第7話 Tradition
「――――さて、料理も届いた。……本日はこの会食の場に参列頂いたこと、ルーネリア王国第79代国王、“キャピタリア・ロード・ルーネリア”、及び王妃“ルクセリア”の名に置いて改めて感謝を申し上げる」
先ほど父の指示を受けて部屋を出て行った使用人の男と共に複数人の給仕が戻ってくると、真っ先に国王夫妻用の卓に料理が置かれたあと、次いで瞬く間に贅沢にもテック材で作られた卓にも豪勢な料理が並んだ。
この光景だけで、王族の富がどれほどのものなのか、少し知識がある者なら簡単に理解できようというものだ。何せテックというのはごく限られた地域でのみ、王国の領域内で言うなら北方の離島群から、しかもほんの僅かにしか産出されない。その希少性ゆえに古来から最高級の木材として扱われ、もしも手に入れようとすれば例え使い物にならぬような砕けた一片ですら馬鹿馬鹿しいほどの費用がかかる。
……だというのに、この大きな長卓は丸ごとそれで出来ているのである。そしてその上に並ぶ、これまた稀少な食材や香辛料がこれでもかとばかりふんだんに使われた料理。決して大きなものでもないこの会食の場に、これらが惜しみなく並んでいるのだ。そこに国王と王妃の名を落とせばなるほど、この上ない力の示威になるだろう。
現に、協会幹部の魔導師たちは、明らかに圧倒され、委縮している。
こういった“もてなし”は王の権威とそれに対する忠誠を保つために必要な、いわば慣例のようなものだとはいえ、そもそも最近の王権に疑義、いや憎悪すら抱いている私としては、ただ嫌悪感だけを滲み出させる光景であった。
これが普段から実直に民に向き合い、善政を敷く国王であれば或いは、こんな時だからこそなのだと考えることもできたかもしれない。こんな事態になっても、王は“いつもとお変わりないのだ”、と。
でも、現国王が、両親がそれをしても湧くのは希望と信頼ではなく絶望と反感である。言葉は同じだというのに、それに含まれるものは真反対。まったく人を呆れさせることに関しては稀代の賢王陛下であらせられる。
「ふ、ぅ……」
そっと零したため息を気取られないように呼吸へと誤魔化しながら、しかして未だ王国に真の忠誠を持っているであろう彼らを見据えた。すると列席を代表して、後援貴族の彼が深く礼をした。
「この度はこのような場にお招き頂き、まこと恐悦至極に存じます。改めて、王国へより一層の忠誠を深く誓言させて頂く所存でございます」
「――――っ、ふ……!」
私は思わず吹き出してしまいそうだった。というか半分吹き出した。
よくもスラスラと述べられたものである。その肝を称えて万雷の拍手を送りたい気分だった。恐らく両親以外はその言葉の真意を理解しているというのが余計に面白くて仕方がない。
父が満足気にうむ、と頷いたところで私のお腹はほぼ限界に達した。それでもなんとか堪えることが出来ているのは、まさにステラの教育の成果である。咎めるような彼女の無言の圧力に、私は心の中で言葉を返した。
――――だって彼は、“王国へ”の忠誠と言ったのよ!? 国王陛下へ、ではなく!
不確かながらも彼の内心を把握している側からすれば、それは痛烈な皮肉に他ならない。当の王を前にして直接、ニコニコ満面の笑みで貴様らに捧げる忠誠はない、なんてことを言いきったのだから。これで笑うなという方が無理な話である。
「……王女殿下、どうかなされましたか」
「ん、んんっ……ふっ、い、いいえ、何でもありませんわ」
しっかりとここで助け舟を出してくれるステラは、やはり私のことを誰より理解している。実のところ後数秒も沈黙が続けば堪えられなかった。ありがとう、ステラ。いや本当に。危なかった。
……しかし、これを見るとますます彼は味方に引き込んでおきたい人物だ。よく口が回るというのもそうだけど、真に感嘆すべきはそれを実現する頭の回転と、何よりそれを実際に言ってのける度胸だ。
もしも何か無意識の失言でもして真意を察せられれば即刻左遷、或いは身分剥奪や処刑なんてこともあるかもしれないというのに、それを自信のこもった声量で発言できる。それは保身を第一に考えるような心持ちでは絶対に出来ないことだ。そう考えればこもっているのは自信ではなく決意や信念といったものかもしれない。
とまれ、私が読み違えているのでなければやはり彼はそれなりに信頼できそうだ。隙を見て確認の視線を送れば、ステラも肯いてくれた。後は確証と機会さえあれば。
「君らの献身と誠意に感謝する。……では、一人ずつ名乗ってもらおう。勿論私は把握しているが、形式上だ」
「はっ」
どうやら父は非常に機嫌が良いらしい。一言付け加えて場を和ませるような殊勝なことが出来るなんて、娘として誠に感激の至りだ。いや、馬鹿にしてるわけではなく。
普段からそれが出来て、権力に溺れていなければ……そんな妄想に耽っても仕方がない。
顔を上げれば、立ち上がった魔導師たちの名乗りが一通り終わったところだった。聞き逃してしまったけれど、王女として当然彼らの名前くらいは把握しているので問題ない。続いて名乗りを始めたのは、この短い間で何度も私を危機に追い込んだ彼だ。
幹部魔導師の連中なんかはもうその地位に就いて長いのでしっかり覚えているけれど、しかし彼が後援者になったのはここ最近のことだ。先代が亡くなり、当代となったと同時に動いたのだと聞く。
しかしその頃の私……つまり学園でアリスに出逢う前までの私は厭世的というか、王族や貴族そのものにひたすら失望を募らせていたのであまりその名前を覚えるのに熱心ではなかった。要するに、彼の家名すら覚えていなかった。
今度こそ頭に刻み込んでおけるよう、彼の名乗りにしっかりと耳を傾ける。
「では……私は“アントワーヌ・フォン・エスプリー”。エスプリー家現当主にして、王都魔導師協会後援の任を拝命しております」
ああ、そうだ。確かそんな名前だった。しっくり来た、というのも変な表現だけれど、その名前を聞いた途端、いつかステラに他の諸々と共にそんな名を聞いていたのを漠然と思い出した。
記憶とは都合のいいのか悪いのか、意識的に思い出せはしなかったものの、しっかりと引き出しには仕舞われていたようである。――――いや、でも。それ以外の場面で、もっと直近にそんな名前を聞いたような……。
まあともかく、そういう慣わしだとはいえ名前を聞けて助かった。八歳だというのもあり、王女ならば初対面の貴族の名前を知らなかったところで顰蹙を買うようなことはないだろうけど、それはあくまでも表面的な話だ。
彼も一介の貴族である。会話中に私が名前を知らなかったなんて露呈するような展開になれば、少なくとも良い気分にはなるまい。
かといってそれを不快に思うような人柄にも見えないけれど、事前に防げて困ることはない。初対面であるからこそ、より慎重な礼儀を尽くすべきだ。味方になってくれるのを期待できるような相手であれば尚更だった。
今更だけど、入室の際の態度にはもう少し気を付けるべきだった。
「うむ。では食事を……ああ、娘がまだだったか。いけない、すっかりもう名乗ったつもりでいた」
はは、とまるで悪びれもせずに笑う父は妙に上機嫌なのも相まって、ほんの少し酔っているようにも見えた。見れば、態々数えてはいないけどたぶん三杯目が注がれていたはずのグラスの中身がもう空になっている。場合によっては家宝にも成り得る高級酒をこの場で飲み干すつもりなのだろうか。
私の目が呆れに細まる傍ら、使用人によって四杯目が注がれていった。
使用人の目線は次に私のグラスに向かい、まだ十分に果実水が煌めいているのを確認するとアントワーヌたちのカップに水を足した。
勿論私が果実水に手を付けていないのは口に合わないなどといった理由ではなく、王国を憂いてくれているアントワーヌの前で躊躇いなく贅沢を甘受するような真似は憚られたからである。まったく口を付けないのもそれはそれで失礼というか、気を遣わせてしまうのでこの注がれた一杯分くらいは飲むつもりだけど。
そして何より、この果実水には今喉を潤すよりも遥かに重大な役割が控えていた。
「ほら、ルナちゃん」
しかし、それはもう少し後の話だ。母の促す声に従い、彼らとは違って座ったまま姿勢を正す。
他に同位階の者がいれば別だけれど、基本的には王族は一度座ったら最後まで席を立たない。立つにしても、同席する全員を立たせなければならない。
本当はさっさとアントワーヌ氏の協力を取り付けて握手でも交わしたいところだけれど……ああ、王女という身分は色々と面倒だ。そう産まれた以上やりたくないなんて無責任なことを、口で言うことは有っても実際にするつもりはないけれど。うぅ、アリスの幼馴染か姉妹に産まれたかった。
「……私はルーンハイム・ロード・ルーネリア。キャピタリア国王、ルクセリア王妃両陛下の一人娘にして、ルーネリア王国第一王女です」
ふん、と憎ったらしながら父がいつもの私みたいに鼻を鳴らしたのを横目に、全員の礼が返って来たのを確認する。着席が促され、いよいよだ、と両親がまたさっきまでの笑顔に戻った。こんな食事をどうして楽しめるというのか、正気の沙汰ではない。
二度と見たくなかった鳥の料理……というのも憚られるようなナニカに目を向けて、父と母が料理に手を付けるのを待った。因みに両親の前にもしっかり鳥が二羽分盛られている。どうせほとんど残すくせに。
「では、頂くとしよう」
そうして芳醇な香りのスープが啜られたのを待って、私もスープを胃に流す。それを合図に、残りの四本の銀食器が幾らか小さな音を立てて持ち上がった。本当は音を鳴らすのもダメだけれど、まあ貴族の彼はともかく普段から社交の場に出向いているわけでもない魔導師たちにそれを期待するのは酷だろう。
幸い父も母もそれを気にした様子はない。というか、食事をする以上、どうしたって多少は音が鳴るものである。帝国の様式は知らないけど、王国ではあくまで出来るだけ鳴らさないように、という心構えに近い。
……さあ、スープは良い。素材の暴力というか、使われているものに見合って美味しい。問題はこの鳥である。一応国王が振舞っているという体裁上、食べぬわけにもいかない。しかもご丁寧に私はきちんと一羽の半分ほど取り分けられて用意されている。残りの一羽が客である四人のものである。是非とも私もそちらに混ざって苦しみを分かち合いたいところだけれど、はあ。出されてしまったのならば仕方ない。覚悟を決めよう。
「ふー……んぁ、む」
ついつい目を瞑ってしまいながら、ナイフで切り分けた一口分を一気に口の中に放り込んだ。
ああ……そう、そう。この味だ。本当に下処理をしたのか疑うほどの素材そのままの野生溢れる力強い謎鳥の匂い。その上から無理から塗ったくったように唐突に訪れる、それぞれの個性を色濃すぎるほど感じさせる数多の香辛料の暴力的な舞踏。
様々な味が色取りどりに咲き乱れるこの料理にもしも名前を付けるなら。そう、まさに――――“百禍繚乱”と呼ぶのが相応しいだろう。
花ではなく、禍である。百の禍々しい毒花が狂ったように殴り合い、おどろおどろしい瘴気を繚って暴れ乱れる。
我ながら素晴らしいセンスね。是非とも採用してもらおう。
……まあうん、絶望的にマズい。吐きそう。
「ぐっ、きゅふ……」
「ど、どうされましたかな」
ああ聞かないで、アントワーヌ。聞く必要もないでしょう。あなたの顔も苦痛に歪んでいるわよ。
きっとここに両親がいなければ何の躊躇もなく吐き出していただろう。勿体ないとか、そんな次元じゃない。それを言うならそもそもこんなモノを作った時点で勿体ないのである。食物への冒涜である。
餓えた庶民の人々とて、流石にその本能が拒絶するだろう。こんなものは最早料理ではなく、一種の兵器だ。
「んぎゅ、うぅぅ……ぐすん」
そんな私たちを無視して、笑顔で次々にこれを平らげていく両親。……絶対狂ってる。味覚が壊れているに違いない。本当に同じ人間なのだろうか?
魔導師三人も顔を真っ青にして手を止めてしまっている。きっと彼らの頭の中では理性と本能が一心不乱の大戦争を繰り広げていることだろう。両親に見えぬよう、器用に左頬にだけ涙を伝わせながら、私は機械的に咀嚼と嚥下を繰り返した。一羽の半分ということで、あの時よりも量が少ないのが唯一の救いだった。
「たひゅけへ、ありしゅ……」
がんばれ、がんばれ、と応援する親友の幻影を頼りに、何とか最後の一口を胃に詰め込んだ。血走る視界のモヤを掻き分けて、残息奄々にグラスを掴んだ。そう、果実水はこの時のために置いておいたのである。
ああ、救世主よ……マリアンを語る誰かさんのようなことを宣いながら、甘くスッキリとした果実の楽園に心身を開放させた。浄化されるとは、まさにこのこと。
「んきゅ、んきゅ……ひゅ、――――ぶはぁッ!」
おおよそ王女には有り得ない声を響かせながら、私は現世に帰還した。危なかった、あと一歩で地の底へ引きずり込まれるところだった。ふと聞こえたステラの咳払いにハッと両親の方を見るが、二人は劇物に夢中で私のことなど見てもいなかった。
……勝った、私勝ったわ、アリス!
「ぉ、おぐっ……王、女、殿下……ッ」
「アントワーヌ……」
腹を抑えて何かを堪えながら訴えかける“仲間”を、悲哀の面持ちで見つめた。何やら、別世界へと旅立ってしまう前に伝えておきたい遺言があるらしい。
チラリと横目で両親を見る。普段はろくに話しもしないくせに、酔っているのか仲睦まじげに話し込んでいて、此方のことなど見向きもしていない。
今なら大丈夫。目を戻し、そんな意味を込めて頷くと、彼はカップの水で延命しながら何かを探すように私を見つめて。その視線が口元まで達すると、しめた、とばかりに懐からムシュワールを取り出し、私にそれを差し出した。
「可憐なお口元が汚れてしまっていらっしゃる。宜しければこれを……」
一見何の変哲もない紳士然とした行動。中枢貴族どもの集まる会食の席で母が似たようなことをされているのを何度か見たことがある。
無論、実際にそれを使うようなことはない。毒殺の危険があるからだ。少し不自然だとは言え別段咎められるほどのものでもないそれ、しかし彼がそんな媚売りのような真似をする男ではないことはこの席で十分に理解したつもりだ。
訝しげに眉を動かせば、彼のにこやかな視線が一瞬手元に落ちた。釣られて視線を追って……。
「――――ああ、どうもありがとう。けれど、お気遣いなく。自分のものがありますので」
ようやく意図を察した私は、差し出された彼の手を微笑みながら両手で包むようにしてそっと押し返し、手の離れ際に畳まれたムシュワールの隙間から小さく丸められた羊皮紙を抜き取った。万が一にも両親や使用人に見えぬよう、左の手の甲で隠しながら。
「ステラ」
「はい、此方に」
そしてステラから自分のムシュワールを受け取る際に抜き取った羊皮紙――――彼からの“密書”を握らせる。ステラは何の反応も見せずに定位置に両手を戻し、私にしかわからぬように薄く微笑んだ。
口元が汚れているのは本当だったのでついでに拭いながら、素知らぬ顔でアントワーヌに向き直って。
「どうも、ありがとう」
「いいえ、そんな。紳士として女性に……“王女殿下”に対する、当然の礼を尽くしたまでですので」
それから無事に会食を終えた私が自室に戻って後、エスプリーという家名に感じた既視感の正体にようやく気付いて驚愕、それと同時に備え付けのおまるが逆流した百禍繚乱で満たされたというのは、また別の話。
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