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ノブリス・オブリージュ ~引きこもり令嬢が何故聖女と呼ばれたか  作者: 剥製ありす
第五章 引きこもり令嬢が何故聖女と呼ばれたか
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第16話 白夜

「王女殿下。準備が整いました」

「……ええ」


 アリスとの日々の思い出に夢の中で浸りながら、翌日。起床とほぼ同時に部屋へ参じたステラと親衛騎士たちに、ごくりと喉を鳴らす。ついに、この時が来た。アリスが間に合おうと間に合わなかろうと、私はもう動かねばならない。

 今は何とかなっていても、持久戦になれば最終的に勝利するのは蜂起勢力である。いや、それ以前に情報を聞きつけた帝国が侵攻してくるだろう。いつまでもこの現状を放っているわけにはいかないのだ。


「制圧した後が、問題ね……」


 何せ、私たち革命派の主要勢力というのは、私を筆頭に結局のところ貴族、騎士、魔導師など中・上流階級の者たちである。彼ら庶民はそれに対して反乱しているのだから、対話を試みたところで応じてくれるかというのはかなり厳しい。それで矛を収めてくれればいいが、後のことがどうしても不安定になる。最悪、私たちと反体制派、王国中枢の残党で三つ巴に成りかねない。そうなればもう、みんな仲良く帝国臣民だ。王国の長い歴史はそこで幕を閉じる。


 ……そんな展開を防ぐために必要なのが、アリス。つまり、“聖女様”という旗印なのだ。御伽噺やその他伝承、文献などで聖女という存在は王国に住むほぼすべての人に広く認知されている。それも好意的な形でだ。

 そして何よりも、教会を味方に付けられる。王国民のほとんどは聖ネージュムール教徒。聖女伝説というのはネージュムール教と深い関わりがあり、当然教会からしてもアリスの存在は無視できないだろう。容姿も魔法も、言動も、伝承上で語られる聖女まんまなのだ。既にその聖女様が王国を憂いて行動を起こそうとしているという噂が広まり、というか広めたのだけど、実際に姿を見せて立ち上がったとなると庶民たちからの支持は絶大なものになる。現に聖女が此方側に付いていると朧に示唆することで協力を約束してくれた者たちも多くいる。レイラたちの通る“安全な経路”というのは、まさにそういった地域のこと。そこを聖女親衛隊の名を掲げて通るのだ。襲われるどころか積極的な協力すら望めるだろう。

 そしてそうなれば逆説的に教会も認めざるを得なくなる。元よりネージュムール教の教会というのは影響力こそ持つものの、権力はほとんど持たない。教会上層部の者が自分たちの利益のため信徒たちを利用するようなことは出来ないようになっているのだ。

 教会のそういった性質は、偏に時の力によるものである。今までずっと健全に栄えてきたがゆえに小さな不正もすぐに目立ってしまい、即座に淘汰されるような空気が出来上がっているわけだ。王家や貴族も、そうなってくれればこんなことにはならなかったのに。……だからこそ、ここで断ち切るのだけれど。


 それはともかく、計画に置いてそれがアリスの役割で、同時に革命の肝だった。

 ラブリッド将軍が軍部、即ち騎士階級を掌握し、諜報部長であるアリスの祖父が各地有力者の情報を集め、接触する。私は王女としての別視点、社交界の伝手などから貴族たちに探りを入れ、味方に引き込めそうなら引き込む。ここまでが貴族、騎士、魔導師階級への工作。そして庶民たちの担当が、アリスだったわけだ。

 といっても、アリスの場合は直接根回しなどは必要なかった。いわばアリスが今まで成してきたことこそが、そのまま庶民たちへの根回しになっているのである。たとえば一斉蜂起に先んじて起こったあの抗議事件でのアリスの対応が、結果として今、王都の庶民たちが蜂起を静観してくれていることに繋がっている。マリアーナでも同じだろう。

 また、交通網の鈍化したこんな状況ですら聖女の噂がすぐに全土へ広がった通り、庶民というのは横の繋がりが強い。そんなアリスの普段からの積み重ねもきっと庶民たちの間で共有されているはずだ。


「どうか間に合って……アリス」


 アリスのことだ、そんなことは理解していて、きっともう既に此方に向かっている途中だろう。レイラたちにも道中で合流できるかもしれないと言っておいた。早ければ、今日の夕方頃にはこっちに着くはず。

 ……まあ、実際にはある程度の猶予がある。もし今日に間に合わなくとも、王宮さえ制圧してしまえば少なくとも王都は問題ない。けれど貴族と庶民たちの衝突で血が流れれば流れるほど円滑な解決が難しくなるのだ。

 今のところ大きな衝突があったとの報告はない。蜂起が起こったとはいえ、庶民たちは集団での戦い方など知らないし、各騎士団には予め流血は出来る限り控えるという前提が共有されている。まだ睨み合いの段階のはずだ。誰かがしびれを切らして動く前に、終わらせてしまいたいところだ。


「……“王女殿下”」

「わかってる」


 ステラがそう諭すように呼んだのに、意識を切り替える。ほとんど抵抗は予想されないとはいえ、油断は禁物だ。もしもここで私が失敗すれば革命は大きく遠退く。大丈夫、大丈夫。……よし。


「ルーネリア王国第一王女、ルーンハイム・ロード・ルーネリアより。全親衛騎士、及び王家近衛騎士団へ伝達――――時は来た。王宮を制圧せよッ!」

「はッ!」

「王国に栄光あれッ!」


 ……ピリリ、と走った胸の痛み。

 今更浮かんだ、いつかまだ、私を見てくれていた日の両親の笑顔を。

 そっと、瞼の裏に消した。





















「王都です……!」

「なんとか、辿り着けたの」


 レイラたち聖女親衛隊と合流しておよそ一日。私たちは王都を視界に収めていた。道中あんなことはあったが、父たちの奮闘や駆け付けたレイラたちのおかげで遅れが出ることにはならず、どころか想定より早く到着することになった。太陽が空の中心に昇っている。時刻はちょうど正午といったところだ。


「みんな、たすけてくれた」

「きっと姫のおかげですよ」


 予想外だったのは道中、祖父やレイラたち曰く安全な地域とされた街で一つも足止めを喰らわなかったことだ。街中を通るつもりだったとは知らず、警戒しつつも街へ突入した時はついにそんな強行が必要なくらい事態が切迫しているのかと不安と焦燥に駆られかけたが、どうやらそういうことではなかった。

 助けてくれた、とは言っても直接物的な支援などを受けたわけではないが、街のど真ん中を抜けていく私たちを住民は黙って通してくれた。私たちの姿を認めればすぐに道の端に退いてくれて、それどころか好意的な視線すら見受けられた。どういうことかと疑問に思っていれば経路にあった街々はどこも聖女の噂により強く影響されている地域であったらしく、復路で戻って来たレイラたちが連れて来た私の容姿を見てあらかたを察してくれたのだろうとのことだった。

 庶民は耳が早いというのはハングロッテさんにも聞いた話だが、まさか数週間前に流布されたばかりの噂がそこまで効果を出すとは思っていなかった。やはり王国において、聖女というのはよほど特別な存在なのだ。この銀色の髪と私の役割の重大さを、改めて思い知らされた。


「……驚いたな、ここまで静かだとは。ほとんどいつも通りに見える」

「軍部の迅速な対応と、それからフェアミールさ……王女殿下とアリスさんの影響が大きいようです」

「ああ、学園に庶民が押し寄せたという……」

「はい」


 フェアミールさんと言いかけたのを慌てて言い直したレイラが私に視線を送りながらそう説明してくれた。

 確かに、何も知らなければまさか各地で一斉蜂起が起こっているなどとは思い至らなそうなくらい王都は平穏に見えた。とはいえそれはあくまで外周からパッと一瞥した時の話で、少し目を凝らせば至るところに警備の騎士がいる。都市の静かさも(みな)(みな)気を張り詰めているからだというのもその空気から読み取れた。

 私とルナの影響というのは、おそらくデモ時の対応のことだろう。あの場に居合わせた庶民たちは私たちを信じて待つと言ってくれた。あの後他の庶民たちも説得してくれたのだろう。あの時の言葉通り、不安や不満を一度棚上げして状況の推移を見守ってくれているに違いない。


「一息といったところだが、残念ながら休んでいる暇はないな。急ごう」

「うん」


 父の言葉に頷くと各々足で合図を出し、再び馬を歩ませる。心情的なものかもしれないが、王都の門に近付くに連れてどんどん空気が重くなっていく気がした。ピリピリと肌に触れる空気が痛い。


「あなた方は――――いえ。お待ちしておりました。すぐに将軍を呼んでまいります。あちらでお待ちを」

「助かる」


 門前で警備の騎士に止められ、父が説明しようとしたがすぐに察したのか、彼は私たちを門の内へ通すと傍らの馬に乗って中心部の方へ駆けて行った。軍の本部へ向かったのだろう。

 一旦馬を降り、彼に案内された方、おそらく警備隊の詰め所であろうその小さな小屋へと移動する。扉をくぐり、父に促されるまま備え付けられた椅子へ腰を降ろす。こきゅり、ミラさんが注いでくれた水で喉を潤した。


「しかしワシらが通った街こそあの様子だったが、他の地域はどうなっておるのか……」

「ええ。ラブリッドが来たら、まずは現状確認ですね」


 祖父と父が顎をしゃくりながら肯き合う。それを何処か遠くに見ながら、私はそっと俯いた。

 ……ベルさんが、無言だった。レイラたちが助けに来てくれてから、ずっとだ。

 チラリと振り返って見上げる。返って来たのはぎこちない微笑みだった。


 理由は、聞かないでもわかる。あの時の私のことだろう。あれだけ決意を、覚悟を重ねたのに、いざ自分の選択でみんなの運命が変わるような状況に陥ればあのザマだ。不安になるのも当然のこと。そしてベルさんなら、私の雰囲気がいつもと違っていたのにも気が付いただろう。

 ……そう、いつもと違っていた。私は、今までとは状況が違ったからだと思っていた。でも、違う。危機を脱してしばらく、ここに辿り着くまでに冷まされた思考は別の解を示していた。確かにあの突然の襲撃も原因だ。しかしそれは、きっと間接的なものだ。

 いくら状況が違うとはいえ、自慢ではないが私は今まで幾つもの危機を乗り越えて来たはずだ。


 何故、あの時はそれが出来なかった。

 何故、あの時だけ揺らいだ?


 直接的な原因は、自分の中にあるはずだった。でなければあんな、思考と自分が剥離したような状態にはならない。冷静に、とまでは言わないがある程度落ち着いて状況把握が出来ていた反面、感情は真逆の混沌だった。いやだ、だめ、もうだめ……そんな絶望と諦めばかりが、心の中を反響していた。それが最悪の選択だと、知りながら。


「なに、が……」


 順に記憶を追えば、“それ”が起きたのは襲撃の瞬間ではない。あの時の私は驚きながらも、ベルさんに助言を求めて行動し、即座に従うくらいの理性はあった。いわば、今までどおりの私だ。

 異常が起きたのはその後だ。木の後ろに隠れ、戦況を伺い、火蓋が切られ――――ここだ。ここで、思考と感情の剥離が起こった。即ち、逃げるか残るかの選択を迫られた瞬間、だ。これが私の中で、なんらかのトリガーになったらしい。私の中で、一体何が……



 ――――『わたし、かなえてみせるわ。おかあさまが、おばあさまが。みんながつなげてきた、このまほうで』



 本当に、初めてだろうか?

 剥離を……自分が自分でないような感覚を感じたのは、本当に初めてだろうか?



「ちがう」


 ――――『かあさまの、におい』


 初めて部屋の外に出て、母の部屋を訪れた時。


 ――――『わたし、わたし、ほんとうは、ずっとあいたくて、たすけられなかったの、ずっとこうかいしてて……っ』


 夢の中で、母と“再会”した時。


「ぁ、え……?」


 何度も、何度もあった。


 どうして私は、変に思わなかったのだろうか。

 心の中で感情だけが分離したように蠢き、自分の知らない、わからないことを口走ることは今までもあったのに。


 どうして不思議に思わなかったのだろう。

 凍てついた心の仮面が溶け、自分の幼さに気付いたことも、あったのに。


「かあさま」


 ――――『本当はそのどちらも、貴女自身よ』


「アリス様……? 大丈夫で――――」

「すまない、待たせたっ!」


 ……ふわり、どこかに浮かんでいってしまいかけた意識が、小屋の扉が勢いよく開く音とラブリッドさんのその声で引き戻された。

 ハッと振り向けば、心配そうに私を見つめるベルさんの顔。


「……そっか」


 何となく、答えに至りかけた気がした。でも、まだだ。きっと私は、まだそれと向かい合うべきではない。少なくともこんな、革命の成否がかかった状況の中なんかでは。……大丈夫、この革命さえ成功させてしまえば、自分と向かい合う時間はある。今は進むべきだ。“長きに渡って積み重ねられてきた”すべてを、水の泡にしないために。


「アリス様」

「だいじょうぶ。ありがと、べる」

「いえ……私はずっと、貴女の傍にいますからね」

「……うん」


 ベルさんはあえて、私を貴女と呼んだ。その詳細はわからないまでも、私が何に揺れているのかはわかっているらしい。さすが、ベルさんだ。相変わらずというべきか、ベルさんがいてくれたことに本当に感謝したい。

 意識を前へ戻すと、ちょうどラブリッドさんも私の方を見ていた。待たせていたらしい。ごめん、と頭を下げて話を聞く体勢に入る。まずは、現状の共有と再認識だ。


「本当に、よくここまで来てくれた。聞けば王女殿下の采配で貴女方が救援に向かってくれたとか。改めて感謝申し上げる」

「い、いえ、そんな……私たちは聖女親衛隊。そして、貴族です。己の真に在るべき姿に従ったまでですわ」

「……未来は明るいようだ」


 ふふ、と誰からともなく微笑みが漏れる。レイラたちは恥ずかしそうに目を彷徨わせながらも、嬉しそうに頬を緩めた。切迫した空気の中、こうした少しの和みは大切なことだ。知らず知らずの内に逸っていた心を多少なりとも落ち着けてくれる。会釈を交わした後、ラブリッドさんは続けて現状の説明に移行した。


「報告上では、まだ戦闘と呼べるようなものは発生していない。騎士隊と蜂起集団が既に対峙している地域も多くあるが、どこもまだ睨み合いの様相だ。貴族が捕えられた、殺傷されたという報告もまだない。突然のことだったが、やはり事前に各騎士団すべてに一応の指示を届けられていたのが功を奏した」

「なるほど。……ひとまずよかった、と言っていいのだろうな」

「ああ。ハッティリア、お前の方はどうだ。マリアーナの様子は」

「問題ない。どころか、ここは任せろと言って我々を送り出してくれた。……カルミアも元気だ」

「……そうか」


 と、頷くラブリッドさんは何処かホッとした様子だ。それはきっとマリアーナに対しては勿論、主にカルミアさんが無事であることに対しての安堵が多分に含まれているだろう。当たり前だ、父娘なのだから。


「王都の方は……完璧ではないが、十分に準備が済んでいる。いつでも実行に移せるだろう。王宮の方も問題ない」

「では、後は……」

「ええ、マッグポッド様。王女殿下の合図を、待つばかりです」


 王宮も問題ないという言葉を聞いて、今度は私が安堵した。よかった。ルナは無事なようだ。王都がこの状態なのだからきっとそうだろうとは思っていたけど、それでも改めてそれを確認できた安心は大きい。

 後は計画通り、ルナが親衛騎士や近衛とともに王宮を制圧するのを待つしかない。さすがに王宮内のことまでは私たちではどうにもならない。無理やり突入する手もなくは無いだろうが、私たちでは王宮内の勝手もわからなければ、協力者たちの顔も知らない。内部から制圧出来るのであればそれが最善。ルナはおそらく両親たち当人を除く王宮内の従者や騎士ほぼ全員を掌握できると言っていたが、万が一がある。今すぐにでも駆け込みたいところだが、それはルナを信じて待つしかない。

 ひとまず計画の方は、奇襲だったにも関わらず今のところ順調に進められているようだ。何気なく、ぎゅっと相棒を抱いて沈黙に湧いた不安を誤魔化す。みんなの視線が、私に――――


「――――失礼致します! 王宮外周警備隊より伝令!」

「動いたか! 符号はッ……!?」

「“月はのぼれり”、繰り返します“月はのぼれり”ッ!」


 燦々と陽が照り付けるその下。

 そして抗うように昇った白夜の月が今、決着の(とき)を告げたのだった。

次回更新は明日の12時です

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