表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ノブリス・オブリージュ ~引きこもり令嬢が何故聖女と呼ばれたか  作者: 剥製ありす
第四章 貴族令嬢の彼女が何故革命を叫んだか
73/100

第13話 信頼

「姫ー! ご無事ですかー!?」

「う、うん。だいじょうぶだよ」


 どうやら買い物に行っていたらしいミラさんはそれから帰ってきて、部屋の扉を開けて私の姿を見るなりそう言って表情に喜色を滲ませつつ。買ってきたものが入っているのだろう麻袋を棚の横に若干放り出すように置いて私の側に駆け寄った。よっぽど心配してくれていたのだろう、少しズレているような気もする言葉を部屋中に響かせながら私のベッドの側へ跪いたミラさん。その様子にはベルさんも苦笑を浮かべている。


「ああ、姫が気を失われた時はもう、世界が終わったような気分になりました……」

「ご、ごめんね?」

「いえ、そんな! こうして目を覚ましてくださったのですから」

「うん。しんぱいしてくれてありがと」


 よかった、よかったと呟くミラさんの目は少し潤んでいるような気がして。改めて向けてくれている想いの大きさと、同時に申し訳なさも感じた。ほとんど衝動的に動いてしまったのだとはいえ、ベルさんと同じくそれを見ていた側からすればたまったものではないだろう。今後無茶は出来るだけ控えるようにしたくは思う。でも結果として誰も怪我を負わずには済んだし、今回は上手くやれたとしておこう。たまたま未知の魔法らしきものが開花したに過ぎないが。


「……んと。なにかってきたの?」

「あれですか?」


 体調にも疲労から来る倦怠感以外特に目立った不調はないことを伝えて、ミラさんが落ち着いたのを見計らって話を振った。現金な話ではあるが、あの麻袋の膨らみと仄かに香る甘い匂いに私は期待を膨らませていたのだ。私の嗅覚が狂っていなければ、そう、あれはきっと。


「はい、少しでも姫が元気になられるようにと――――」

「まりあん!」

「まりあん、を……あはは、言うまでもなく気づいておられたようですね」


 元気になるように、という言葉でそれは確信に至った。あれは、あの丸い膨らみはやはりマリアンだ。間違いない。言葉を遮るように一際大きな声で言った私にちょっぴり困ったようにしたミラさんは立ち上がると麻袋から大きな丸い果物、切り分ける前のマリアンを運んできてくれた。じゃーん、と何処か誇らしげにマリアンを掲げるミラさんに自然と笑顔になって、視線はそれに釘付けである。中々大きなマリアンだ。


「王都の市場を探し回ったのですが、中々見つからなくて。でも一つだけ残っていたのを見つけて買って参りました!」

「わーい!」


 本当に色んなところを探し回ってくれたのだろう。外は曇天だというのに、ミラさんの健康的な肌には汗が浮かんでいる。そうまでして買ってきてくれたマリアンだ。美味しくないはずがない。丁度目覚めてから少し経って、小腹が空きだしているというのもあった。


「早速お召し上がりになりますか?」

「うん! みらとべるもいっしょにたべよー!」

「はい、勿論です!」

「では、お言葉に甘えて……」


 するとベルさんが早速テーブルを綺麗なタオルで拭いて、ミラさんがその手のマリアンをどっしりとそこに置いた。重量を感じさせるその様子はこのマリアンがかなり熟していて実がぎっちり詰まったものだというのを予想させる。


「やったねあいぼー」


 傍らの相棒を抱き上げて喜びを共有しながら、身を起こして。その間にミラさんは水筒からほんの少し水を垂らして濡らした布で腰のナイフを清め、ベルさんに渡す。体が気だるいのも忘れた私は相棒を抱いてベッドから立ち上がり、テーブルの側に寄った。


「では……」

「お願いします」

「きらきら」


 これより始まるはマリアンへの入刀。マリアニストにとって何よりも神聖な儀式である。私の期待の視線にプレッシャーを感じてか、神妙な顔をする二人。やがてベルさんは丸いマリアンが転がらぬように左手で抑えてから右手のナイフを中心にあてて。一呼吸挟んでから、ぐっ、と力を入れた。


「まりまりまりあーん……!」

「お、落ち着いてください、姫」


 テンションが上がりすぎて、小踊りを始めそうな勢いで不気味な歌を口ずさみ始めた私をミラさんが宥める。傍から見れば何かの邪教の儀式である。……邪教? 失敬な。


「姫ー?」

「あい」


 ぶつぶつ一人で会話までしだした私を心配そうにミラさんが見ていて、流石に自制する。久方ぶりのマリアンだとはいえ、このままではやはりお体に影響が、などとオブラートに包まれた心配をされかねない。横で騒がれてはベルさんも集中できないだろう。黙ってナイフがマリアンに沈んでいく様子を見つめた。


「実が凄く柔らかいですね」

「ずっと売り場に残っていたみたいです。その間に熟されたのかも」

「あまりものにはふくがある」

「あまり……何ですか?」

「なんでもない」


 疑問顔のベルさんに首を振って、すぐに余計なことを言うお口を相棒で抑えてチャックした。くすりとそんな私に微笑んだベルさんは手馴れた手付きでマリアンを切り分けていく。その三日月型の黄金はとっても綺麗で、まるで本当のお月様のようだ。このベルさんがしてくれる洒落た切り方も私は大好きだった。この形は見栄えがよく、かつ食べる時にとても持ちやすいという実用性も兼ね備えている。やはり完璧メイド。


「さすべる」

「どなたでしょう」


 流石ベルさんの略です、なんて言葉は喉の奥に引っ込めておいて。ミラさんがさっき濡らした布で木製のお皿を綺麗にしてから三つ、机に並べていく。ベルさんがその上にマリアンを置いて、私はいそいそと椅子の上に這い上がって座った。転ばないように横目で二人が見守ってくれていたのには勿論気付いている。だいじょうぶ、ちゃんと一人で座れるよ!


「よくできました」

「えへ」


 ベルさんが褒めてくれたのにちょっぴり恥ずかしいながらも素直に笑顔を見せて、その下で足をぷらぷらさせて。相棒を膝の上に座らせてあげた。相棒も食べられたらいいのに。この地上の至宝を前にして口に出来ぬとは、なんと残酷な仕打ちだろうか。


「残りはまた夕食後に致しましょうか」

「うんっ」


 そういえば、今日の食事はたぶん、すべて部屋で摂るのだろう。さっきミラさんがマリアンを取り出すときに覗いた麻袋の中には他にも、干し肉やパンなんかのそのまま食べられるものが幾つも入っていた。きっと私の体調を配慮して、人も多くやっぱり少し気疲れしてしまう食堂までは出向かずに、部屋でしっかり休めるようにと買ってきてくれたのだ。そんな節々から感じる二人の愛情に胸の内が温かくなる。


「……あ、そうでした。姫」

「うー?」


 優しい温度を抱いて浸っていた私に、ミラさんが思い出したように言った。ベルさんがカップに水を注ぐ音を聞きながら顔を上げた。首を傾げる私を見たミラさんが一瞬へにゃりと蕩けたように見えて、けれどすぐにいつも通りの優しい表情に戻った。気のせいだっただろうか。


「先ほど買い物に向かう途中で偶々ステラさんにお会いしたのですが、王女殿下がお見舞いに訪ねたそうにしておられるとのことです」

「……るな」


 なんとなくそんな風なことを思ってくれているというのはわかっていたけれど、改めてそれを聞くと心にジーンと来る。ほとんど毎日一緒にいるせいか、この眠っていた間のほんの少しの時間でさえも長く会っていないような感覚に変わって、急にルナが恋しくなってしまう。会いに来てくれるというのなら大歓迎である。むしろ会いに行きたい。


「うん。きてほしいー」

「畏まりました。私はこの後また少し用事で部屋を出ますので、その時にお伝えしておきますね! 」

「ありがと!」


 任せてくださいと快く引き受けてくれたミラさんにもう一度ありがとうと伝えて、ふん、と鼻を鳴らしながらも何処か嬉しげにするルナの顔を幻視しながら。さあ、マリアンを食べよう。あの滴る果汁と瑞々しい果肉を存分に堪能しよう。きらきらと輝く黄金のマリアンに目を戻し、静かに両手を合わせた。


「いただきます」


 三人揃ってそう捧げてから、神々しい三日月を手に取った。大きく口を開けて、まずは一口。かぶりつく。くじゅ、と熟した果肉は簡単に解れて舌の上に転がった。そして溢れる甘い芳醇な香りが体を満たしていく。ああ、美味しい。甘い、優しい味。幸せだ。


「ぁむー」


 それらの味わいを一つも残さず貪るように咀嚼する。噛むまでもなく崩れていく食感はまるで雲のようだ。完全に熟したマリアンとは、こうも濃厚なものなのか。何度も食べているはずなのに、口にする度に初めて食べた時から何も色褪せない感動を与えてくれる。それどころか味をよく知れば知るほど、その奥に隠れていた繊細な味を新たに発見できる。マリアンは素晴らしい。これに勝る食べ物など存在するものか。


「はふ……」

「ふふ。とっても喜んで頂けて、私も嬉しいです」

「アリス様はもしかすればこの世界の誰よりもマリアンを愛していらっしゃるかもしれませんね」

「とーぜん!」


 だからこそ、この果実を育ててくれている農家の人たちには一層感謝せねばなるまい。私にとってのマリアンと同じように、食べ物に限らず誰にも大好きな物というのは存在するはずだ。そしてそれらもやはり、すべて誰かが丹念に愛情を注いで生み出してくれた宝物なのだ。これに感謝せずに何に感謝するというのだろう。いわば、彼ら労働者の人々はしあわせを生み出しているのだ。それはどれほど尊いことだろう。


「やっぱり、かえなきゃ」


 そんな彼らが最底辺としてろくな敬意も払われず、ただ生まれた血の身分によって人の価値が決められている今の王国は、やはりおかしい。そもそも貴族の持つ富というのはほとんどすべてが彼らによるものだというのに。魔法を持っていても、それを私欲のためにだけ使うのであればそれは“魔法”ではない。勿論自分のために使うなと言うのではない。でも、私の知る魔法とは、沢山の人に夢を与えるものなのだから。


「どうされましたか?」

「ううん。まりあん、おいしいね!」

「はい、とっても美味しいです」


 と、口元を上品に拭うベルさんはもう最後の一口を食べ終わったところだった。同じくミラさんも、もうあと何度か口に運べば完食といった様子。私はといえばまだ半分は残っている。食べるペースは同じなのだが、やっぱり二人と私とでは口の大きさが違う。でも二人は当然私を急かすようなことはしないし、私の食べる様子をただ微笑ましげに見守りながら話していてくれる。だから私も気にすることなく自分のペースでマリアンを頬張れるのだ。貴族の社交において食事が重要な位置を占めるというのもわかるというもの。これは一種の信頼の証、そしてどれだけ相手のことを想い、心を許しているかを示す行為でもあるのだ。


「……そうですね、もうアリス様もミランダさんも知っていることですから」


 柔らかい表情を携えながらも考えるように少し黙り込んでいたベルさんが、よしと決意したようにそう言った。きょとんと首を傾げそうになって、ああ、とその前に思い至る。きっとベルさんは諜報機関、マリアーナ・アイリスというらしいそれの話をしてくれようとしているのだろう。にしても、ミラさんも知っていたのか。……まあでも、別段不思議には思わなかった。ミラさんは親衛騎士としてマリアーナの館に、それも創設者であるラブリッドさんの命でやって来たのだ。それに私の従者という都合上、ベルさんとも接する機会は多い。マリアーナ・アイリスについて知っていても、何もおかしくはないだろう。


「今まで隠していて申し訳ございません。改めて、私はフェアミール家の従者長であり、そしてお二人の知るモノの一部を取り纏める長でもあります」

「うん」

「……姫も、ご存知で?」


 改めてそう告げたベルさんに頷いて。そんな私に驚いたように目を丸くしたミラさん。確かに、本来私が知っているはずもないこと。いくらベルさんと私が親しいとは言え、流石に童女に漏らすような情報ではないからだ。驚きもするだろう。


 ……そして、ベルさんが直接的な言い方をせずにあえて回りくどいような、元々そのことを知っていなければわからないような話し方をしているのは安全のためだろう。隣の部屋の物音が聞こえるようなことはほとんどないが、しかし完璧な防音が施されているわけではあるまい。こうして顔を合わせて話を聞いているのは私とミラさんだけだが、例えば偶々扉の前を通りがかった誰かに聞かれないとも限らないのだ。かなりリスキーなことをしてくれているのだろう。それでも今話してくれたのは、きっと私たちとの信頼を崩したくないからだ。完全に秘匿の出来るような環境で話せるタイミングを待っていれば、いつになるかわからない。その条件が満たされるのは恐らくマリアーナの私室くらいしかないのだから。


「はい。アリス様は何事にも鋭く聡いお方ですから。いつの間にか気付かれていたようです」

「流石は姫、と言うべきか……」


 感心したように私を見つめるミラさんと、苦笑するベルさん。目を逸らす私。まったくもって全部勘違いなので居心地が悪いったらありはしない。ベルさん曰く、館の外部に出るようになって、他の貴族たちの話から聞く従者の様子や騎士たちの振る舞い。その他様々な要因から館のメイドがあらゆる面で優れすぎているという違和感に気付き、またそれを私に言わずに秘匿しているような様子から、マリアーナ・アイリスという名称まではわからないものの彼女らは皆何か諜報を扱うような組織に属しているのではないか、そしてその従者たちの長であるベルさんは同時にその組織でも同じような立場にいるのではないかと推察した。……ということらしい。どんな子供だ。物語に出てくるような探偵も真っ青である。


「場所のこともありますし、詳しいことはまだ話せません。ですが、始まりの御二人のお人柄が示すように、悪を良しとするようなものではないとだけお伝えしたかったのです」


 不安そうな顔をするベルさん。口ぶりからするに、ミラさんもそこまで深く知っているわけではないようだ。私は一つ頷いて、ベルさんに笑顔を向けた。何も心配なんてしなくていいのに。


「だいじょうぶ。わたしはそれでも、べるがだいすきだよ」

「私も、姫と同じ気持ちです。びっくりはしましたし、色々と考えることもあります。ですが、ノクスベルさんへ向ける敬意や好意は変わりません」


 諜報機関という性質上自ら明かせるようなことではないというのは私でも簡単にわかるし、もしもこれが嘘で、本当は危ない組織の一員で、その手を紅く染めていたとしても。……私はそれでも、ベルさんが好きだ。大好きだ。その気持ちはもう永遠に変わることがない。例えすべてが偽りだとしても、私はベルさんのことが大切なのだ。例えば片棒を担ぐようなことを頼まれるなんてことがあったとしても、私は悩み悩んだ末にベルさんに協力してしまうだろう。勿論、ベルさんの言葉を疑うつもりはないし、そんなこともないのだろうけれど。

 私のベルさんへの想いというのは、そういった善悪や倫理なんてものは越えた場所にある。そして、ベルさんも私のことをそう想ってくれている。私はそう信じていた。ならば、今更ベルさんが私の知らぬところでそういった仕事をしていたからといって何だというのだろうか。私が抱くのは大丈夫なの? と心配する気持ちくらいである。ミラさんは私とはまた違うのだろうけど、好意がそのままなのは同じ。それもわかっていたし、そう信じている。


「アリス様、ミランダさん……」


 ベルさんにとってはそれはそれは不安だったのだろう。今までずっと私たちを騙していたとも言えるのだから。でも、そんなことは気にしなくていいのだ。言ってしまえば私も隠していることだらけである。主に前世や、母にもらった記憶に関すること。信頼とは互いのすべてを知り合うことではない。相手の隠していることまで暴こうとするのは、むしろその対極に位置する行為なのだと私は思っている。だからベルさんがこうして話してくれるならそうなんだと一言で受け入れられるし、隠したままにするならそれも受け入れられる。不安にならなくても大丈夫。私はベルさんがいつもしてくれるように、その頭に手を伸ばして――――


「……とどかない」


 届かなかった。これ以上身を乗り出すと椅子から転げ落ちる。そのまま羞恥で固まった私。流れるなんとも言えない空気。何も言わずにそっと差し出してくれたベルさんの頭を、暫し無言で撫で続けるのだった。

次回更新は本日18時です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ