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ノブリス・オブリージュ ~引きこもり令嬢が何故聖女と呼ばれたか  作者: 剥製ありす
第四章 貴族令嬢の彼女が何故革命を叫んだか
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第19話 霜夜の夢

「学園の閉鎖、ですか」

「……はい」


 ステラさんが本当かと確認するように呟いたのに、ベルさんが重々しく頷く。


 ……丁度、昼食を済ませたルナが部屋に来てくれた頃だった。ミラさんがカップに水を注いで、全員がそれに一口を付けたところでベルさんが戻ってきたのだ。私と、それからルナの姿を認めたベルさんは挨拶も程々に、そんな話を切り出した。なんでも、授業の再開どころかこのまま学園は暫く閉鎖となるのだという。もう祖父を始めとした学園の教師たちが生徒一人一人に伝えて回っているところで、ここにも直に祖父が来るらしいが、ベルさんは私たちへのひとまずの伝言を頼まれたようだ。元々学園には長期休暇という制度があり、一年に一度、一月ほど完全に休講となる期間があるのだとか。名目上はそれを繰り上げたということにして、実質的に暫くの閉鎖に踏み切るとのこと。

 まあ、理由はわかる。昨日の反貴族デモだろう。とりあえずは収まったとはいえ、いつまた別のグループが同じようなことを起こすかわからない。そして、そのグループは今度こそ武装しているかもしれない。私とルナが頭を下げて謝ったという事実が庶民の人々の間で噂として広まって、多少のブレーキになってくれるのを期待してはいるが、かといってそれを確信して安心するのは楽観的に過ぎる考えである。そんな状況でまともに授業が出来るかと聞かれれば、確かに疑問に思わざるを得ない。生徒も教師も、双方いつも通り集中してとはとてもいかないだろう。だから王国全体の治安が落ち着くまで一時閉鎖する。王都にいた方が安全なのではと思わなくもないが、昨日のあれこそがその破綻そのものである。それでも恐らくは王都の方が安全なのだろうが、可能性という点では貴族である以上どこにいても大して変わりはない。それならそれぞれ自らの家にいた方が精神的にも、そして矛先が分散されるという意味でも、相対的な安全は高そうだった。実際、そういう考えなのだろう。同じ考えに至ったのか、机を挟んで対面のルナは納得を見せつつも難しい顔をしていた。


「それにしたって、急すぎる。迅速な対処、という範囲を超えているわ」


 考えを纏めたルナが言ったのに、私も小さく頷いた。出来る限り先手先手の対応をするのは当然で効果的なのかもしれないが、昨日の今日で学園は閉鎖、生徒は全員帰宅、というのはあまりにも急な気がしてならない。王都、それも学園の周辺は特に、昨日のことで警備が強化されていると聞いた。ルナ曰く、何処を見ても必ず一人は見張りの騎士がいるといった状態らしい。こんな状況でまた直ぐに別の蜂起が起こるというのは流石に考えにくかった。時間の問題ではあるだろうが、それでもまだ“次”が起こるまでに猶予はあるはずだ。それこそ、生徒全員を集めてきちんとした説明の場を設け、それぞれの家との連絡を確定させてから閉鎖を実行するくらいの時間は。でも、ベルさんの口ぶりでは本当に明日明後日にでも全員が学園を発つという風だ。祖父やラブリッドさんが話し合って決めた以上、多少の混乱はあれど実現可能ではあるのだろうけれど、それでも、そこまで急ぐのには何か他の理由があるはずだった。だって、安全の確保という面では、混乱を生じさせるような急すぎる動きはむしろマイナスに違いないのだから。


「……それだけじゃ、ないのでしょう?」


 そしてルナがそう尋ねた時、ベルさんは酷く苦々しい表情をした。どうやらその“何か”を話すのを躊躇っているようだった。話している途中も、ベルさんが何度も意識を別の方向へ飛ばしてしまっていることに私は気付いていた。ベルさんは誰かと話をする時、それもこういう重大な話の時は、必ずじっと、相手と目を合わせて話す。考え込んで少し逸らしたり程度はするが、基本的にはずっと此方に意識を向けて話していた。こんな、点々と視線が途切れるような話し方はしない。


「べる」

「……はい、アリス様」


 促すように名前を呼べば、案の定ベルさんは肯定した。伏せられていた目が上げられ、その眉尻を何処か悲しそうに下げたまま。ベルさんは、それを話し始めた。


「その……今ここで私からお伝えすることは出来ませんが、とある大きな目的のためです。その為に、学園の閉鎖が必要なのです」

「もくてき」

「はい。……それは、アリス様や王女殿下にも大きく関わってくることでもあります」

「わたし、に?」


 無言でこくり、と。それ以上は何も言わなくなったベルさん。いや、言えないのかもしれない。そもそもが、それぞれ諜報組織のトップである三人が集まって決めた話。私たちにすら、その秘匿を厳守せねばならぬような機密なのかもしれない。とすれば、これ以上の追求はただベルさんを困らせるだけの結果となるだろう。まだ問い質したそうにしているルナを宥めようとして。しかし、次に言葉を発したのは再びベルさんだった。ふ、と息を整えたベルさんは、いつもよりも、更に真摯に。私の瞳をじっと見据えた。


「つまり――――アリス様の目指されている理想へと、繋がるものです」


 ハッ、と息が詰まった。私の目指しているもの。理想。

 ……少し遅れてそれの指すものに至ったルナ、そしてステラさんが、私に続いて息を呑んだ。ずっと黙って背後にいたミラさんが半ば呻くように項垂れた。その様子から察するに、祖父からかラブリッドさんからか、既にそのことは聞いていたらしい。


 それは、つまり。


「……かく、めい?」


 その重々しい沈黙が、すべての答えだった。力なく頷いたベルさん。私は何か言おうとして、けれど言葉が出てこなかった。……まさか、そんなことになるとは。


 ベルさんは学園の閉鎖がとある大きな目的のためと言った。そしてそれが私の理想へ繋がるもの、“革命”だと。即ちそれは、ラブリッドさんと祖父と話し合い、事を起こすと決めたということ。現王国軍将軍と、王国諜報部の長が、だ。

 なんと、なんと言えばいいのだろう。私的には追い風、心強い味方を得たと言えるのだろうし、どの道いずれ説得しなければならないと思っていたが、まさか向こうから話を持ちかけてくるとは思ってもいなかった。だって、しつこいようだが二人は将軍と、諜報部長だ。王国に仕える者たちの中でも真っ先に名前が挙がるような最有力の要人なのだ。それが二人揃って、革命を起こそうという。当然そのための計画なんかも、私などが考えるものより遥かに成算が高く緻密なものを用意していることだろう。というよりそもそも私が一人で革命のあれこれを考えて動くのが無謀である。私の計画というのは、力を借りたい人々をどう説得、共感を得るかという点が主であって、正直机上の空論にも程があるし信頼性も何もあったものではないと焦燥が込み上げてくるばかりだった。しかも、それに加えて出来れば誰の血も流れぬようななんていうゼロに近いような結果へ至る道を探していたのだ。でも、もしかしたら。……ラブリッドさんたち王国軍と、祖父たち諜報部の面々が、そしてもしもルナが、協力してくれるというなら、或いは。


 それは、達成出来るのではないだろうか。


「……はい、アリス様」


 改めて答えたベルさん。俯いたのは、ルナだ。――――ああ、しまった。迂闊だった。そうだ、ここにはルナが、そしてステラさんがいるのだ。こうして話したということはこの後にでも、ベルさん、いやラブリッドさんと祖父はルナに協力を仰ぐつもりなのだろうけれど、それでも革命などというのは、二人にとって最悪の事態だ。ルナは他ならぬ、王女様なのだから。現国王夫妻を両親とする正統たる第一王女。間違ってもその前で、明確に革命を口にするなど……。


「そう。で、私は何をすればいいのかしら」

「えっ」


 えっ。そう漏らしたのは私だけではなかった。ベルさんもミラさんもステラさんも呆気にとられている。ルナはまるで日常会話かと思うほど自然に、なんでもなさそうにそう尋ねた。ベルさんはそれに対し、ただ意味のない単音を発するばかりで完全に取り乱している。当たり前だ。革命を起こそうという話に王女様が、あろうことか積極的にどう動けばいいかと聞いてきたのだ。……いや、確かにルナが、今の王国の状態を良く思っていないのは知っている。自分の両親である国王と王妃を始めとした所謂“中枢”に対しては、いつも罵詈雑言の嵐だった。けれど、それでもルナは王女だ。そして彼らの娘だ。次期国王の最有力候補でもある。それが庶民の人々にとってどういう意味を持つか、勿論ルナは理解しているはずだ。

 そも、私の目指す革命というのは貴族王族の身分を失くすのではなく、制度を変えることだ。早い話が部分的な民主主義を目指すということである。その辺りはまたベルさんたちと詳しく話すことになるだろう。しかし、どう転ぶにせよ、それが上手く成功するという確証はないのだ。何かの弾みで、誰かの身に危害が行くことなんて大いに有り得る。その危険の可能性が高い順に並べるならば、当然庶民の人々にとって敵である高位の身分の人々が一番に来る。それは勿論貴族である私にも当てはまることだが、王女であるルナは一令嬢の私とでは度合いが違う。


「る、るなっ」

「何よ、アリス。今更、怖気づいたなんて言わないわよね」

「そうじゃ、なくて……」


 ふん、といつものように鼻を鳴らして。ルナはベルさんから視線を外すと、向かい合う私の瞳を見つめた。それだけで、何も言えなくなった。ルナの紅と深緑の瞳に宿るのは、強い意志の炎。しかしその奥、隠そうともせず、あえて私に曝け出すようにしたその揺らぎ。恐怖と、不安と、躊躇と、悲哀と。そしてそれは、私の鏡写しでもあった。


「……アリス」

「る、な」


 ふ、と。今度はルナが深い呼吸を置いた。そうして言葉が発せられるのを、私たちは静かに黙って待った。きっと今から紡がれるのは、ルナの想いだ。王女として、ルーンハイムとして、今まで八年間を生きてきたルナの、その心の奥底からの言葉だ。窓の隙間から薄く、光が差し込んでいた。


「……私はね。私は、ずっと考えていたの」


 やがてルナは、語り始めた。目にしてきたもの、耳にしてきたこと。今のルナを形作る、そのすべてを。

 ずっと感じていた、ある気持ちを。


「何が正しくて、何が間違っているのか。今の王国、私たち。庶民の人たち。先人たちの残した言葉。誰の言っていることが正しくて、どれを信じればいいのか。……ずっと、考えてた」


 何処か遠くを見るように、ルナはその自らの記憶を辿っていった。瞑られた瞼の裏には、幾つもの光景が浮かんでいるのだろう。ステラさんはじっと、同じように目を瞑って。ルナの言葉を聞いていた。


「そんな中で、アリスに……貴女に出逢った。最初は変な子だと思ったわ。私より幼くて、言葉遣いも辿々しくて。いつもおどおどしていて。でも、その瞳は、貴女だけは、違った。今まで見てきたどの目とも違った。付き合っていく内に、その目の正体を知った。そこにはアリス・フォン・フェアミールという――――本当の“貴族令嬢”がいた」


 どくり、気恥ずかしさから少し、心臓が鳴った。でも、顔は俯けなかった。目は逸らさなかった。きっとルナが見つけてくれた貴族令嬢としての私が、“王女”としてのルナを見つめていた。


「唯一隣に並んでくれる人だと思ってたわ。貴族(いま)が間違っているという思いをわかってくれる人が、ようやく現れたと。……でも、違ったの」


 そこでルナは一度目を落とした。そうしてふふっ、と、自らを嘲笑するように喉を揺らした。いつの間にか机の上で堅く握られていた拳が、一瞬ぷるぷると震えて解けた。掌には深い爪の跡が残っていた。


「……わかっていなかったのは、私の方だった。この短いような長いような日々の中、貴女はいつも、私たちとは別のモノを見ていた。例えば、“いただきます”という食前の言葉。最初は食材となった動物や植物に祈りを捧げているのだと思ったわ。いえ、そうでもあるのでしょう。……でも、それだけではないのよね。貴女がいただきますと感謝を込めるその先には、食材を育てた、食事を作った“誰か”がいた」


 ちょっと、こそばゆい。ルナが言うそれは、間違いではないけど間違いだからだ。食材となった生命に、それを育てた人々と調理してくれた人たちに向けて感謝を捧げていたのは確かにそうなのだが、この行為自体は私が考えたものではない。前世の恩師に教えてもらった故郷の習慣を、なんとなく思い出したから行っているだけなのだから。ルナは続けた。


「ついこの前の、図書室でのことだってそう。あの、見たこともない魔法で、自分が倒れるのも厭わず事故を防いだその瞳の先には、やっぱり誰かがいた。それは貴女の従者の二人であり、きっと私たちも。……そして何より、直接嫌がらせを受けたはずの、友人でもなかった少女のため」


 ルナが友人でなかった、と、過去の表現をしてくれたのが、とっても嬉しかった。それは言い換えれば、今は少なくとも敵意は抱いていないということに思えたから。


「……そして、昨日。私は竦んでろくに動けもしなかったというのに、私より更に幼いはずの貴女が、けれどあの場にいた誰よりも勇敢なことをした。あんな……貴族どころか誰もが躊躇う、這いつくばるような謝罪までして。最後には私たちへ抗議をしていたはずの庶民たちに好意すら抱かせた。そんな姿を見て……私はわかっていなかった。そう気付いたの」


 何を、とは聞かなかった。再び私を見つめたルナの目が、それを写していたからだ。

 反射するお互いの瞳を通して、伝わってきたからだ。


「誰かを想うということ。誰かを、守るということ。“しあわせ”を願うということ。……私が王女である前に、貴女が貴族である前に。ステラが従者である前に、庶民たちが庶民である前に」


 ずっと、ずっと。ルナと同じように、ずっと考えていた先に、私が見つけた一つの答え。


 前世の最期、私は支配者どもなんて全員くたばればいいと思っていた。……でも、こうして今度は自分が支配者側になって。此方側にも、必死に生きている人たちがいると知った。例えば父が、いつまでも母の死を乗り越えられずにいたように。王女様という偏見で見ていたルナが、同じ一人の少女だったように。祖父が母のことを悔いていたように、母が夢の中で泣いていたように。そしてミラさんが、ベルさんが。こうして私を想って苦しんでくれているように。


 そこに、身分なんてものは関係なかった。

 同じだった。みんな、同じだった。


「私たちはみんな、一人の人間であるということ。……だから」


 そう、そうだ。悩んで、悔やんで、それでも笑って、時には挫けて。それでもみんな、生きようとする。自分の出来る限りに、足掻こうとする。そこに違いはない。魔法を持っていようとも、持っていなくとも、それぞれにそれぞれの人生がある。貴族も庶民も、同じ人間だ。ならばどうして一方的に庶民を虐げるようなことが出来ようか。どうして一方的に、貴族を排除するようなことが出来ようか。みんな必死に、生きているだけである。


 だから。


「――――誰も。誰の言葉も、間違ってなんかいない。正解なんて、そんなものはない。……そうよね、アリス?」

「うん。わたしは、わたしがそうしたいって、きめたから」

「……だから私も、自分で決めるわ。王女としてじゃなくて、ルーンハイムとして決める」


 何を悩んでいたのかしら、と返したルナは、吹っ切れたような表情でくすりと笑った。連られて私の頬も緩んだ。そう、簡単なこと。そもそも、そんなことに悩んでいても仕方がないのだ。結局、正しいかどうかを決めるのは自分自身の心。なら、自分で決めてしまえばいい。だから私は進む。未曾有の苦難が溢れる道だとわかっていても、私は私の望む“しあわせ”のために、誰の血も流れない革命を目指す。もしもそれが叶わなかったとしても、何もせずに何もかもを失くしてしまった後で一人後悔に沈むよりは断然マシである。


「……そういうところは、アリシア様そっくりです」

「姫の行く道を、どこまでも」


 ありがとう、と頭を下げた私に、ベルさんとミラさんは何処か諦めたような表情でため息を吐いた。それを横目、ステラさんは相変わらずの無表情のままルナに向き直って。


「ルーンハイム様。では私も自分で決め」

「ステラは私の従者でしょう」

「ああ、そんな。横暴でございます」

「……アリスに演技を習ってはどうかしら」

「えっ」


 コツコツ、とそこへ響いた足音、とノックの音。ラブリッドさんと祖父だろう。ベルさんが扉を開いたのと同時、二人が何かを言う前にふふん、と。ルナはいつものように、不敵に鼻を鳴らして。


「――――私は、ずっとアリスの隣に着いていく」


  雲の切れ間に太陽が覗く頃。私とルナは、手を繋いだ。

次回更新は本日18時です。

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