第18話 ギュゲスの指輪
「……なるほど、長期休暇の繰り上げという形で一時的な閉鎖を試みる、と」
「ああ、そうじゃ。あんなことがあったとはいえ、いきなり閉鎖と明言しては反対が多く出るじゃろう。だから、長期休暇の名目を利用する」
ラブリッド様とマッグポッド様の話を隣で聞きながら、苦い唇を噛み締めた。
……ええ、確かに学園を一時閉鎖するのならそれが最も反対も抑えやすい案だろう。どれだけ私たちが手を尽くそうと、王都で、それも学園であんなことが起これば流石にすべてを隠すことは出来ない。目撃者も多いだろうし、王都周辺のあちこちから騎士たちが駆けつけてもいるのだ。何か衝突があったということは誰にでもわかること。噂は瞬く間に王国中に広がると考えられる。
でも、私が憂いている、嘆いているのはそれではない。そしてそれを思っているのは勿論私だけではないこともわかっていた。そうして黙り込んだ御二人は、やがて顔を私の方へと向けた。
「ベルは、どう思うかね」
「ああ、意見は多い方が良い。……というより、彼女に関することだ。お前に聞かぬわけにはいかない」
「……はい。理解しております。しかし――――“革命”、ですか」
「……うむ」
一周回って冷静になってしまっているが、御二人から聞かされた計画というのは言ってしまえば現王国中枢に反旗を翻すというもので、要するに革命だった。マッグポッド様が王国諜報部長だったというのだけで衝撃なのに、そんな彼と王国軍の総指揮官であるラブリッド様が協力して王権を打倒しようと計画を立てているのだから、もうなんと言っていいか。正直、心の整理が追いついていなかった。防音措置が施され、周囲も信頼の置ける双方の関係者が固めているとはいえ、王都で堂々と謀反の話をするという状況。落ち着けるはずがない。御二人がそうしているからには大丈夫なのだろうが、それでもそわそわとしてしまうのは仕方のないことである。んん、と喉を鳴らして、なんとか思考を質問の方へと傾ける。
まず、御二人が言うには、最早今の王国の状況を省みるに内乱は避けられない、近い内にそれが起こるのは既定事実ですらある。そしてそんなことになれば、当然隣国、ローラシア帝国はこれ幸いと呑み込もうとしてくる。悪いことに彼の国とは戦争をしたばかりで、関係は最悪だ。領土をもぎ取った上で中立地帯としたのだから当たり前の話だろう。……更に言えば、前回の戦争だって、王国が玉座を巡った内乱状態にあったその隙を突いて攻め込まれたのが始まりなのだ。少なからず復讐の念を抱いているだろう彼らが、今回は同じことをしないなどと楽観的なことはとても言えそうにない。だから、ならばいっそのことマッグポッド様たち諜報部と、我々マリアーナ・アイリス、そして指揮下の王国軍までもすべてを掌握して、いつか庶民たちによるそれが起こった即日で革命を成してしまおうということらしい。反体制派の計画を利用して決起に呼応する形で一斉に動き、その“革命の旗印”を……つまり、革命後の主導権の持ち主を自分たちに変えてしまおうというものだった。……確かに、私たちが本当に上手く連携出来るのならば成功の算段は高そうではあった。
また、それとは逆に総力を挙げて事前に反乱を防ぐというのも、手段を選ばなければ出来ないことはないと思う……が、でもそれではまたすぐに同じことが起こるだけ。むしろ対立が決定的となり、それこそ泥沼の内乱状態へと至ってしまうだろう。
そして前提として。合理云々の前に、それを是として計画するということは今の王権への忠誠はもう持ち合わせていないということだった。……まあ、逆に未だに忠誠を誓っている人を探すほうが難しいだろう。近衛や侍従の方々はそれが仕事だし、王夫妻と近い貴族たちは単に媚びることによって自らの立ち位置を有利にしようとしているだけである。
「腐った納屋、ですか」
一通り話し合う中で、マッグポッド様が放った言葉。かなり過激、というか即反逆罪に問われそうな発言だけれど、同時に実にわかりやすく今の王国を表した言葉であるとも感じてしまった。中枢部が腐敗し、それが外側にまで影響を及ぼしていって、国家の土台たる庶民の人々が軋んだ悲鳴を上げている。少しの弾みで内側にぺしゃりと崩れてしまうだろう。そんな皮肉めいたボヤキに反応したマッグポッド様が、ははは、と乾いた苦笑を零した。
「……少し、言いすぎたかね」
「いや、悲しいですが、仰るとおりだと」
私より先にラブリッド様が肯定して、私も小さく頷いた。腐っているならば建て直さなければならない。その時がたまたま私たちの代だったという、個人ではどうしようもない話である。……時代が革命を求めている。そんな気がした。
「それで、どうかね。ベル」
「……そう、ですね」
話は戻り、それが何故学園の閉鎖と繋がるのかということだ。それには大きく三つの理由がある。
――――まず一つは、マッグポッド様が自由に動けるようにするため。
隠れ蓑として就いている学園長という身分のままでは、当然行動に大きく制限が出る。今までは部下の報告を聞きつつ命令を下すという、いわば書類仕事がほとんどだったが故に、学園長としての業務の裏でそれらをこなす事が出来ていたのだという。けれどこんな大規模な……革命を起こすとなれば、そうはいかない。彼自身が先頭に立って慎重に、迅速に事の準備を進めなければいけない。王国諜報部の長といっても、そもそも王国諜報部自体、一枚岩ではないのだから。
彼らの内部対立の情報などは当然、マリアーナ・アイリス統括諜報課長である私の元にも入っていた。統括諜報課は、唯一の上司であるラブリッド様と、今は亡きアリシア様に有用、重大な情報を伝え、全体の指示を仰ぐ司令塔。下位構成員から齎される情報を選別し、吟味する役目だ。玉石混交、細かく把握しているのは自然なことだった。とはいっても学園に来るにあたって現在は諜報課長としてのほとんどをカルミアに任せている状態であり、また情報が私に伝達されるのにも時間と手間がかかる故、今私が知っているものは恐らく少し古いものではあるけど。
……今、館はどんな状況なのだろう。マリアーナで何かが起こったというような情報はまだ聞いていないけれど……どうか、どうかご無事をお祈りします、ハッティリア様、カルミア。クロリナさん。ハングロッテさん。みんな。
「心配か」
「……はい」
「今のところ、ここ以外で同じようなことが起こったとは聞いていない。きっとマリアーナも無事だろう。何、ハッティリアにカルミア……あの館には英雄と精鋭しかいない。何十何百かそこらじゃ、相手にもならないさ。安心しろ」
ワシの方でも、そういったことは聞いておらぬ、とマッグポッド様が更に補強してくださって。ラブリッド様の言う通り、フェアミール家の館に住まうのは騎士団一つくらいなら追い返せるような面々だ。そしてハッティリア様は民を、それもアリス様と親交の深い方々に危険が迫るのを見逃すようなお方ではない。きっと無事であると信じて、今は此方での事に集中しよう。……アリシア様に施された訓練を思い出す。アリス様の従者になってからというもの、心が弱くなってしまったのだろうか。
でも、それはひとまず。
二つ目は、人質の回避だ。
人質とはつまり、この学園に通う生徒たちのこと。革命の際には多数の庶民擁護派貴族が連携することが考えられるが、彼らの子供も例に漏れずここ王都学園に通っているはず。貴族の子は基本的に此処へ入学するのだから。
そして、それこそが問題だった。……というのも、彼ら擁護派貴族の子供たちのほぼ全員が此処に集まっているということだからだ。反乱に勘付いた、或いは事が起こった際に近衛や私兵で此処を囲まれれば、それだけでほとんどの貴族協力者は動けなくなる。親という意味でも、一家の跡継ぎという意味でも、彼らにとってその子供たちが何よりも大きな財産なのだ。それを学園を一時的に閉めることによって子供たちをそれぞれの家に帰し、それぞれの家で守ってもらうことで全体的に安全を確保するということだ。人をモノ扱いするようで心苦しいけれど、危険を分散させようといった目論見でもある。
そして最後。三つ目というよりは、正確には二つ目に関する特記事項と言う方が正しいかもしれない。
……そう、計画の肝となる、重要人物の確保。つまり、昨日の“対話”の立役者。
あの状況下でその身一つ、ただ言葉と心で以て事態を収拾し、剰え彼らに希望と信頼すらも芽生えさせた――――
「アリス様……」
金色の王女と、白銀の聖女。
――――ルーンハイム王女殿下と、そして……アリス様が、“革命の旗印”になるということだった。
「ん、ふぁ……」
「姫。おはようございます」
「うん」
目を覚ましたのと同時、それを迎えてくれる声。ほとんど条件反射的に返事をしてから、それがミラさんだということに気が付いた。いや、ミラさんだからどうというわけではない。ただ、声はミラさんだけだったのだ。いつもなら真っ先におはようを言ってくれるはずのベルさんの声がない。微妙にぼやける視界を擦って、寝転んだまま部屋を見回した。やはり、ベルさんの姿がない。何やら棚の整理をしていた手を止めて傍によってくれたミラさんを、ぼうっと尋ねるように見つめる。どうしましたか、と呟いた後、少し遅れて疑問を察してくれた。
「ノクスベルさんは学園長室にいらっしゃいますよ。ラブリッド様と、マッグポッド様と三人で話をするとのことで今朝早くに出て行かれました」
「……そっか。ありがと」
その挙がった名前に首を傾げそうになって、ああそうかと自己完結する。ラブリッドさんと祖父だけなら十中八九昨日のデモに関してだろうと考えられるが、そこにベルさんも加わるということは恐らく、更に何か諜報に関しての話し合いをするのだろう。ラブリッドさんとベルさんはマリアーナ・アイリスのトップだし……そうだ、祖父は諜報部の長なのだ。母が遺してくれた記憶からの情報に私は改めて驚いた。知っているのに知らなかったという、不思議な感覚。素直に驚いていいのかもわからず、とりあえず腰を起こした。それより、まずはミラさんに謝らなければならないことがある。
「みらー」
「はい?」
「きのう、ごめんね」
そうするしかなかったとはいえ、激しく抗議を訴える人たちの前に出て、対話を試みるなんていう無茶をした挙句にそれに巻き込んだのだ。怒ってなどいないとはわかっていても、改めて謝っておくべきだろう。あの後ベルさんとルナ、ステラさんには言えたけれど、ミラさんはラブリッドさんと共に、駆けつけた騎士の人たちと事後処理に向かったため、まだきちんと伝えられていなかったのだ。ちょっぴり悲しげな顔をしたミラさんは首を振って。
「……いえ」
一言だけ、そう言った。きっとその裏には、押し殺した幾つもの言葉があるに違いない。……でも、私にも私の理想がある。どうしても、そこだけは譲れそうになかった。ミラさんやみんなが大好きだからこそ、そうせねばならなかったのだ。ミラさんにしても、私を好いてくれてるからこそ危険に身を投じるのを憂いてくれているのであって、そして。それでも私のこんな我が儘に付き合ってくれている。そうさせてしまっている、そうせざるを得ないのがとても心苦しかった。
「さ、さてっ! とりあえず、朝食に致しましょう、姫!」
「……う、うんっ」
流れた重い空気を振り払うように、ミラさんが大仰な仕草で明るく声を張った。朝から気を重くしすぎるのもあまりよくないだろう。私はそれに甘えることにした。
「そいえば」
ばたばたと朝食の用意をしてくれるミラさんを脇に、一つ背伸びをしてから相棒を連れて椅子に座って。カップに水筒の水が注がれていくのを見ながら、ふと思い出したように声を出した。そういえば、他の生徒のみんなはどうしているのだろう。私は元より休む予定だったが、本来であれば今日は普通に授業日のはず。でも、昨日あんなことがあったのだ。流石に休講になっているのではないだろうか。緊張と重圧が祟ってか、あの後部屋に戻った私はすぐに寝てしまったので、何も聞いていなかった。
「みらー」
「はい、姫」
お皿に盛り付けてもらった干し肉を齧りながら、ミラさんに尋ねる。きっと知っているだろう。特に根拠はないが、なんとなくミラさんならという漠然とした信頼から来たものだ。そして実際、ミラさんは答えてくれた。
「はい。今日は休日ということになったみたいです。王女殿下は予定通りお昼頃にお訪ねになるそうですよ」
「……そっかっ」
言われてからそんな約束をしていたのを思い出す。今日も、ルナが部屋に来てくれるのだ。別段何か目的があるわけではないけれど、ただ、そう。一緒にいたかった。ルナもそう思ってくれたみたいで、昨日の別れ際、私が言う前にそう誘ってくれたのだった。自然と声が弾む。そして微笑みながらそうだ、と席を立ったミラさんに、私はもっと笑顔になった。
「王女殿下に振る舞えるほどの量じゃないですし、かといってあるのに出さないのも何だか失礼なので……」
と、棚から机に下ろされたのは黄金の半月。一瞬で気分は最高潮。今の内に食べてしまいましょう、と得意気に取り出されたナイフがキラリと光る。
「まりあん!」
食べかけのパンを片手、瞳に星を浮かばせながら。
私はぷらぷらと、机の下で足を揺らした。
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