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ノブリス・オブリージュ ~引きこもり令嬢が何故聖女と呼ばれたか  作者: 剥製ありす
第一章 奴隷労働者の彼がいかにして貴族令嬢になったか
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第8話 誰が為に鐘は鳴る

 膨大な数の書類や資料が棚や机に乱雑に置かれ、薄暗く羊皮紙と紙の匂いで充満した空間を窓から差した陽の光がほんのりと照らしている。

 毎日ここで仕事をしている私にとっては慣れたものだが、この独特の匂いと雰囲気は果たしてアリスの目にはどう映っているのだろうか。あるいは単純に臭い、以外の感想は持っていないかもしれない。


「ここが、父さんの書斎、お仕事をする場所だ」

「……」


 振り返って、ちょっぴり自慢気に仕事場を紹介すれば、ぼうっとした様子のアリス。その繋いだ手は脱力するように解かれて、やがて視線を彷徨(さまよ)わせ始めた瞳は心なしかキラキラと輝いているように見える。


「アリス……?」

「ふへ……ゆめのですくわーく」

「ですく……なんだって?」


 拙い王国語に混ぜて、どこで覚えたのか帝国語らしき響きを持った言葉をぽつりと呟き、困惑する私を他所に部屋の奥へ歩を進めると机にまとめられた……否、散乱した書類に目を這わせる。

 じーっと、意味もわからないだろうに眺める姿はそれだけ見れば未知への好奇心に溢れた子供らしい姿と言えるかもしれないが、何分その対象が領地経営に関する書類というだけあって、かなりアンバランスな光景である。

 なんとなくそれがおかしくなって、苦笑を浮かべながら隣へ並ぶ。アリスが熱心に見つめるそれは税徴収の緩和を試算した羊皮紙だ。


「はは、何が書いてあるかわかるか?」

「……うぅん。すうじたくさん」


 声を掛けるとハッとした様子でこちらを見上げたアリスは小さく首を横に振る。

 まあ、そうだろう。むしろ、なんの前知識もないその身で税に関するものだよね、なんて答えられては驚愕、仰天、ひっくり返るところである。


「これはな、税……ここマリアーナで暮らす他の人たちに、ここに住む代わりにこれだけのものを払ってくださいね、というものを、どれだけの量にするか考えているんだよ」

「ぜい」

「そう、税だ」


 王都や大都市ともなるとその全てが貨幣で取引されているらしいが、まだ成立して間もないここや田舎ではまだまだ農作物などによる物資をその地区の担当に直納するのが主流だ。

 マリアーナはそこまで大きな都市でもなく、ゆえに領地の端に住む人々からしても館まで来るのにさほど労力はかからない。かといって、やはりそれなりの量の荷物を背負ってくるわけなので、楽というわけでもないが。


「いっしょ、じゃないの?」


 首を傾げて放たれた疑問をなんとか理解する。恐らく、税は定額ではないのかということを聞きたいのだろう。


「そうだな。なんと言えばいいか……例えば、アリスの毎日食べている野菜や果物。あれだって、マリアーナに住んでいる人が一生懸命作ったものだ。けど、いつも同じ量が作れるわけじゃない。だから、父さんは毎回収める量を変えるようにしているんだ」

「……すごい」


 果たして理解できたのか、大仰に頷くその表情は妙に実感が伴っている。例えるなら長年税を納めてきた農家の老人のような……もちろん、気のせいだろう。


「にしても……」

「ぅん?」

「賢いな、アリスは」


 いいこだ、と頭を撫でてやって、ふと疑問が思い浮かんだ。

 アリスが同年代の子供たちと比べて、飛び抜けて聡いのはわかっていたことだ。だが、それにしても、だ。ただ計算が書きなぐられた羊皮紙と申し訳程度の説明から税を定額で、なんて発想は普通出てくるだろうか。

 ほんの(わず)かな情報で税というものの概念を理解し、あまつさえそれを自分なりに発展させて定額納税に行き着いたというのか?

 先人たちが膨大な時間と労力をかけて行き着いたそれを?

 いや、そんなはずは。背筋が凍るような感覚に襲われ、逃げるように、まだ四歳のアリスにはわかるはずもない質問が私の口から飛び出す。


「……これを見て、父さんが何をしたいのかわかるのか?」


 するとアリスはなんでもなさそうに羊皮紙を一瞥して、得意気に微笑んだ。まさか、と否定を吐き出しそうになったそれを遮るようにアリスの唇が開かれて。


「へらす。みんなあんまりたくさんつくれなかったから、もらうのをへらす」

「なっ……」


 なぜ、と漠然とした言葉が思わず漏れそうになって、けれど絶句した。すなわち、なぜわかったのかと。数字と、自分がわかるように書き足した殴り書きのような補足のみから、どうしてその結論が導き出せたのかと。

 むろん、これが大の大人なら驚愕はしまい。いや、貴族や騎士ほど十分な教育を受けられぬ庶民の身分で理解できたのなら、感心くらいはしよう。

 だが、アリスは子供だ。まだ領地経営、ましてや税についてなど、なんの教育も受けていない()(さら)な子供だ。

 それが、なぜ、一目で目的を理解し得る?


「……ちがう?」

「いや、……合っている、合ってる、が」


 不安そうに眉尻を下げた娘を私は呆然と見ることしかできない。これは、聰明などという次元の話ではないのではないか。そんな思考が頭を埋め尽くしていく。

 そしてそれを確かめるべく、もう一つ質問を続ける。


「どうして、わかったんだ?」

「えっと……」


 その真意は、ロジックを示せ、ということだ。まだ少ない語彙ではきっと難しいことだが、何をどう辿ってその結論へ着地したのか、その過程を知りたい。もしかすれば、たまたまそれに至っただけかもしれないのだから。


「この、うえのすうじが、きっとまえのぜいと、せいさん?のかず。それでこっちが、いまの」

「……、」


 小さな指先が羊皮紙の数字と雑な注釈を順に辿って、その結論が極めて論理的に導かれたものだということを告げていく。


「いまのほうのせいさん、は、まえよりすくない。だから、ぜいもへらした」


 それは正しかった。その通り、昨年の生産と税収を基準に、今年の税の額を試算したのだ。今年は凶作と言われ、領地の人々、特に農家の懐事情はかなり厳しいと聞く。ゆえにしばらくの徴税緩和を試みているところなのだ。


「……その通りだ」

「えへ」


 間違っていなかった、と安堵で緩んだ娘の顔。その暗い金色の瞳は、どこまでも深く。それはまるで、その幼き身に宿る底知れぬ知性を示しているようで。


「賢いな、アリスは。……本当に」

「あぃがと」


 なぜだか微妙な表情で礼を言った娘を、私はただ笑顔を浮かべて撫でてやることしかできなかった。











「やりすぎた」

「……どうされましたか、アリス様?」


 柔らかい笑みで問いかけたベルさんに、なんでもない、と曖昧な表情を返す。

 そう、やり過ぎた。書斎での父の顔を思い出す。それは完全に固まってしまっていた。

 書斎の扉が開かれるまでは冷静で、将来のために学べるだけ学ぼうと気合いを入れていた。だというのに、いざ書斎に入るとそれは全てどこかへ吹っ飛んでしまって。

 前世で最後まで憧れて、ついぞ手にすることのなかったデスクワークというものを目の前にして、テンションが変に上がってしまったのだ。自分もこれができるのだと。ついに、奴隷さながらの肉体労働とはおさらばできるのだという実感。

 貴族という身分に産まれて、既におぼろげにはわかっていたことだというのに、溢れる解放感による高揚と、思い出したかつての革命思想の火を抑えきれなかったのだ。


 その結果はというと、この様である。まだ他者からすれば幼い子供だということを忘れ、存分に“有栖”としての教養を振るった。


 前世では旧世界のシステムはあらかた破壊されたとはいえ、一応申し訳程度の教育は受けられるようになっていた。奴隷労働をさせる手前、知性をつけられては反乱の芽となるが、逆に馬鹿過ぎても困るからだ。

 例えば食料生産関連のコロニーでは当然動植物や薬物、機械についての知識が必要になる。三年の教育を経て、それぞれ適性のあるコロニーに割り振られるような仕組みだったのだが、革命思想にうつつを抜かしていた私は当然そんなシステムを受け入れず、反乱と称し、義務として課せられる学業に関してはサボりがちだった。結果人工発電のコロニーなんて地獄に送られたのだからまあ目も当てられない。

 だが、だからといってまったく何も学ばなかったわけではない。そういった施設で教育をするのはもちろん権力者側の人間、あるいは人工知能だが、当時はまだ革命闘争が頻発している頃で、権力者側も一枚岩ではなかった。

 私の場合、社会科目を担当していた教師がその手の人間だった。彼は教室に設置された監視カメラの手前では奴隷労働を是とする洗脳教育を行い、その裏でそこに反抗を見せた子供たちを教育と称して別室に連れ、そこで旧世界の自由や社会についての講義をしていたのだ。私もその中の一人だった。

 その後他の教師の密告によって逮捕された彼は当然処刑されたが、自分の“本当の教え子”たちの名は最後まで絶対に吐かなかった。

 ゆえに私も捕まることはなく、いつの日か、と革命の火を燻らせていた。まあ、結局強化された監視と制裁に抗えず、無事社会の家畜、社畜として命を終えたわけだが。


 それはともかく、そんな彼によって学んだ知識が私にはあった。それは旧世界において常識とされていたものの数々だ。

 算術と現代の税に関しては義務教育の方でも習うが、先生はそこから一歩踏み込んで旧世界における税についても教えてくれたのだ。それはとても一般市民にとって優しいと断言できるようなものではなかったが、現在のものよりも遥かにマシだった。

 なにせ、まがりなりにも生活保護なんてものがまかり通っていたのだから。

 そんな知識があったからこそ、私は父の質問に答えられた。答えられてしまったのだ。読めない単語を読めた文字からなんとなく推察して、そしてその隣に書かれた数字と結びつけて、父は今年の領内の総生産が少ないから税を緩和しようとしているんだな、と、理解してそれをそのまま口に出してしまったのだ。自慢気に。

 当然、父はびっくりした。口なんか開きっぱなしだった。当たり前だろう、徴税について流暢に語る四歳児なんて不気味でしかない。大失態である。


 本当に賢いな、と最後に笑顔で頭を撫でてくれたことから、まあ、どうやら好意的には捉えてくれたらしいが、少し考えたいことがあると言ってベルさんを呼ぶとそのまま自室に戻されてしまった。


「アリス様、また本を読まれますか?」

「……うぅん。ちょっと、やすむ」


 布団で口元が隠れるくらいにベッドへ潜り込んで、ぬいぐるみをきつく抱き締める。

 頭の中は後悔でいっぱいである。答えるにしても、わざとどこかを間違えるとか、子供らしく拙くするとか、こう、もう少しやりようはあった。

 これでは“将来有望な賢い良い子”ではなく、“わずか四歳にして税を語る不気味な怪童”である。また父の心労を増やしてしまったのではないか、とさっきからずっとそればかり(よぎ)って、疲れてしまった。


「……そうですか。では、子守唄などいかがですか?」

「うん。おねがい、べる」

「畏まりました」


 そう言ってベルさんは一つ微笑むとまたいつものようにベッドの端へ腰掛けて。


「ああ、シスター・ジル、ああ、シスター・ジル」


 陽の光が静かに部屋を照らす中、やがて鳴り響いたのはベルさんのお気に入りの子守唄だ。

 ジルという名前のシスターを訪れた誰かが、夜が明けたから鐘を鳴らしてくれとシスターを起こそうとする。そんな感じの歌詞。なんだか寝かしつけるにしては歌詞が逆な気もするけど、そのどこかで聞いたようなメロディは不思議と心を落ち着ける。


「眠っているの? 眠っているの?」


 とん、とん、と優しく肩を叩かれながら、その音色に耳を傾ける。ベルさんの透き通った声で紡がれる世界(うた)が、失敗で(しぼ)んだ心を慰めていく。


「鐘を鳴らして、鐘を鳴らして」


 波が低くなっていく。荒れていた海面が平穏を取り戻していく。


「ディン・ドン・ディング、ディン・ドン・ディング」


 そして鐘が鳴って、歌が終わる。すっかり落ち着きを取り戻した私は口元の布団を退けて、ベルさんを見上げる。ベルさんは目を瞑っていた。余韻が終わると、そのまぶたが開いていく。黒いまつげが儚く揺れて。

 うっとりとしてしまいながら、見つめる私に気づいたベルさんに歌を褒めるべく唇を開く。


「どうされましたか?」

「……べる、きれい」

「まあ、アリス様……ふふ、アリス様の方がお綺麗ですよ」


 拙い言葉のせいか、それとも思わず本心が漏れたのか。ベルさんを口説くようなセリフになってしまっていたのをその返事で察するとさっきより深く、今度は目元まで布団に潜り込んだ。


「ぁ……ぁりがと」


 掠れるような声でなんとか返事を返す。しばらく沈黙が広がって、やがて耐えきれなくなった私はとりあえず子守唄をアンコールする。


「畏まりました。では、そうですね……こんな歌なんか、どうでしょう」


 澄ませた耳に、息を吸い込む音。静かに目を閉じて、どんな歌だろうかと期待を膨らませる。


「――――月のひかりのその下で、ああ我が友よ。ランプを貸してくれないか。手紙を一通、書きたいんだ」


 ふわり、意識が吸い込まれるようだった。

 山なりの音程が続く、わかりやすい音色。心地の良いテンポで進むそれは、綺麗な修飾で彩られていく。


「蝋燭は夜に溶け消えて、もう火は消えてしまって」


 切なげに紡がれるコトバには、なんとなく、いつもより感情がこもっているような気がして。

 すっと、心の隙間に入り込んでくる。


「お願いだから、その扉を開けておくれ……」


 余韻と沈黙。最後の音を響かせ終わったのを聞き届けて、今度は私がまぶたを開ける。

 すると向けられた、いかがでしたか、とちょっぴり不安そうなベルさんの表情に、もちろん私はぱちぱちと拍手で応えて。


「このうた、すき」

「……、――――ありがとうございます、アリス様」


 微笑むベルさんのその瞳は、ほんの少し、潤んでいるような気がした。

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