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ノブリス・オブリージュ ~引きこもり令嬢が何故聖女と呼ばれたか  作者: 剥製ありす
第五章 引きこもり令嬢が何故聖女と呼ばれたか
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第18話 かくめい

「――――っ……!」


 ぎゅるり。世界の時間が遅れていく。視界が集中する。その一点に釘付けになる。

 鈍く嫌な光を放つ(やじり)。そのローブの内側に隠していたのだろう短弓に番えられた、矢。

 かつて、ベルさんの背中を射抜いたそれ。頭が真っ白になった。


「あ……ぶ、な……」


 思わず叫んだ声が、酷く遅れて響く。

 声に反応したみんなの行動が、スローモーションで見える。ベルさんが、ミラさんが私を庇おうと手を伸ばしている。呆然と佇むルナの体を、後ろからステラさんが抱き込んで覆おうとしている。……でも、違う。

 ぐい、と引かれた弦が矢尻をゆっくりと押し出す。その射線の先は、私でもルナでもなかった。縄で縛られ、正門前に並ばされた国王たち。狙われているのは、彼らだった。


 ……ああ、私たちは狙われていない。よかった。あの時みたいに、誰か大切な人が血を流すことは無い。

 国王か、王妃か、はたまた中枢貴族の誰かか。風向きや手元の狂いで狙いが少しずれたとしても、射られることになるのは彼らの内の誰かだ。真っすぐこちらに飛んでくるようなことはない。

 あの市場で、群衆の背後から正確に私を射抜きかけたあのフードの腕なら、外すこともないだろう。そしてその直後周囲の騎士たちに取り押さえられ、彼ら反体制派が私たちを襲う機会は永遠に断たれることになるのだ。大丈夫。



 ――――大丈夫?



 本当に?

 よかった。……本当に?


「ぁ……ぅ」


 本当に、それで解決か?

 本当に、よかったのか?


 ドクン。心臓の鼓動が、妙に大きく聞こえた。

 私は、わたしは……本当に、こんな終わりを求めていただろうか。

 仕方ない犠牲だ、でも幸運にも私たちは傷付かずに済む。本当に、そうだろうか。


 『ごめんね、アリス。……おかあさんは、そばにいてあげられないみたい』


 ドクン。


 『どうか、みんなとしあわせに生きて……』


 ドクン。

 どうしてか、覚えのないそんな言葉が。あの夢の中でしか知らないはずの母の声が。

 不意に、産声を……否、母を“救えない”悲しみに泣き叫ぶ私を、ベルさんの腕に抱き上げられた私を、寂し気な笑顔で見上げる母の姿が浮かび上がった。


 ずっとずっと、奥底に仕舞われていたその光景が、原初の記憶が、蘇った。


「……かあさま、わたし、は」


 “しあわせ”、だろうか。

 予測どおりあの矢が国王たちを射抜き、喧騒と怒声の中で、飛び散る血飛沫の中でこれからの世界を宣言して。


 ――――目の前で両親を殺害された、ルナの手を握って。

 それは、本当にしあわせだろうか。


 そんなものが聖女か。そんなものが、みんなが私に託してくれた光か。

 ……でも、でも。私に何が出来る。既に矢は放たれた。今から私がどうしたところで、それを取り消すことは出来ない。こんなわたしに、何が。



 ――――『るなも、べるも、みらも、あなたたちもっ……だれのちも、みたく、ないんですっ……! みんなでわらっていられるしあわせなせかいを、つくりたいのッ……!』



「……ちがう」


 そんな諦めが、暗い現実が嫌で。

 そんな、誰かの泣いている世界が嫌で。

 だからわたしは、ここにいるんじゃ、なかったのか。


 わたしは、何がしたかった?

 見失っていたその答えが、そこにあった。

 今わたしがすべきことが、そこにあった。

 必死に叫ぶみんなの顔が、戸惑うみんなの顔が、求めていた。

 わたしが夢み、歩み、示そうとしたはずの未来が、この手から零れ落ちそうになっていた。



 ――――『わたし、かなえてみせるわ。おかあさまが、おばあさまが。みんながつなげてきた、このまほうで』



 諦めるな。

 長い時を越えて積み重ねられて来た光を、ここで途絶えさせるな。


 諦めるな。

 ただそこにあるだけの現実を、どうしようもないものと諦めるな。


 変わらないこともある。どう頑張ったって、どうにもできないこともある。

 けれど、何もしなければ、何も変わらないのだ。


 現実はそこにあるだけ。その中で夢をみて、それを掴み取ろうと足掻いて、やがて現実を変えていくのは、私たちだ。私たち自身だ。


 願うのはやめた。祈るのはやめた。しあわせは、自分で手に入れるものだ。

 あの時は手を伸ばした。今度は、どうする?

 また、自嘲気味に笑いながら諦めて内側に引きこもるのか?


「よく、ない」


 嫌だ。そんなのは、嫌だ。

 私は聖女じゃない。世界は御伽噺じゃない。だから、待っていても奇跡は起きない。


 ならば自分で掴み取れ。奇跡を、起こせ。

 そのための“まほう”は、この手の中にあった。


 なのに、わたしはただここで惨劇が起こるのを眺めている。

 親友の笑顔が失われるのを、再び憎しみの連鎖が繋がれるのを黙って見ている。


 ……よくない。そんなの。



「――――よくないッ!」



 気づけば、私の体は動いていた。



「アリスッ!? 何を……!」


 走る。走る。取り乱した誰かの声を背に、まだ足掻く。

 こんなところで、終わらせはしない。

 祖母が、母が。かつて“聖女”と呼ばれた、誰かが。


 遥か昔から繋ぎ託してきた“時間(まほう)”を、無駄にはしない。


「とま、れッ……!」


 世界を切り裂いて進む矢を、捕捉する。

 圧縮された時間の中で、唯一それに縛られぬ私の瞳は、確かにその矢を捉えていた。


 意識が加速する。瞳が黄金の輝きを放つ。

 伸ばした手の先から、魔力を解き放つ。


「とまれええええぇぇッ――――!」


 目が、鼻が、耳が、頭が、熱い。何かが流れ出して、私の視界を紅く染めていく。

 けれど、見える。まだ見える。風切り音を立てるそれが、弾道を遮るように伸ばした私の魔力に触れたその瞬間。


「なっ……!?」


 ――――凍らせる。


 魔力を介して意思を発現する。世界を、運命を改変する。

 パキパキ、バキンッ……空間ごと、私の魔力を凍結させていく。


 ……届け。届け!


「ぁぐ、ッう、ああああぁぁッ――――」


 意識が焼き切れるような痛みの中、暗く落ちそうになる世界を絶叫で繋ぎ()める。

 視界が暗く途切れて、刹那。



 ――――パキ、ンッ……。


 

 血の雨を降らせる寸前。国王の頭部に突き立てられるほんの拳一つほど手前。

 凍り付いた矢が地に落ち、砕ける音を、私は確かに聞いた。


「……とど、いた」


 ぐらり。膝が崩れ落ちる。

 何の抵抗もなく打ち付けられた頬を伝う生暖かいそれが、地面に小さな水たまりを作っていった。


「アリス様ぁッ!」


 ……誰よりも早く駆け寄ってくれたのは、やっぱりベルさんだった。

 それからほんのコンマ数秒遅れて、次々に足音が寄ってくる。潤んだ吐息が、耳元を擽った。


「どう、して……アリスさま……どうして、ですかっ!」

「べ、る」

「どうしていつも、いつもあなたがっ……」

「……だれも、けが、しなかった……?」

「はい、はいっ……」


 震える指で私の頬をなぞるベルさんが、泣きじゃくりながらも答えてくれた。


 ……よかった。ああ、よかった。

 無駄じゃなかった。ちゃんとわたしは、繋げられたのだ。奇跡を、起こせたんだ……。


 安堵のせいか、限界をとっくに超えていたからか。

 時間を遅らせ、魔力を矢に上回るスピードで放出し、その周囲数センチの空間ごと氷の魔法で凍らせ、矢を止める。

 私の体と脳では、到底堪えられるようなことではなかったのだろう。薄く開いた目で紅く染まった銀の髪を見て、どうやら顔中から流れ出していたナニカが私の血液だったらしいというのに、今更気が付いた。


「姫っ、そんな……嫌です、姫ッ!」

「アリス、起きろ! 目を閉じるんじゃないッ、頼む!」

「……だい、じょうぶ」


 ああ、大丈夫。大丈夫だ。確かに痛い、苦しい。今にも意識が落ちてしまいそうだ。

 でも、これは“死”じゃない。私は死ぬ瞬間の感覚を知っている。あの時のような、暗く、冷たい孤独と虚無はない。だからきっと、大丈夫だ。

 くーん、くーん、と。悲痛な鳴き声をあげながら、アヤメがぺろり、私の頬を舐めた。


「どう、して……?」


 ずざりと、顔のすぐ傍に膝が付かれた。ふわりと舞ったスカート。ルナだ。

 なんとか目を動かして見上げると、呆然としたルナが涙を流しながら私に尋ねていた。


 ……どうして、か。ここで憎しみを繋げてはいつかまた同じことが起こるとか、きっとこの時のために繋がれてきた“血”を無駄にしたくなかったとか、他にもたくさん、理由はあるけれど。


「それが、どんなひと、でも……おやをうしなうつらさは。いちばん、しってるから」

「……アリ、ス」

「わたしは、ね……るなに、えがおで、いてほしいから……おうさまが、おうひさまがしんじゃったら、きっといっしょに、わらえなく、なるから」

「……っ、――――ばか、ばかッ! ほんとに、ばかよ、あなたはっ……」

「……ぇへへ」


 そう言って私の手を握って泣き崩れながらも、ルナは何度も、嗚咽交じりに。

 ……ありがとう、と。そう言ってくれた。


 そう。私は、御伽噺に出てくる聖女様じゃ、ない。

 途切れそうな意識に最後の一押しをくれたのは、親友に泣いてほしくない……そんなごく普通の気持ちだったのだから。

 ああでも、結局泣かせてしまったことになるのだろうか。大丈夫だよ。ちょっと、眠るだけ。きっとすぐに起きて、また一緒に笑えるはず――――



「ふざけるなッ! こんなもの、認めてたまるか!」



 門の向こう側で、そんな怒鳴り声が聞こえる。ぐっと首を動かして、その声……フードの男の方を向いた。

 怯える人々は左右に道を開け、すでにこちらに向かって弓を構えているからか、騎士の人たちも動けずにいる。


「……そっか」


 その矢は今度こそ、私に向けられている。明確な憎悪と殺意が、私に向けられている。

 ……でも、私には見える。その瞳の奥の、別の感情が。


「――――もう、おわりにしよう?」


 宣言のために用意していた拡声器がいつの間にか起動していたのか、私のその小さな声はしっかりと彼にまで届いた。動揺してフードが捲れ、素顔を晒してそれでも弓を構えたままの彼に、言葉を繋ぐ。

 父も祖父も、ミラさんもアヤメもラブリッドさんも傍にいる。その矢を私に放ったところで誰かに突き刺さることは、もはやないだろう。それをわかっているからこそ、彼も構えたまま射られずにいる。放ってしまえば矢は叩き落され、近くで構えている騎士たちに捕らえられるだけだと理解しているのだ。


「けんをとってだれかをきずつけたら、じぶんもきずつく」

「な、なにをッ……」

「けんにけんでこたえたら、ちがながれる」


 誰かを斬りつければ心が磨り減る。誰かと斬りあえば血が流れる。

 そしてそれは、永遠と増幅されていく。


「にくしみをぶつけても、にくしみしかうまれない」

「そんなことは、貴様に言われなくてもッ――――!」

「――――だから、もうおわりにしよう?」


 だから、終わらせなければいけないのだ。

 どこかでそれを、断ち切らなければいけないのだ。

 それを断ち切れず、積み重ね続けた先の世界を、私は知っていた。


「そんなの、たのしくないよ。うれしくないよ。だれも、しあわせにならない」


 そんな言葉は綺麗事だ。いくらそう言っても、憎いものは憎いし、起こってしまったことは変えられない。

 そんなことは、私もわかっている。


「あなたのこと、わたしはしらないけど。……でも、あなたもわたしのことをしらない。おうさまのことを、きぞくのみんなのことを、るなのことをしらない」

「ッ……」

「あなたにたいせつなものがあるように、わたしたちにもたいせつなものがある」


 彼のそれが何かはわからない。酷い治世のせいで、大切な人を亡くしてしまったのかもしれない。

 もしそうなら、憎いのは当たり前だ。復讐したいという思いは、誰にも理解できるものではないし、理解していいものでもない。……でも。


「これからのことは、かえられるんだよ。ひともかわるんだよ。ずっとむかしからつながれてきた、にくしみなんかのために。あなたがくるしむひつようなんて、だれかをきずつけるひつようなんてない」

「……なら、どうすればいい……このまま諦めて、復讐を果たすこともできぬまま無念の内に投獄されろと言うのかッ!?」


 けれどそれを、そのどうしようもない気持ちを受け止めてあげることは、私にもできた。

 そのやるせない気持ちを、彼の心を認め、大丈夫だよ、と。もう、憎しみなどに囚われなくてもいいんだよ、と。許してあげることはできた。


 それがどれだけ傲慢で罪深いことだと、わかっていても。


「――――にげればいい」

「あぁッ!?」

「にげたいならわたしをひとじちにして、にげればいい。ふくしゅうがしたいならわたしを、きりつければいい」

「何を、言って……」


 それでも、憎しみは終わらせねばならなかった。

 せめてこの手で届くものくらいはなんとしてでも、断たねばならなかった。

 それが、私の目指した“かくめい”だった。


「あなたはまえに、わたしのたいせつなひとをきずつけた。わたしはそれがいまでもにくい」

「ッ、何が言いたい!」

「……でも、わたしはあなたを“ゆるす”ことができる。にくしみがつづくのを、おわらせることができる」


 ずるり、張り付いた髪を剥がしながら無理やり身を起こす。

 みんなの制止を振り切って、そっと彼の方へと歩み寄った。


「――――あなたにも、できるよ」

「なっ……」

「みらいを、ひかりを。じぶんからすてないで。あなたをたいせつにおもってくれる、だれかのために」


 私にはベルさんがいた。ミラさんがいた。父が、祖父がいた。

 カルミアさんがいた。ラブリッドさんがいた。クロリナさんやハングロッテさん、アヤメがいた。

 レイラがいた。ルナがいた。ステラさんがいた。かあさまがいた。みんなが、いた。

 だからわたしも、ここにいた。


「い、今更ッ、やり直すことなど――――」


 揺れる彼は、その想いを振り払うように。番えた矢を再び強く引き、私に向け。


 ――――ひとりの少年が、私の前に割り込んだ。私に背中を向けて、彼を見据えて。その両手を、大きく開いた。


 ぼろぼろの服。

 傷だらけの手足。


 きっと貴族によって虐げられてきたはずの少年が、貴族である私を庇っていた。


「……ぼくも貴族が憎いッ! 親もいなくて、生きるのに必死で。なのにぼくらを見下して認めてくれないみんなが憎いッ!」


 驚いたように少年を見ていた庶民たちが、顔を俯かせた。身に覚えがあるのだろう。

 孤児は忌避されるといつかベルさんやクロリナさんに聞いたことがあった。


「でも、ずっとそんなことばかり考えるのはもっと嫌だ! 本当になれるかはわかんないけど、でもいつか絶対に幸せになるんだって、ごみを漁りながらそれでも必死に生きてるんだ! 誰を邪魔したいとか、誰を殺したいとか、そんなことばっかりの世界は――――もう嫌なんだッ!」


 たた、と。その隣に桜色の髪が同じように手を広げて並んだ。

 その後ろに、更に一人の白髪の男が続いた。


「私も変えたい……いえ、変わりたいのです。あんなに傷付きながら、それでも前を向いている――――友人のように」

「……娘や幼い子どもたちがここまでしているというに、我々大人は何をしている? ……金、権力、闘争。ああまったく馬鹿らしいですな。大切なのはそんなものじゃない」


 ぽそり、後ろでルナがアントワーヌ、と呟くのが聞こえた。

 少年の隣に並んだ二人はレイラと、その父親だった。


「……そうだ。あんたに煽られて学園に乗り込んだ時、俺たちもこんな風にそこの嬢ちゃんと王女様に教えられた。本当に幸せを望むなら、前に進むためにはどうすればいいのかってのをな」

「待ってたぞ嬢ちゃーん!」

「信じてたぜ!」


 更に進み出たのは、あの学園デモの時の庶民たちだった。

 ニッと笑った彼らはレイラたちの隣に並び、そして。


 ――――手を、繋いだ。


「……すまなかった。我ら貴族のせいで、あなた方は」

「ふん。こっから、変えていくんだろ?」

「そうだ。……頼む、もう一度だけ、信じてくれないか」

「へっ、仕方ねえ。信じて待ってやる。……そこの嬢ちゃんと王女様に免じて、な」

「……ありがとう」


 レイラたちと、彼らが。

 貴族と、庶民が。手を繋いでいた。


 頭を下げ、受け入れ、許し、認め合い。

 私が、ルナが目指した世界が、そこにあった。


「……こうやって頭を下げんだよ、手え繋ぐんだよ。相手の目をしっかり見て、話すんだよ! 伝わるかわかんなくても、伝わんなかったとしても、何度でもな。あんなに幼い嬢ちゃんたちが必死で頑張ってんのに、どうして俺らはそれができねえッ!?」


 彼の問いかけに集まっていたすべての人――――貴族、魔導師、騎士、庶民……真の意味ですべての人たちが、顔を上げ、互いを見据えあった。


「そうだ。……そうだ! 終わりにしよう、変わろう!」

「私も、すまなかった」

「俺も……」


 貴族たちが今までの治世や在り方を謝罪し、庶民たちが許す。

 庶民たちが蜂起や暴言を謝罪し、貴族たちが許す。

 やがて手を取り合い、小さく苦笑しあう。


 そこに敵意や憎しみの色は、もうなかった。


「……馬鹿みたいに罵り合って暴力で解決しようとすんのは、もうやめようぜ。嬢ちゃんの言う通り、ここで終わりにすんだ。憎しみも、全部」


 同じ庶民からかけられた言葉。

 番えた矢を降ろし、俯いた彼は今、何を想っているのだろうか。


 ……カラン、カラン。そして乾いた音とともに、弓が捨てられた。

 深く着込んだフード付きのローブを脱ぎ捨て、両手を背中に回して。彼はその場に跪いた。

 即座に捕えにかかった騎士たちに抵抗もせず、ただ明るい空を仰いで何事かを呟く。


 その顔はすべてを諦めたかのような、しかし何処かすっきりしたような……頬を伝う一筋の涙に、長年背負っていた憎しみという憑き物が零れ落ちていったように見えた。


「――――今、ここに。第一王女ルーンハイム・ロード・ルーネリア、そして聖女アリス・フォン・フェアミールの名に置いて、革命は成された!」


 まだそれぞれの和解が続く中、ルナが声を張り上げた。

 振り返り、とりあえず私が動けるくらいには無事だという安堵と呆れからだろう、苦笑を浮かべるベルさんとミラさんの手招きに従い、ルナの隣へと戻る。

 そしてその言葉を繋げた。決められた文言ではなく、私の、私たちの想いが込められたそれを。


「わたしたちはげんてんへとたちかえり、みぶんのさなく、てをとりあい……しあわせなせかいをつくりあげることを、ちかいます!」


 ふわり、浮いていく意識。さすがに、限界らしい。ふらつく足元を、邪魔にならぬように隠して。

 ……まだだ。まだ。せめて宣言が成されるのを、最後まで。私の血で染まってしまった相棒を拾い上げ、ぎゅっと胸に抱きしめる。

 その隣で、ラブリッドさんが傍らの騎士から受け取った“旗”をルナに渡していた。ルナはしっかりとそれを貰い受け、私の目を見て。頷き合うとやがて片手でそれを持ち、私も片手を伸ばし、二人で旗を掲げて。



「――――ノブリス・オブリージュの、信念のもとに! 王国の未来に、光あれ‼」



 そうして吹いた風にパタパタと、天秤と月が描かれた王国の紋章がたなびく。

 太陽に照らされるそれが、どこまでも眩しくて。


「おおおおオォォッ!」

「幸せな世界をー!」

「王女殿下ばんざーい! 聖女様ばんざーい!」


 何を言うでもなく、ただその光景を眺める王妃の袖口から。“運命(ディスタン)”でも遊んでいたのだろうか、はらはらと舞い落ちたジューウィタロットのカード。

 そして場に翻った四枚のクイーンノブリス・オブリージュ。いつか“かくめい”を叫んだ日の懐かしい記憶が再び思い起こされたのを、最後に。


「よかっ……た……」


 私の意識は、深く。

 揺蕩(たゆた)う夢の中へと、沈んでいった。

次回更新は明日の12時です

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