第6話 “マリアーナ・アイリス”
「反体制派に大規模蜂起の兆候あり、か……」
「……動ける者は限られております。如何致しましょう、ラブリッド様」
もう一度諜報員の報告を反芻して、大きな溜め息を吐いた。周囲を軍に潜り込ませた部下で固め、安全を確保した執務室に沈黙が舞い降りる。わかっていたこととはいえ、まったく頭が痛くなる話だ。辺境地区の治安維持や、最低限の物流を保つのに足りない人手の供出など、もう騎士団は手一杯だというのに。ここへきて反体制派の反乱など……まさにこうして私が頭を悩ませているのが示している通り、反体制派の立場で考えるならば時は来たといったところなのだろうが。しかしこれではっきりした。やはり奴らは王国の……いや。民の“敵”だ。この状態で混乱を加速させるなど、庶民の生活に更なる悪影響が出ることなどは自明の理のはずである。今度こそ死人が出る。
……私とて、このままでは民は苦しんで飢え死にしていくだけだというのは理解している。しかし、ここで剣を取るのは絶対に間違っている。反体制派に所属まではしていなくとも、今の王国中枢に反感を抱いている貴族や魔導師、騎士はかなりの数がいる。しかし彼らは表立って動くわけにもいかず、歯痒い思いをしているはず。反体制派が本当に民のために立ち上がった組織ならば、彼らに裏から接触して秘密裏に食料を民へ供給するなど、この窮地を乗り切る術は他にもあるはずだ。この状態で内乱などは正気の沙汰ではない。体制云々以前に、王国が崩壊する。それを機と見た帝国に呑み込まれるのがオチである。
反体制派。彼らは、最初はただ腐った王国を正すべく立ち上がったのかもしれない。だが今の奴らは、ただ武力で以て反発するだけの誰にとっても厄介な存在だ。
「さて、どうするか」
ともかく、どうしても奴らを止めなければいけない。今すぐにすべてを頓挫させるのは難しいが、せめて時間稼ぎが出来れば何とか、即応出来る規模の騎士を各地より招集、要所への再配置をすることは出来る。問題はその時間稼ぎをどうするか、である。今私が王国軍将軍として。
――――独立諜報機関“マリアーナ・アイリス”の長として打てる策は。
「暗殺、か? いや、それは……」
確かに、此度の計画の中核人物を消せば一時的に動きは鈍るだろう。だが、それをすればもう取り返しがつかなくなる。……いや、最早既に事態はそこまで来ているのだ、来ているのだが、しかし。まだこの時点では王国側にも反体制派にも、奇跡的に死人はいないのだ。死人を出せば、それが内乱の狼煙になる。それは拙い。
……以前にも、その危機はあった。あのマリアーナでの事件だ。庶民の間でマリアーナの、ハッティリアの評判が広まり、それによって庶民の貴族への憎しみが緩和してしまうのを恐れた一部の暴走による凶行。自分たちをきちんと扱ってくれる貴族もいるのだと、それがたった一件だったとしても、庶民たちには大きな歯止めになる。まだ希望はあると、もう少しだけ待ってみようと。本当は誰も血を流したくなどないのだから。
また、仮に我慢の限界を越えた庶民たちが蜂起したとしても、フェアミール家が襲われる可能性はかなり低くなる。そうなると困るのは反体制派だ。彼らはその呼び名の通り、今の王国の体制、引いては王族や貴族という階級そのものを討つことを共通の目的としている。故に比較的庶民の支持を得ているフェアミール家は、それに矛盾を生み得る存在になる。そして主張の揺らぎというのは、常に組織の分裂の元となるのだ。実際、今あそこに手を出せば庶民の支持を得られなくなるという主流派と、それでも今の内に摘んでおくべきだという過激派の仲違いの結果があの事件なのだ。ハッティリア本人ではなくその娘のアリスを狙った詳しい動機は未だ掴めずにいるが、英雄として名を馳せているハッティリアを狙うのは色々と分が悪いと迷走した挙句のことかもしれない。
「やはり直接的な動きは駄目か。強硬手段に出て今回を阻止できても、対立がより激化してしまう。それに反体制派の幹部といっても、元は庶民だ。それを王国の手の者が殺傷した主張されれば、どうなることか」
だが、阻止できなければ結局同じことになる。性質が悪いのは、奴らは普段はただの一庶民であるということだ。どう手を尽くそうと、王国が庶民を傷つけたと言われてしまえばそれでおしまいなのである。やはり我々が手を下すのは難しい。貴族や騎士以外の協力者が必要だ。全くいないわけではないが、彼らはあくまで情報提供者としての繋がりだ。そんな危険な任務を指示したとして、はいわかりましたと動いてくれるような者はほぼいないと見るべきだろう。
「……完全に防ぐのは、難しいと言わざるを得ないか」
コクリ、と。重い頭を上げた先で、部下が神妙に頷いた。ああ、どうすれば。私はどうすればいい。こんな時アリシアがいてくれれば、きっと良い案を出してくれたに違いない。彼女はこういった工作活動に置いて、天性の能力を発揮していた。マリアーナ・アイリスの優秀な諜報員を育て上げたのも、ほとんどアリシア一人の手腕によるものなのだから。
「いや、いない者を頼っても仕方ない」
ふぅ、と再度の溜め息を零しつつ、現実逃避に走りかけた己を戒める。こういう時は、幾ら頭を捻っても良い案は出てこない。少し意識を別のことに向けて視点を変えよう。何か思わぬことが見つかるかもしれない。
「……いない者を、ですか。王国の貴族が皆、噂の“高貴な二人”の御二人みたいに正しく貴族であればこんなことも起きないのですけどねぇ」
意図を察した部下がそれとなく話を振ってくれて、ああ、有り難く乗るとしよう。
……”高貴な二人”か。勿論、私もその話は聞いている。最近、主に魔導師や貴族の間で広まりつつある噂。いや、噂というよりは称賛だ。王都学園に通う、とある二人の幼い少女――――王女殿下と、聖女のような白銀の髪をした令嬢。そう、つまり、アリスのことだ。幼くして入学、それもアイリスに組み分けられた二人はいつも仲睦まじく行動を共にし、また勉学やその他あらゆる面で二人は横に並び、同学年では追随出来る者が存在しないという。荒れる国内の対応に追われて私は参加できなかったが、先日の学園祭では今までにない新しい形の演劇なども披露したようだ。しかしそんな途方もない才を持ちながら、彼女らはそれに自信はあっても誰かに驕るようなことはしていない。ただひたすらお互いを高め合い、助け合い、その立ち振る舞いから人徳もある。従者とも絶大な信頼関係があり、どうも”高貴な二人”という名も二人のどちらかとその従者との会話から着想を得ているらしい。
「正しく貴族である、か」
ふと部下の放ったその言葉にいつかの日を思い出す。あの日、アリスにミランダを紹介した日だ。戯れにハッティリアと私、ミランダ、そしてアリスの四人でしたディスタンで、彼女は私の心情を読み取ったかのようにその手札で以て言い放ったのだ。あの時の衝撃は忘れもしない。恐らく、いや。確実に、彼女はわかっていてそうしたのだ。
“わかって”、いて……?
――――ドクリ、と。心臓が跳ねた。
「まさか」
そんな馬鹿な。そんなはずはない。自分を落ち着けるように何度も否定しながら、しかし探り始めた記憶の中、彼女の言動や手札は、明瞭にソレを示していた。
――――『かくめい!』
そうだ。彼女は、アリスはあの時、確かに“革命”と。そう言った。
そして、驚く私たちに突きつけられたその役は、絵柄は。
「……クイーン」
――――“場に翻ったのは、四枚のクイーン”。
「あの時から、今この瞬間を視ていたとでも言うのか」
「……ラブリッド様?」
ジューウィタロットのクイーンは何を指すか。そうだ、絵柄の通り女王の意味を持つ。しかしそれは元のものから派生して変わっていったものでもあり、原初、本来は、“淑女”を意味するのだとされている。そして現状に置いて、まさに淑女という在り方を体現しているのは“高貴な二人”に他ならない。
「アリシア。君の娘は、我々を遥かに超える才覚の持ち主かもしれない」
頭の中で次々と情報が結びついていく。王女殿下は王国の現状に大層腹を立てていると聞く。両親、つまり国王と王妃を含め、今の王国の腐った王族や貴族の在り方そのものを変えようと意気込んでいるらしい。以前にそれもアリス嬢と急速に仲を深めた一因ではないかとの推測付きで報告を受けた。報告書の書き手は無論彼女の側に付けているミランダだが、それを裏付ける仔細な報告も別の者から受けている。間違いはないだろう。マリアーナ・アイリス創設時からアリシアの一番弟子として幹部の位置にある“彼女”が言うのだから。
つまり、“かくめい”という言葉が表すのは、彼女があの時、本当に私に伝えたかったことは。
「真に貴族で、在るということ」
それによって、ノブリス・オブリージュによって私は立ち上がると、高貴なる力によって革命を成す、と。彼女はあの時、既に決意していたのだ。まだ、たった四歳の娘が。
ならば私はどうだ。彼女が貴族のそれに忠実なように、私は騎士の在り方に則れているだろうか。
「くく。ああ……情けないな、まったく」
ああ、ああ。そうだ。今、理解した。いや、思い出したというべきだろう。
私がミランダをアリスの親衛騎士に選出したのは、ただ能力と人柄、それに既に任に就いている我が娘、カルミアとの深い交友があり、お互いに補助し合えるようにとのつもりだった。そうだと思っていた。だが、違ったのだ。それだけではなかった。
私はきっと、真っ直ぐに理想の“騎士”であろうとするミランダの姿に、若き頃の自分を見ていたのだ。
「――――そうだったな。私は、騎士だ。将軍である前に、君たちの長である前に。ただラブリッドという、騎士に憧れ、騎士を目指す一人の男だ」
困惑した顔を浮かべる部下に悪く思いながら、何処か、自分の中で燻っていた何かが吹っ切れたような清々しい気分で満たされる。最早どう手を打とうと、内乱は免れられない。いや、私自身が今の王国の中枢を、自らの仕える主として認められない。だが、まだ、まだ引き延ばせる。来るその時を、先に延ばすことは出来る。どうせそうなれば今の上層部、中枢部はスッキリ綺麗に掃除されるだろう。
ならば、汚名はすべて我々が背負おう。“かくめい”を決意した我らが姫のために、その行く道を遮る尽くを斬り払おう。そうして開けた道の先で、必ず彼女は見せてくれる。貴族と庶民が、そして誰もが共に支えあって生きていた、古き良き時代の王国を。そうして役目を終えた後は、出来るならばのんびり彼女らを、そしてカルミアを温かく見守って暮らそう。
「アリス嬢。私は君に、いや、貴女に賭けよう。運命に、従って」
そうとなれば、話は早い。今の私がすべきことは、それまでに、そしてその時に流れる血を出来る限り少なくすることだ。ならばやはり、此度の反体制派の大規模蜂起は必ず止めなければならない。すべてを完璧に止めるのは不可能でも、“かくめい”の核となる“高貴な二人”だけは何としても守らなければいけない。
「となれば、一度王都学園に向かわなければならぬな」
「は……? 王都学園、でありますか」
「ああ。王国で一番大きな諜報組織は何処かな。人手が足りないなら、他の助けを借りようということだ」
「それは……で、ですが」
黙って私の呟きを聞き流してくれていた部下の青年が、とうとう疑問の声を漏らした。それもそうだろう。何せ、ずっと独立した諜報機関として隠れて密かにやって来ていたというのに、いきなり王都学園……“王国諜報部長”が周囲への欺きと情報収集を兼ねて勤めているそこへ、直接出向いて協力を要請すると言い出したのだ。彼からすれば、私の気が狂ったかのようにも思うかもしれない。しかし。
「安心しろ。王国諜報部……というより諜報部の長は、恐らく我々の存在などはとうに気付いている」
「え……?」
「アリシアが昔父親と仲違いして、それを切っ掛けに家を出たというのは知っているな?」
「は、はい。恐れながら、存じております」
「では、彼女の父親は知っているか?」
「いえ、そこまでは……」
ああ、そうだろう。むしろ、知っていては困る。これ以降はマリアーナ・アイリスに所属する全員が知る事になるのだろうが、アリシアの父親については私やカルミアなど数人程度しか知らない極秘の情報に設定してある。相手が相手だからというのが一つ。そして何より、王国諜報部は一枚板ではないということ。
もしもその情報をそれら敵対派閥……いわゆる“中枢派”に気取られ利用されれば、マリアーナ・アイリスの独立性は簡単に失われてしまうからだ。……だが、時は来たれり、だ。どの道アリスを支援すると決めた以上、王国中枢とはいずれ敵対することになる。ならばもう中枢派への攻撃を躊躇う必要はない。ここからは諜報部長側の主流派と連携して動いていくべきだ。問題はその、いわば同盟の提案を向こうが受けてくれるかというところだが……本当に、作為的なものすら感じてしまう。
結論から言って、まったく問題はないだろう。どころか積極的に迎え入れてくれよう。
何故ならば、現王国諜報部長の座を務めるのは。
「まさか」
「ああ。その通り」
そう、アリスが通うルーネリア王立魔法学園の長にして、アリシアの父。
「彼女の旧姓は、“マウリスタ”だ」
――――“マッグポッド・マウリスタ”、その人だからだ。
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