第20話 貴族令嬢の彼女が何故革命を叫んだか
「お、王女殿下。それは、どういう……」
「そのままよ。私は、アリスと同じ道を行く」
戸惑うラブリッドさんと祖父。ルナは扉が開くのと同時に椅子から降りると、そんな二人の真正面に立って一切の迷いなくそう宣言した。勿論、そこに具体的な単語は含ませない。私は先ほど迂闊にも革命などと呟いてしまったが、自室とは言えここはあくまで寮の一室。何処に耳があるかわからないのだから。次いでラブリッドさんと祖父の視線が向かったのはベルさん。話したのかという確認だろう。はい、と肯定が返ったのに二人は顔を見合わせた。それからこくりと一つ頷いて。
「まずは、移動しよう。ここでは、な」
「ああ。ワシの執務室へ戻ろう」
そこで何故執務室になるのかは少し不思議だったが、考えてみれば今までも、そんな込み入った話をするのに使われていたのかもしれない。例えばミラさんの時しかり、また今朝のベルさんの時もだ。そして祖父は王国諜報部長。ならば何かそういう、機密保持が出来るような措置が施されているのは明白だった。それならそこで話すのが一番安全だろう。そも、現王国諜報部長と、現王国軍将軍にしてマリアーナ・アイリスの創設者の二人が揃って問題ないと判断したのである。これで問題があるならどの道、私が考えたところで何か回避策を思いつくようなことでもないだろう。素直に従っておくのが吉だ。
「では、アリス様」
「うん」
ベルさんが差し出してくれた手をしっかり握って、膝の上に座らせていた相棒と共に椅子を降りて。そのままベルさんの隣に着いて部屋を出る。後ろをルナとステラさんが、その背中を守るようにミラさんが最後尾に。更に少し離れて、廊下で待機していたルナの親衛騎士の人たちも続いた。生徒と教師が慌ただしく行き交う階段を下りて寮の外へ。いつも通り、とまではいかないものの、それなりに落ち着きを取り戻した広場。噴水の音で耳を潤しながら、学舎へ入る。祖父の執務室は一階の少し奥まった場所にあった。やけに長い廊下には知らない男の人が数人、壁に背を預けて立っていた。私たちの姿を見つけると彼らは直立に改まって、静かに頭を下げた。跪いての礼は幅が短めなこの廊下でしてしまうと邪魔になるからだろう。祖父とラブリッドさんは言葉を交わしはせず、ただ目だけ合わせるとその横を通り過ぎていく。どちらかの部下に違いない。……いや、恐らく祖父の方だろう。よくよく見れば、一人はいつも門番をしている男の人だった。どうやら本業は門番ではなかったらしい。
「いつも、ありがとね」
「ぇ、あ……い、いえ」
「アリス様っ」
ついつい声を掛けてしまったのを、ベルさんに小声で咎められた。しまった、何か非礼をしてしまっただろうか。ああいや、或いは何かしらの理由で私たちとの直接接触が許されていないなんてこともあるかもしれない。相手は諜報員、またはそれに準ずる職の人だとわかっているのだから、今後はこういった言動には気をつけよう。そんな反省をしていると、すぐに祖父によって執務室の扉が開かれた。
「さ、こっちじゃ」
「しつれい、します」
一応そう一言置いてから、ベルさんに牽かれるままに部屋へ入る。最後尾のミラさんまでが部屋に入って、更にそのい後ろに続くルナの親衛騎士の人たちはどう扱うか迷ったらしいが、結局ルナに仕える以上遅かれ早かれ協力が必要になるということで、そのリーダーの男性一人が入室することとなり、残りの人たちは部屋の外で待機となった。勿論、彼らの素性は既に調べられているのだろう。王女様に直接仕える人たちなのだから。マリアーナ・アイリスの方はともかく、王国諜報部の方では精査をされていないはずがなかった。そしてルナやステラさんの言でも、彼らは王国にではなくルナ個人に忠誠を誓っている騎士であり、同時にルナが生まれた直後からの長い付き合いで、信頼できるとのこと。そういえばミラさんも王国に、というよりは私に仕えてくれているように思える。親衛騎士とは得てしてそういうものなのだろうか。一人入室を許可された彼は扉際に立つと、何を言うでもなくただ直立の姿勢を取った。私は口を挟みません、と態度で言っているかのようだ。口が軽そうにも見えない。そしてルナとステラさんがそんな彼を気にした様子もなかった。主従の信頼が見て取れるそれに、祖父とラブリッドさんも納得したようだ。促されるまま二人の正面の二つの椅子に、ルナと隣り合って座って。一拍だけ置いてすぐに話が始まった。
「……それで、だが。まずは先ほどの王女殿下の言葉の意を、改めて確認させて頂いてもいいかね」
「そのままの意味よ。私はアリスの隣を歩く。それが例え……“革命”に繋がる道だろうとね」
背後で僅かに、驚くような気配がした。親衛騎士の彼だろう。彼も普段からルナが中枢に毒を吐くのは目にしていたはずだとはいえ、主人、ましてや王女であるルナの口からそんな言葉を聞けば動揺もしようものだ。加えて言えば、ここにはラブリッドさんがいる。即ちそれは、軍のトップがそれを企てているということでもある。驚かないはずがなかった。反対にそれを尋ねたラブリッドさんと祖父は、そう答えるのをわかっていたように静かに目を瞑った。
「……そうか」
「ええ。……今更隠さなくていい。私もアリスも、そのつもりで来たの。計画が、あるんでしょう?」
と、ルナは試すように祖父の方を見た。……ああ、そうか。たぶん、ルナは祖父が王国諜報部の長だとは知らないのだ。王女様というのでてっきりすべて把握しているものだと思っていたが、そういうわけでもないらしい。諜報部の長ともなれば例え王族であろうとも簡単に正体を知られるわけにはいかない、ということだろうか。何にせよ、ルナはそれを知らないながらも、祖父が少なくともただの一学園長などではないと察して、その辺りを詳しく話せと言いたいようだ。そして恐らく、ラブリッドさんやベルさん、ミラさんが王国諜報部とはまた別の諜報機関に属していることも知らないはず。詳しい計画は今から聞くところだが、最早この場にいる全員が一蓮托生なのは疑う余地もない。ならばきっとそれも共有すべきだろう。
「……そうじゃ。そして、その計画には王女殿下とアリスが不可欠。……情けない話じゃがの」
「マッグポッド様……」
ふー、と自分宛てのため息と共に言った祖父に、不甲斐ないとばかりにラブリッドさんが続いた。悪く言い換えれば、私たちのような子供を計画に利用するということである。それは二人にとってとても耐え難いことなのだろう。二人とも、本来その子供たちを守るのが大きな仕事なのだから。しかし、もう覚悟は出来ている。何があっても揺るがずにひたすら前に、と断言するのは少し難しいかもしれない。例えばまたベルさんが血を流すようなことになればとても平静でいられる自信がないからだ。でも、もう決意は出来ている。そんなことが起きるかもしれないのだとしても、この道を進むのだという決意は出来ている。私ではその内心をすべて把握することは不可能だが、ルナやベルさん、ミラさん、ステラさん。そして勿論ラブリッドさんと祖父も、細かな違いこそあれ決意しているという一点は同じだろう。今更自分が計画のために使われることに反感など抱くはずもなかった。そんな思いを込めて、続きを促した。
「どう頼んでいいものかと悩んでおったが、まさか二人の方から乗ってくるとはの。……いや、そうじゃの。今思えば、とっくに二人は決意しておったのじゃな」
このほんの数ヶ月ほどの学園生活。そんな日々を憶う祖父は、悲しそうに眉を歪めて。もう一度私たちを見据えた頃には、もうその瞳に迷いはなかった。そうして、ついにそれが語られる。私たちの、王国の運命を決める、革命を成すための計画が。
「ワシらも大雑把な方向を決めただけで、まだ細部は詰めておらん。じゃから今は大まかな流れだけ説明しておく」
「うん」
まあ、それはそうだろう。ラブリッドさんが学園へやって来て、まだ数日しか経っていないはずだ。以前から繋がっていたのであれば話は別だが、この短期間、それもデモの対応に手が取られる中、念密な計画を立てる時間などありはしなかっただろう。むしろ、既に方針が出来上がっているのを凄いと言うべきだ。二人の肩書きは伊達ではない。
「まず、前提として。近い内にも起こるじゃろう反体制派の蜂起を利用する」
「はん、たいせい」
「ああ。この際、彼らのことも詳しく話しておこう」
そこから暫く、祖父による反体制派の説明が続いた。何せ存在こそ知ってはいても、その詳しい実態を聞くのは初めてだったので少しわからないところもあったが、それは横からラブリッドさんとベルさんが補足してくれる。
……反体制派。私もよく覚えている。その名のとおり、現体制に反発する過激派グループ。私が感じた限り、そして今聞いたところによっても、やはり彼らは最早、本当に反体制な“だけ”の集団と化してしまっているらしい。マリアーナの市場で襲われた件こそ一部の暴走だとはいえ、それも元は単純に成算と見返りが薄いという数字上の問題で却下されていた案だったという。貴族階級に対する復讐こそが目的と言ってもいい。最初は現体制を打倒し、庶民がぞんざいに扱われることのない新たな体制を作るために立ち上がった彼ら。しかし時を経て、いつの間にか手段と目的がすり替わってしまったようだ。よくある話と言えば、まあよくある話だった。かといって彼らは普段はただの一庶民。であれば表立って構成員を粛清するわけにもいかないのが非常に厄介とのこと。
……謂わば、市民ゲリラだろうか。前世では“有栖”が青年期の頃に似たような存在が世界中を跋扈していた。まあ、二人と違ってあの世界の支配者たちは排除を躊躇わなかったが。多くの市民や義を重んじた一部の資本家などと支配者層とで勢力は二分され、武器を手に血みどろの争いを繰り広げていた。公式には小規模なものだとされていたが、勿論それは統制された情報。私は真実を恩師伝いで聞いていた。実際には世界規模での紛争、いや戦争であり、一部では“第四次世界大戦”とまで呼ばれていたらしい。
それはともかく、だ。そんな、義を見失ってしまった彼らの蜂起を利用するのだという。一通り反体制派の説明を終えて、水で喉を潤す祖父の言葉をラブリッドさんが引き継いだ。
「聞いての通り、反体制派は最早、一般庶民にすら顰蹙を買われている。しかし彼らは狡猾だ。反体制派とは名乗らず、反発を更に扇動して蜂起が起こった瞬間にその指導者として旗を上げるつもりだろう」
確かに、勢いに呑まれて一度蜂起を起こしてしまえば庶民たちはもう後には退けない。かといって、王国各地で起こるだろうそれを統合して指揮する者がいなければすぐに鎮圧されておしまいだ。ならば蜂起してすぐのタイミングでその立場に名乗り出る大きな派閥があれば、反乱の熱気もあり、多少悪いイメージを持っていようとそれに付いてしまうだろう。それが反体制派の計画というわけだ。計画というには大雑把に過ぎる気もするが、しかし彼らからしてみれば、態々計画して動かずとも蜂起が起こるのはもうほぼ確定したような状態である。ならばそれを自分たちに都合のいい時に起こるように煽ればいいだけの話で、細かな計画はそれほど必要ではないのだろう。
「しかし、彼らには一つ、致命的な弱点がある」
「……弱点?」
「然り。王女殿下、彼らは旗を上げることが出来ても、その“旗印”がない……否、捨ててしまったのだ」
「旗印、ね」
捨ててしまった、というのは彼らが見失った本来の目的のことだろう。旗印というのはつまり、マニフェストだ。参加する全員が共に納得し、目指すべきゴールがなければバラバラになるだけ。目的を持たぬ組織は脆い。そして彼らの貴族の排除というのは一見それに十分なように思えるがその実、先がない。貴族を排除した後の設計がない。そんな状態では当然不安が生まれる。時が経ち、徐々に熱が冷めていく内にそれは大きな綻びを生み、最後には呆気なく瓦解するだろう。
「……そこを突く。反体制派よりも早く旗印を持ち上げて、革命を乗っ取る、というわけだ」
「話が見えてきたわ」
ルナが頷いたの同時、私もそこに思い至った。そう、つまり、それが、その旗印こそが。
「私、そして――――」
……なるほど。ルナは言うまでもない。次期国王である王女様が声高々に反体制を謳えば庶民は自分たちに正当性を見出す。同調する貴族も出てくるだろう。庶民たちが根本的に反発しているのは自分たちの理不尽な立場だ。貴族の排除というのはそこから派生した二次的な思いにすぎない。そこに王女様が、そして幾つかの貴族が自分たちの味方につくようなことになれば、目的は元の位置に戻る。つまり、ゴールを庶民の立場を向上させた新体制の構築、というものに確定させることが出来る。
「わたし」
そして更にその目標を固定、正当化し、団結を強めるためのもう一つの旗印となるのが、私というわけだ。
……これまた、考えるまでもない。即ち、私の容姿と魔法、そして既に広まっている噂。そのすべてが、私を。
「……すまない、王女殿下、アリス嬢」
……私を、“聖女”にする。
そういうことだった。王女様が味方についているという安心感、正当性。そこに聖女という存在が加わればどうなるか。王国全土、大半の人々が信仰している、聖ネージュムール教の伝説。そして数々の御伽噺。ゾクリ、と。変な寒気が背中を襲った。それらはすべて真実で、これは最初から定められた運命だったのではないか、私は、本当に……なんて。そんな気がしてくる。聖女という存在に自分が塗り替えられていく。そんな恐ろしい感覚を取り払ったのは、さりげなく握られたベルさんの手の温もりだった。
「……アリス様。ご無理は、なさらなくてもいいのですよ」
何処までも、何時までも。ただ私だけを見てくれる瞳。私の身を、私の心だけを案じてくれる瞳。私がしあわせになってくれればそれでいい。そんな深い愛情が、私の心に火を点ける。だから、なればこそ。私はみんなでしあわせにならなければならないのだ。誰の笑顔が欠けていても輪は築けないのだ。知らず知らずに重く張っていた緊張と圧力が、今度は背中を支えてくれる力へと変わっていく。大丈夫。私が守るように、皆が守ってくれる。
「……うん。みんな、ひとつ。どこにいても、いつまでも」
「アリス様……?」
きゅっと繋がれたベルさんの手を引いて、机の上に置かせた。今度はミラさんの手を引っ張って、その上に。その後ろにいたルナの親衛騎士の人も無理やり引っ張って来て、重ねさせる。ステラさん、ラブリッドさん、祖父、そしてルナの手も順に重ねさせていく。忘れてないよ、と心の中で語りかけながら、相棒の手もしっかりそこに加える。戸惑うみんなの顔を一つ一つ見つめて、最後に自分の手をその上に重ねて。
「みんなで、みんなの“しあわせ”を」
ハッと、みんなの時が止まって。そのまま暫くの沈黙。ちょっと唐突だったかな、と頬が熱くなり始めた時。誰からともなく、優しく強く、温かな笑顔が溢れていった。
「そうだな、アリス嬢。……いや、アリス・フォン・フェアミール殿」
「はっはっは! ……ああ、アリスや。血は争えんの。かつてのワシも、その澄んだ黄金に惹かれたのじゃ」
「……王女殿下が惹かれるのも、わかります」
「ああ、フェアミール様……ルーンハイム様より先に出逢っていたら、私は貴女に仕えていたかもしれません」
「はぁ!? な、何を言い出すのかしらステラ! あんた今冗談じゃなかったでしょう!」
そうしてルナは相変わらず無表情の……いや、態と煽るように満面の笑みを浮かべて見せたステラさんに騒ぎたてながらも、ぽそりと。私はもう着いていくって言ったでしょ、と気恥ずかしそうに呟いてくれて。
「姫は、やはり“姫”であられました。何処までもお供させて頂きます、私は姫の……アリス様の、“騎士”ですから」
水色のポニーテールを揺らして、ミラさんがそう微笑んだ。どうしてか瞳が潤んでいくのを止めようとして、けれど失敗する。大好きな温もりが、不意に頭を撫で梳いたからだ。
「べ、る……」
「そんなお顔をなさらないでください。私は最期まで、アリス様のお傍で、アリス様に触れていたいのです」
「……だ、大胆なのね。ノクスベルは」
「――――はっ!? い、いえ! そういう意味ではなくっ!」
一瞬で頬を赤くしたベルさんに、何故だか私の胸も高鳴って。
みんなと一緒なら、何だって出来そうな気がした。
「だから、わたし……」
だから、そのために。きっと叶うはずの夢のような世界を、みんなで笑っていられるしあわせな世界を。
今度は来世に願うのではなく、今、自分で成し遂げるために。
「わたし」
……だから、みててね。おかあさま。
わたし、かなえてみせるわ。
おかあさまが、おばあさまが。みんながつなげてきた、この“まほう”で。
こんどこそ、こんどこそわたしは。
「“せいじょさま”に、なる」
これにて第四章完結です。
次回更新は明後日の12時、第一部最終章となります。