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ノブリス・オブリージュ ~引きこもり令嬢が何故聖女と呼ばれたか  作者: 剥製ありす
第四章 貴族令嬢の彼女が何故革命を叫んだか
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第14話 “騎士と姫と、繋がる輪”

「そろそろマッグポッド様との例の約束……今の姫のご様子やあの時の状況をお伝えしに行かなければいけません」


 姫と一緒にマリアンを食べるという至福の時に浸るのもそこそこに、私は席を立った。少しゆっくりしすぎたかもしれない。窓から覗く空が相変わらず曇天なせいでわかりづらいが、帰ってきた際に寮一階の時計で確認した時間から考えるにきっともう昼前くらいにはなっているはずだ。姫やノクスベルさんと過ごしていると、どうも時間が過ぎるのを忘れてしまう。これ以上待たせる前に早く学園長執務室へ向かわなければ。


「またあとでね」

「はい!」


 ひらひらと手を振ってくれる姫にだらしなく表情が崩れそうになるのを何とか堪えて、同じように振り返す。あの時の状況を説明するのだから、本当は姫とノクスベルさんも一緒に行った方がより詳しく話せるのだろうが、でもそれで姫の体調が悪くなったりしては本末転倒だ。今のところ疲労以外に不調な様子は見えないとはいえ、暫くは安静にしているべきだろう。あんな、まさに御伽噺に出てくるような魔法を使われたのだから。大なり小なり何か影響があると見ておくのが吉だ。


「お願いします」

「いえ、そんな。私も姫の従者ですから」


 ノクスベルさんが深々と頭を下げようとしたのを慌てて止める。このくらいは大した労力ではない。確かに自分が親衛騎士ということを考えれば若干役回りが逆な気がしないでもないが、そこは臨機応変である。姫の不調が疑われる時にその側にいるのはやはりノクスベルさんが適任だろう。情けない話だが、私では姫の僅かな変化まではわかって差し上げられない。一緒に過ごして来た時間も信頼も違うのだ。勿論、姫に信頼されていないと思っているわけでもないけど。


「では、行って参ります!」


 食べ散らかしたままのお皿やマリアンをノクスベルさんが片付けてくれているのを悪く思いながら、もう一言だけ残して扉を開けた。この後の昼食の時は全部私が用意と片付けをしよう。そうしよう。と言ってもパンと干し肉だからそんなに片付けるというほどのこともないけど……。


「急がなきゃね」


 姫のお体に障らないように静かに扉を閉めて、きちんと部屋と廊下が遮断されたのを確認してから早足で歩き始める。ととと、とそろそろ慣れた階段を下り一階へ。横目に一度時計を確認してから寮を出る。よかった、思ったほど遅くなってはいない。むしろ、丁度いいくらいだ。


「あ……どうも、いつもお疲れ様です」

「ああ、これはミランダさん。ありがとうございます」


 丁度噴水の前ですれ違った騎士鎧の男性に軽く挨拶をする。王女殿下の親衛騎士の方だ。なんでも、辺境の村でもあるまいしここでまでぞろぞろ護衛を引き連れて歩きたくないという王女殿下のご要望でその分の人手が余り、すぐ側でのそれを諦める代わりに学園内の巡回警備をしているらしい。彼らは人員を交代しつつ夜の間もずっと寮の周辺を見回っていてくれるので私としても安心だ。間接的に姫の安全も確保されている。……ああ、もしかしたら最初からそれも考えてのことなのかもしれない。王女殿下は姫のことをいたく好いておられるようだから。

 そうして色んな人に好かれるところはまったく、流石姫である。何せあの嫌がらせの主犯格の御令嬢でさえ今となっては友人なのだ。いや、それどころか最早信者のような状態だと聞く。昨日姫が倒れられた後、あの魔法を口外しないようにと言い含めていた時に彼女が提案してきたのだが、姫に好意を抱いている生徒達を束ねて密かに“聖女親衛隊”なるものを組織してみるという。専ら姫が日々楽しく学園生活を送れるように暗躍するのがひとまずの目的ならしいが、どの口が言うのかと突っ込みたくなってしまうのはまあ仕方のないことだろう。掌返しもいいところである。でも、姫にあのような嫌がらせをしてしまったことを本気で悔やんでいるようだったし、態度もとても真摯なものだった。元々一部の令嬢集団のまとめ役のような位置にいた彼女だ。ノクスベルさんと王女殿下も勿論警戒はするがとりあえずやらせてみてはとのことだったし、それなりに期待してもいいかもしれない。


 ……本音を言えば、聖女親衛隊という組織名は物凄く惹かれるのでちょっとだけ私も入りたかったりする。


「っと、そうでした。その、伝言を頼んでもよろしいでしょうか」

「ええ。王女殿下にですか?」

「はい。直接出向くべきなのですが……」

「お忙しいようですし、フェアミール様と王女殿下の仲ですから、問題ないでしょう」


 無論そうだろうとはわかっているが、もしも問題になれば真っ先に叱責を受けることになるというのに彼は快く伝言を引き受けてくれた。頼むのは勿論、お見舞いについての返事だ。姫がぜひ来て欲しいと仰っていたと。お任せ下さいと胸を張ったばかりだというのに危うく忘れるところだった。もしも今こうして思い出せていなければ姫だけでなく王女殿下にも無礼を働くことになっていた。言語道断だ。


「では、そのようにお伝えしておきます」

「ありがとうございます、お願いします」


 お気をつけて、と敬礼をしてくれた彼に私も返礼して、何故こんな大切なことを忘れていたのかと自らを叱責しながら足を急ぐ。そのまま噴水を背中に学舎の方へ向かう。幾つかの教室を通り過ぎて、一番奥の部屋、学園長の執務室の扉を幾度か小さく叩いた。向こうから返事が聞こえたのにゆっくりと扉を開く。すっと中に体を入れ、静かに閉めて。書類が積まれた机の方へ向き直って――――


「えっ……?」


 失礼とは知りながらも、思わず声が漏れる。そこにいたのはマッグポッド様一人ではなかった。その隣、赤い短髪に鍛え上げられた大きな体。胸には幾つもの勲章。


「ラブリッド将軍……!?」

「ああミランダ。任務ご苦労」


 状況はよく掴めずとも、彼の姿を認めた瞬間反射的にビシリと直立に、先ほど王女殿下の親衛騎士にした同僚に向けるような親しみを込めたものとはまた別の、遥か目上の人へのしっかりとした敬礼を行う。よい、ときちんと許可が下ったのを確認してからそれを止めて。しかし一体、どうして将軍が此処に。


「心配するな、別に報告を催促しに来たわけではない。なに、少しマッグポッド様に話があってな」

「そ、そうでありましたか。では自分は部屋の外で――――」

「……いや。ミランダ、貴官にも関わる話だ」

「お待ち、して……私にも、でありますか?」

「ああ」


 そそくさと部屋を出ようと動き出す前に、将軍がそれを止めた。そも、ここルーネリア学園は確かに王国でも随一の規模を誇るとはいえ、軍の頂点が直接出向いてまで一介の学園長に話があるというのが少し不可解だ。

 でもそれは、マッグポッド様が姫の祖父、つまりアリシア・フォン・フェアミール様の父であるということを既に聞いているが故に、何の話だろうかとは思うもののそこまで変に感じることはなかった。父娘だからこそ彼女の設立したマリアーナ・アイリスのことを知ることが出来たのだろうし、なればその協力者、というか共同創設者であるラブリッド将軍とも交流があるのだろうと納得することが出来たのだ。


 ……だが。そこに、私にも関わりがあるのだという情報が足されることによって今度こそわけがわからなくなった。いや、将軍ともマッグポッド様とも、話と聞いてそれぞれ思い当たるものはある。けれど三人で共通した話をするような繋がりは無かったはずだ。疑問を隠すことも忘れて頭を捻る私に、将軍が少し申し訳なさそうに言った。


「騙すようなことをしてすまなかった。ミランダ、今しばらく貴官を見定めさせてもらう必要があったのだ」

「見定める……」

「ああ。元より、私は貴官を“部下”にするつもりでアリス嬢の護衛任務を任せたのだ」


 部下という言葉の含みを察する。それは恐らく、マリアーナ・アイリスに所属させるつもりで、という意味なのだろう。先日マッグポッド様に話を聞いてからというもの、違和感に気付く切っ掛けにもなった館のメイドさんたちに同じ訓練を受けた形跡があることや、元々仲の良いカルミアも……というよりむしろ、カルミアと仲が良く、人柄を知られているから選ばれたのだろうが、それらの状況からいずれ私もマリアーナ・アイリスの一員になるのだろうというのは薄々感づいてはいた。こんなに早く話をされるとは思わなかったが。


「マリアーナ・アイリスですか」

「……マッグポッド様に聞いたかな」

「はい。丁度、昨日お伺いしました」


 ああ、なるほど。今思えば、昨日唐突にその話をされたのも繋がっているのかもしれない。最初から今日、将軍がそれについてとマッグポッド様も関わってくるような何かを話すつもりで、それを予め聞いていたマッグポッド様が事前に教えてくれた。そういうことなのではないか。それなら色々と辻褄が合う。肝心の私にも関わるマッグポッド様への話というのが何なのかは相変わらずさっぱりだけど。


「では、改めて貴官をマリアーナ・アイリスの一員として迎え入れたく思う。我々は常に王国の平和のために動いている。……受けてくれるか」


 ここまで知ってしまった以上、実質選択肢はない。まあ、入ると踏んだから本格的に訓練をしてくださったのだろうし、断るつもりもない。姫の親衛騎士としてお側に仕え、その中でノクスベルさんやカルミアと過ごすのがもう私の日常で、心の依り所になっているのだから。何の憂いもない、私は満面の笑みで敬礼を掲げた。


「勿論です、将軍!」

「ありがとう。では、今は騎士ではなく、私の仲間として、将軍ではなくラブリッドと呼んでくれ」

「はい、ラブリッド様」


 うむ、と何処か嬉しそうに小さく頷いた将軍……いや、ラブリッド様。ラブリッドと呼んでくれとは言われたものの勿論呼び捨てにはしない。上下関係にあることには変わりないし、私個人としてハッティリア様と並んで帝国戦争での二英雄と呼ばれる彼に敬意を払っているからである。少し気になるのは、こんな話をここでしてしまっても大丈夫なのだろうか。教室からは離れているし、こうしたよっぽど特殊な事情でもなければ学園長室に生徒が訪れることはないそうではあるが、それでも国防に関わる事案を話すにしては無用心な気がしなくもない。既に知っているのだとはいえ、マッグポッド様に無警戒なのもちょっと変だ。そんな疑念には当然気付いているのか、ラブリッド様は私の目を見てそれを肯定した。


「危惧は(もっと)もだろう。無論部屋の外に部下を置いて誰も近寄らないようにさせている。扉に直接耳を立てる以外この部屋を盗み聞きすることは出来ないのも確認済みだ。というより、ここはそうあるべくして作られている」

「……それは、どういう」


 言われてみれば確かに、この部屋は妙に教室や部屋から離れているし、無駄に奥まった場所にある。建築上の都合かと思っていたが、どうやらそういうわけではなかったらしい。しかし、学園長室が密談を想定して作られているとはどういうことだろう。まさか、賄賂のやり取りなどが行われるのを前提に……。


「先に言っておくとそれは違うぞ。まあ、待て。これも今からする話を聞いていればわかる」

「はっ、畏まりました」


 律儀にも心の内の冗談に付き合ってくれたラブリッド様は、私が聞く姿勢になったのを認めるとマッグポッド様に振り返った。私とラブリッド様が話している間ずっと黙って待っていてくれた彼はその立派な髭をしゃくるのをやめて、瞑っていた目を開いた。


「申し訳ありません。お待たせ致しました、マッグポッド様」

「いや、構わんよ。……さて、本題じゃな?」

「ええ。改めて、単刀直入に言わせて頂きましょう」


 言葉を交わす二人の瞳が剣先のように光る。私の知る、いつも朗らかで正しく教育者であったマッグポッド様はそこにはいなかった。そこに覗くのは、幾つもの修羅場をくぐり抜け、蓄えた智慧と鋭い直感、そして強い意思で以て信念を成さんとする“英雄”の姿だ。

 ……私は馬鹿だ。それはそうだろう。幾ら父娘とはいえ、秘密裏に組織した独立諜報機関の存在まで教えるわけがない。そんな方を一人で育て上げた彼が、ただ一教師に留まっているはずがない。ラブリッド将軍が、ずっと彼のことを“様”と呼んでいたのに今更気がついた。この部屋がそう作られたというのも納得だ。きっと彼も、間諜という裏の顔を持つ方なのだ。それも、かなり上層の。


「――――我々と、協力関係を結んで頂けないか」


 数秒の沈黙、マッグポッド様はまた目を瞑って、何か考え込むように髭をしゃくった。やはり彼はかなり上の地位にあるのだろう。協力関係を結ぶということは、マリアーナ・アイリスという組織にとって隠匿を解いてまでするほどの利が、あるいはそうせざるを得ない理由があるということ。そしてそれは、彼の力への信頼であった。

 マッグポッド様はやがてため息を一つ吐くと、そのまま静かに呟きを零した。


「……庶民の反乱か。最早、崩壊の時は近いのお」


 目を伏せる二人。だけど私は、そんな様子を見ている余裕は無かった。


 ――――庶民の、反乱……!?


 いや、庶民が反乱を起こそうとするその動きはわかる。火種などそこら中に転がっているのだから。

 ……しかし、今、今なのか。正直、いずれそんなことが起こってしまうのだろうとは思っていた。しかし、今なのか。二人の口ぶりからするに、もう状況は余程切迫しているらしい。マッグポッド様に協力を仰いでいるということは、その協力関係が成れば今回はなんとか防ぐ手立てがあるということだろう。だが、一度そうした事件が起こってしまえば、もう火の勢いは止まらなくなる。溜まりに溜まった庶民の人々の不満はそれを機に爆発し、各地で狼煙を上げることだろう。当然、そんなことにはなって欲しくない。私とて王国の民、同じ国民同士で血みどろの争いを繰り広げるようなことは絶対に御免だった。そして、何より。


「……姫」


 どうして、今なのだ。どうして、姫には安穏と幸せに過ごす時間が与えられない。どうしてこうも、苦難ばかりが幼き御身を襲う。これが運命とやらだというのなら、私は神にさえ憎しみを抱いてしまいそうだった。……姫は、貴族だ。それもマリアーナという特殊な地を治める、フェアミール家の一人娘だ。反乱の首謀者が誰であれ、平時でさえその身を狙われるお立場なのだというのは市場での一件で身に染みていた。更に言えば、姫は正しく貴族であられるお方だ。今の王国を憂い、庶民蔑視の体制に革命を起こそうとしておられる。


 間違いなく、巻き込まれる。


 そんな確信めいた思いが、私の心にどろりとこびりついて離れなかった。


「王国諜報部はワシの一派と中枢派で対立しておる。……それも、知っての申し出じゃな?」

「はっ、存じております。事ここに至っては、最早一時的な内紛状態は避けられぬかと」

「それは……」

「お考えの通りです。今ここで、マッグポッド様に話した。……それを、私の決意と受け取って頂ければ」


 僅かに目を見開いたマッグポッド様に、ラブリッド様はただただ真摯に頭を下げた。話している内容は、私にもなんとか理解できた。そして、やはり姫が巻き込まれずに済む道はないということを。ラブリッド様がそれを選んだということは、マリアーナ・アイリスがその選択をしたということである。その中には、当然ノクスベルさんも含まれる。実際にノクスベルさんが賛同し、積極的に動くのかまではわからない。彼女には姫という何よりも大切な人が出来てしまったからだ。恐らくこの後話すつもりなのだろうが、もしもノクスベルさんが賛同するなら。いや、そうでなくとも、姫は、きっと。


「……やはり、動くなら今しかないか。このままでは最悪、帝国に呑み込まれるのが見えておる」

「で、では……!」


 ならば、私の選択は迷うまでもない。せめて姫に襲い来る危険を少しでも。

 ありとあらゆる刃からその命を、心をお守りするのだ。


「――――協力しよう、娘の大切な友よ。すべては王国の民のために。……我が孫の、未来のために」

「マッグポッド様……」


 悲壮と希望を同時に滲ませたラブリッド様の頬を伝う一筋の涙は果たして何を、誰を想って流したものか。震える声で感謝を紡いだ彼は再び私を向いて。やがて言葉が降る前に、私はいつからか変わらぬ想いを、碧く瞳に煌めかせた。


「すべては、姫の“しあわせ”のために」

次回更新は明日の12時です

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