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ノブリス・オブリージュ ~引きこもり令嬢が何故聖女と呼ばれたか  作者: 剥製ありす
第四章 貴族令嬢の彼女が何故革命を叫んだか
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第7話 俄雨

「アリスは、この後何か予定はあるの?」


 話も一段落して、カップの残りの水を一気に飲み干したルナはそんなことを尋ねた。何もないならもう少しゆっくりしていって、というお誘いだろう。せっかく、初めて上がらせてもらったのだ。用が終わったからといってこのままさっさと帰ってしまうのは色々といただけない。

 他人の部屋というのはやっぱり落ち着かないが、でも嫌な落ち着かなさではなかった。なんとなく、こう、未知を探索する時のような、そわそわではなくワクワクに近いもので、早く自室へ帰りたいとは思わなかった。むしろちょっぴり寂しそうな顔をするルナと同じように、もう少しこのルナの部屋という空間に浸っていたい。


「んーと……よていってほどじゃ、ないけど」


 でも、一つだけ。出来れば今日中に済ませたいことがあった。ルナが何かあるの? 、と首を傾げるのに頷いてから、ミラさんが持ってくれているそれに一瞬目線を送る。その手に抱えられているのは、一冊の本。


「かりたの、かえさないと」

「……ああ、“待雪物語”。図書室から借りたのね」

「うん」


 そう、学園祭で演劇をするにあたって、練習のために借りた待雪物語だ。図書室から借りた本なのだから、当然読み終わったら図書室に返さなければいけない。特に貸出の期限が決められているわけではないようだが、それでももう私の目的は果たしたのだ。出来るだけ早く返さないと、もしも次に借りたい人がいれば困るだろう。本当はさっき、授業が終わった後に真っ先に返しに行くつもりだったのだ。今考えれば、先に返してからお邪魔すれば良かった。後悔先に立たずである。


「あんまり遅くなると図書室自体が閉まっちゃうものね」

「そだね」


 明らかに残念そうな表情になったルナ。仕方ないと言ってくれてはいるものの、もっといて欲しいという気持ちがひしひしと感じられた。別に、本を返すのは明日に回してもいいのだが。そうだ。


「ね、それなら。いっしょに、としょしついこ!」

「え……一緒に?」

「うん。あたらしいほんもかりたいの。るなのおすすめおしえてほしいな」


 それがいい。それならルナと一緒にいられるし、趣味の共有も出来る。直接本が好きと聞いたわけではないが、日常の会話の節々から見える教養や豆知識からして、きっと読書は嫌いではないのだろう。さっき食事の席で教えてくれた豚についての仮説だって聞いたとは言っても、普段からそういった、知識を貪欲に求める姿勢でいなければ記憶にも残らないだろう。そんなルナが本を嫌いなはずはないのだ。


「……ふ、ふんっ。仕方ないわね、アリスの好きそうなものを選んであげるわ。ふふ」

「わーいっ」


 パッと花を咲かせたルナを見て、自然と私も笑顔になって。それで図書室を出た時間によってその次の行動を決めればいいだろう。遅くなったのならそのまま一緒に夕食に向かうなり、その時間にはちょっぴり早かったならもう一度ここへ戻ってくるなり。王女様の部屋を何度も出入りするというのは一般的に考えて無礼もいいところなのだろうが、私といる時のルナは王女様ではなくて気心知れた友人としているのだ。そこを気にするのは野暮というもの。勿論、それで何かよくない影響が出るならしないが。でも、私とルナが何をするにも一緒にいるくらい親しいというのはもう学園中の知るところなわけで、今更学園生活に大きな影響が出るようには思えなかった。


「図書室で秘密の逢瀬、ということですか。畏まりましたルーンハイム様」

「畏まるな!」


 態々変な言い方をしないで頂戴、と憤慨して付け加えたその頬がぷんぷん膨らんで主張するのを可愛らしく思いながら。ステラさんは案外お茶目な人だ。よく冗談を言ってルナを揶揄っている。とはいっても仲が悪いのではなく、その逆。二人は非常に仲がいい。揶揄われている時のルナはこうして怒りながらも、なんだかんだそれが楽しそうなのである。……あ、ほら。笑った。


「ちょっぴりうらやましい」


 そんな、主従というよりは長年の友人、或いは家族のような、気楽で対等に近い距離感が少し羨ましく感じる。私とベルさんではどうしても物心着いた頃から世話をしてもらっているというのがあって、対等というよりはベルさんが何段か精神的な立場が上な気がする。ある種の主従逆転、甘えっぱなしである。そんな呟きが聞こえていたのか、慌てたようにしたベルさんは不安そうな瞳で私を見つめて。


「――――わ、私も、冗談を言った方が宜しいのでしょうか……?」


 困り眉で尋ねかけるその表情は真剣で、だというのに私はクスリと微笑みを零しそうになってしまった。そうさせた申し訳なさよりも、むしろそこまで心配になってくれる好意の大きさにありがとうという気持ちの方が勝ってしまう。ベルさんとは反対に、私はそれに安心を覚えたのだ。


「だいじょうぶ」

「そうですか……?」

「べるとおはなしするのは、とってもたのしいよ」

「そ、そうですか!」


 わかりやすいくらい頬を緩ませて、ホッと肩を撫で下ろしたベルさん。そんな会話を黙って待ってくれていたルナがそれじゃあ、と席を立とうとして。私もそれに一つ頷くとベルさんに支えてもらいながら椅子を降りる。座るときも自分で座ったのだし、このくらいの高さの椅子なら一人でも自由に降りられるけど、手伝うベルさんが嬉しそうにするのでそれは言わないでおく。


「そうね、私はついでに着替えるから、先に行っててくれる?」

「ふあ」


 と、ステラさんがカップを回収して片付けるのを横目に伸びをしたルナ。……ああ。確かに、今日はいつもよりも少し暑い。人が集まって熱気が密集する教室は余計にだ。私はそれを見越してか、ベルさんとミラさんが薄めの服を着せてくれたのでそこまででもないが、ルナのそのふりふりで重たそうなドレスだと、きっと蒸れて汗を掻いてしまう。それが気持ち悪いので汗を拭き取って着替えたいということだろう。昼食を終えてそのまま部屋に来たのはちょっと気が利かなかったかもしれない。


「うん。わかった、さきにいってるね」

「ええ。私もすぐに行くわ」


 私の目も気にせずにドレスを脱ぎだしたルナに慌てて扉の方へ歩く。信頼の現れなのだろうが、流石に素知らぬ顔でそれを見ているわけにもいかない。いつの間にか盆を片付けて戻ってきたステラさんが扉を開けてくれて、心なし足早に部屋を出る。続くベルさんとミラさんが廊下に出てから一度だけ部屋に振り返って、半脱ぎ状態で肩の肌蹴たルナが小さく手を振ってくれた。


「またあとでね」

「では、失礼致しました」

「お水、ありがとうございました! 」


 そっと閉じられた扉の向こうからはしたないですよ、と注意するステラさんとうるさいわねと反論するルナのやり取りが微かに聞こえるのに笑みを残して、部屋に背を向けて階段の方へと向かう。静かな廊下を三人で歩いて抜ける。


「おへや、おっきかったね」

「そうですね、とっても大きかったです」

「お館の姫のお部屋くらいありましたね」


 そんな部屋の感想を話しながら、落ちないように気をつけながら階段を下る。三階では昼食から戻ってきたのか、丁度何人かの同級生が部屋へ戻るところだった。軽く挨拶をしてくれた同じクラスの少女に会釈し返して、そのまま一階まで。


 そういえば特に気にしたことはなかったが、寮舎自体は一つといえど一応男女は分けられている。三階は主にリリウムとコクリコ所属の女の子ばかりで、二階は男の子だ。一階は他の階よりかなり部屋が少なく、そのほとんどが共有スペースになっている。椅子や机も備え付けられているので、専らみんなの話し場所として使われている。ならアイリスはというと、そもそも所属する生徒が少ないというのがあって、本来は一階の部屋で事足りていたらしい。中心の共有スペースを挟んで入って左が女の子の部屋、右側が男の子の部屋となっている。この左右の割り振りは元々男女が並び立つ場合、右側が男性で左が女性という習慣から決められたものらしいが、今は重要な儀式など以外で特に気にされることはないようだ。それはともかく、今期入学生、即ち私の同期はどうもアイリスに振り分けられた生徒が例年よりかなり多かったらしく、勿論全員が全員寮住まいというわけではないものの結局一階だけでは部屋が足りず、時折私やさっきの少女みたいに二階三階に割り振られている子もいる。……私が四人部屋を個室として一人で使っているのも要因の一つだろう。ちょっと申し訳ない。それと、ルナが使っている通り四階は元々王族が入学した時専用の階層だ。


「……あれ。ちょっと、てんきわるくなってるね」

「本当ですね。今夜は雨かもしれません」


 ぼーっと寮舎のことを考えながら一階の扉を出ると、ここに来る前はそこそこに晴れていた空が曇り始めていた。ミラさんの言う通り、今夜は雨だろうか。雨は非常に珍しい、というほどでもないが、それでも晴れの日の方が圧倒的に多いので何だか新鮮な気分だ。大体、月に二、三度……いや、もう少し多いか。天気のことを気にするようになったのも学園に来てからだ。舎を移動する間の少しの時間だとは言え、雨だと教科書が濡れてしまわないようにしなければいけない。私はベルさんかミラさんが代わりに傘を差してくれるからいいが、一人だと授業で必要なものを抱えながら尚且つになるので結構大変そうだ。今の私では落として結局べちゃべちゃにするのがオチである。


「でも、これでちょっとでものうじょうがうるおうといいね」

「アリス様……」


 まあでも、そんな不便は些事だ。それよりも雨が降ることによる恩恵の方が大きい。当たり前だが、あまりにも降らない日が続けば農作物含め草木は枯れてしまうのだから。それに、雨は嫌いではない。毎日降られるとちょっと憂鬱になったりはするかもしれないが、王国の雨は毒を気にしなくていい。前世のコロニーでは、水は貴重品だ。一人一人与えられる水の量は一日ごとに決まっている。しかもその水はろくに防雨加工のされていない貯水槽からそのまま汲んだような代物で、故に雨が降った日のものは出来るだけ飲まないというのが常識だった。というのも、複数の国家が存在するような体制から支配者層と被支配者層という単純に二分された世界に変わる切っ掛けにもなったとある事件の影響で、一部地域では未だに大気が酷く汚染されたままだったのだ。そういった地域の雨は人に有害な物質を多分に含んでおり、それで倒れた同僚は数知れず。貯水槽の水は二日に一度だけ浄水処理が成される。だから、雨が降った時は数日水を飲むのを出来るだけ控えるのが生きるための術なのだ。

 ……それに比べると、王国の雨のなんと平和で綺麗なものか。大地に潤いを与え、世界に恵みを齎らす。これこそが本来の雨というものである。だから私は、そんな王国の雨を窓から眺めてぼうっとするのも、きゃーきゃー喚きながら濡れるのも好きなのだ。ただし風邪をひかない程度に。


「るな、どんなほんをおしえてくれるかな」

「そうですねー。でも、どんなものでもきっとアリス様が楽しめるものなのは間違いないと思いますよ」

「そだね、えへへ」


 ベルさんが何の疑念もなく言って、私もそれに頷いた。まだ会って日が浅いというのが信じられないほど、ルナは私の趣向や性格を把握している。そんなルナが選んでくれるのである。まったく面白くないというのはまず無いだろう。個人的には、おすすめ以外に幾つか待雪物語のような、知ってて当然、みたいなものを教えてくれるととっても有難い。ルナが来たらそのように頼もう。


 うんうんと来てからの計画を立てながら、食堂を通り過ぎて奥の階段を上がって……。


「うん……?」


 階段を上がって廊下へ曲がった瞬間、図書室の方で人影が見えたような気がした。誰か、丁度同じタイミングで本を借りに、或いは返しに来たのだろうか。……そんな偶然は無いと思うが、もしかすれば待雪物語を借りる気なのかもしれない。早く返さなければ。


「どうかされましたか?」

「ううん。なんでもない」


 案じてくれたベルさんに首を振って、廊下を進んで図書室へ。ミラさんがすかさず先導するように扉を開けてくれて、お礼を言いながら。相変わらず、凄い本の量だ。来るのは二度目だというのにまたまた圧倒されそうになるが、まずは返却だ。扉を潜ってすぐ横の、貸出版の前で足を止める。


「えっと……どうするんだっけ」

「借りた時に書いたものの上から、線を一本上書きして消すみたいです」

「じぶんでやるー」

「畏まりました」


 借りた時はベルさんにやってもらったが、上から線を引くくらいなら私も間違わずに出来る。それに、今日は新しく借りる分は自分で記入してみるつもりなのだ。甘えてばかりでは自分で出来るようにはならない。よーしっ、と、代わりにやってくれようとしていたベルさんから筆記具を受け取って、びーっと待雪物語、アリス・フォン・フェアミールの段落を消す。後は本を棚に戻せば大丈夫。……あ、でも。そうだ、あの時見つけてくれたのはミラさんなので、私は何処にあったのか知らない。


「みら、これどこにおいてあったの?」

「あ、そうでした。此方です、姫!」


 ミラさんの案内に従って高い本棚の森を抜けていく。……しかし、さっき入っていった人は何処に行ったのだろう。まあこんな、まるで迷路のような図書室だ、奥の方にでもいるのだろう。或いは本当に気のせいだったのかもしれないが。何にせよ、騒がしくしないように気を付けよう。


「えーっと……ああ、そうだそうだ。ここです、姫!」

「ここ?」

「はい、確かここでした。きっと、間違いないと思います。……おそらく」


 尻すぼみに段々不安になっていくミラさんに苦笑しながら、指で示されたそこ、下から三段目の列に待雪物語を戻す。確かに丁度一冊分くらいの隙間が空いているので、間違いないだろう。


「へんきゃくおしまい」

「ご苦労様でした」

「それほどでもない」


 如何にも偉そうに胸を張って、くだらない冗談を。くす、と二人が笑ってくれたのに気分を良くする。

 ……さ、もう少しすればルナも来るだろう。


「すぐわかるように、とびらのちかくのほんをみるー」

「畏まりました、アリス様」

「私も何か姫に合うような……」


 本を、と頭を捻るミラさんにありがとうと告げようとして。はっ、とその碧い双眼が天啓を得たかのように煌めいた。気になった私は言いかけたありがとうを一度喉の奥へ仕舞って。


「どうしたの?」

「マリアンの本がないか、探してみるというのはどうでしょう!」

「――――、まりあんっ!?」


 脊髄反射した私の声は思ったよりも大きく図書室に響いて。こういった場所ではもう少しお静かに、とミラさんと二人揃ってベルさんに軽く咎められながら。


「まりあん、まりあん」

「アリス様ったら……」


 ルナが来るまで、三人並んでひたすら“まりあん”の文字を探すのだった。

次回更新は本日18時です。

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[良い点] ベリーマリアン Vの姿勢を取るのだ
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