕が見ていることを怪しく思ったのだろう。僕はその誤解を解こうとするために、慌ててコインランドリーの中に入ったのだった。
「あの、すみません。なにか睨まれたみたいですけど、あなたが美しいなと思っただけです。それだけですので、じゃあ」
一体、何をしに来たのか。これじゃあ怪しさ満点じゃないか、というような文句を言った。僕は罪の意識から逃れたいだけの、利己的な人間だなと思いながら脱兎のごとくコインランドリーを出ようとすると、
「ちょっと待ってください。あなた、5日間私のことをここで見ていましたよね」
バレていた。そりゃ当たり前か、はは。
「いえ、別に怒っているとかそういう訳では無いですよ。ですが、もし罪滅ぼしをしたい、と思うほどに罪の意識があるのなら私とここでお話しませんか?そうしたら私も許してあげましょう」
しかもこっちが罪の意識を持ったことすらも見抜いていた。どうやら、彼女は鋭い観察眼を持っているらしい。だが、美しい女と二人っきりの空間で話せるというのは悪くないし、罪も晴らせるという一石二鳥であったため、僕はその彼女の提案に乗ったのだった。
「あなたは、なんのために5日間私を見てくれたのですか?と聞こうとしたのですがやめておきましょう。人間が行うことに理由なんてありませんね。ただ、それをしてしまったから、それに着きます。それを問いただすというのは少し野暮でしょう」
答えようと思ったが、聞かないらしい。まぁ聞かれなくてよかったという気持ちではあるのだが。
肩をなでおろしていると、女が服を脱ぎ始めた。
「あなたも、5日間私を見張ってくれていたんだからさすがに察しはついているでしょう?見たところ、頭も少々働きそうな人間に見えるし。私は5日間ここで服を脱いで、それをコインランドリーに回していたの。一応、再確認のために言っておくわ」
上半身下着姿の女がそう言った。
「さすがに、下まで脱いじゃうと寒くてね、あ、でもあなたがお望みなら下まで脱いであげてもいいけど。人間のリビドーからして、ここは、「はい」と答えるでしょうね」
「答えるでしょうね、とまで言ってもらって申し訳ないんだけど、ここは大丈夫だ、と答えておくよ」
「あら、それはなんで?ここでこんな甘い言葉を拒否するような必要性を感じないのだけど」
「さぁね、君がさっき言ったように人間が行うことに意味なんてないんだよ」
僕もなぜこう答えたのかはわからない。普通だったらはい、と悩まずに答えたはずだった。それなのに理った理由は、やはり意地であるのだろうか。
「ふーんそう。まぁあなたが断ったところで、下も脱ぐんだけどね」
そう言って下を脱ぎ始めた。今のやり取りはなんだったのだろう。とはいえ、素直に嬉しいと思ってしまうのが意地汚い僕であった。
「ねぇ、なんでこんなに傾国な美少女が小さなコインランドリーで服を脱いでいるのか、について気にならない?」
なんとも過信家な女だが、腹立ちもしない顔立ちであったため、すんなりと言葉を受け止めて、「気になります」と答えた。
「私はさ、愛についてずっと考えているの」
「愛について?」
「愛とはなにか、アガペーでないことはわかってる。じゃあ私が求めるものはほかのラブスタイル類型論のどれだろう、って。ルダス、プラグマ、ストルゲ、エロス、マニア。私ができる愛し方はどこにあるんだろうって四六時中夜通し闘志を持っていたの、その解決策を見つけるためにね」
「そうして、私ができる愛し方は何か、と考えた時にマニアだってことに気づいたの。つまりは、偏狭で偏執な愛ね。私はそれしかできない、そう思ったわ」
「それで、ここにいるのとなんの関係が?」
「まぁまぁそう焦らないでよ。答えを知ってしまえば、あなたはここにいる意味を失ってしまうでしょう?この環境を味わいましょうよ」
どこまでも答えを先延ばしにするようだった。確かに、こんな稀有な状況、長々と楽しみたい気持ちはあるが、答えを知りたいという気持ちももちろんある。ただ、焦っては行けないんだろうか。なぜ下着姿でコインランドリーにいるか、普通は理解ができないしやろうとも思わないはず。
「そういえば、持っているカバンの中には何が入ってるんですか?」
「うーん。入っているより、入っていた、の方が正しいかな」
入っていた?
「今は入ってないからね。ほらこの通り」
女はカバンを開けて空っぽであることを確認させる。
「じゃあこのカバンはなんのために持ってきたんですか?」
「そうね、それは私が下着姿でここにいる理由にかかずらってくるわ」
またも、わからないことを言う。関係の繋がりが見えない。
「解けた糸を糾って、この答えを導けたら、その時はご褒美をあげるわ」
「ご褒美とは?」
「私からの愛よ」
嬉しいと思う反面、マニアの恋愛をする人間の愛なんて、考えたくもないような残酷なことなのではないか。少し身震いをする。
「あら、少し寒いかしら?」
と言って、僕を抱きしめる。なんとも奸計というか、女の弾力を嫌でも感じてしまう。肌が露出している部分は、彼女の方が多いのだから、寒いかもしれないだなんて発想は普通は無いはずだ。なのに、抱きついてくるというのは、僕を悦ばせようという魂胆だろう。ただ、これに屈しない男ではなかった僕は簡単に落ちてしまったのだった。仕方ない、胸が大きいのだ。それに、女性と触れることなんてなかった僕はこんなにも密着されて弱くならないわけがない。
「幸せそうでよかった」
どこまでも計算している狡猾な女はそう言った。確かに幸せではあった。
だが、この謎をとかなければ、と思い動こうとして立ち止まる。
ここを動いたら、この女の密着から離れなければならないじゃないか。
普通だったら即座に女から離れ、索敵をしていたはずだが、僕は離れたくないと思ってしまった。
なにせ、ここを逃してしまえば、後にも先にもこのようなことは起こりえないのだ。彼女がどんな目的でコインランドリーに下着姿でいたっていいじゃないか、そう諦観をした。
「はい、ということで時間切れだね」
洗濯機の音が鳴ったと同時に彼女は言った。選択が終わったようだ。ということは、僕は一時間以上も抱きついていたのか、浅はかな自分に驚愕と共に落胆する。
「まぁまぁ、そう落ち込まないでよ、結構君の体よかったよ。それに君だって、いい体験が出来て良かったじゃない」
心なしか棒読みのように聞こえた。
「それで正解をは教えてくれるのかい?ここで君が下着姿になっている理由を」
「教えて欲しい?じゃあクイズをしよう」
クイズ?
「このクイズに答えられたら教えてもいいかな、どう、やる?クイズ」
一体今度は何を企んでいるのだろうか。クイズと入ってもその範囲は広い。何を聞いてくるつもりだろうか。例えば、政府の内情とか聞かれるのか?僕の親が政治家だということを知ってるのか?いやいや、まさかそんなことが知られるはずはないし、いや考えすぎか。だいたい、答えられなかったら答えられないでいいじゃないか、女が力で勝つことなんてない。殺されるはずなんてないのだから。
「わ、わかった。やろうじゃないかそのクイズを」
「それじゃあクイズをしよう。問題」
どんな問題が出るか固唾を飲んで聞く。
「パンはパンでも食べられないパンってなんだ?」
聞き間違いだろうか?
確かにクイズとは言ったが、こんな簡単な問題を答えさせるだなんて、まるで意味が無いじゃないか。コモンセンスな問題を問うことで僕に何かをさせようとしている?
いやいや、まさか...
だが、一応答えてみよう。
「フライパンだ」
「正解だよ、よくわかったね」
合っているらしかった。ただ、
「なんでこんな簡単な問題を出したんだ?こんなクイズに意味なんかないじゃないか」
「意味なんてない、そうだね。意味なんかないんだよ。でも生きていることに意味があるとは思えないよ。生きている以上全てには意味が無い。よしんば、意味がある人生だと思ってるのなら、さっきの問いも意味があるってことだよ」
「つまりどういうことだよ」
「うーん、答えを他人に合わせるのはあまり好きじゃないんだ。さっきの答え以外の回答は有り得ないよ。それで君が理解できないなら、それは君が言葉に寄り添ってないんだ」
こ、言葉に寄り添ってない?
「言葉は無気力で無機質なんだよ。理解しようとする気がないのなら、私の言葉を理解することは出来ない。出来ないのなら、私のことも理解できないってことだよ」
確かに、まるで理解ができない。だが、ここは答えを聞くために一芝居を売って理解したことにしよう。
「ごめんごめん、理解したよ。それで、なんで下着姿でコインランドリーに?」
「嘘をついてまで聞きたい、というのだから教えてあげるよ」
一芝居が即座にバレた。怖い女だ。いや、女って元々怖い生き物だった気もするけれど。
「洗濯機の中を開けて見てよ」
さっき脱いでいた服しかないだろ、と思いながら言われるがままに、洗濯機を開ける。
そこにはもちろん、ん?
赤く染った上下の服があった。
まただ、白い服を着ていたはずなのに赤い服になっている光景。
5日間見ていてそれが不思議だった。なぜか、白い服が赤くなるのだ。
ただもう1つ異変があった。服の下に何かが入っている。2つの服だけではできないような盛り上がりがあるのだ。
恐る恐る、服を持ち上げてみてみると、中には何者かの胴体があった。
「こ、これはどういうことだ」
声をあげるも、驚きのあまり動けなくなっていた僕がそこにはいた。
「私は、人を殺してその血液を服に染み込ませることで愛を感じていたの、もちろん人を殺す時も愛を感じてるけど、死んでもなお感じるにはこれが一番なんだ。だから、本当は今日が最後の日だったんだよ。頭、胴体、左右の腕、左右の足の6つの部位で服を作っていたから。今日話しかけてくれて都合がよかったわ」
コインランドリーで服を作るだなんて物言いをしたのはきっとこの女が初めてだろうと思う。
「なんでそんなことをするんだよ、別に殺さなくたっていいじゃないか」
「私は、さっきマニアの恋しかできないって言ったでしょ?だから人を殺すの。人を殺して愛を感じるの」
「人を殺して愛なんて感じられるわけないだろ」
字面を見るとまともな人間に見えるが、だんだん、僕は彼女に惹かれているのを感じた。だかたこれは、理解できないための質問ではなく、その気持ちを気づかないようにするための質問だった。
「そういう人間もいるのよ。遊びで言うところの、イリンクス、目眩のようなものね。混乱するのよ、自分が。日常と、非日常を行き来している気がして、それがとてつもなく楽しいの。それに叫び声だって聞こえるのよ?痛いって。でもそれはとても暖かい声だった。なぜなら私も彼もお互いに愛していたから」
「愛してるのなら殺さなければいい話じゃないか。殺さないで永続的に愛して永遠にすればいい、なぜそれができないんだ」
「それはできるのよ」
否定されると思ったが肯定されて、また女に引きずり込まれていくのを感じた。
「できるけれど、それより殺した方がもっと愛情を感じられるの」
動けない僕の首元を触りながら女は言う。
「愛って言うのはね、泡沫なの。愛は持続しないの。テセウスの船でわかる通り、同じものなんて存在しない。同じ愛なんて存在しないの、愛は今しかないのだから」
「だからって、こんなの狂ってるだろ」
「狂ってるよ、マニアなんだから」
どんなに怒って言葉を返しても、淀みなく言葉が帰ってくる。壁のように動じない存在だった。
「あなたも同じ道にあってみない?」
「俺も殺されろって言うのかよ」
「あなただって愛されたいでしょう?愛されたくないだなんて人間はこの世にいないもの」
「この愛し方以外で私が愛せないと言ったら?」
「君じゃない人に愛され、」
言葉を編む前に、女は僕にキスをして口を封じたのだった。
「こんなに、女に愛されることが今後あるのかしら」
ある、と言いたかったがきっとないだろう。
「私なら愛してあげるわ、しかも殺してあげるわ。まさか、死にたくないだなんて言わないわよね。あなたは、生きたいと言えるほど人生が充実してはいないし、殺されてもいいはずよ」
死にたいと思ったことは一度もなかったのだが、生きたいと言ったことも無いのは確かだった。納得してしまいそうな雰囲気だ。いや、実際納得してしまっているだろう。
「いや、それでも」
それでも、それでも。
何かを言いたかった。でも何も言い返せなかった。
「大丈夫。あなたのことはずっと愛してあげるわ。末代まで、と言ってもあなたが末代になるわね。じゃあ永遠に愛すわ」
「でも、同じことを他の人間にもやってるんだろ?じゃあ愛せないじゃないか」
「だからこうして服を作っているのよ。この服を来ていれば、あなたを感じることが出来るでしょう?」
麻痺してきたのか、少し嬉しいという気持ちになった。
そして白々しくもまた胸を当ててくる。きっとしてはいけないことだと思いつつも、僕はこの女に普通の思考を拐かされたのだろう。
「さて、改めて聞くわね、あなたを殺してもいい?」
深呼吸をして、僕は答えた。
「僕を殺してくれ、そして愛してくれ」